武器と花冠 ジーク視点
ジーク視点になります。
深い緑の中、息をひそめ遠くの獲物を睨みつける。
背に掛けた弓矢をサッと取り出し、ギリギリと限界まで弦を引く。深く息を吐き意識を目の前の命に集中した。
頬をなぜる風も木の葉の騒めきも、羽虫が飛び立つ音さえも。ほんの一瞬だけ、森の時が止まるその瞬間。パッと矢から指を離す。
音もなく木々の間を矢が駆け抜ける。遅れて高い音がヒュンと鳴る頃には、魔物の心臓を貫いた。
ドサッと地面に倒れ込むそれに、今日は大物が獲れたと頬を緩める。絶命した獲物から矢を抜きとれば、ぷしゃりと真っ赤な血が噴き出した。
「おっと! 危ない危ない。血がかかるところだった」
そう言えば、メリッサが魔物の解体をしている所を初めて見た時。心臓が止まるかと思った。
病み上がりで、漸く家の周りを歩き回る許可が降りた頃。水路で何やら声が聞こえると、家の裏に回り込んだ。
すると、メリッサが美しい真っ白な髪を、真っ赤に染め上げていたのだ。
大怪我をしたのかと青ざめる俺に「血抜きに失敗しちゃったの」なんてもじもじ恥じらう彼女に度肝を抜かれた。
あんぐりと口を開けて固まる俺をよそ目に、メリッサが自分よりも大きな魔物を躊躇なく捌いて行く。
かっこよすぎないか?
それに比べて、この森に来てから、へまばかりを繰り返す自分は何という体たらく。
落ち込む俺に、満面の笑みで内臓を取り出した彼女が「今日は栄養たっぷりのレバー煮込みにしましょうか!」なんて言うもんだから、可愛いやら震えるやら。
そんな俺の口から出たのは「血に塗れても美しいな……」とかなんとか。
なんだよそれ。どこぞの吸血族でもあるまいし。いくらなんでも痛すぎるだろう。
思春期こじらせた奴みたいじゃないか。いま思い出しても恥ずかしい。
そう言えば、従者のマシューには六人の兄がいるのだが、確か四番目の兄がこんなキャラらしい。兄弟の誰よりも視力が良いのに、片側の目に眼帯をつけているのだとか。
彼の兄たちは話を聞く限り、みんな一癖も二癖もある。そう考えるとマシューは本当に薄味な男だ。
そんなことはさておき、あのとき俺が発した癖のある褒め言葉。それにメリッサが目をぱちくりとして、戸惑いながらはにかむ姿は可愛かった。あの初々しい反応が懐かしい。
最近は俺がこんなことを言うと、お得意の冗談が始まったと納得顔をするのだ。あれが冗談だとしたら寒い。寒すぎる。怒った師匠に半日氷漬けの刑に処された時よりも寒い。メリッサの中で俺がどんな人間に見えているのか心配だ。
「今日も絶好調ね!」なんて言われた日の夜は、ちょっぴり寝付けなかった。何だろうか、この肩透かしのような感じは。恥ずかしいので流してもらって結構だが、まったく彼女の心に響いてなさそうで、これはこれで切ない。
父上も兄上もこんな気分を味わっているのだろうか。俺よりもしつこいアピールを、毎日自分たちの伴侶に繰り広げる彼らの神経はどれだけ図太いのだ。もしや、麻痺しているのか。
まさか、俺もいつかあんな風に……?
ぶるりと肩を震わせ、考えるのを放棄した。
とにかくメリッサの意外な一面に触れる度、好きだなぁと噛み締めている。軟派な言葉はつらつら出てくるくせに、肝心の好きという言葉が言えない。そんな俺はバルカン曰く『意気地なしのチキン野郎』らしい。
何て口悪い言い回しだ。そんな言葉を誰から教わったのかと驚けば、森の外も自由に飛び回れる風の妖精から教えてもらったのだとか。そのためバルカンには俺がどこの誰だか筒抜けらしい。
それなら話が早い、と俺が行方知らずになった後の、城の状況を教えて欲しいと頼み込んだ。風の妖精が言うには、俺はどこかの地域に視察に出ており、城を留守にしていることになっているのだとか。
もともと社交の場にはあまり参加しておらず、師匠の仕事を手伝うことが多いので、怪しまれることがないのだろう。幼い弟の状況も聞きたかったが、妖精は気まぐれな性格なので、心配しなくても大丈夫とだけ言い残し去ってしまったそうだ。
バルカンが風の妖精が人間のために、ここまで教えてくれるのは珍しいと感心していた。普段は一方的にぺちゃくちゃ好きなことを話し、気が済んだら去っていくのだとか。
師匠たちを信頼していたが、やはり心配だったので安心した。それからと言うもの、焦りがなくなったからか、前よりも魔力を形にできるようになってきた。
今の目標は、矢に魔力を込めて鉱石猪を一発で仕留められるようになることだ。
魔物の血がついた矢を回遊蚕のハンカチで拭き取る。鈍色に光る鋭い矢じりはメリッサから貰ったものだ。これは、もともとガジルのものだったらしい。そろそろ武器をどうにかしようと思っていたら、この中に使える物はないかと古びた布に包まれた金具を見せてくれた。その中に、この矢じりが幾つか混ざっていたのだ。
何度も試行錯誤を繰り返しイチイの木を削って弓柄を作ると、弦のかわりに大鯰ガエルの髭を張った。矢には三つ眼鳥の羽を使い、漸く武器を手に入れたのだ。弓や剣術にはそれなりに自信があったので、最近は一人で狩りに出かけることもしばしば。
