6−12
乱立する樹木のせいで陽光が若干ながら遮られており、樹海の中は少し薄暗く不気味な雰囲気を醸し出している。
樹木の幹や枝などには、腕ほどの太さもある蔦が絡みつき、枝からダラリと垂れ下がり、むき出しの地面には、土からはみ出した樹木の根が、好き放題に伸びていた。
先に進む時に足を取られないように注意しないと……というか、樹海っていうよりまるでジャングルみたいだな。
根の隙間から這い出るように赤、黄、青、などド派手に色づいた花々や、毒々しい紫色の葦にも似た妙な草が大量に生えている。
パッと思いついた印象としては『趣味の悪い色どりをしたジャングルの奥地』といった所だろうか。
少し気味が悪い、等と胸中に不安を胸に抱きながら、俺は音を殺しながら辺りを探っていく、と。周囲を見渡している内に、不意にこの場所に強烈な違和感を覚えた。
まるで聞こえない――こんなにも植物が溢れてるのに、鳥の羽ばたく音も、動物達の鳴き声すらも俺の耳には入ってこない。
異常だ。時折聞こえてくる音ですら、草木の揺れる擦れ合わさるものや、蟲が飛び回っているだろう羽音とギチギチとした硬質な音だけなのだから。
獄級に突入しているのだから異常など起こって当たり前で、まだこの景色は全然マシな方だとも分かっている。だが、それでも身体に走る緊張感と、流れる嫌な汗をを止める事などできなかった。
大丈夫、外層を犠牲者無しで突破出来たじゃないか。上出来だ。上手くいっている。不安を顔に出したらいけない。一片たりとも油断をしてはいけない。
……先ずは、やることをやっておかないと。このままここで留まっていてもモンスターに見つかる危険性が増えるだけだ。
色鮮やかな植物を眺めていたせいで、少し疲れてしまった目を瞼を押すように軽く揉みほぐしながら、急ぎドリーに指示を伝えていった。
『みなさんっ、相棒からの伝言です「遠距離武器を持った六名ほどを見張りに立て周囲の警戒を。
突入時に魔力を消耗していない、中位以上の回復魔法の使い手は一名、先程怪我をしてしまった彼の回復についてくれ。
ウィンド・リコイルは一先ず必要ない。魔法を入れ替える人は今の内に。火属性や雷の魔法を入れている人達も、適正があるなら土、風、水、氷、その辺りの魔法に入れ変えておいてくれ。適正がない人はせめてエントを中心に構成してくれ。
ちなみに土は特にこの区域では使いどころが多いだろう。出来るだけ足止めや自由度の高い魔法を優先してくれると助かる。
それ以外の皆は最初に決めた通りに準備を――静かに、そして速やかに頼む。小声で意思疎通をする分には構わないが、決して大きな声は出さないように」ですっ』
ドリーの言葉は無事に伝わったようで、全員がすぐさま行動を開始し、迅速に配置に着き始めた。円状に展開したリッツ、オッちゃんを含めた遠距離武器の持ち主達が周囲を警戒。
怪我人の一名、回復に当たった魔法使い一名を更に囲むように、俺を含め二十四名の走破者達が集まって、各々魔法を入れ替え始めたり、バックパッカーに持たせておいた荷物袋から薄汚れた茶色いフード付きローブと、透明な粘液の入った瓶を取り出しながら、準備を始めていく。
全員が動いたことを確認した後、俺はドリーに質問を投げかけていった。
〈なあドリー、この周囲に生えている草や花で毒があるやつってあるか?〉
『むむむっ、少し普通の葉っぱさん達とは違うので、余り自信はないですが、それでもいいですか?』
〈大丈夫。なにも指針が無いよりは良い〉
俺の言葉にドリーは迷うように指を彷徨わせ。
『紫色の葉っぱや赤い花は大丈夫かと。ですが、黄色い花と幹に絡まっている蔦には毒がある……と思います』
順番に指をさして毒を持っているであろう植物を教えてくれる。俺はドリーに礼をした後、隊の全員に毒を持った植物以外を教え、根っこごと植物を引きぬいて集めてくれと指示を出す。
俺自身も近くに生えている紫色の草を引きぬき集めていく、が。
――もしかしたら根っこなくても良かったかもしれないな。
折角集めたのにすぐに枯れられたら意味がないので、引き抜いた植物に根っこを残すよう指示を出したのだが、引っこ抜いた側から直ぐにまた生え出してくる草を見ていると、葉っぱだけでも枯れないんじゃないかとすら思えてしまう。
