14-9.未来/呉島 勇吾
空港には、多数の人が押し寄せていた。
直接インタビューということはないが、バシバシとフラッシュをたいて、写真を撮られまくるのが落ち着かなかった。
記念コンサートが終わった後、俺はその足ですぐにでも帰りたかったが、さすがにそういうわけにもいかず、各国のプロモーターだの劇場の支配人だのという連中の間を方々引き回され、ワルシャワを発つのは翌日になったが、それでも奇跡的な早さだった。
経済と物質の世界で生きていく以上は、そうした奴らにも儲けさせてやらなければならない。
俺たち音楽家の世界に、「まあ、そこそこ食っていけるだけ稼いでる」という奴はほとんどいない。
世間一般の「そこそこ」という水準があるとすれば、そこを遥かに飛び越えてガッツリ稼ぐか、全然稼げないかのほぼ2択になる。
どちらかを選べというのなら、俺が選ぶのは当然、ガッツリ稼ぐ方だ。
そして、ここが難しいところだが、金を稼ぐということは、どうやら競合を蹴落とせばいいというものではないらしい。
「隣にピアニストがいるとしたら、まず考えるべきことは、彼を蹴落とすことではなく、彼と協力してピアノ・コンサートに人を呼ぶ方法だ」と社長は言った。
狭い業界の中でパイを取り合うのではなく、ライバルと協調して業界に金を落とさせること、つまりパイそのものをデカくすべきだ。ジジィの言っているのはそういうことだった。
では他の娯楽産業を蹴落としてシェアを奪えば良いかと言えばそうではなく、例えば映画がデカいなら映画音楽を書き、その興行的成功に付随して、サウンド・トラックとその生演奏で稼ぐ。俺がこれから生きていくのはそういう世界だ。
「悪童!」と呼ばれて顔を向けた先に、ワルシャワ・フィルのラドスワフ・ノヴァコフスキがいた。
「あんた、わざわざ見送りに来てくれたのか」
そう言って駆け寄ると、ラッドはフンっと鼻を鳴らして、1枚の紙切れを寄越した。そこに書かれていたのは、1件のメールアドレスだった。
「日本に帰ったら必ず連絡しろ。リモートで指揮を教えてやる」
俺はその突飛な提案を素早く飲み込んで、「金は?」と尋ねた。
「もちろん、タダとは言わない。お前のプロフィールにこう書け。
『指揮をラドスワフ・ノヴァコフスキに師事』この宣伝料と相殺だ」
「なるほど」
「それと、すでに決定している日本公演のプログラムを差し替える。全曲ピアノ・コンチェルトだ。ソリストはまだ決まっていない」
俺は笑い飛ばす。
「俺以上のヤツがいるか?」
ラッドはそれに答えず続けた。
「1曲はショパンの2番。それともう1曲──」
「待て、当てさせてくれ」
そう遮ると、俺とラッドは呼吸を合わせた。
「ラフマニノフの2番」
声を揃えて同じ曲を挙げたことがおかしくて、俺とラッドはしばらく腹を抱えて笑った。
呼吸が落ち着いた辺りで、「ところで……」と俺は切り出した。
「俺がオペラを書いたら、アンタ興味あるか?」
ラドスワフ・ノヴァコフスキは、一瞬で世界的オーケストラの音楽監督の顔に戻る。
「もちろん、出来による。が、どれほど出来が良くても、今は売れない」
俺はうなずいた。
「さすがに、そんな甘くはねえか……」
「タイミングが悪い。コンクールに勝ったピアニストが調子に乗って勘違いしたように見える」
「なるほどな。いつならいい?」
「我々の日本公演は来年の1月下旬だ。12月の1週までに、30分のピアノ協奏曲を1曲書け。もちろん出来によるが、そこで初演だ。その協奏曲で成功を掴めば、私が歌手を揃えてやる。オケはウチが初演する条件でな。悪童、チャンスはいつも一度きりだ。お前にとっても、我々にとっても」
ラドスワフ・ノヴァコフスキは、そう言って右手を差し出した。
俺は叩きつけるようにその手を握る。
「俺はいつも、そうやって生きてきた」
ラッドは笑った。
「音楽を味わい尽くせ、悪童」
✳︎
手荷物検査と出国手続きを終え出発ロビーに出ると、人種も言語もバラバラの、8人の若い男女に取り囲まれた。
もう言うまでもないが、1次審査4日目前半で脱落した8人のピアノ弾きだ。
「呉島 勇吾、次は日本で勝負だ!」
先頭を切って突っかかってきたのも、もう言うまでもなく劉 皓然だった。
「頭が高えぞ負け犬どもが。ファイナルの前日、邪魔に入ったこと忘れてねえからな」
俺と寧々のワルシャワ最後の夜、これに割り込まれた恨みは深い。
「まあ、そう言うな勇吾」とイタリアのレオポルド・ランベルティーニが馴れ馴れしく肩を組んだ。
「てめえ……あの時『30分』って言っただろうが……」
あの夜、コイツらは結局俺の部屋に1時間以上居座った。
「楽しい夜だったじゃないか」
レオは臆面もなく言う。
強烈な罵倒が喉の奥まで出かかったところで、丁度、飲み物を買いに席を離れた社長が戻ってきて、「やあ、これは奇遇だ」というような意味のことを英語で言った。
