13-9.時空を超えて、響き合うように/篠崎 寧々
搭乗橋を渡る間も、どこかに勇吾くんの姿を探してしまった。
「勇吾くんのつながりで、外国人の友だちがたくさんできて嬉しいです」
劉さんとその仲間たちは、ワルシャワ・ショパン空港まで見送りに来てくれた。
イタリア人のレオさんが、指揮者みたいに指で合図すると、彼らはそれに合わせて息を吸い、「ネネさん! ツギはニホンで会いマショウ!」と日本語で言った。
私は少し感動してしまって、手荷物検査を抜け、出発ロビーへ入り、彼らが見えなくなるまで何回も振り返って手を振った。
飛行機に乗り込み、チケットに書かれた番号の座席を探し当てると、荷物を頭上の棚に入れながら、真樹さんはズル賢い感じで笑った。
「アイツらも、ただのお人好しじゃない。今は奥歯を噛んで、悔しさを堪えながら、勇吾にとって代わろうと虎視眈々だよ。当然、メリットがあってこっちに来る」
「メリット?」
「動画チャンネルを立ち上げて、アイツらのSNSと連動させ、そこに天野 ミゲルをブチ込む。
動画はイタリア語、フランス語、ロシア語、中国語、韓国語、英語、ポルトガル語に翻訳されて、世界に発信される。天野は動画配信にノウハウを持ってるし、4M組はSNSがバズってる。
そこに呉島 勇吾を引っ張り出して、その対立をエンタメにする」
「そうすれば、宣伝になる?」
「今や、ピアニストも配信で稼ぐ時代だ。アタシは、そこに企業がメソッドを構築して、安定的に収益を確保できる体制を作るべきだと思っていた」
「じゃあ、勇吾くんも配信者に?」
あんまり似合わないな、と思いながら、私は想像した。「ハイ! どうもぉ! と、いうわけでですね──」とか言って。
「いや、アイツは別だよ。勇吾とルドヴィカ・ゲレメクは、あくまでゴリゴリの正統派として売る。日本中のコンサートホールが息を吹き返すぜ。
日本のホールってのは、元々質がいい。建築技術が高いからな。アメリカとオーストラリアの音響研究者が共同で調査したランキングでは、ベスト50の中に東京のホールが6つも入ってる。これは都市単位で言えばダントツだ。
中国なんかは1つもないからな。アメリカはともかく、中国は元から反対だった。まあ、古いランキングだし、今は西九龍辺りにデカいホールも建ってるから分からねえが、あそこは政治が複雑すぎるし、そもそも国際関係が──」
という話を、私はウンウンとうなずきながら、長いクラシック音楽の中から自分の好きなフレーズが出てくるのを待つみたいに、勇吾くんの名前が出るのを待った。
「──ワルシャワフィルも、内装は立派だが音響の面ではそれほど良いホールじゃない。そして床が硬いだろ? ヨーロッパのホールには多いんだが、あれはよく響くんだ。こう言うと聞こえはいいが、プレイヤーにとってはこれが曲者で、客が入ると響きが変わるんだよ。リハーサルと全然違う音が返ってくるわけだ。慣れてないとそれで混乱する。──中略──あっちは歴史と伝統で稼ぐ国が多いから、最新の音響技術を結集したコンサートホールみたいなもんは逆に建てにくいんだろう。その点、日本やアメリカはクラシック音楽では後発だが、経済力と技術があって、その分かえって最新技術を惜しげなく注ぎ込めるわけだ──」
しかし、なかなか勇吾くんの名前は出てこない。
「それで、勇吾くんは……」
私は流石に待ちかねて、自分からその名前を差し込んだ。
機内アナウンスが、間もなく離陸することを伝えた。
「勇吾には、そういう音響の優れたホールで弾かせるべきだ。
優れたホールでの優れたピアニストによる演奏は、衝撃も、深さも、鮮度も、デジタル音源とは比較にならない。
その音響体験は、日本中に呉島 勇吾の中毒を蔓延させる。しかし、勇吾のチケットというのはそう簡単に手に入るものじゃない。そこで飛びつくのが、劉 皓然、レオポルド・ランベルティーニといったジェネリックだ。あるいは、もっと質の低い粗悪品」
「いや、言い方……」
つまり、音響の良いホールで素晴らしい演奏を聴いたお客さんは、その感動を再び味わいたくて、劉さんやレオさんの演奏会にも足を運ぶ。あるいは、駆け出しだったり、今まで日の目を見なかった演奏者たちにも、そういう機会が与えられるかもしれない。そうやって、音楽の輪が広がっていくのだ……と、どうしてこの人は普通に言えないのだろう。