俺は、手につかんだ植物をジィと見つめ『いきなりこの草が動き出して襲ってきたりしないよな』などと警戒してみるが、暫く経っても何かが起こる様子はなかった。
暫く黙々と作業を進め。必要分の植物を集め終わる。
それぞれが、瓶に入っていた『粘着ガエル』と呼ばれるモンスターから取った体液を接着剤がわりに、集めた植物をひたすらボロローブに貼り付けていく。
茶色いボロ布だったローブは次第に草や花に覆われ――最終的にはやたらと毒々しい見た目のローブへと姿を変えた。
これで多少見つかりにくくなれば良いんだが……。
目の前にあるローブに多少の不安を覚えながらも、愛用している黒いローブの上から更に羽織る。
役に立つかはまだ分からないが、オッちゃんと話していた樹海突破が多少マシになるかもしれない方法。
植物を貼り付けた隠蔽色のローブ――隠蔽色という名前の割には派手な色合いだが、周囲の光景に溶け込む事が目的なのだから、特に問題はないだろう。
なにより、俺やシルさん。他の走破者にもいるが、黒という色を隠せる意味合いが非常に大きい。
幼い頃婆ちゃんに『黒い服を着て蜂の巣なんかには近付いたら駄目だよ』と教えてもらって覚えていたが、黒は蜂を酷く興奮させてしまう色らしい。つまりそんな服や装備、体毛を堂々と晒して、樹海の中を進んでいくなんて自殺行為にしかならないという事だ。
【蟻の筵】を突破する時点ではどう足掻いたって見つかってしまうので、こんな小細工した所で大した意味など無いが、一旦樹海に入ってしまえば身を隠せる場所は至る所にある。
モンスターに遭遇してしまった場合であっても、視覚で獲物を捉えるタイプの蟲であれば、このローブを着て、動かずじっと隠れていれば、やり過ごせる可能性だってあるはずだ。
その他にも、植物たちから漂う臭いで俺たちの体臭とかも多少は誤魔化してくれるかもしれない、という思いもあった。
元々獄級を走破するにあたって『正面突破は無理だ』という思いが強かった。
もし、これが少しでも獄級走破の助けとなるなら、出発前に斡旋所と交渉して安い茶系のローブと接着剤変わりになりそうなものを人数分用意してくれと頼んでおいた甲斐もあるというものだろう。
『ローブに付けるなら毒をもった植物のほうが良いのか』とも考えたが、獄級にある毒性植物なんてあまりに危なっかしいので、すぐに却下することに。正直不安要素なんて山ほどある。だが、完璧な作戦など立てようもないし、多少は割りきって諦めるしかない。
『ねえ、相棒。私も黒色ですし……頑張ってみたのですがいかがでしょうかっ』
一人ローブについて考えを進めていると、不意にドリーがそう俺に話しかけてきた。いつものように肩を見るが、いつのまにかドリーが居ない『きっと自分なりに考えて、動いたんだな。やるじゃないかドリー』とそんな事を考えながら、周囲を見渡し姿を探す、と。
あ、うん。大丈夫だと思います。
恐らく腕に接着剤を塗りつけて、ゴロゴロと転がって付けたのだろう草まみれの姿。
紫色の草を主体に引っ付けたせいか、腕に対して縦方向に草がワサッと張り付き、何故か手には、小さな一本の赤い花。
堂々と掲げて立っているその姿はどこか自由の女神のよう……ただ、全体を通して見ると、完全に趣味の悪い門松状態だった。
〈い、いいと思うよドリー……似合ってます〉
『ふっふっふー。完璧でしょう? 怪盗淑女には変装技術もあるんですからっ』
俺の言葉に嬉しそうに、そして自慢気に揺れているドリー。更にその動きに合わせて、メトロノームの様に動く花。なんというか壮絶に間抜けな姿だ。
だが、若干腹が立つ事に、その姿は異常なほど周囲の風景に溶け混んでいて、俺の『止めておけ』という言葉を封じ込めてしまっていた。
◆
ひと通り準備を終えてしまった俺は、他の人達を待つ間、一人隊の編成について考えこんでいく、が。不意に左肩をトントン、と叩かれ思考を止められてしまった。なにかと思い振り向いてみれば、ローブを着込んだ岩爺さん。
〈クロ坊、準備は終わったぞい〉
〈ああ、ありがとうございます。早かったですね〉
岩爺さんに返答して、改めて周囲を見渡してみると――そこには既に準備を終え、毒々しいローブを着込んだ走破者達の姿が。
……街中で会ったら思わず通報してしまうかもしれん。
植物を貼り付けたローブを着込んだ集団を見て、俺は思わずそんな事を考えずにはいられなかった。
