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Bonus track-3. 劉 皓然と戦友の叫び

 あの年のショパン・コンクールを、(リュウ) 皓然(ハオラン)は未だに時々夢に見る。


 まるで、浅瀬でパチャパチャやっている時に、突然深い海の底へドボンと引きずり込まれたようだった。


「こっちに、もっと深くに来いよ……ここで呼吸の出来るヤツを、ピアニストというんだぜ……」

 自分が弾いている最中も、不気味な深海魚がそう(いざな)っているように思えて背筋が凍えた。


 呉島 勇吾。

 (リュウ)はその名前が大嫌いだった。

 5歳かそこらで壮絶な演奏をして注目を浴び、ヨーロッパ中のジュニアコンクールを荒らし回った挙句、パッタリと表舞台から姿を消したというが、その名前は(リュウ)の行く先々でついて回った。


「呉島不在のコンクール」「呉島 勇吾がいなかったから」

 (リュウ)がコンクールで勝つたび、どこからともなくそういう声が聞こえてきた。

 まるで金メダルの上に実はプラチナメダルがあって、毎回弾いてもいないヤツの首にそれが掛けられるような不快感だ。


 しかし、一次審査で呉島の演奏を聴いた時、(リュウ)はそのことに納得してしまった。


 ある日突然視覚に目覚めたモグラがいたら、きっとこういう気持ちではないかと思われた。


 モグラに芸術家がいるとすれば、彼は匂いと触覚で自己を表現するだろう。しかし視覚に目覚めれば、きっと絵だって描きたくなるはずだ。


 (リュウ)は開いたばかりのその新しい感覚の世界に、何かを描きたくなってしまった。

 あそこで光るものは何だ? どういう匂いがする? この景色に果てはあるのか? 俺のこの気持ちを、どんな色で描けばいい? あれ? 俺は今まで、どう弾いてたんだっけ……?


 そうやって彼は、新しい感覚の世界に溺れ、飲み込まれていった。



 ──そういう夢から目覚めた朝は、決まって背中にぐっしょりと寝汗をかいている。


「クソッ……」

 誰にともなく毒づいて、(リュウ)はベッドから這いずり出た。


 窓の外から聞こえる小鳥のさえずりに耳を傾けながら、スマートフォンを掴んで時刻を見る。朝の5時28分。


「あの野郎、俺を早起きさせやがって……」


 水色のパジャマを脱いで、白いジャージに着替えた。

 毎朝30分のランニングを、(リュウ)はもう長いこと続けている。


 それでもあまり痩せていない(というより太っている部類に入る)のは、走る以上によく食べるからだが、それは「良いデブ」ということにしている。


 イヤホンを耳に詰め、スマートフォンのプレイリストから音楽を選ぼうとする途中で、ふと気になってSNSのアカウントを開いた。


 メッセージが届いている。送信日時は昨日の夜だ。

 その送信元を確認した時、ふと、呼吸が軽くなったように思えた。

 そのメッセージはいつも拙い英語で送られて来るが、このところ、それも上達してきているようだった。



 (リュウ) 皓然(ハオラン)


 こんばんは!

 今回の演奏動画も最高でした!

 私は、(リュウ)さんの、爆発するみたいなパワーのある演奏が大好きです!


 時々辛いこともあるけれど、(リュウ)さんの演奏に

 元気をもらって、いつも頑張っています。


 これからも、素敵な演奏を聴かせて下さい!



 (リュウ)は微笑むと、それをポケットにしまって、同じ屋敷に住んでいる仲間たちを起こさないように足音を忍ばせながら、玄関を出た。


 少し歩いて、腕を回したり腰を捻ったり、小さくジャンプをしたりする。そして身体が目覚め始めるのを感じると、ゆっくりと、走り出した。


  ✳︎


 そのアカウントから初めてダイレクト・メッセージが送られて来たのは、(リュウ)がSNSを始めてから1年ほど経ってのことだった。


 国内のジュニアコンクールで結果を出し始め、プロへの道を目指すと決めた時、ネットの力を使ったプロモーションが今のピアニストには必要だという両親の勧めもあり、演奏動画を録ってはSNSにアップするということを地道に続けてきたのだが、当然ながら、そんなことをやっている人間は星の数ほどいて、最初の内は何の反応も無かった。


