15-8.あなたが地獄に堕ちるなら/篠崎 寧々
勇吾くんのオペラがワルシャワで上演されると決まったのが5月で、その翌月から、彼はちょくちょくロシアに行き来していた。
何をしているのかな……? と思っていたら、ショパン・コンクールに並ぶ3大コンクールの1つ、チャイコフスキー国際コンクールのグランプリを、片手間みたいな感じでしれっと獲ってきて周囲の度肝を抜いた。
その年の10月、高校2年生の私たちが婚約したことは物議を醸したが、それはそれとして翌月、互恵院学園剣道部は全国大会団体戦、初優勝を飾り、私は個人戦を準優勝で終えた。
それから半年後、年をまたいで3年生に進級する4月には勇吾くんの家で同棲を始めると、さらなる物議を醸した。
勇吾くんは、校長をはじめとする学校の先生たちに対して、自分がこの婚約のためにしてきたことを、真っ向勝負で余すところなく説明した。
呉島 勇吾という人は、そういういわば『前例のないことへの恐れ』みたいなものに対して、異常なほど強かった。何しろ、わずか3歳のころから、そうしたものを踏み砕いて生きてきた人だから。
しかし当然、議論の矛先は私にも向いた。
「我々が懸念しているのは、篠崎さんが、呉島くんの並み外れた能力や、ある種の強引さに対して圧倒される内に、真意にない意思表示をしてしまっているのではないかということです」
学年主任の先生が、真面目な顔でそう言うので、私は、少し恥ずかしいな、と思いつつ、こう答えた。
「確かに、呉島くんはすごいパワーを持っているので、それに圧倒されることも時々あるんですけど、実は、強引さでいうと、私の方が強引だったりして……あの……何について強引かというと、その……そこは、デリケート・ゾーンなので……」
先生たちは、私がこう言うと、ちょっと気まずそうな表情をするので、余計恥ずかしかったし、後で考えてみると、「デリケート」に「ゾーン」をつけたのは完全に間違いだった。
校長先生が奥の方で笑っていた。
「我が校の生徒にとっても、将来について考えるとても良い機会だと思いますよ」
その一声が、学校側の結論となった。
そしてそれから間もなく、勇吾くんは校長から講演の依頼という形で、自分の仕事について、婚約について、スピーチをすることになった。
慣れた足取りで壇上に上がった勇吾くんは、彼の年齢で働くというのがどういうことか、音楽の世界で生きるというのはどういうことか、そして、この年齢での婚約や同棲を、大人に納得してもらうというのはどういうことかということなどについて話した。
そのスピーチは客観的に見てもなかなか興味深い内容で評判だった。
そして、その年の10月27日午前0時、私と勇吾くんは婚姻届を役所の夜間窓口に提出した。
私の方の証人はお父さんで、勇吾くんの方の証人は事務所の社長、川久保さんだった。
その週の日曜日、私たちは結婚式を挙げた。
私はずっと、式はしなくていいと言っていたのだけど、勇吾くんは「ドレス姿が見たいから」と、婚約の決まった時から準備してくれていたのだ。
地元の小さなチャペルで結婚指輪を交換し、誓いのキスをした。
勇吾くんはもう、神様を恐れてはいないみたいだった。
私の親族の他に、剣道部(OG含む)やクラスの友だちを呼び、勇吾くんの事務所の社長と真樹さんには、新郎の親族が座る位置に座ってもらった。また、ショパン・コンクールの1次で一緒だった劉さんたち8人のピアニスト、それからルドヴィカちゃんも来てくれた。
式はささやかなものになる予定だったけど、その時にはもはや勇吾くんの親友みたいになっていたワルシャワ・フィルのラッドさんが、ポーランドからオーケストラを率いて登場して、メンデルスゾーンの『真夏の夜の夢』から『結婚行進曲』を演奏してくれたのは、もう、サプライズの域を超えていて、私はただただ恐縮してしまった。
新郎の挨拶で、勇吾くんはこう言った。
「俺は、親に捨てられて、世の中の全てを憎みながら生きてきました。
ワケの分からない音楽の才能だけをポンと渡されて、『ホラ、こんだけのもんをやるから、後はそっちで勝手にやれ』と突き放されたような感じです。
でも、今は感謝しています。
俺は、この人と一緒になるために生まれてきました。そして、一緒に生きていくために必要な才能が与えられていた。
だけど、今まで俺たちと出会ってくれた誰かが、1人でも欠けていたら、こういうふうにはならなかったのかもしれません。
だから、俺が生まれてきたこと、寧々が生まれてきたこと、ここに来てくれたみんなが生まれてきてくれたこと、その全てに感謝します」
私はその時点でめちゃくちゃ泣いてしまって、スピーチの順番が回ってきても、もう自分でも何を言っているのか分からないくらい嗚咽にまみれてすごく恥ずかしかった。でも、これだけはというところだけ、何とか呼吸を整えて、言った。
「私たちは、まだ、とても若くて未熟だし、世界には確かなことなんて何もないから、ずっと幸せとは限りません。
この人は、【ピアノの悪魔】と呼ばれてきました。この人が悪魔なら、私は地獄にだって一緒に堕ちて、そこで戦うつもりです。
だけど、できれば嬉しいことや楽しいことがたくさんあった方が絶対いいので、私はこの人と一緒に頑張ります。だからどうか、これからも、私たち夫婦を、よろしくお願いします」