ある程度全員から入れ替えた魔法の種類の確認構成の相談を済ませ、全員のローブの出来を確認していったが、目立った問題は無さそうだ。唯一の問題と言えば、リッツとシルさんが尻尾のせいで、若干ローブを鬱陶しそうにしている位だろうか。まあ、そこらへんは我慢して貰うほか無い。
全員の準備が終わったことだし、と俺は一先ず隊を前列、中列、後列、と三つにわけていく事に。
前列に俺とドリー、リッツ達三人と前衛職一名、残りは遠距離武器と魔法使い三名。ポケットに入っている樹々と樹海に入ってからそこら辺をチョロチョロと飛び回っている蝶子さん合わせて『前列、総勢八名と一本と二匹』
中列にはオッちゃんと、バックパッカーを担ってくれている四名、前衛職二名、遠距離武器の使い手と魔法使い六名の『中列、総勢十二名』
そして後列には前衛四名と遠距離三名、魔法使い五名で『後列、総勢十二名』と編成していった。
全体的に見て前衛職が九名と少ない気もするが、リドルに襲撃してきた呪毒蜂を見ているのだから、遠距離が得意な走破者達が多く集まるのは当然のことか。
隊の編成方針としては――前列が『索敵と戦闘』中列が『補助と援護』後列が『後方と左右の警戒と中列の守護』
指示を出さないといけない俺は前列よりも中列あたりに陣取ったほうが良いのかもしれない、とも思ったが、ここは獄級とはいえ樹海の中。
植物関連が得意なドリーを先頭に立たせたほうが、ナニか異常を見つけてくれるかもしれないと考え、前列に加わることに。
一応中列には面倒見の良いオッちゃんを配置してあるし、後列は人数を多めにしてある。これが正解かどうかなど俺に分かる筈もないが、一応自分なりに考えての配置だ。今は上手くいく事を祈るしかない。
もう一度全員を見渡した後――俺は樹海の奥へと向かって右手をゆっくりと一振りし全員に『先に進むぞ』と合図を示す。
隊の全員がそれを見て静かに頷き、鬱蒼と茂る植物達を静かに掻き分けながら、樹海の奥へ、奥へと向かって歩みを進めて行った。
◆
〈クロウエ、右斜め前方、蜂が五匹来てるわよっ〉
〈クロ坊、左からも七匹来とるぞ、どうするんじゃ?〉
〈またか……勿論やり過ごします〉
リッツと岩爺さんの報告を聞いて、すぐに俺は手を上げて後続を止め、そのまま左右に振って『隠れろ』と指示を出す。
それを見た走破者全員は、背の高い草むらに入り込んだり、身体を丸めてうずくまったりと樹海と一体化するように身を隠していく。
俺自身も武器を背後の草むらに、フードを目深に下ろして、身を隠しながら蜂の動向を伺った。
ブブブ、と細かく薄羽を鳴らし、まるで樹海の中を警邏しているかのように呪毒蜂がこちらに向かって飛んで来ている。反射的に逃げ出したい衝動に駆られるが『ここで動いては駄目だ』と強引に身体を抑えつけた。
先ほどから何度か呪毒蜂の姿を見つけては隠れていたが、未だに蜂達には発見されていない。どうやらこのローブ、それなりに効果があるようだ。
『動かずじっと隠れていれば問題ない。下手に動くほうが危ないんだ』そうやって何度も自分に言い聞かせじっとしていると、よりにもよって俺の目と鼻の先――赤いラフレシアのような形の巨大な花に呪毒蜂の一匹が取り付いた。
くそっ目の前かよッ。どうする……バレる前に倒すか? いや、でもばれない可能性だって。
流石にこの距離まで近づかれて『バレない』と言い切れるほど俺はこのローブを信用してはいない。が、今ここで俺が動いてしまえば、確実に戦闘になってしまい。他の呪毒蜂にもきっと気が付かれてしまう。
どうするべきか、と一人葛藤し続ける俺の前方で花にとまった呪毒蜂が羽を羽ばたかせ、フワリ、と俺の居る方向に向かって真っ直ぐに飛んでくる。反射的に腕が動き、右手で後ろにあった武器を振るおうとした――。
『相棒、動かないで下さいッ』
が、ドリーの少し焦ったような声に反応して、腕の動きがビタリと止まる。
その遅れによって、既に武器を振るおうとしても間に合わない距離に『なんで止めたんだドリーッ』思わずそんな言葉を心の中で吐き出して、俺は迫る蜂の姿をただジッと見つめた。
駄目だ攻撃されるッ。
と、思った瞬間――急に飛んでいた蜂が、上へと進行方向を変えた。
なんで、もしかして……見つかって無かったのか?
