持論:そのキャラの見せ場を作れ
疑問:キャラクターを立たせる使い方は?(三回目)
好きな映画を思い浮かべてください。
そう問われて、脳裏にどんな映像が再生されたでしょうか?
きっとその映画の、一番印象深いシーンが思い浮かんだのではなかと思います。
『タイタニック』ならば、船の舳先でレオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットが手を広げているシーンでしょうか?
『E.T.』ならば、ヘンリー・トーマスとETが指先を合わせるシーンでしょうか?
『ローマの休日』ならば、オードリー・ヘプバーンとグレゴリー・ペックの別れのシーンでしょうか?
『マトリックス』ならば、キアヌ・リーブスの銃弾のけぞり回避シーンでしょうか?
小説の進展は、シーンの積み重ねです。
起床後の家でのシーン、学校でのシーン、放課後のシーン、といった具合に重ねられています。
当然です。聞けば当たり前のように感じると思います。
ですが物語を作っている時、ほとんどの作者さんはそう思っていないはずです。
焼き鳥を思い出してください。
串を打っていることに疑問を覚えたことがありますか?
飲み会で焼き鳥を注文すると、串から外して多人数でわけて食べませんか?
串は必要ないようにも思えます。だけどなんとなく『これはそういう物だ』という認識で、疑問を感じていないのではないでしょうか。
鶏肉やネギを物語のシーン、串を打つのをストーリーだと考えると、これと似ています。
短編集は皿に盛られた状態です。個々の食材 (シーン)を食べる(読む)のが目的であり、全体をストーリーで串刺しする必要は全くない。
長編小説の場合だと、食べ歩きの状態です。一貫したストーリーが突き刺さっていないと食べにくい(理解しにくい)だけの話です。
鶏肉やネギ(シーン)が大事であって、串は絶対必要条件ではないのです。
対して作り手の側からすると、串を打つのが当然です。
焼き鳥だって職人からすると、ただ串を刺しているだけではありません。あのやり方で一番おいしい味を提供するために研究しているのです。フライパンや網で焼くこともできますが、そもそもそれは別の料理であって焼き鳥ではない。
多くの作家さんは、串 (ストーリー)ありきで料理 (物語)を作っているはずです。
よく小説の書き方を教えている文章を見ると、『読者を意識しろ』という内容が書かれています。
これがそのひとつ(全部ではない)と、自分は考えています。
だから作家さんが意図したことが、読者さんには伝わらないなんて事はいつも起こります。力を込めて書いた部分は評価されず、気を抜いた文章が逆に評価されたり、なんてことも。
同じ作品を見ても、作者と読者では捉え方が違います。もちろん作家と同じ見方で考える人もいますが、多くの人はそうではないです。
そもそも日常的な会話シーンだけで成り立つ四コママンガがアニメ化されたり、そういう小説もあり、最近ではストーリーの重要性にも疑問符がつきつつあるのですから。
そして『どうするか?』という話になりますが。
作家の性として、シーンを数珠繋ぎにする、ストーリーありきで物語を作るのは仕方なく、変えるのは不可能です。
だからそのひとつでも、キャラクターを魅せる力の入ったドラマティックなシーンにできないでしょうか。『このキャラクターの魅力はここに詰まっている』と自信を持って言えるような。
主人公の見せ場は、多くの作者さんが考えて書いているでしょう。しかし他のキャラクターまでは考えてる人は、少数ではないかと思います。
作者の目と読者の目は違うと認識すること。
そこにキャラを魅力的に見せる――ひいては受ける物語を作ることに、ヒントがあるように感じます。




