51 思い
エルウッド公爵は様々な書類にサインをした。それらはシェリルたちが持ち込んだ書類であり、王族の決めごとに関する協力に関することや、爵位をヴィクターに譲ること、騎士団長の権利も手放して隠居生活を送ることなど多岐にわたる。
彼は、怯え切って汁という汁を体から排出し酔いもさめて疲れ切っていた。
この方法がクライドがやろうとしていた実力行使よりも穏便に済ませられているかは正直、わからないことではあった。
けれども、魔獣の恐ろしさや、それに加えてシェリルたちにたいする復讐心すら抱けないほどに心を折ることができたと思う。
それは収穫と言っていいだろう。
「ヴィクター、確認してくれ」
「ああ」
クライドとヴィクターは二人で彼に何かできるような隙がないかを確認し、あとは王族に話を通して正式に契約魔法で縛ってしまえば、抵抗をする余地はなくなるだろう。
「……どうして、私が……こんな目に、先代だって、その前だって……ずっと同じようにやってきたじゃないか……この忌々しい…………」
そんな息子たちに対してエルウッド公爵は精も根も尽き果てて、ぶつぶつと文句を言うだけの人間に成り下がっていた。
そんな彼に対してクライドは何か追い打ちをかけるようなことを言うつもりはないらしく、淡々と作業を進めて、日が落ち切ったころにやっと終わった。
帰るために部屋を出るときもエルウッド公爵とクライドはなにも言葉を交わさずヴィクターだけが見送りに出てきた。
騎士団本部の廊下を歩く。来た時と同様に団員たちは避けていったが、叫び声やら騒動が聞こえていたのか、その瞳は好機というより脅えが含まれていた。
「じゃあ、ここで」
「ああ、突然おしかけて悪かった」
別れ際にクライドは非礼を詫びて、ヴィクターはそんな彼を見て首を振る。
「突然ではあったし、もちろん君のスタンスは相変わらずで私はおもうところもないわけじゃない。……それに女性にこんなことをさせて、ウィルトン伯爵。申し訳ない、身内の話に巻き込んでしまって」
シェリルに視線を移して、チラリと魔獣を確認する様子に彼もそれなりに魔獣に対して脅えがあるように見受けられた。
しかし申し訳ないと思っている言葉は事実らしく、シェリルの様子をうかがっていた。
「いいえ。お気になさらないでください。ヴィクター様」
「ありがとう。ただ、本当なら私たちで解決するべき問題だったんだ。クライド。私たちというか……跡取りである私が」
「……そうだな」
「突然、精霊の守護像が壊されるなんてまったくの予想外だった。でもいつかはこんな日が来るかもしれない。そうは思っていたんだ。だからこそゆっくりとでも君と変えていけたらと思っていた」
彼は気落ちした様子で、自分の思いを語る。
「ただ、その手段では間に合わない事態だった。その時に私自身動けなかった。できることが思い浮かばなかった。手を貸してくれてとても助かったと思っている」
「手を貸したつもりはない。それに君だけが背負うべきことでもなかっただろ。俺も頑固だったと今なら……思う。一応は」
「そうか。もっとしっかり君と話し合う時間を設けておくべきだったな。……これからは、今まで集めていた父上の横領の証拠や、騎士団の腐敗具合を王族にきちんと報告して、そうならないような仕組みづくりをできるように掛け合いたいと思う」
そう言ってヴィクターはクライドに手を差し出した。
シェリルとしては、彼がどんな人間でこれから権利を譲渡するのが彼で本当に大丈夫かという思いもあったけれど、その心配はあまりしなくてよさそうだ。
「これからは……協力していきたい。クライド。よろしく頼む」
彼の言葉にクライドはおずおずと手を差し出して、彼らはとてもぎこちなく握手をして、シェリルともヴィクターは握手をして馬車に乗り込む。
目的のためにできるだけ穏便な道を選んでいただけで、ヴィクター自身もクライドと同じ気持ちを持っていた。それを知ることができてシェリルはなんだか嬉しく思う。
騎士団での話を聞いているとクライドは孤立していて、彼はそれを悲観的には思っていない様子だったけれど、どんな場所でも一人ぼっちで思い悩むというのはとても寂しいことだ。
一人でも二人でも、手を取りあえる人がいるというのは救いになる。
クライドにとっては重要なことではないかもしれないけれど、それでもこれからはクライドの話の中でヴィクターのことを聞けることを楽しみに帰宅したのだった。