それを見て、ほっとした、という思いよりも寿命が縮まったといった思いのほうが強く、全身から噴き出す冷や汗と、バクバクと鳴り続ける心臓の音は暫くの間止まることはなかった。
その後も延々と身体を動かせずじっとしていると、ようやくドリーから動いても良いとの言葉を貰う。
〈というか先刻は何で『動くな』なんて言ったんだ? 寿命が縮まっちまったよドリー〉
『えっと、さっきの蜂さんは相棒の上にあるお花が目当てだったからですっ』
ドリーの言葉にゆっくりと顔を上げると、確かに先ほど蜂が止まっていたのと同じ種類の花が俺の頭上一メートルほど上に咲いていた。
〈だとしても、よく分かったな、花が目的だったなんて〉
『むむ、少し説明するのは難しいのですが、何かに襲いかかる雰囲気じゃなかったと、いった感じでしょうか……』
ドリーの言葉に思わず『ああ』と納得の声を上げた。
さっきは焦っていたせいで気が付かなかったが、今冷静に思い出してみると、確かに先ほどの呪毒蜂からはそういった雰囲気は感じられなかった――気がする。
俺はみっともなくテンパッてしまった自分に向かって『情けない』と愚痴を零し、肩にいたドリーに改めて礼を言った。
〈おい隊長さんよ大丈夫だったかっ、あんまりヒヤヒヤさせないでくれっ〉
〈全くじゃ、見てるこっちが寿命が縮まったぞぃ〉
少し焦りながら俺に声を駆けてくれるオッちゃんと岩爺さん。
心配してくれた皆に礼を返しつつも、また蜂がやってこない内に急ぎこの場を離れることにする。
◆
暫しの間足を進めているうちに、少し周囲の景色に変化があることに気がついた。
明らかに先程よりも赤や、黄色の花が減り、白い巨大な花と茶色い樹木の数が多くなっている。
場所によって植物の生え方に違いがあるのか? 余り変化しすぎるようだったら、ローブに貼り付ける植物を変えたほうが良いかもしれないな……。
しかし、その判断も中々難しい所ではあった。何度も何度もそんな事をしていれば、樹海を抜けるのにかなり時間が掛かってしまうからだ。
元々最短距離を進めば、一日も掛からず樹海は突破出来るはずなので、下手に時間を掛けるよりもこのまま進んでいったほうが安全かもしれない。
足を止めること無く頭の中でどうするべきかの判断を下している。
――ベチャッ。
と、気味の悪い音が背後から聞こえてきた。
慌てて振り向いてみると、中列にいた男性魔法使いの背中に、一メートル五十程の長さを持ったカタツムリのようなモンスターが張り付いていた。
どうやら背後から食いつかれているらしく襲われている走破者の右肩は真っ赤に染まっている。
視界内でうごめくモンスターの姿は酷くおぞましく、見ているだけで目を背けたくなるような醜悪なものだった。
カタツムリのように軟体のヌラヌラとした身体。先端から突き出した二本の触角にはビッシリと人間の目玉が埋め込まれ、ギョロギョロと動き続けている。
背負っている殻には――唇がなく、むき出しとなった人の歯がベタベタと張り付いており、忙しなく歯をガチガチと打ち鳴らし続けていた。
なんで殻に口が。
そんな思いと共に殻を良く見てみると、背負った殻の所々から人のものであろう指や髪の毛がはみ出しているのが確認できた。
それを見た瞬間、こいつの殻の素材が何で出来ているのかを理解してしまう。
こいつ、人を……人を素材に殻を作ってやがるッ。
吐き気にも似た嫌悪感が底から底から湧き上がる。が、一番恐怖と痛みを味わっているであろう、襲われている本人は、叫び声を抑えつける為に必死に口元に手を当て堪え続けていた。
そんな姿を見せられては、俺が『気味が悪い、怖い』などと間抜けな事を言える筈は無い。
気合を込めて、怖じける心を跳ね飛ばし、襲われている走破者を助けるべく動き出す。
『相棒からの指示です「中列の魔法使いは後列の前衛と位置を入れ替えろ。
前衛職は武器に氷か炎のエントをかけてた方が良い。ただ、使って良いのはエントだけだ、派手な魔法は使うなよッ。
モンスターは肩に食いついているようだから、無理矢理引き剥がさずに、頭部部分を切り取るようにしてくれ。それ以外の走破者は周囲と頭上を警戒。さっきの音から考えると、そのモンスターは上から降ってきたはずだ。油断するなよッ」』
全員が一斉に武器を構え動き出す。
後列と中列の一部が位置を入れ替え。中列に出てきた前衛職の二名程が自分の武器にエントを掛け、カタツムリの頭部に斬りかかり、ジュウと炎を纏った武器がカタツムリの頭部を触角ごと焼き切っていく。
――ギィッ!?
