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初めてのクッキング

 サラサラと流れる透き通る水に、つま先をそっとつける。冷んやりとした川の水が、火照り汗をかいた肌に心地よい。


 水の流れが緩やかな場所を選び、ゆっくり腰のあたりまで水に浸かった。一度ザブンと水に潜り目を開けると、小魚が逃げる様に足の間を潜り抜けたのが見えた。


「ぷはっ」


 パシャリと水面から顔を出し、白い髪から滴る水を一緒に搔き上げるように、後ろへ流した。脂っぽくなった頭皮がスッキリとして気持ちが良い。


 水の流れを見て、流れて行く方へ向き直ると、赤く汚れたワンピースをゴシゴシと手で擦る。ジワリと布に沁みた赤い血が浮き出るように流れ出す。

『主婦の知恵』で見た、血がついた時はなるべく早く水で洗い流すと書いてあった通り、すんなりと赤い汚れが落ちていく。血がついて時間が経つと落ちにくく、お湯で洗うのはもっと良くないそうだ。

 他の汚れはお湯で洗うと落ちやすいのに、血の場合はお湯で洗うとシミになるのだとか。ちなみに、乾いて落ちにくくなった汚れは、大根をおろして叩くように擦れば落ちるらしい。

 野菜で汚れが落ちるなんて驚きだ。


 十分に水浴びを楽しんだ後、綺麗になったワンピースを絞って川岸に上がった。最初は恥ずかしかったが、中々の開放感で癖になりそうだ。

 トランクケースをガサゴソと漁り、濡れた身体を拭くタオルを探した。


 馬車で宿屋にも泊まれないと聞いていたので、あらかじめ顔を拭くタオルくらいは数枚持ってきていたのだ。無骨な見張り達は、風呂や顔を洗う事を全く気にもとめていなかったので、食事をする時に自分から店の亭主に頼んで顔を洗わせてもらっていた。

 まったく、乙女心の分からない男達だったと、今頃ロズワーナ伯爵に大目玉を食らっている二人を思い浮かべた。


 ぴちゃりぴちゃりと滴る水に、いつも髪を魔法で乾かしてくれる侍女はいないのだと改めて思う。濡れた髪を出来るだけ絞り、高い位置でまとめた。

 こう言う時にやはり彼女達の有り難みを感じるのだ。

 髪から流れる水気を気にしながら、新しい下着と服に着替えた。


「見張ってくれてありがとう。何か変わった事はなかったかしら?」


「クナァッ!」


 無いよと元気に一鳴きする幼獣の頭を撫で、洗ったワンピースをどこで干すか辺りを見渡す。大きな岩の上に置くのも良いが、木にゴモの蔦を括り付け干す方が綺麗に乾きそうだ。

 腰のストラップに結んでいたゴモの蔦を引っ張りナイフで切ると、片方の切れ端を木の枝に括り付ける。もう片方から洗ったワンピースと下着を通してピンと蔦が張る様に、違う木の枝に括り付けた。

