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蒼い翼 ~深江郡主の婚姻~  作者: 海土 龍
11.葵暦200年 猩瑯の戦い

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11.お前の翼を受け取れ


「天連は無事なのか……?」


 あんな空模様など見たことがないと度肝を抜かれつつ、口にできた唯一の言葉がそれだった。

 すると、柢恵が峨鍈の隣にやってくる。


「大丈夫です。天連は無事です」


 その口振りが何かを知っていそうな様子だったので、峨鍈は柢恵をジロリと睨み付けた。

 柢恵は峨鍈に向かって肩を竦めて答える。


「今の雷、まるで天連みたいでしょう? 元気だって、全身で伝えてきているみたいです。だから、天連は無事です」


 言われてみると、不思議とそのような気がしてきたが、冷静になって考えれば、雷が天連なはずがない。

 峨鍈は馬を歩かせる。東の地平線から朝陽が白々と輝く顔を覗かせていた。

 

 猩瑯に近付けば近付くほど喧騒が大きくなる。

 夏銚が1万を破り、夏葦が1万5千を破り、それぞれ猩瑯城に向かっているとの報せが届いた。

 峨鍈の方には数千の敵兵が迫っている。それを熊匀と卞豹が追って来ているので、挟み撃ちができそうであった。

 ただし、兵馬は疲れ切っていたので、歩兵のような戦い方しかできない。しかも、峨鍈たちは具足を身に着けていなかった。


 猩瑯城まで8里というところで敵兵5千とぶつかる。敵の多くが弓兵であった。

 峨鍈軍に盾を持ってきた者などいなかったため、矢は剣で払い落すしかなかった。

 

「殿をお守りしろ!」


 峨鍈の傍らで大声を張り上げた護衛兵が次の瞬間、胸を射られて落馬する。

 馬も数本の矢で射られて倒れたので、峨鍈は素早く下馬すると、己の馬を逃がして倒れた馬の陰に隠れた。柢恵も馬から降りて隣に駆け寄ってくる。


「馬を盾にしたなんて知られたら、天連に怒られそうです」

「会うことさえ叶えば、いくらでも怒られてやる」


 鍾信が馬から降りて、同様に下馬した配下の者たちに向かって号令をかけ、一丸となって敵に突っ込んだ。

 蜂の巣のように射られながらも胸元に構えた剣ごとを弓兵に体当たりしていく。

 そこに熊匀と卞豹が追いついてきて混戦となり、矢が止んだ。


「殿、郡王殿下が!」


 不邑の声が耳に飛び込んできて、峨鍈は馬の陰から出て大きく振り返る。


「天連がどうした!」

「城から出撃に」

「何!?」


 不邑は馬を駆けさせて来たため大きく呼吸を乱していた。

 呼吸が整うのを待ってやりたいが、蒼潤のことだと聞けば僅かにも待ってはいられない。


「どういうことだ!?」

「瓊俱が城壁前に姿を晒したため、殿下も城門から出て来られたのです」

「あいつはいったい何を考えているのだ! すぐに戻るぞ!」


 と言ったとたんに、峨鍈は己の馬は逃がしてしまったことを思い出して舌打ちをした。

 猩瑯城の方から響いてくる喧騒が一段と大きくなる。それがだんだんと移動してくることに気が付いた。

 近付いてくる!