流石に我慢出来なくなったのか、肩に食らいついていたモンスターが地面に落ち、のた打ち回り始める。そして、そんな絶好の隙を見逃すはずも無く、二人の走破者がカタツムリの胴体に炎をまとった剣と槍で貫き止めを刺した。
襲われていた走破者もどうやら無事なようで、既に回復魔法を受けていて、顔を青ざめさせながらも立ち上がっている様子。
良かった、大したやつじゃなかったか。
〈クロウエッ、上から来るわよ注意しなさいッ〉
安心したのも束の間、リッツから小さく鋭い声が飛ぶ。俺がその言葉に従い頭上に顔を向けると、今倒したカタツムリと同じ姿のモンスターが俺達に向かってボトボトと落ちてきているのが確認できた。
〈ドリーッ〉
『はい相棒っ。皆さん、当たりそうなモンスターだけ撃ち落としながら、直ぐにこの場から離脱をっ』
たった一言ドリーの名前を発しただけではあったが、ドリーは俺の言いたいことを瞬時に把握してくれた。
全員が一斉に樹海の奥へと向かって駆け出しながら、魔弾やボウガン、風や土の魔法で、自分達に向かって落ちてくるカタツムリだけを撃ち落としていく。
流石にカタツムリだけあって足が遅い。これなら上にさえ注意すれば逃げ切れるか。
少し後ろを振り返り、モンスターが追ってくるかを確認してみたが、どうやら追いつかれるということはなさそうだ。
前方に視線を戻し『早くこの区域から逃げた方が良さそうだ』と考え、少し走る速度を上げようかと決める。
『相棒っ、このまま進んではいけません! 何か可笑しいですッ』
だが、突如ドリーの切羽詰まった叫びが辺りに響き渡る「ドリーがここまで焦っているなんて相当拙いと」そう思った俺は、直ぐに手を上げ、隊全体の動きを止めた。しかし……少しだけ遅かった。
前列にいた男性戦士の一人が勢いをつけ過ぎて止まることができず、一人だけヨロヨロと先に進んでしまう。
――止まれ!
そう心の中で叫んで右手を伸ばした――が、男性の左腕が宙をクルクルと回りながら跳ね飛んだ。
一瞬何が起こったのか分からず呆然としていると、白い巨大な花の一部が動き出し、見覚えのある姿に変わる。
リドルの街を襲撃してきた時にいたカマキリに似たモンスターだ。
白い身体やヒラヒラとした花びらに似た羽など細部は違っていたが、種類としてはカマキリで間違いはない。
「まだ、腕を飛ばされただけだ。助けられる。今なら救える」そう信じて武器を握り走りだそうとした俺の目の前で。
ドスッ、という鈍い音と共に、腕を飛ばされた走破者の心臓を茶色い枝のようなものが貫き止めを刺した。
枝――いや、枝に擬態した巨大なナナフシ型のモンスターの腕だ。
細長い身体に枝と同色の茶色い体色。一本の円筒状の身体からは四本の足が長々と伸びており、その全ての足の先が杭のように尖っている。ナナフシは心臓を突き刺した走破者をこちらに見せつけるように持ち上げ宙に掲げながら、頭部から伸びた二本の触角を向け、感情を感じさせない茶色い目で俺達を見つめている。
逃げよう。そう判断した時には既に辺りの景色が変わり始めていた。
ゆっくりと、辺りの植物が動き出す。
咲き誇っていた白い花々が、カマキリの姿となって。伸びていた茶色い枝が、ナナフシの姿となって。
まるで、この辺り一帯の植物全てが動き出したかのようだった。
――ちくしょうッ! 考えておくべきだった。予想しておくべきだった。ハナカマキリもナナフシも、植物に擬態する昆虫じゃないかッ。この樹海にいたってなんら可笑しくは無いだろうがッ。すぐに動かないと、このままじゃ全滅しちまう。
迫り来る蟲と押し寄せる焦燥感から、俺は忙しなく視線を動かし、必死で白い花や茶色の枝が少なくなっている場所を探す。
グルリと辺りを見渡していると、東の方角は少しだけ、白い花と枝が少ないことに気がついた。
俺は、腕をそちらの方向に指し示し『走れッ』と短く指示を出し、間髪入れずに駆け出した。
未だに落ちてくるカタツムリ、俺達を執拗に追ってくるハナカマキリ、四本の足を地面に突き立てながら迫るナナフシ。
逃げていく先の枝や花でさえ、その全てがモンスターに見え恐怖に駆られる。
ただ、それでも表情だけは崩さないように、動揺を隠し。無理矢理にも冷静さを保ち、思考を回していく。