それから、集まったピアニストたちは1曲ずつ、ピアノを弾いてくれた。
ワルシャワで一緒だった劉さんたち、ルドヴィカちゃん、それから真樹さんと、社長の川久保さんまで。勇吾くんのピアノですっかり耳の肥えたつもりの私にも、川久保さんのピアノは上手で驚いた。
そしてそうなると、当然黙っていないのが勇吾くんで、自作の『超絶技巧練習曲』を披露して、会場を騒然とさせた。
それはそれは速くて、とんでもない技巧の凝らされた音楽だったけど、煌びやかで、愛に溢れて、綺麗だった。
ブーケトスを取ったのは、マユだった。
私は気持ち真樹さんに寄せて投げたつもりだったけど、彼女は手を伸ばさなかった。
式の終わりにみんな挨拶に来てくれて、そこで色々お話をした。
最後に話したのは真樹さんだった。
「でかしたな。寧々。おめでとう。コレやるよ」と、真樹さんは一冊のノートを差し出した。
開いてみると、そこには、びっしりと勇吾くんについて書かれていた。
彼がどんな料理を好んで食べたか、何に腹を立てたか、どのくらいピアノを弾いて、いつ眠ったか──そういうことが、びっしり。
「お義母さん……」
「誰がお義母さんだバカ。あいつはイヤイヤ期から直行した長〜い反抗期を、やっと終えた。冗談じゃねえぜ。美味しいとこだけ持ってきやがって……」そう言った真樹さんの声が、震えた。「ありがとう、寧々。勇吾をよろしく頼む。それから、ヴィルトゥオーゾは女にモテるぞ。気をつけろ」
その隣で、勇吾くんが社長と話しているのが聞こえた。
「トルストイはこう言ってる。『多くの女を愛した者より、一人の女だけを愛した者の方が女を深く知っている』よそ見をするなよ、勇吾」
「うるせえよ」と鼻で笑ってから、勇吾くんは付け加えた。「ありがとう、親父」
その夜はもう、勇吾くんをめちゃくちゃにした。
✳︎
11月に入ると、互恵院学園高校剣道部は団体戦2連覇を果たし、私は個人戦優勝に輝いた。
勇吾くんは仕事の合間を縫って応援に来てくれて、私の優勝をとても喜んでくれた。
私はそこから、東京の体育大学へ、進学が推薦でサクッと決まってしまった。
引退した部活にあまり顔を出すのも先輩風を吹かしているみたいで憚られるし、受験勉強は必要ないしで持て余していると、勇吾くんは自分のコンサートに私を連れて行ってくれた。
ほとんど毎週末、いろんなところへ。
東京、福岡、京都、札幌、パリ、ミラノ、ロンドン、モスクワ、台北、上海、九龍──
もう、新婚旅行も卒業旅行も必要ないくらい、彼の演奏旅行について回った。
そして4月から、私は東京の大学に進学、八王子に勇吾くんと2人で小さなアパートと、ピアノスタジオの一室を月極で借りた。
そこからの彼の活躍は怒涛だった。
日本語オペラ『偸盗』がこちらでも評価されると、泉 鏡花の『化鳥』を幻想的なオペラにして、より高い評価を得た。
また弦楽四重奏のための組曲『夢十夜』、交響詩『ドグラ・マグラ』、種田山頭火による歌曲集『放浪にうたう』といった、文学を元にした音楽を多数発表し、管弦楽、室内楽、歌曲、オペラとジャンルや様式を問わない多彩さと多作ぶり、またこれらを自分のピアノ・リサイタルと並行する精力的な活動から、彼は【ピアノという卵から孵化した怪物】と呼ばれるようになっていた。
一方で、彼は料理を覚えると、札幌で食べたスープカレーにハマった。
真樹さんがくれたマニュアルにもあったけど、彼は一度ハマると、こちらが別の食べ物を用意しない限り、同じものを食べ続ける。そこにきて、自分で料理を覚えてしまうと、コントロールがより困難になっていた。
ある日、私が大学の講義から帰ると、勇吾くんが困った顔で、ちゃぶ台の前にあぐらをかき、腕を組んでいた。目の前には大きなお皿の上に、素揚げの野菜が山を作っていたが、その一角が、崩落した斜面みたいに欠けていた。
「どうしたの?」
ただいま、おかえり、のやり取りをした後で、私は聞いた。
「スープカレーの何が美味いって、ルーもそうだけど、素揚げの野菜だよな」
「うん。確かに」
それで、何を困っているのか、と私は首をかしげた。
「困ったのは、カボチャの素揚げが、それ単体で美味すぎるってことなんだ。ルーを煮る間に、素揚げをやるワケなんだけど、何度やっても、先に食ってしまう。カボチャを1玉買ってきたのに、半分食ってしまった。残りの半分は、寧々、お前の分だ……」
「私の半分あげるよ」
「いや、そういうワケにはいかねえよ。まず何より、それはお前の分だし、それを食ったら、俺はカボチャに負けたことになる」
「なるかなぁ?」そう言いながら、私は彼の隣に腰を下ろした。「勇吾くんが家でご飯作って待っててくれるの、嬉しい。出来れば、スープカレー以外のものも食べたいけど」
「お前さては、俺がスープカレーだけの男だと思ってるな?」
勇吾くんは顔をしかめる。
私はそれが可笑しくて笑ってしまった。
「思ってないよ、全然」
彼は、ピアノと、音楽と、スイーツと、闘志と、愛と、友情と、そしてスープカレーの男だ。
「じゃあ、明日は何か、違うの作るわ」
2人のおうちで、私は彼の肩に、頭を乗せた。
「狭いね」
「ああ、狭いな」
「でも、幸せだね」
「ああ……幸せだ」





