15-6.確かなものなど何もない世界で/篠崎 寧々
開演のベルが鳴って間もなく、舞台袖から一歩、彼がステージに足を踏み入れた瞬間に、沸騰するような拍手と歓声が体育館を埋め尽くした。
それさえも演奏会のプログラムに組み込まれていたみたいに、勇吾くんは優雅な、しかし確かな足取りでピアノの前まで歩き、客席に向かって礼をすると、淀みなくピアノの椅子にかける。
そして彼は、鍵盤に指を這わせた──
その時間と空間だけが、現実の世界と切り離されて、『音楽』という途方もない宇宙の中に、ポッカリと浮いているような、そんな不思議な時間だった。
開幕フルスロットルの超絶技巧で会場を沸かしたかと思えば、切ないノクターンで涙を誘い、甘い小品で夢の世界へ連れて行ったかと思えば、激しい戦いの音楽で興奮の坩堝にたたき込み……彼は聴く人の心をそうやって、縦横無尽に揺さぶった。
──「俺は、この日のために生まれてきた」と彼は言った。
何千人という客席の前で、数百万の視聴者が配信を観ていた世界的コンクールで優勝に輝いた彼が、たった500人そこそこの、高校の体育館で。
その演奏は、かつて真樹さんやたくさんのピアニストたちを打ちのめし、あるいは川久保社長が夢見たような『音楽のための音楽』ではなかった。人と共にあり、人の心と響き合う音楽だ。
私の身体の奥に彼が残した愛の余韻──かすかな痛みと甘い痺れを味わいながら、私は舞台袖で、その一部始終を見届けた。
彼の音楽は、確かに聴衆の心と響き合っていた。
私の身体の奥にある柔らかい部分を、優しくかき回したあの時みたいに。
──全てのプログラムを終えても、拍手の音は鳴り止まなかった。
勇吾くんは、何度も、何度もステージに出て、頭を下げた。
やがて学校の関係者が、「ただ今をもちまして、全てのプログラムを終了いたしました」というアナウンスをするまで、会場には暖かい拍手が鳴り続けた。
舞台袖で抱き合った時、彼は少し泣いた。
学校を出た時、外はひんやりと冷たかったけれど、空気はきりっと澄んで心地よかった。
お父さんから、勇吾くんを晩ご飯に誘おうという連絡があったけど、電話を代わった勇吾くんは、「遅い時間で、ご迷惑になりますから」と断った。そして、「後日、改めて、お話ししたいことがあります」そう言って、通話を切った。
✳︎
勇吾くんがスケジュールの合間を縫って家に来たのは、翌週、平日の夜、私の部活が終わってちょうど家に帰ったころだった。
本格的に演奏会が忙しくなるのは年明けからだそうだけど、勇吾くんにはたくさんのオーケストラからお呼びがかかっていて、毎週末どこかしらのオーケストラと、協奏曲の合わせ練習のために方々へ出かけて行かなければならないそうだった。
その日はお父さんも早めに仕事を切り上げ、お母さんはちょっと良いお肉をスーパーで仕入れていて、逆にお姉ちゃんはあえてサークルの友だちと飲みに出かけた。
もう、家族みんな、勇吾くんが何の話をしに来るのか薄々勘付いていて、朝からずっとソワソワしていたのだった。
勇吾くんが家に来た時、彼がアタッシュケースみたいな鞄を提げていたことに驚いたけど、とにかく上がってもらって、一緒に夕ご飯を食べた。
そこで彼は、お父さんの会社や、お母さんが最近始めたパートの話を興味深そうに聞いた。
夕飯を食べ終わると、勇吾くんは天井を仰いで、これから本題に入ります、というように小さく息を吐いて、始めた。
「俺は、このご家族にとても良くしてもらって、自分もこういう家族を作りたいと思うようになりました」
お父さんは少し緊張した面持ちで、うなるように答えた。
「そういうお話ではないかと、薄々、思ってはいました。寧々とのことを、呉島さんがそういうふうに、真剣に考えてくれているのは、親として、とても嬉しいことです」
「はい。俺がまずお伝えしたかったのは、寧々さんとのことについて、俺が真剣に考えているということでした。
そして、次にお伝えしたいことは、俺がどれくらい真剣に考えているかということです」
「その程度について……?」とお父さんがたずねると、勇吾くんはうなずいた。
「はい。俺は、寧々さんと、この家族みたいに温かい家庭を作りたいと思っています。そしてそれは『いつか』ではなく、俺が18歳になる日の日付が変わった瞬間、約2年後の10月27日、午前0時です」
「日付どころか、時刻まで……」
「はい。でも俺と寧々さんはその時18歳、まだ高校も卒業していません。
お父さんとお母さんは、とても心配だと思います。そこで……」
そう言うと、彼は持参したアタッシュケースをガパッと開き、中から資料を取り出して、お父さんとお母さんと、私に配った。
「資料を用意しました」
そこには、色んな数字が並んでいて、どうやら、お金の話なのだと気付いた。
勇吾くんは、私たちが資料に目を通すのを確認してから、続けた。