 パンパンと侍女が洗濯物を干していた様に、叩いてシワを伸ばす。絞りが甘かったのか叩く度にピチャピチャと水が顔に散った。

 温かい気温なのでこれでも乾きそうだが、近くで火を起こそう。あの魔物も解体した後は焼かなくては食べられない。


「よしっ! じゃあ、私は石を集めるから、あなたは落ちてる枝を拾ってきて!」


 足に尻尾を絡め纏わりついてくる幼獣に、見本の様に足元に転がっていた枝を見せて話しかける。


「クゥナッ!」


 元気よく返事をして駆けて行く幼獣を見送り、せっせと川岸に転がる丁度良い石を運ぶ。火を起こす場所を決め、風避けの石を積み上げて行く。

『下巻』に書いてある通り、大小の石を見よう見まねで積み上げてみたが、意外としっかり積み上げられた。

 小さな頃から、一人遊びのパズルをよくしていたので、こういう組み合わせる作業は得意なのだ。

 綺麗な出来栄えに、一人頷いていると、足元にカランカランと乾いた音が鳴る。気がつけば足元には大量の枝が山積みにされていた。


「わぁ! すごいわ! こんなに拾って来てくれたの?」


「クナァナァ〜」


 自慢気な様子で答える幼獣にお礼を言って、早速火起こしを始める。積んだ石の中央に枝を並べて、乾燥した繊維質の強い木の皮をナイフで毟って一緒に入れる。

 火打ち石を、カッカッと鳴らし火花を散らせば、木の皮に火種が落ちた。じわじわと燃える火にすかさず乾いた枝を上から乗せて、息を吹きかける。

 ついては消えてを繰り返し、コツを掴んでやっと大きな火を作る事ができた。


「やった! 点いた! ふぅーっふぅーっ!」


 もくもくと上がる煙に咳き込みながら、火が安定するまで吹き続けた。


「ゴッホ、ゴッホッ……っ、そろそろ良いかしら。魔物のお肉も解体しなきゃ……」


 パタパタと尻尾で風を送って、手伝いをしてくれる幼獣に、火の番を任せると、数歩先に吊るした魔獣に近づいた。

 まずは、大きなバナの葉を何枚も収穫する。このバナの葉は殺菌効果もあり、これに食べ物を包んで持ち運んだり、皿の代わりにできるのだ。

 ある国では、これに芋や肉を包んで土に埋めて焼いたりするらしい。


 血溜まりは斬り落とした頭と共に土で埋め、その上にバナの葉を一枚敷く。魔物を吊るしていたゴモの蔦にナイフを入れると、勢い良くボトンとバナの葉の上に落ちた。

 平たい石を、水筒に入れた川の水で洗い流し、そこへ頭を切り落とした魔物を置いた。


「はぁー……。やるわよ。これをしないといつまで経っても食べられないわ」


『下巻』を汚さない様に、予め解体の方法を読んで頭に入れたのは良いが、現物を目の前にするとやはり尻込みしてしまう。


 深呼吸をしてナイフを魔物の腹に滑らすと、ずるりと臓物が飛び出した。


「っ!……ゔっ」


 あまりの悍ましさに、吐きそうになる。頭を落とした時の衝撃より凄くクラリと目が回る。

 まだ、救いなのは血抜きが上手くいっていたお陰で、血が飛び散る事がなく着替えたワンピースを汚さずに済んだ事だ。

 吐き気に堪えながら、手でぬめりを帯びた内臓を掻き出した。生臭い臭いが鼻につき、何度も嗚咽しながら目を薄めにして取り出す。

 頭の中で『下巻』に書いてあった絵を思い出し、食べれる内臓を探す。



 えっと、確かレバーはこれじゃないかしら?

 あと、魔石が付いているのが心臓で……あった。

 この筋肉質なのは、確か筋胃って書いてあったわ。

 これ平民の間では砂肝って言われてポピュラーみたいだけど、私は食べた事ないわ。



 ぐちゃぐちゃと素手で触って行くうちに、臭いにも感触にも慣れてくる。薄眼を少しずつ開き、頭の中で『下巻』の絵と照らし合わせて見て行くうちに、知識欲が勝ったのだ。

 普通の鳥とそう変わりない魔物の生態に、興味深く観察する様な目を向けて、魔石の付いた心臓をまじまじと見つめた。魔石は人間が魔力を込めて人工的に作った物と、魔物がその身体に保持している物がある。



 こうやって心臓についていたのね……。



 切り離した内臓を、食べられる部位とそうで無い物に分けてバナの葉に乗せて行く。大分慣れて作業をしていく途中、未消化な物や筋胃の中のミンチ状になった物を見てしまい、意識が再び遠のきそうになるハプニングはあったが、無事内臓の処理は終える事ができた。