 わあああああああああああーっ、と喊声が上がった。

 何かが起きたのだと分かったが、それが何か分からず、峨鍈は不安に駆られる。

 蒼潤は無事なのか。まさか今の喊声は蒼潤の身に何か起きたために上がったのでは、と嫌な考えばかりが脳裏を過ぎる。――その時だった。

 ぱっとあおが飛び込んできて、峨鍈の視界一面に鮮やかなそれが広がった。


「伯旋!」


 蒼く輝く髪を長く靡かせながら蒼潤が馬を駆けさせて来る。

 その姿に峨鍈は呼吸が止まる思いがした。

 こんなところにいるはずがなく、いてはならないはずなのに、それでもその顔を一刻も早く見たいと望んでいた自分が歓喜する。

 喜びと怒りをぐちゃぐちゃにして峨鍈は蒼潤に駆け寄った。


「お前は――っ」


 先に口から飛び出したのは、怒りの感情の方だった。

 かっと胸が熱くなり、それが爆ぜたように怒鳴り声を上げる。


「どうして城の中で待っていられないんだ!」


 蒼潤は愛馬の背から降りて峨鍈の前に立つと、ちらりとも悪びれる様子がなく、にこにことして答えた。


「瓊倶の姿を見つけたから討ってやろうと思ったんだ。そしたら、勝敗が決する」


 峨鍈は蒼潤に怒りを向けてもらちが明かないと、矛先を蒼潤の後ろに控える甄燕に向けた。

 甄燕の後ろから深江軍の兵士たちが順々に追い付いて来て、蒼潤の護衛のために周囲を囲む。


「安琦、なぜお前はこいつを止めないんだ!」

「天連様は雷も避けて通るほど運がお強いので、どうにかなるかと思いました」


 甄燕も平然とした顔をして、しゃあしゃあと答える。

 峨鍈は更に苛立ったが、雷と聞いて思い出し、蒼潤に振り向いた。

 その体に傷がないことを隅々まで確かめる。


「落雷があったようだが、大丈夫だったのか?」

「すべて瓊倶の陣営に落ちたから、こちらに被害はない」

「偶然か?」

「安琦の言う通り、俺は運がいい!」


 にっこりとして蒼潤が峨鍈を見上げてきた。

 何か隠している。だが、今それを追及している暇はない上に、怒りが飛散してしまえば、次に嬉しさが込み上げてきた。

 すぐさま蒼潤を抱き寄せたいと欲したが、その前に峨鍈は、なぜか猩瑯城の上空だけに降り注いだ雨で濡れて蒼く染まった蒼潤の髪に視線を向ける。

 自分の外套を脱いで蒼潤の頭に被せた。


「お前のせいでおれの寿命が縮む。お前に死なれたら困るのだ。お前は儂の『ゆう』なのだから」

「勇?」

「かつて、かん太上皇に言われたのだ。『智』、『勇』、『美』のいずれかを選べと」


 斡太上皇とは蒼潤の父である蒼昏のことだ。

 皇帝蒼絃は伯父である蒼昏に対して帰都を許すと共に『太上皇』という本来ならば退位した存命の皇帝に送られる尊号を授けた。

 蒼潤は父親の話を聞いて、悔いと後ろめたさを思い出したような表情を浮かべたが、峨鍈は気付かない振りをして言葉を重ねた。


「そして、儂はお前を選んだ。お前は儂の『勇』だ」

「ならば、お前は俺を選んだおかげで瓊倶に勝てたんだ」


 得意げな顔をして蒼潤が言う。父親に対する悔いと後ろめたさは一瞬で消え去ったようだった。

 相変わらず表情がころころと変わる。その顔を両手で優しく包んで、触れて、頬を寄せて、口づけたいと峨鍈は渇望した。

 そんな己の欲など気付きもしないで、蒼潤が大きな瞳で峨鍈の顔を見つめてくる。


「そうだろ? だって、お前は6倍の兵力差に怖気づいていたんだからな。――だけど、お前。以前は俺のことを己の片翼だと言ったぞ」

「比翼の鳥だ」

「そうそう、それだ」


 蒼潤は面白がってケラケラと笑い、まあいい、と言って続ける。


「なんであろうと、俺がお前のものであることに違いない」


 ほら、と蒼潤が峨鍈に向かって両腕を大きく広げた。

 すぐには意図が分からず、峨鍈は蒼潤を凝視してしまう。

 すると、蒼潤はここが戦場であるということをすっかり忘れさせるような綺麗な笑みを浮かべて言った。


「お前の『勇』で、『翼』だ。受け取れ」


 思わず息を呑む。

 うに自分のものだと思っていた。余すことなくすべて自分のものだと。

 まず手元に置き、体を手に入れた。そして、言葉を重ねて心も手に入れた。

 頭の先から爪の先まで、髪の毛一本たりとも誰にも譲れないくらいに、蒼潤の全部は自分のものだと思っていた。

 なのに、まだ手に入れていないものがあって、それを惜しむことなく蒼潤は峨鍈に捧げてくる。 


 一歩。そして、一歩。前に踏み出し、蒼潤に歩み寄ると、蒼潤が広げた両腕の中に収まるように体を寄せて、峨鍈は蒼潤の背に両腕を回した。

 蒼潤が広げた両腕で、ぎゅうっと峨鍈に抱き着いてくる。愛おしさが堪らなくなって峨鍈も蒼潤の体を強く抱き締め返した。

 安堵感が胸いっぱいに広がる。温かくて心地良くて、ずっとそうしていたくなる。


 蒼潤に触れていると、満たされる。それを知って以来、満たされたい一心で奪うように蒼潤を愛した。

 けして逃れられないように縛り付けて、閉じ込めて、脅して、踏みにじる。尊厳も人生も自由も奪ったというのに、やがて蒼潤は自ら峨鍈に捧げてくるようになって、それを峨鍈は思う存分に奪い続けた。

