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13-1.大人の理屈/篠崎 寧々

「厳重に抗議します!」

 朝、真樹さんが10時過ぎに起きて、支度を整える間、私は遺憾の意を表して厳重に抗議した。


「おう。一人でしてろ」と真樹さんは悪びれる様子もなく言う。


 私は昨夜、もう、行くところまで行く! と覚悟を決めた。


 ライトアップされた宮殿(そば)の静かな河川敷でキスをして、見上げた空から雪まで降ってきたわけだから。


 トキメキ炸裂、リビドー全開、究極ロマンチックだ。


 後は場所さえ決まれば一気呵成(いっきかせい)に攻め立てるという構えで、ドキドキしながら生唾を飲んでいたところに、突然、横合から現れた真樹さんが、勇吾くんを連れ去ってしまったのだ。


 彼女が勇吾くんに渡した携帯端末は、真樹さんのスマホからGPSで追えるように設定されていた。


 真樹さんは、携帯を通信機器ではなく発信器として彼に渡していたのだ。


 私はというと、一人ワルシャワ宮殿そばの河川敷に取り残されたと思いきや、後続のタクシーが3台乗り付けて、そこから現れた4M組(1次審査4日目モーニング・セッションで敗退したピアニストたち)に連れられて、ちょっとしたパーティーみたいなものに参加し、その後無事ホテルに帰された。


 正直、またパワーで押し切る選択肢も頭をよぎったが、真樹さんは、彼らのように悪意のない人たちを無下には出来ないという私の性格まで計算に入れていたらしい。


 こうした暴挙が許されるものだろうか。


「お前、命を紡ごうとしてただろ。連綿(れんめん)とよぉ」

 社長のところへ乗り込むタクシーの中で私が使った言葉のモチーフを変奏するように真樹さんは言う。


「いや……そんな……えぇ?」図星を突かれて言葉に窮した。


「大人ナメてんじゃねえぞ。見りゃ分かんだよ。発情した女の『(つむ)(ヅラ)』くれえはよぉ」


 紡ぎ面?


「いや、そんな言葉あります?」

 思わず声をあげる。私は、『紡ぎ面』をしていたのか?


「言っとくけど、勇吾はアイツ、釣った魚には餌をやらねえタイプだと思うね。一発ヤったら超冷たくなると踏んだ」


「えっと、そんなことはないと……」

 剣道部のみんなもなかなかだったけど、この人が断トツで下世話だと私は思った。


「大体さぁ、高校生カップルが結婚までいく確率知ってるか? 10パー以下。少なく見積もって9割は別れんだってさ。アタシはそいつを舌舐めずりして待ってりゃいいわけだ」


 この人は、それを調べたのだろうか。夜な夜なネットとかで。


「でもその頃、真樹さんて、何さ……」


 私が言いかけたのを遮って真樹さんは私を睨む。


「おい、口に気をつけろよ。そっから先は戦争だぞ」


「私、戦ったら強いですよ?」


「上等だよ」

 真樹さんは薄笑いを浮かべて私に詰め寄る。胸が触れているのに顔に少し距離があるのは、背丈だけの問題ではなかった。


 私はその華奢な胴回りに腕を回し、抱き上げて、ベッドに投げる。


 真樹さんは歓声のような高い声をあげてベッドに沈み込み、それから笑った。

「勇吾、あの野郎、とっ捕まえたぞ! しかも、ショパン・コンクールのファイナリストだ! どうだ、見たかオラァ!」


 3次審査の結果が発表されたのは、昨日の深夜だった。

 

 演奏順は予選からファミリーネームのアルファベット順で、一番最初のイニシャルは抽選で決められる。今年は『O』だった。彼の名前があったのは、ファイナルラウンド出場者10名の一番最後。それはこのコンクールが、勇吾くんの演奏で締め括られるということを意味していた。


「やった! 真樹さん、やりました!」


 私はベッドの上の真樹さんに飛び乗って抱きしめた。正直、昨日はこのことにそれほどの感動を持っていなかった。私は勇吾くんが決勝まで行くのは当然のことと思っていたし、他に考えるべきことが多すぎた。


 きっと、真樹さんもそうだったと思う。しかし、一夜明けて、色々な感情が少し落ち着きを見せ始めると、バトンを引き継ぐように、彼が決勝に進んだことや、それ以前に、勇吾くんと会えたことに対する喜びが湧き上がってくる。


「おんもっ! 何キロ……」


「そこから先は……戦争ですよ?」


「上等だわ、かかってこいやぁ!」


 私たちは取っ組み合って、互いの脇をくすぐった。


 子どもみたいにキャッキャと笑いながらもつれ合って、2人仰向けに寝転がる。


 呼吸が整い始めた辺りで、真樹さんが言った。


「あんた、日本に帰りな」


「え……?」と、思わず声をあげた。

 体を起こし、ベッドから立ち上がって真樹さんを見下ろす。「根本的には、まだ何も解決していませんよね」


 勇吾くんは、記憶を取り戻した。でも、彼が勝利のために音楽に潜れば、また同じことが繰り返されるだけだ。


 社長は考えを改めたわけでもなく、彼が日本に残ることも決まっていない。


 真樹さんも体を起こして、ベットの端に座った。

「それはアタシの仕事だ。あんたには日本での生活がある。学校だっていつまでも休んじゃいられないだろ」


「今月まるまる休んでも、出席日数は足りてます。まだ1回も学校休んでないですし、小学校では皆勤賞だったので」


「そういう問題じゃねえ。他所様の娘をポーランドまで連れて来たのは、元からブッ飛んでた勇吾の頭がさらにブッ飛んだっつう非常事態の緊急対応だ。常識で考えりゃ通らねえ話が、親御さんの善意で何とか通った。