今日はバルカンとペルーンが珍しく二匹だけで出かけると言うので、聖獣たちとは別行動だ。ちなみに、メリッサは家で留守番だ。回遊蚕で俺のシャツを作ってくれている。見てからのお楽しみだと言って、まだ一度も目にしていない。
まさか服まで作れるなんて驚きだ。薬も煎じることができるし、植物に対してもそうだが何をとっても知識が豊富。彼女の立ち振る舞いはとても優雅で、隠しきれない品の良さが滲み出ている。貴族なのではと感じる瞬間があるのだが、あんなに思い切りの良い令嬢は中々いない。
魔物を狩り血がついても動じず捌いて調理をするし、平民の生活にも詳しいときた。彼女を知れば知るほど、謎が深まるばかりだ。
いつかメリッサの口から教えてもらえる日はくるだろうか。少なくとも、俺は自分の正体を明かした時、どうか折角縮めた距離が離れてしまわないよう願うばかりだ。
離れてしまっても何度だって縮めてみせるし、手放すつもりもない。けれど意気地なしのチキン野郎の俺はまだ心の準備ができないでいる。
はぁ、と一つ溜息を吐いているとよく知った声が風に乗って微かに聞こえた。
聖獣たちの声だ。ここからそう遠くない場所にいるらしい。血抜きをするため、川に行こうと思っていたが、その前に顔を出すかと魔物を担ぐ。
そう言えば、今朝も二匹で何処に行くのか聞いたらはぐらかされた。コソコソと消えて行く聖獣たちに少し怪しいなと思っていたところだ。
気配を消して近づこう。バルカンにはばれてしまうかもしれないが、運が良ければ見つからないだろう。
『チビ! そうではないっ! あ~、またやり直しではないか』
「グナァー!」
『我よりも上手いだと!? ふん、どこがだ。お前のもシワシワではないか』
二匹がこちらに背を向けて、何から地面を触っている。いつまで経っても言い合いをして、何をしているのか分からない。魔物の血抜きもしたいし、そろそろ様子を見守るのは止めよう。
「何やってるんだ?」
言い合いに夢中で気づかなかったのか、二匹が俺の声にびくりと毛を逆立てた。ちらりとこちらを振り返り、もぞもぞと何かを隠そうとしている。
「何がシワシワでやり直すんだ?」
『なな、何でもない!』
「クナ!」
尻の下に何かを隠したバルカンが目を泳がせる。ペルーンがついっと視線を逸らした先には、俺の作った小さな籠があった。そこには色とりどりの花が入っている。
「ペルーン、この花がどうかしたのか?」
「ナゥンッ!?」
『あぁ、こらチビ!』
籠を隠そうと慌てて立ち上がったバルカンの尻の下を覗き込めば、ぺしゃんこになった花が転がっていた。どうしてこれを必死に隠していたのか。
『あぁ、返せっ!』
「ナゥーン!」
止めようとする聖獣たちに狩った魔物を押し付け、押し花になったそれを見る。すると、花と花の茎同士をどうにか結ぼうとしていたような形跡があった。
「花を編んでたのか? なんで隠すんだ」
辛うじて一本だけ結べているそれを見つめ首をかしげる。すると、バルカンが観念したように、溜息をついた。
『花冠を作っておったのだ』
メリッサにサマーパーティーで花冠をプレゼントする予定だったのだとか。その練習を二匹でしていたそうだ。カッチェス王国ではサマーパーティーで女性は花冠を被り、男性は花を胸に飾るらしい。ドライヴァ帝国にはない風習だ。
バルカン曰く、起源は身分違いの恋に悩む人間に、ある一匹の妖精が祝福として花冠と花のコサージュを贈ったのが始まりらしい。
『お前のコサージュはチビが隠しているその団子だ』
「グナ!」
ペルーンの後ろに、もみくちゃになった花の塊があった。まさか自分の分まで用意してくれるなんて。小さな前脚で頑張る姿が目に浮かぶ。その気持ちだけで十分嬉しい。
「頑張って作ってくれたんだな。ありがとう、嬉しいよ」
「ナァ~ン」
ペルーンを抱き上げ、労わるように小さな前脚を優しく撫でる。すると嬉しそうに首筋にしがみついてきた。
「バルカンもありがとな」
『ふん、知ったからにはお前も手伝え』
「ああ、勿論。ぜひ参加させてくれ! バルカンたちが摘んできた花を俺が編もう」
その言葉に気の早いペルーンが腕の中から飛び降りる。そして籠を咥えて新たな花を摘みに駆け出した。
「ペルーン、魔物の血抜きをしたいから川に集合だぞー!」
「クナァーンッ!」
ペルーンが遠ざかりながら返事をかえす。一瞬にして見えなくなった小さな聖獣に苦笑いを浮かべた。
『まったく、チビの奴ちゃんと聞いておるのか怪しいな。それより……』
「バルカン、どうした?」
『……いや、何でもない』
あきれ顔でペルーンを見送っていたバルカンが、不意に茂みの奥を見つめ目を眇めた。魔物だろうか。弓矢に手を伸ばしたところで、バルカンが興味をなくしたようにそこから視線を逸らしたのだった。
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