 この(リュウ) 皓然(ハオラン)というのは、かつてあった九龍城砦という巨大なスラム街で社会の底辺を舐め尽くした父親と、香港本島でイギリス相手にどデカい商売をする貿易会社の社長令嬢との間に、猛烈なラブ・ロマンスの末生まれた子どもであり、イギリス資本主義仕込みの残虐なまでの商売魂と、スラム・ドッグ譲りの凶暴なハングリー精神とを併せ持っていた。


 従って、1年やそこら結果が出ないくらいでヘコたれもしなかったのであるが、それでも演奏動画や楽曲分析、レッスンや演奏会の反省などといった記事をコツコツ上げ続けて1年、やっと届いた初めてのメッセージに、(リュウ)は飛び上がるほど喜び、声を上げて泣いた。


── I like your Piano. ──


 そこに書かれていたのは、たったそれだけだった。

 しかし(リュウ)にとって、それ以上価値のある言葉はこの世に存在しなかった。


 その後、業界の知り合いが増えるにつれて、(リュウ)のSNSは人気を伸ばしていったが、初めてメッセージをくれた彼、あるいは彼女との交流は、現在に至っても続いている。


 その相手について分かっていることは少ないが、ハンドルネームを『ZEAMI』と名乗る日本人であり、どうやら現在高校生であるというから、初めてメッセージをやり取りし始めた頃は、ZEAMIもまた、ほんの子どもで、しかも(リュウ)より歳下なのは間違いなかった。


 この人物は、自分で記事を更新するということがなく、そのアカウントも、もっぱら(リュウ)にメッセージを送るためだけのものらしかった。


 ある時、メッセージのやり取りの中で、ZEAMIはこう言った。

「私は、ものを作るのが好きですが、(リュウ)さんのように、

コンクールに挑戦したり、たくさんの人に見てもらうような勇気がありません」


 これに(リュウ)は、こう答えた。

「俺はピアノで飯を食っていきたいと思ってる。

 だけど、君がそうでないからといって、

君の作ったものに価値が無いなんて思わないで欲しい。

 例えば君が、誰かに伝えたい何かを持っていて、

それを伝えるために、そばにあったピアノの鍵盤をポンと押したなら、

曲なんか一曲も弾けなかったとしても、君はピアニストだと俺は思う。

 そのために絵の具を塗ったとしたら、君は画家だし、

何か文字を書いたとしたら、君は詩人だと俺は思う。

 自分の心を伝えるために何かをした時、その人は、

少なくともその時だけは、芸術家なんだと俺は思う」


 またある時、(リュウ)がSNS上で演奏活動が上手くいかないことを嘆くと、ZEAMIはこういうメッセージをくれた。

「私は昔、学校でいじめられていました。それでも毎日学校に行けたのは、

好きな人がいたのと、(リュウ)さんのピアノが勇気をくれたからです。

 (リュウ)さんの演奏を誰が認めなかったとしても、

私にとって(リュウ)さんは、最高のピアニストです」


 このメッセージをもらってから(リュウ)は、自らにネット上でのネガティヴな発言を禁じた。


 そして、忘れもしない一昨年の夏、ZEAMIは自分の美術作品をSNS上に写真でアップするようになった。


 その記念すべき第1回の作品は、絵画だった。

 モノクロの、太ったピアニストの絵だった。


 鍵盤に覆いかぶさるようにして、横顔にも目を怒らせ、吠えるように口を開けて、画面全体が、陽炎に揺れていた。


「大好きなピアニストの絵です」


 そこには日本語でそう書かれていた。


 (リュウ)は日本語の勉強を始めた。


 元々読んでいた詩集の日本語訳を取り寄せ、夏目漱石、芥川龍之介といった作家の小説にもチャレンジした。


 それからも、2人は互いに励まし合った。


 その頃には、彼らはすでにピアニストとファンではなく、互いに芸術の世界を生きる戦友だった。


 ZEAMIのアカウントにも次第にファンが増えはじめ、(リュウ)もまた、若手ピアニストとして注目されはじめていた。


 そしてとうとう、ショパン国際ピアノコンクールの予備予選を通過したと通知がきた時、ZEAMIから、こういうメッセージが届いた。


「最近、作品を作るのが辛いです」


 (リュウ)は、立ち止まって少し考えた。

 ZEAMIのSNSは順調にファンを増やし、応援のメッセージも数多く寄せられていたが、ネット上には善意の人だけではない。中にはひどくまとわりついて悪口(あっこう)を垂れるものさえ現れ、無視すればしたで「議論から逃げた」などと吹聴した。