 あんたに会わせりゃ元に戻るかもってアタシの読みは見事的中、勇吾はめでたく記憶を取り戻した。

 分かるだろ? あんたは用済みだ」


「真樹さんじゃないですけど、『クソが』って気持ちです」


「あんたも、いつか大人になるなら覚えときな。人並み以上の成果を求めるなら、時にはイカれた手段が必要になることもある。だが、もっと重要なのはその後なんだよ。

 速やかに状況を収めて、とっ散らかった物事を、本来あるべきところへ戻す。あんたの本来あるべきところはどこだ?」


「勇吾くんが日本に居続けられるって、誰かが約束してくれるなら、私はすぐにでも帰りますよ」


「あんたに出来ることはもう何もねえって言ってんだよ」


 私は、考えた。この人とは、理屈で戦うべきだと思った。

「まだ決勝が残ってます。入賞すれば記念コンサート。そこでまた勇吾くんが音楽に潜れば、それを何とか出来るのって、私だけじゃないですか?」


 真樹さんは少し感心したように、ふーん……と息を漏らした。

「なかなか小賢しいこと言うようになったじゃないか。だが、アタシにとっちゃ、あいつの頭が多少ピヨピヨでも、社長(ジジィ)がトンズラさえしなけりゃどうにでもなるんだよ。そしてそっちも手は打った」


「だけど決勝を目の前にして、ここでさよならって、そんなのあります?」


「この先アンタがここに残るとすれば、そりゃ人助けでも何でもない。ただの観光だ。

 学校サボってそうすべきかどうか、私立の高い学費払ってる親御さんに聞いてみな」


「真樹さん、私、ここに来て、自分の進路について考えるようになったんです。私、音楽家のマネージャーになりたい。真樹さんがカッコいいと思ったから」


「ええ? お前……そんな、急によぉ……」真樹さんは恥ずかしそうに立ち上がって、自分のキャリーバッグをまさぐる。「お前もう。チョコ食えほら」


「ありがとうございます」

 こっちで買ったものと見える、見慣れない包装のお菓子を受け取って、私はお礼を言い、その後の言葉を待った。


「だがダメだ。可愛くしてもダメ。アタシは親御さんに、間違いは起こさせねえと約束してアンタを預かってる。恋愛にウツツ抜かして学業を疎かにするなんてのは、典型的な間違いだ。アタシには大人としての責任があんだよ」


「急に正論を言い出してズルい」

 それ以上返す言葉がなかった。


 かくなる上は、床に仰向けに寝転がって駄々をこねようかと身構えた時、真樹さんは言った。


「明日の飛行機を、もうとってある。この飛行機だって10万金だぜ。何としても残りてえなら耳揃えて返しな」


 これが大人のやり方か、と私は唇を噛んだ。

 お金の話を持ち出されては、手も足も出ない。私の財布にはお父さんから預かった2万円、内1万をポーランドのズウォティに両替し、ほとんど手付かずで残っているけど、1人で行動するにはあまりに心許ない。


 今日の明日ではお年玉の貯金をこちらに送ってもらうことも不可能だ。


 無力感に襲われて、崩れ落ちるようにベッドに腰をおろした。


 私にはそもそも彼の仕事に口を出す権利なんてない。


 ただ勇吾くんに帰ってきて欲しいがために、彼の仕事相手に噛み付いて、しかもその相手というのが話を聞いてくれたものだから、勘違いをしたのだ。

 そこまで言うならアイデアを出せと言うのを、まるで一緒に仕事をしているみたいに錯覚して、少し大人にでもなったかのように思い上がっていたのだ。


 私は彼の鼻に絆創膏を貼っただけだ。それ以外、誰かの役に立ったことなど、ワルシャワに来てから一度もない。


 私は子どもなのだ。その現実に、打ちのめされそうだった。両手で頭を抱えて、勇吾くんのことを想った。


──「俺は負けてねえ。『参った』とは一言も言ってねえからだ」──


 私は拳を握った。


「勇吾くんに会いたいです。デートしたい」


「『トイレ行く』っつって本番前の控室を強襲した女を信用するとでも?」


「そう思うなら分かるでしょう。私はあなたより力が強くて、とても速く走ります。私が無理矢理ここを出て行こうと思えば、あなたにそれを止めることは出来ない。

 私は許可を求めたんじゃない。『そうしたいから、そうする』って言ったんです」


「その後はどうすんだよ。英語も出来ねえのに」


「後のことは後で考えますよ。困った時は誰かに助けてもらいます。だって私、子どもだもん」

 そう言うと、私は竹刀袋を担いだ。「真樹さんに憧れたのは、本当です」


「この仕事してえなら、せめて英語くらい勉強しろ。発音が下手すぎる。牛のゲップより環境に悪い」


「チケット代は、ごめんなさい。日本に帰ったら返します」

 そう言って、私は部屋を出た。


 私は戦う。こんなところで降ろされてたまるか。

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[良い点] ネネちゃん、すっかり自分の欲望に正直になって……。彼女の幼年期が終わり、女としての人生が始まったなぁと感慨深いです。マキさんとも姉妹みたいに仲良くなっちゃって。冒頭のやりとりだけでしばらく…
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