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温かなスープと安心する場所

 目の前の、ほかほかと湯気が上がるスープに、ごくりと喉を鳴らす。

 森に入ってから、初めて木の実以外のまともな食事にありつけるのだ。


「お口に合えば良いのですけど……まずはスープから胃を慣らしていきましょう」


「ありがとう」


 メリッサが、いきなり固形物を食べるのは胃に悪いと、数日間寝たきりだった俺の身体を気遣ってくれる。

 開いた傷口の手当てをしてくれた時もそうだったが、優しく看病してくれるその姿は、やはり女神そのものだ。

 窓から射す陽の光が、後光の様に彼女を照らし、肩から流れる絹糸の様な髪が輝いて見える。

 慈愛に満ちたメリッサの姿が、あまりにも眩しく思わず目を細めた。


 開きかけた口が、懲りずにまた甘い言葉を発しようとしたその時、スープの良い香りがふわりと鼻をかすめる。

 その食欲をそそる香りに、腹の虫が早く食べろと騒ぎ立てそうな予感がした。

 俺の腹に張り付くペルーンには悪いが、再び鳴られては困ると慌てて木のスプーンを手に取った。


 ゆっくりと琥珀色のスープにスプーンを浸せば、ゆらりと美しい波紋を作る。

 その水面に小さく浮かぶ透明な脂が光を反射し優雅に泳いだ。

 視覚と嗅覚で既に美味しいと感じるスープに気持ちがますます高揚する。

 食べ物を前にして、ここまで高ぶるのは、幼い頃マシューと見つけた師匠のチョコレート以来だ。


 スープを一匙すくい、逸る気持ちを抑え熱そうなそれにふうふうと息を吹きかけた。

 温かな湯気が伏せた睫毛を優しくなぞり湿り気だけを残して消えて行く。

 涎が湧き出る口の中とは対照的に、乾いた唇をぺろりと舐めて潤すと、念願のスープを静かに啜った。


 野鳥だろうか。鳥のブイヨンにしては少しだけ独特な香りがする。

 澄んだ琥珀色のスープは旨味が強く、最後に優しく香るハーブが独特な香りを嫌味なく和らげているのだ。

 シンプルな味付けなのに空腹も相まって、城で出される手の込んだどのスープよりも遥かに美味しく感じた。


 温かなスープがゆっくりと食道を通り、空っぽの胃をじんわりと温める。まるで身体の隅々まで染み渡る様だ。


「美味い……」


 ポツリと噛みしめる様に発した俺の言葉に、ほっと息を吐く音が聞こえ側に立つメリッサを見上げる。

 すると、こちらの反応を窺っていたのか、胸に手を当て安堵した様に微笑んでいた。

 その優しい笑顔と温かな食事に心が震え、不意に目頭が熱くなる。


 闇の中で目を覚まし、徐々に冷えていく身体と殺伐とした空気の中、最後は死を覚悟した。

 彼女達に助けられ運良く目が覚めてからも、今後の事に焦りと不安に頭を悩ませていたのだ。

 今後の事は何も解決していないが、初めて息をつける場所に安心したのかもしれない。

 歪む視界に、まさか自分がこんなに弱い人間だとは思わなかったと驚く。その半面、今までにない程の安らぎを感じ、知らず知らずに入っていた肩の力が抜けた。

 これ以上恥ずかしい姿は見られたくないと、顔を伏せ熱くなる目頭を誤魔化す様にスープを啜る。

 眉が下がり泣きそうな、けれど安心した様に微笑む何とも情けない自分の顔が器の中に映し出された。

 目の合う琥珀色の自分を、スプーンでかき混ぜまた一口、スープを啜る。


 いつの間にか夢中でスープを飲み干し、身体がポカポカと温まった頃、空の器にスプーンを置いた。


「ご馳走さま。すごく美味しかったよ」


「ふふっ、お口に合った様で良かったです」


「ああ、こんなに美味しいスープは初めてだ! 野鳥のスープだったのか?」


「え? えぇ……まぁ、そんなものです」


 にこにこと嬉しそうに器を片付けるメリッサが、一瞬動きを止めぎこちなく微笑む。

 そんな彼女の様子に不思議に思いながらも、瞼がうとうとと重くなり目をこすった。

 久しぶりに腹が膨れ、身体が温まって急激に眠気が襲ってきたようだ。


「あら、やっぱりまだ魔力が安定していないのね。さぁさぁ、横になってゆっくり休んでくださいな」


 急かす様にメリッサに布団をかけられベッドに横になる。

 すると、腹に張り付いていたペルーンが、もぞもぞと這い上がりひょっこりと布団から顔を出した。


「クナァ~ン」


「ははっ、もう腹は鳴らないぞ。お前も一緒に寝るか?」


 残念そうに耳を垂らして俺の胸に顔を乗せたペルーンを優しく撫でる。次第に、真ん丸の瞳が半分閉じかけ眠たそうにくわり小さく欠伸をした。

 そのペルーンの様子に釣られて大きな欠伸を一つすると、すぐ近くで聞こえ出した小さな寝息に誘われる様に瞼を閉じた。


「ふふっ、すっかり仲良しね。おやすみなさい」


 眠りに落ちる寸前、メリッサの優しく囁かれた声が聞こえた気がした。





 安心しきった顔で眠るペルーンと、顔色の良くなったジークの寝顔を見てくすりと笑う。

 一時はどうなる事かと思ったが、食事が摂れるほど回復して本当に良かった。

 けれど、病み上がりのジークに魔物のスープだとは言い辛く咄嗟に嘘をついてしまったのだ。


 三つ眼鳥も大きく分類すれば野鳥に入らないかしら……。


 既に魔物を食べなれた自分にとって、三つ眼鳥も野鳥も大差ない。

 だが、魔物を食べられると知らない人間からすればそうもいかないだろう。

 もう少し落ち着いた頃に、きちんと説明して謝るべきだと反省した。

 ジークとは少し話しただけだが悪い人には思えない。彼の反応からしてバトレイ家やロズワーナ伯爵の追手ではないようだ。

 彼を初めて見た時は、もしかしてと頭を過ったが、冷静に考えればここまで追ってくるなんて考えられない。

 あの辺りに詳しい人なら自殺行為だとよく知っているので依頼があっても断るはずだ。

 それに、知らなくても下準備をする過程で、嫌でもどれほど危険な森なのか耳にする。

 きっと令嬢の足で行ける近くの町を捜索し、見つからないと言う事は魔物の森に入ったと考えられるだろう。

 もし、本当に魔物の森に入ったと思われているなら、そろそろ正式に死亡届が出されても良い頃ではないだろうか。

 そうなれば、誰も私を追ってこないし探さない。バトレイ伯爵家のご令嬢メリッサは死んだことになる。

 そう考えると何だかやっと本当に自由になれた気がするのだ。


 やっと手にした心の底から安心できる自分の居場所。

 それは誰もが恐れる危険な魔物の森なのだと思うと、何だか可笑しくて、ふふふと笑う。

 気持ち良さそうに眠るジーク達を起こしてはいけないと、口に手を当て足取り軽く空の器を持って部屋を後にしたのだった。

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誤字報告ありがとうございました。

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