 そうしたことに、ZEAMIは疲れてしまったのだ。


 それに気付くと、(リュウ)は、考えた。それはそれは真剣に、むしろ、自分のピアニストとしての将来を考えた時でさえ、これほど真剣に、深刻に、深く、長く考えはしなかっただろうというくらい、(リュウ)は考えた。


 そして、1通のメッセージを送った。


「俺は、君が芸術の道を諦めたからといって、君を軽蔑することはない。

 だけど、俺の考えを、少しだけ聞いてほしい。

 ライナー・マリア・リルケは『若き詩人への手紙』でこう書いた。


“ あなたの夜の、もっとも静かな時に、ご自身にこうたずねるのです。

『自分は書かなければならないのか』と”


 俺は、リルケを尊敬している。だが、この点については違う意見を持っている。

“もっとも静かな時間”なんかじゃない。

 周りの人間が囃し立て、俺たちを蔑み、嘲り、後ろ指をさして笑う時こそ、

 俺たちは、自分にこう尋ねなくちゃならない。

『それでも俺は、やるのか?』と。

 そしてその時、『それをやらずにはいられない』と思ったならば、

 もう、その瞬間に自分の全てを投げ込むだけだ。

 先のことなんか知ったことじゃない。

 誰に何を言われようが、知ったことじゃないんだよ!

 例え二流で終わろうが、三流だろうが五流だろうが上等だ!

 そう言って俺たちを笑う奴らが、一体何流だってんだ!

 もし君の指先が、まだ『描きたい』と筆を欲するなら、

 その瞬間に全てを賭けろ!

 明日はどうかなんて知らない。今、『描きたい』、今、『弾きたい』

 この瞬間、この衝動が、俺たちの全てだ!

 そしてそうある限り、俺は絶対に君を見捨てることはない!」


「ありがとう」

 返信はそれきりだった。


 そして、半年ほどが経とうとしていた。

 (リュウ)はワルシャワに渡り、そして、ぺしゃんこに負けた。

 練習の成果も何もあったもんじゃなかった。他人の演奏に触発され、次々に湧き上がってくる新しいイマジネーションに振り回されて、内にある音楽が膨張し、制御を失い、暴走した。


 その日、彼はホテルに帰らず、練習のために押さえていたアパルトマンで、声を出して泣いた。結果を待つまでもなかった。


 一晩中泣きはらして、いつの間にか夜が明けたことに気付いた時、(リュウ)にメッセージが届いていた。


 そこには写真が添付されているきりだった。


『一枚の絵』と、そこに写った絵を、そう呼んでいいのか分からなかった。斜めに傾いた画用紙の対角に、手が描かれていた。片手は画用紙を押さえ、片手には筆を握って、絵の中の絵に絵の具をなすっている。


 その手は、絵の中に手を描いていた。そこに描かれる手もまた、さらにその中に手を描いて、その手もまた……──そうやって、合わせ鏡のように、螺旋状に渦を巻きながら、深く、奥へ奥へと、無限に続いていくようだった。


 それは、自画像だった。ZEAMIの自我とは、頭や胸にあるのではない。手にあるのだ。


 では、絵の中にある絵の中にある絵……その渦の、一番奥には何がある?


 (リュウ)は、スマホの画面に2本の指を這わせ、その中心をピンチアウトで拡大した。


 限界までその写真を拡大した時、絵の中の絵の中の絵の中の絵の中の……その中心に、辛うじて読めるくらいの小さな文字で、しかし書き殴るように力強く、こう書かれていた。


 ── We are “NOT” over yet!──


 俺たちは、まだ負けて“ない”!


 我々は敗北を拒否し、否定する! その意志が、大文字で強調された“NOT”に深く刻み込まれていた。


 俺たちが描き続ける限り、俺たちが弾き続ける限り、俺たちの心臓が鼓動を続ける限り、俺たちに、誰がどんな順番をつけようと、俺たちはまだ、負けて“ない”!