 そうしてすべてを奪い尽くしたが、蒼潤の輝きは失せることがなく、峨鍈が蒼潤を愛せば愛しただけ輝きを増していくようだった。


「伯旋」

「なんだ?」

 

 蒼潤が峨鍈の腕の中でもぞもぞと身じろいで、下から覗き込むように峨鍈の顔を見上げてきた。


「俺、お前と同じ景色が見たい。お前の隣に並んで、お前と同じ方向を見ていたい。お前に守られているのは、すごくらくで、安心できるけど、俺は俺の足で立ちたいし、お前がしんどい時には寄り掛かって貰えるようになりたいんだ」 

「もうなっている」

「えっ?」


 蒼潤が驚いたように聞き返してきたが、峨鍈は答えず、ただ、ただ、一心に蒼潤を抱き締めた。



▽▲



 猩瑯城に戻った峨鍈は湯を使って体を清めてから、蒼潤のもとに向かった。

 蒼潤の室の戸を開くと、湯で満たした大きな桶の中で眠り込んでいる蒼潤の姿がある。

 蒼潤の髪や体を洗っていた乳母と侍女が許可なく室の中に入って来た峨鍈に驚いて、慌てて蒼潤を呼び起こそうとした。

 峨鍈は彼女たちを制して言う。


「構わん。疲れたのだろう。寝かせておけ」


 峨鍈は牀に腰かけて、蒼潤の湯浴みが終わるのを待った。

 やがて髪を洗い終えた侍女が蒼潤の体を揺すって目覚めさせようとしたので、峨鍈は立ち上がり、桶の方に歩み寄る。


「済んだか?」

「はい」


 峨鍈は身を屈めて桶の中に手を差し入れて、蒼潤の体を抱き上げた。

 濡れた体を拭こうと、乳母と侍女が布を大きく広げたので、峨鍈はその布を受け取って蒼潤の体を包み込む。


「しばらく休む。お前たちは下がっていい」

「お目覚めになられる頃に食事をお持ちします」


 ああ、と頷いて峨鍈は蒼潤を抱えたまま臥室に移動した。

 牀榻しんだいの中まで蒼潤の体を運ぶと、そこに寝かせ、自分も隣に横たわる。

 昨日の日没に出陣して、正午前に帰城するまで一睡もしていなかった。蒼潤に限らず、誰もが疲れ切っていて、休める者から休息を取るように命じている。

 かく言う峨鍈自身も瞼がひどく重かった。


 峨鍈が猩瑯城に帰還すると、縄に掛けられた瓊俱の姿があった。

 戦場で蒼潤のことを追い回していた瓊俱を、いち早く帰城した夏葦が生け捕ったのだという。

 瓊俱は蒼潤の姿をひとめ見て強く欲したようだ。

 青王朝など既に落ちぶれていて、その血に力などないと嘲笑っていた瓊俱も、蒼潤の蒼い髪を目にして、その価値に気が付いたのだ。


 蒼潤は人智を越えた存在だ。

 蒼潤を前にしたら、玉座も玉璽もただの物に過ぎない。蒼潤自身こそが玉座であり、玉璽だからだ。

 瓊俱が蒼潤という存在に心を奪われ、翻弄されてしまったのだとしても峨鍈は驚かない。

 それ故に身を滅ぼしたのだとしても、それも当然だとさえ思う。


 瓊俱が囚われたことで、瓊俱軍は瓦解し、撤退命令が出される前に散り散りに逃げていった。

 それを夏銚と夏葦が追撃し、清河の向こうまで追い払った。どうやら瓊俱の息子たちも清河を渡り切って逃げたようだった。

 明日からは攻守が反転し、峨鍈軍が清河を渡って瓊俱の息子たちを追い詰めていく戦いが始まることだろう。





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