向こうの身体はそれなりの大きさがある。乱立する樹木のせいでそこまでの速さだって出せない筈。
その代わり、こっちもこっちで枝や花に気を付けないといけないし、全速力で走れそうにはない。
どうするべきだ。どうしたら良い。
先頭を走りながら、考えを進めていると、不意にあることに気がついた『先ほどドリーはあの擬態に誰よりも早く気がつくことが出来ていたじゃないか』と。
〈ドリー、蟲達が擬態している植物ってどれかわかるか? もし早めにわかるなら、頼みたいんだが〉
『は、はいっ。戦闘をしないでそれだけに集中すればどうにか出来ると思いますっ』
〈十分だ。今から伝える指示を皆に伝えた後は、それだけに集中してくれ〉
ドリーに「頼りにしてるぞ」と言葉を掛け、その後の指示も一緒に伝えていく。
『では、皆さん指示を出します「今から逃げるにあたって、俺の後をなぞるように追走。補助魔法の使い手は魔力を惜しまず全体に身体強化の魔法を。
風適性の魔法使いは背後から追走してくるモンスターに足止めの魔法を頼む。
遠距離武器の使い手は――前列は俺の指示した場所に攻撃を、それ以外は頭上から降ってくるかもしれないモンスターの警戒だ。いいか、絶対に逃げきるぞッ』
後ろからの返事など勿論返ってこない。だが、それでも指示と同時に魔名を唱える声、背後を追走してくる気配、絶対に逃げきってやるという決意が俺の背中には伝わってきていた。
ドリーは前方へと人差し指を向けながら、次々と擬態をしているモンスター達を指さして。
『右の枝と左に群生している花は駄目です。あの二本同時に伸びている枝もモンスターですっ』
俺にモンスターの位置を伝えてくれる。その位置を頭に叩き込みながら、通れそうな進路を判断し、駆け抜けていった。
ただ、それでもどうやったって、モンスターを避けて通れない場所もある。
〈リッツ右前方、三本ほど垂れ下がっている枝に向かって先制攻撃。同時にシルさんも魔法を。岩爺さんは俺と並走して仕留めきれなかった場合の止めを。リッツ最初が肝心だ外してくれるなよッ〉
〈ッハ、誰に言ってんのよ。アタシが外すわけがないでしょうがッ〉
俺に向かって文句を言いながらも、リッツは三連続で魔弾を放つ、そのまま吸い込まれるように俺の指定した枝へと直撃。痛みからか、驚きからか、枝に化けていたナナフシが慌てて動き出すが――。
『シャドウ・ファング』
続いて放ったシルさんの魔法で、動き出したナナフシの手足を影の牙を使って二本程千切り、地面にたたき落とした。
だが、さすが蟲と言うべきか、そこまでやられても未だに平気で襲いかかってくる。
〈岩爺さん。あいつまだ動く。止めを〉
〈クロ坊、礼は勿論――〉
〈酒でッ〉
〈ほっほ、良きかな良きかな〉
岩爺さんは少し嬉しそうに笑いながら、赤杖に手をかけて。
――ィイインッ。
聞き覚えのある静かな金属音と共に、空気ごと引き裂いたかのように一瞬で残ったナナフシの手足を切り落とす。
ダルマ状態になってさえまだビクビクと動いているナナフシを、俺は駆け抜け際に、槍斧で真っ二つに叩き折り止めをさした。
それから暫くの間ずっと、避けられるモンスターは避け、無理そうなら後ろと協力し、モンスターが動き出す前に先制攻撃を仕掛け撃破しながら逃げ続けていった。
先程よりも明らかに逃げる速度は上がっているし、追いつかれる様子も無い――だが、追走してくるモンスター達を振り切る事までは出来なかった。
くそ、予想以上に向こうの足が早い。それにこのままじゃ蜂達にだって気が付かれちまう。
足を止めて戦うか――駄目に決まっている。今いるモンスター達だけなら勝てるかもしれないが、音を聞きつけて新しいモンスター達が来たら勝ち目がなくなる。
なら、やっぱりこのまま逃げ続けるか――それも駄目だ。今でさえ走る音や足止めのために使っている魔法の音が響いてるんだ。いずれ相手の数が増えて囲まれて終わりだ。
逃げ続けるでもなく、撃破するでもなく。敵の目から完全に逃げきる事が絶対条件。
厳しい、それが今の俺の率直な思いだった。相手の視界を欺こうにも既にこちらは見つかっている状態。そんな中でどうやって逃げ切れば。
少しは使えそうな道具と言えば、蟻の筵で使い切れなかった煙筒が四本程。だが、それを使ってでも距離を引き離し逃げきるのは難しいだろう。
――バキッベキッッ!