「今、俺は事務所と協力して、3つの計画を同時に進めています。
1つは、コンサートです。ショパン・コンクールを獲った今、俺のリサイタルの市場価値は最大の状態にあります。その内に、まずはヴィルトゥオーゾとして出来るだけ多くのソロ・リサイタルを組んで、そしてまた別の国際コンクールを獲り、この価値を上げ続けます。
2つ目は、録音のリリースについてです。俺は演奏が正確で、現存するほとんどの音楽を一発録り出来るので、教材や資料として価値のある音源を量産できます。録音の収入はコンサートには遠く及びませんが、『この作曲家を勉強するなら呉島 勇吾の録音を聴け』そういう録音が残せれば、安定した印税収入が得られます。
3つ目は、作曲です。今、すでに俺が書いたピアノ練習曲の出版が予定されていますが、それとは別に、1月のワルシャワ・フィルとの共演で、自作のピアノ協奏曲を弾かせてもらうことになっています。俺はそこで必ず成功を掴み、今作曲中の、日本語オペラの上演につなげます」
「オペラ……? というと、歌とか、そういう……」
お父さんは戸惑うように言った。
「はい。クラシックの世界で大作曲家と呼ばれるための条件があるとすれば、交響曲かオペラで成功することです。作曲をやると決めた以上、半端をやるつもりはありません。
そして日本語のオペラというのは実はとても少ないんです。でも、日本歌曲には優れたものがたくさんあって、ミュージカルの市場も決して小さくはありません。日本人というのは元々、歌舞伎や狂言といった音楽劇に馴染みを持った民族です。
オペラではたくさんの人と金が動く。俺はそういう世界に飛び込んで、多くの人と関わって仕事をするということを学ぶつもりです。
仮に俺がいつか、怪我や病気でピアノが弾けなくなったとしても、寧々さんと一緒に暮らしていけるように」
ハッとした。彼はワルシャワで、オペラの間奏曲を弾いていた。きっと、その時にはすでにこういうことを考え始めていたのだ。
「なるほど。つまり、収入は問題ないと……」お父さんは苦い顔で腕を組む。
勇吾くんは、真剣な目で、お父さんとお母さんの顔を交互に見つめた。
「もちろん、すでにスケジュールが決まっているリサイタル以外は、『もしそれが成し遂げられたら』という域を出ません。
俺はこの3つの計画について、来年の今頃までに目処をつけ、また進捗についてお知らせしたいと思っています。
そこで、俺が寧々さんの夫として相応しい能力と人間性を持っているか、判断して下さい」
お父さんは、ソファの背もたれに沈み込んだ。
「真剣さのレベルが、予想の遥か上すぎて……」
「俺は、寧々さんのことが、大好きなんです。もしかしたら、その大好きだという気持ちの、温度や、色合いや、手触りは、時間とともに変わっていくかもしれませんが、ずっと大好きだということは確信しています。
だけど、そういうことは客観的に証明できないので、具体的に説明できる部分はできる限り説明して、少しでも安心してもらえたらと思って」
私は、その真剣さに感動というより、具体性に圧倒されて、ほとんど蚊帳の外だった。
それまで黙ってうなずいていたお母さんが、そこで初めて口を開いた。
「勇吾くん、そんなに急いで、大人になることはないんだよ」
「俺は、いつまで生きられるか分かりません」
勇吾くんは、私の手を握った。その手は、かすかに震えていた。
それは何か、彼の本質に迫る言葉のように思えた。
「例えば、モーツァルトやシューベルトが夭折だったように、ということですか?」
お父さんがそうたずねると、勇吾くんは首を横に振った。
「俺には、生まれつきピアノの才能がありました。自分が人とは違うと気付くのに、それほど時間はかかりませんでしたが、そういうふうに、訳もなく与えられたものは、いつか理由もなく消えてしまうのではないかと怯えながら生きてきました。
多分それと同じようなもので、俺にとっては、『明日も生きている』ということが、あまり確実には思えないんです。リストは74歳まで生きましたし、俺も案外長生きするのかもしれませんけど、それは確かではないんです」
お父さんは、何か納得したようにうなずいた。
「本当は、みんなそうですよね。なんとなく、そういうことはずっと先だと決め付けて生きているけど、そこに根拠はない。
あなたは、そういうことから目を逸らさないんですね。『確かなことなど何もない』ということから。でも、そんなあなたが、寧々のことはずっと大好きだと確信している」
「はい。世の中がどんなふうに変わって、自分の身体さえ不確かだったとしても、俺の心がここにあるということだけは確かなので」
勇吾くんは迷いなく言った。
私もそうだと思った。世界のあらゆるものが曖昧で不確かでも、自分の心だけは確かだ。それをちゃんと見つめてさえいれば。