 (リュウ)は玄関を飛び出し、階段を駆け降りて外に出ると、ワルシャワの空に向かって叫んだ。


「ZEAMI! 届いたぞ!」


 ワルシャワの秋の空は、冗談みたいに高く透き通って、どこまでも続いていた。


 その日の夜、彼は直接呉島のスタジオに乗り込んで宣戦布告に向かうのだが、その顛末(てんまつ)はまた別の話。


  ✳︎


 何と返信を送ったものかと考えながら、(リュウ)は朝の河川敷を走っていた。

 日本に来てしばらく、言葉の読み書きも大分上手くなった。そろそろ日本語で返事を書いてもいいかもしれない。


 すると、その向かいから、同じように白のジャージを着た、背が低く、線の細い、ちょっと一目には男とも女とも言いがたい中性的な顔立ちをした若い人が、(リュウ)の顔を見て、ハッとしたように足を止めた。


 そして、「あの…… (リュウ)さんですか? (リュウ) 皓然(ハオラン)さんじゃありませんか?」と気弱そうな声で、恐る恐る尋ねた。


 声を聞く限り、どうやら男性らしかった。

 (リュウ)は速度を落とし──といっても、元より大した速さではないのだが──足を止めると、相手の顔を覗き込むようにして見つめた。

「いかにも、俺が(リュウ) 皓然(ハオラン)だが。君は?」


「あ、僕、森野 花……違う。えっと──」


 その一瞬で、(リュウ) 皓然(ハオラン)は相手が何者であるかを知った。

「ZEAMIか!」


「えっ! 分かるんですか?」


 驚いて口を覆う相手に、(リュウ)はニンマリと笑って答えた。


「分かるさ。秘すれば“花”。能の大家、世阿弥(ぜあみ)の『風姿花伝』にある名言だ」

 そして、(リュウ)は、その小柄な肩を掴んだ。

「君は……こんな小さな身体で、戦っていたのか……」


「僕たち芸術家は、身体が小さくても、戦えるから……でも、僕も(リュウ)さんを見習って、体力をつけようと思って──」

 そう言いさして、花は声を震わせた。


「もし君に会えたら、直接言いたかった。

 君が、初めて俺に送ってくれたメッセージに、俺が、どれだけ、どれだけ、どれだけ励まされてきたか。

 俺が辛い時、苦しい時、折れそうになった時、君の存在がどれだけ俺を励まし、支えてくれていたか──」


「僕も、(リュウ)さんに、直接言いたかった。僕、美大に入ったんです。今、賞にもガンガン応募してます。戦い続けている自分で、(リュウ)さんに会いたかったから……」


「そうだ! 例え俺たちに、誰が、どんな順位を付けたとしても、仮に幾つかの局地戦で敗れたとしても──!」


「僕たちが戦うことをやめない限り──!」


「俺たちは、負けてない!」


 彼らは河川敷から幅の広い川の対岸に向かって叫んだ。


「僕は! 卒業までに賞を獲る!」


「呉島 勇吾に土をつけるのは、この(リュウ) 皓然(ハオラン)だ!」


「うおぉぉぉぉおおっ!」


「かかってこいやぁぁああ!」


 ほどなくして近隣の住民が呼んだ警官に追い回された挙句、かなり粘り気のある説教をくらったのは言うまでもない。


「はい……はい……すみません。テンションが上がってしまって……」


 (リュウ)は萎んだ風船のようになって、花に慰められながら交番を後にしたが、帰りにファスト・フード店で一緒にパフェを食べて帰ったので、この日をトータル圧倒的にプラスの日と捉えている。


 これ以来、(リュウ) 皓然(ハオラン)と森野 花は終生に渡り親交を深めた。


 (リュウ) 皓然(ハオラン)は世界中を飛び回るピアニストとなったが、森野 花も各国で個展を開く芸術家となったため、彼らは都合が合う度に会っては、主に各地の甘味を食べ歩いた。


 このため、(リュウ)の体重は努力の割にずっと横ばいだったが、生来極めて少食であった花が、少しふっくらして愛嬌を増したというので、花の恋人は複雑な心境ながら、「……っす」と、その友情を認めていたようである。



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[良い点] 一流を自負するものが、自分の遥か上を行く超一流を目の当たりにして感じる絶望感。冒頭でリュウが感じるこの感覚は、私も拙作で描きたいと思っているテーマでもあります。御作の本編では既に違う形で表…
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