打開策を考え続ける俺の耳に、唐突に樹木を力づくで引き倒したかのような音が聞こえてくる。音から察するに、距離としてはまだ遠い。だが、徐々にだが音が大きくなり、こちらに向かって来ている事がわかった。
冗談じゃないぞ、こんな音を鳴らしながら近づいてくるモンスターなんてマトモなやつじゃない。このままじゃ完全に詰みになっちまう。
何か考えないと。急いで何か手立てをッ。
周囲を見渡していると状況が良くも悪くも変化している事がわかる。白い花と枝、それに樹木の数も少なくなっていて辺りにはむき出しになった土が目立ち始めていた。
良い方に考えれば擬態の区域とも言える場所はもう抜けきったと言える。だが、悪く考えればよく分からない奴が迫ってきている中、隠れられる場所が減ったということだ。
だが、少なくなった樹木とそれに応じて減った根っこ、そしてむき出しの地面と視線を順番に回しているうちに、逃げ延びられるかもしれない手立てが、思いつく。
手に持った煙筒。土属性の魔法使いたちが入れている魔法。一つ一つ頭の中で確認していって、それが終わったと同時にドリーに向かって説明を始めていった。
◆
『良いですか、隊列を縮め、決して伸ばさないで下さいっ。合図は相棒が出しますので、聞き逃さないようにお願いします』
〈あ、それとドリー。最後の確認だけど、土の中にモンスターは居なかったんだよな?〉
『はい大丈夫です。さっきグランド・ホールで穴を開けた時にしっかり確認しておきましたっ』
そうか……少し先の方に良さそうな場所が見えるし、やるなら今しかない。
俺達の駆けていく先、三十メートル程の場所に、植物がひらけ、むき出しの地面が広がっている場所が見える。
すかさず武器を背負い、両手をつかえるように空け、余っていた四本の煙筒を手に掴む。
急いで背後を振り向き状況を確認すると、無事全員がついてきているようだった。
ただ、その少し後ろからは相変わらずこちらを執拗に追ってくるモンスター達の姿。そして更に後ろ――木々の間から先程から鳴らされている音を出しているナニかが木々の間から見え隠れしている。
その姿を少し見ただけで正体が分かってしまった。
三階建ての建物をも越える程の大きさを誇る巨体。丸々とした身体の表面に張り付いた堅牢そうな甲殻をもった、紫色をした巨大なダンゴムシ型のモンスター。
辺りに生えた樹木を重機のように強引に引き倒し、どこから出しているのか、紫色の毒煙を際限なく撒き散らしながらこちらに迫ってきている。
「本当に時間がない」と。俺は慌てて後方を確認しながら、全体に指示を出そうとした。
しかし、それと同時に一番後方にいた女性走破者が、モンスターに追われ焦っていたのか、地面に這っていた根に足を取られ身体を崩していく姿が見えてしまう。
直ぐ側にいた走破者達もそれを見て助けようと手を伸ばす――が、それも届かず、女性は地面に膝をつき足を止めた。
助けないと――最初はそう思った。でもそう考えた次の瞬間には彼女を助けに行った後の事が頭に浮かんでしまう。
カマキリにやられ、ダンゴムシに潰され、蜂に群がられる光景。ここを逃せば、間違いなく全滅してしまう――。
そう考えると、助けにいけなかった。今の状況で俺が助けに向かうことなんて絶対にしてはいけないと頭の中で分かっていたから。
不意にここに入る前にオッちゃんとした会話を思い出す『見捨てられなくなったら困るだろ』脳裏にその言葉が延々と反響する。
俺は、吐き捨てるように、自分に向かって怒声を上げるように、しなけらばならない指示を叫んでいった。
「い……いいかッ! 五秒後に煙筒を撒くそれと同時に『ロック・ウォール』絶対に遅れるなッ! 五、四、三、二……やれッ」
『ロック・ウォール』
俺の『指示』で生み出された四枚の岩壁が『三十人』の走破者とそれ以外を容赦無く区切る。同時に煙筒を残らず投擲し、煙を使って辺りの視界を著しく低下させていく。