 身の解体は、関節にそって切って行くだけだったので、内臓の衝撃が強すぎて、肉と骨を断ち切るのなんて甘くさえ感じた。三つ眼鳥の肉は、脂が黄色く肉の赤みが強い。生肉自体初めて見るが、それでも筋張っている様に見えた。


 ちなみに、食べれない部位は土に埋め、平たい石には水をかけ洗い流す。少しでも周りに魔物が寄ってこない様にする対策と、三つ眼鳥が土に還る様にと手を合わせたのだ。


 川の水で内臓や肉に付いた血を洗い流し、水気を切ってバナの葉に包むと、尻尾を振って待っている幼獣の元に持って行く。

 バナの葉を収穫する時に、肉の臭み取りに丁度良いハーブを見つけたので、肉やレバーに擦り込んだ。パチパチと火が弾き、レバーの焼ける匂いに幼獣が鼻をクンクンと鳴らし待ちきれない様子だ。


「ふふっ、あなたレバー好きだものね?」


「クナァ〜ン!」


 もも肉は骨が付いているので、そのまま石に立てかけ、レバーは枝に刺して遠火でじっくり焼く事にする。その間、水を飲みながら心臓についていた魔石を火にかざして見つめた。

 恐ろしい魔物の魔石はキラキラと輝きとても綺麗だ。


 まだかまだか、と飛びついてきた幼獣を膝に置き、レバーとモモ肉の火の通りを見て裏返す。料理は全くの素人なので中が生だったらと怖くて、しっかり焼く事にした。

 肉の脂がジュウジュウと音を立て、食欲をそそる音に腹の虫が鳴く。思いの外、解体に時間がかかり辺りは薄っすら暗くなってきた。

 そろそろ火光虫も眼を覚ます頃だ。ウロの中ではない事に一抹の不安もあるのだが、可愛いナイトのお陰で心強い。


 美味しそうな焦げ目のついたレバーを火から下ろすと、幼獣が目を輝かせ前足を手に乗せてくる。


「まだ熱いわよ? 大丈夫? 気をつけて食べてね」


 飛びつきそうなその様子に、バナの葉に枝から外した焼きたてのレバーを乗せた。食べやすい様に少し潰して目の前に置いてやると、やはり熱かったのかビクンと飛び跳ねた。


「クナァ……」


「あらあら、ふふふ。ちょっと待ってね」


 潰したレバーに、息を吹きかけ冷ました物を少しずつ手に乗せる。ペロペロと美味しそうに食べる幼獣に、魔獣や魔物の類でも猫舌なのかと小さく笑った。


 そろそろ、もも肉の方も良いかもしれない。火から下ろすと、こんがりときつね色に焼けた皮目が何とも食欲をそそる。

 幼獣が飛びつきたくなる気持ちが分かるほど美味しそうだ。火傷しない様に息を吹きかけ、思い切ってがぶりと噛り付いた。

 パリッとした香ばしい皮に、弾力のある味の濃い肉からジュワッと肉汁が口の中に広がった。

 鶏より肉は固いが、断然こちらの方が旨味が強い。噛めば噛むほど、旨味が出てくるのだ。

 獣臭いかと心配したが、ハーブのお陰で気にならなかった。塩がない事が唯一悔やまれるくらい、魔物の肉は美味しくて驚いた。


『下巻』に首の骨などのガラはスープにすると美味しいと書いてあったのが頷ける。確かに、ここまで味の濃い肉なら、その骨も良い出汁が出るだろう。

 お料理本でブイヨンの作り方だけは知っているが、鍋がないので作れない。一応、土に埋めるか迷ったガラは、バナの葉に包んで残してあるが、使い道がないかもしれない。


 そんな事をぼんやり考えていると、口の周りについた脂を、幼獣にペロペロと舐められた。


「わっぷ! ちょっ、まって! わかった、わかったわ!」


 次のレバーを催促する幼獣に、急いでレバーを焼いたのだ。

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