「シャチョさん、ニホンで、オセワになりマス」
8人がそれぞれ似たようなイントネーションで、カタコトの日本語を言う。
「もうそんな日本語を覚えて、やはり優秀な音楽家は言葉を覚えるのも早いですな」とかいう社長のオベンチャラを横目に、俺はため息をついた。
彼らは一旦それぞれの国へ帰る。それからおよそ1か月後、日本に集結するのだという。
そして、そこにはルドヴィカ・ゲレメクも。
嘆かわしいことに、これから日本のピアニストは、こうした外来のピアニストたちに蹂躙される宿命を負った。そしてさらに嘆かわしいのは、どうやら俺にはそうした、侵略を受ける側のピアニストたちを救い上げる使命が負わされたらしいということだ。
「君の活動の舞台が、『日本でなければならない』という意味づけをするとすれば、君自身が日本人で、日本のクラシック音楽界を引き上げる、という以上のものはない」
搭乗橋を渡る途中で、社長が言った。
俺が先頭を切って、日本のクラシック音楽界というパイをデカくする。
ピアノ人口というピラミッドが大きくなれば、その分頂点は高くなる。今の中国がそれだ。しかしそれは、逆も言える。頂点が高ければ、それに関心を持つ人口は増え、やがて巨大なピラミッドを形成する。
ピアノを始めた人たちは、オーケストラや室内楽、オペラといった他分野のクラシック音楽にも関心を広げるだろう。そうやって、クラシック音楽という世界全体を押し広げていく。
俺はあまりそういうことに関心のある人間ではない。それは今も変わらない。
でも、俺は寧々と一緒に生きていきたい。
そう思った時、俺は、自分一人の世界に閉じこもっているような生き方を捨てたのだ。
「なあ、俺がオペラを書いたら、アンタそれを売れるか?」
座席に腰を落ち着けたくらいのタイミングで、俺はそう聞いた。
「あの指揮者にも聞いてたね。意外だ。君が作曲家として名を上げる手段は、あくまで器楽曲だと思っていた。当然、当社には管弦楽事業部も声楽事業部もある。だが、なぜオペラなんだ?」
「日本語オペラはブルーオーシャンだ」と俺は答えた。
「確かに。團 伊玖磨の『夕鶴』くらいしか、繰り返し上演される日本のオペラというのはない。しかしそれは、それだけ難しいということでもある」
「ああ。つまり、挑戦する意義があるってことだ。
2次の時、劉に本を読めって言われてな、文学のインスピレーションの強さを実感した。まあ、お陰で入り過ぎて頭ブッ飛んだけど。
そしてオケとの共演が、俺の世界を広げた。
ピアノっていうのは、個人的な楽器だ。伴奏もメロディーも、一人で完結する。だけど、広い世界で生きていくなら、俺は大きいと思ってたあの箱を飛び出すべきかもしれない」
社長は腕を組んでうなった。
「勇吾、君は本当に、大人になりつつあるね」
「どうだろうな。ただ、俺は今まで自分から、自分の世界を狭く限定しているようなところがあった。誰かと生きていこうと思ったら、多分それじゃ限界がくる」
「オペラは、本当にたくさんの人間が関わって作る総合芸術だ。とんでもない額の金が動く。確かに、意義のあるチャレンジだが、未知数すぎて今は何とも返答ができない」
「ああ、何にしても、書かねえことには始まらねえ。まずはワルシャワと共演する協奏曲を1曲書く。12月の1週とか言ってたが、ナメ過ぎだぜ。11月の中旬にはあげる。譜面をアンタにも送るから、それで乗るかどうか決めてくれ」
「音楽を味わい尽くす覚悟を決めた。そういうことでいいのかな?」
「ああ。広い世界に出るってことは、飛行機であちこち飛んで回ることじゃねえ。自分の世界の天蓋を破ることだ」
社長はシートに埋もれて、魂が抜けきるようなため息をついた。それから、時間をかけて目をつむり、それから再び開いて、斜視の右目をこちらに向けた。
「君に伝えるか、迷っていたことがある。
知っての通り、私には子どもがいない。思春期の子どもに対する接し方に詳しくなかった。だから、これを知った時、君が過去と和解するのか、それとも断ち切るのか、あるいは全く想像もしなかった事態に発展するのか、予想が出来なかったんだ」
「何だよ」と顔をしかめながら、俺には大方の想像がついていた。
「君の母親を名乗る人物から、連絡があった。
会うか会わないか、君が決めろ。きっともう、君にはそれが出来る」
機内アナウンスが流れた。
──当機は間も無く離陸いたします──
飛行機は低くうなり、それから緩慢な動作で動き始めたと思うと、間も無く狂気のように叫びながら速度を増した。
押し付けられるような息苦しさの後で、フッと浮遊感を感じた時、俺たちはワルシャワの地を離れた。
フレデリック・ショパン国際ピアノコンクール
第1位 優勝
副賞
・ソナタ演奏最優秀賞
・コンチェルト演奏最優秀賞
・最年少ファイナリスト賞
・浜松市長賞