〈すぐに円状に展開。足元に向かって『グランド・ホール』〉
『グランド・ホール』
俺とドリーを含め七人の走破者が、残りを囲むように展開し、自らの足元に向かってグランド・ホールを放ち直下四メートル程の穴を繋げるように開けた。当然のごとく重力に従い全員が穴の底へと落下。着地した瞬間グランド・ホールを使った七名で地上に繋がっている穴をアース・メイクで小さな空気穴だけ残して塞ぎきる。
土の臭いが充満する穴蔵の中で、俺たちは只々気配も、音も……全てを殺し、蟲のようにその身を隠し続けた。
◆
キチキチと外から蟲の鳴く声と、地響きにも似たダンゴムシの行進の音が聞こえ続けている中で、ヒラヒラと暗い穴の中を飛び回る蝶子さんを呆然と眺め続けている。
モンスターに追われていた危機も一段落してしまった今、先程まで勢いで押し込めていたものがジワジワと湧き上がってきていた。
脳裏に責めるような声が聞こえてきた気がしていた。
俺が自ら指示を出して、見捨てたんだ、と。
見捨てたのは事実だ否定なんてしようがない。
でもあの判断は正しかった。あれで良かったんだ。ここで全滅して良い筈なんてないし、あの状況じゃあ助けられるはずもない。
そうやって必死になって自分に言い聞かせ続けていくが、のしかかる罪悪感と、重圧が増していくばかり。
それぞれ譲れない思いがあったとはいえ、俺の言葉についてきてくれた人達で、俺の指示を信じて従ってくれている人達だった。
俺が命をあずかって、俺が指示を出して死んでいった。
擬態を見抜けず殺されてしまった走破者。俺の指示で見捨てられ、蟲に捕まり死んでしまったであろう走破者。
考えれば考えるほど、嗚咽が口から漏れだしそうになる。それを必死になって漏らさないように口に手を当て堪えていった。
ここが暗くて本当に良かった……今の表情はきっと誰にも見せられたものじゃない……。
じっと動かないまま、俺は一人気持ちを持ち直そうとあがき続けていった。
延々と悩み続けながらも、俺は少しづつ、平静さを取り戻し、心の底に押しこむようにして誤魔化していく。
――まだ二人。獄級の樹海をここまで進んで、たった二人の犠牲者だけだ。
上等だと思え。犠牲者が出るのは最初から分かっていたはずだ。
もし俺が落ち込んでいたせいで、リーンが救えなくなったらどうする。隊を率ているのは俺なんだ。しっかりしないでどうする。
自らに叱咤とも慰めとも言える言葉を心の中で投げかける。
俺の一番の目的は『仲間を救う事』ここに居る皆だってそうだ。どんなに落ち込んでいても、この思いだけは折れることだって変わることは無い。
それに、俺の気持ちを無視して考えるなら、相当上手くいっているのは事実だ。
初期の頃のシルクリーク軍だって、この場所を侮っていたせいもあってか、樹海を突破することすら出来ずに敗走している。
確か、五百人程の数を動員し――突入に百、外層上部からの蜂を迎撃する部隊が三百、突入した部隊を回収する為に翼をもった亜人の救出部隊が百といった編成。結果は、外で援護をしていた三百の部隊は際限なく群がり始めた呪毒蜂を抑え切ることができす、突入した時点では十人程度の被害で済んでいたはずの百人も樹海のモンスターに追われ、ほぼ全滅。
無事生き残れたのが援護部隊が百五十と救出部隊が四十、突入した部隊が奇跡的に生き残った二名だけだった筈。
それに比べれば今の状況は上手く行きすぎている位だ。ドリーの存在や、予想以上に上手く運んだ隠蔽色のローブ。夢を見すぎてはいけない。
誤魔化して、無理矢理に塗り固めてでも、自分を取り戻していく。落ち込んだまま獄級の走破なんて出来るはずがないのだから。
既に、外から聞こえてきていた蟲達の鳴き声や、足音も聞こえなくなっている。
行かないと――俺は静かに、そんな言葉を心のなかで呟いた。