昨日の夜12時過ぎ、勇吾くんのホテルにけたたましくチャイムが鳴り響き、ほとんど怒鳴り込むようにして真樹さんが現れた。
それはそれはもの凄い剣幕で、ラッパーみたいに暴言を並べ立てたけど、目とか口元の雰囲気は、「あ、この人本当は全然怒ってないな」と分かってしまうような感じだった。
きっとこの人は、私とは違うふうに恥ずかしがり屋なのだ。
「あの時、社長が真樹さんに賛成しなかったら、どうしてたんですか?」
私はふと思いついてそうたずねた。
「会社から何人か引っ張って独立するつもりだった。勇吾とルドヴィカ、それからあの8人に、天野も引っ張れたかもな。それだけいれば、まあ何とかやっていけるだろうって見込みもあった」
私は特に驚きはしなかった。むしろ、なぜあの社長のところに残ったのか、そっちの方が疑問だった。
「会社ってもんは、しがみつく奴からは容赦なく搾り取る。だが、こっちが利用してやる気で付き合えば、そう悪いもんでもねえのさ。会社の看板や金があって初めて可能になることが、世の中には意外と多いからな。
コツは、対等に付き合うことだ。顔しかめられようが、後ろ指さされようが、言いたいことは言う。代わりに、それに見合う成果を挙げるのさ。
それでも折り合いがつかない時は辞める。いつでもそうできるように自分を高めて、仲間を作っておくんだよ」
私は、このとき初めて、真樹さんの言うことがスッと腹に落ちたような気がした。
勇吾くんも、真樹さんも、そうやって生きてきたのだ。
私は彼らの世界に干渉し、そこからどうにかして勇吾くんを奪い取ろうとしていた。そして、自分の無力さに打ちひしがれた。
自分を高めて仲間を作る。私が今すべきことは、それなのだ。でも……
「こっちが力をつけるのを、相手が待ってくれるわけじゃない……」
「ああ、その時は、今あるカードで勝負するしかない。いや、カードだけじゃない。椅子も、テーブルも、その場にあるもの全て、ハッタリもイカサマも遠慮なく使って戦うのさ。
アンタはそうしただろ。自分は子どもで、大人に責任をおっかぶせられる立場だってことさえ利用して、戦った。ムカつくけどね、そういうことさ」──
空港に、勇吾くんの姿はついぞ見当たらなかった。
私たちも昨日の夜以来、彼に別れも告げずワルシャワを発った。
ドーハを経由し、20時間をかけて東京へ向かい、そしてそこからさらに乗り換えて、家族の待つ街へと帰る。
彼は「ずっと一緒にいてくれ」と言った。
でもその意味は、四六時中べったりとくっついて、狭い世界に閉じこもって生きていくということではないはずだ。
劉さんから借りたワンルーム、あの閉じた世界で、2人は、とても静かで美しい、幸せな夢を見た。
もういっそ、この夢の中でだけ生きていたいと思えるような、美しい時間だった。
だけどきっと、そんなふうに生き続けることは出来ない。否も応もなく、私たちは、広い世界で生きていかなければならない。お金と、欲と、悪意にまみれた、そしてしかし、愛と、夢と、可能性にきらめく途方もない世界で。
首から胸にさげた琥珀のペンダントを握って、私は目を閉じた。
日本に拠点を置くとは言っても、やはり彼は世界中を飛び回ってピアノを弾くのだろう。
だけど、時差8時間、距離8千5百キロの時空を隔てても、お互いのどこかが響きあっている。その確信がある限り、私たちは離れ離れではないのだ。
彼はきっと、私より早くそのことに気付いていた。
だから、一度CDのジャケット裏に書いた、あの文字を消したのだ。
【お前が俺を、忘れた時】
彼はそれを、自ら否定した。
あの夜、ファイナルの応援ができないことを嘆く私に、勇吾くんは、それは手段に過ぎないのだと言った。
「俺の目的は、最初からその後だった」
目的……?
この言葉の意味をはかりかねた。どうも今後の活躍の礎というのとも違う響きだ。
でも、彼の目の迷いのなさを、私は信じた。
日本に帰ったら、私はまず剣道部の面々と、もう一度戦う。
そして、期間にしては「ほんの」とも「じつに」とも言える一週間、稽古を空けた私が、腕を落としていないことを、それどころか、むしろ上げているということを、見せつけなければならない。
彼は見送りに顔を出さなかったし、私も彼のファイナルを観ない。
だけど、「俺たちは、戦うことをやめない」この言葉で、私たちは、響き合っている。





