50 無様
騎士団長室の中にいたのは、エルウッド公爵と、クライドの兄であるヴィクター、それから公爵と似たような体型をした騎士団員たちだった。
中に入るとふわりとお酒の匂いがして、テーブルの上にはワイングラスが置かれていた。
彼らは談笑をやめてこちらを見やり、そしてエルウッド公爵はすぐにテーブルを拳でたたきつけてクライドを指さす。
「っ! また先触れもなく……よくもノコノコとやってこられたものだな、この親不孝者め! 私がどれほどあの場で恥をかいたか、話をしていたところなんだ。まったく厄介なことをしてくれたな! 頭を床にこすりつけて謝罪をしても私は絶対に許さんぞ!」
「おお、その通りですな! 公爵閣下」
「まったく、最近の若者と……きたら?」
エルウッド公爵はすぐに怒りのスイッチが入ったらしくクライドに対して辛辣な言葉をぶつける。
あんなに重要な会議の後にやることがこんなこととは、本当に彼はまともにこの国の未来を考えていないらしい。
彼に続いてクライドを罵ろうとした赤ら顔の騎士たちは、隣にいるシェリルのことに気がついて、その腕に抱かれている獣へと視線を落とした。
「なんだ、其方は……何故そのような獣など連れている」
「獣? ……ああ、先程、話しただろう、会議でも偉そうに精霊様がどうのこうのと知識をひけらかしていたウィルトン伯爵という小娘だ」
「ごきげんよう。お義父さま」
「ハッ、私はお前らのことを息子夫婦などとは思ってない!」
エルウッド公爵は大きな声でそう口にして、周りの騎士たちは笑い声をあげる。
そんな様子に、ヴィクターは困り顔でそそくさとこちらにやってきて、シェリルとクライドに声をかけた。
「まぁ、父上。クライドも言い過ぎたと考えて、誠意をもって妻と話し合いのために訪れたのかもしれないのだから、そのくらいで」
「そんなわけがあるか! そいつは本当に昔から悪魔のような子供だった。いうことを聞かず、私がどれだけ苦労したか」
「同情いたします、騎士団長殿」
「そうですぞ、わしは公爵閣下の味方だ」
エルウッド公爵は仲間内で慰められて、さらに続けてクライドの悪口を言う。ヴィクターはそんな彼らの会話には入らずに声を潜めて問いかけた。
「それで? なにをしに来たのか簡潔に言って欲しい、今は父上も荒れていてウィルトン伯爵ともまともに話し合いができるような状態じゃない。悪いけれど後日にする方が━━━━」
苦々しい表情で言う彼を気にせずに、シェリルはゆっくりと獣を降ろして、クライドに視線を送る。
彼も頷いて、はっはっはっと短い呼吸を繰り返す獣は、うろうろとしながらシェリルたちから離れていく。
「え? ……どういうこと、で、って言うかあれはなに」
「魔獣だが?」
「は? なぜ?」
「……」
「……」
たっぷりと長いリードはするするとたるみなくなくなっていき、魔獣はテーブルの上に置いてあるチーズに狙いを定めて、タッタカと駆けていく。
ヴィクターの質問に、クライドはシェリルに視線を送った。
しかし今日の主役はクライドなのだ、シェリルは舞台装置に過ぎないし、クライドの側だって長年募った思いというものがあるだろう。
それを発散するときだ笑みを浮かべて示した。
けれどもクライドがヴィクターにその種明かしをする前に「ごぎゃぁあ!!」というなんとも情けない悲鳴が響いた。
先ほどまで可愛い顔をして抱かれていた獣は、歯茎をむき出しにして、風の魔法を操り机を滅茶苦茶にしている。
部屋の中には突風が吹き荒れて、獣の唸る声が響く。
一番魔獣の近くにいた騎士は服を切り裂かれて、その迫力にただぶるぶると震えて顔を青ざめさせていた。
「ば、ばば、ぶぁかな!! ま、魔獣だと!? なにがどうなってっ、くるな! 来るんじゃない!! おい、守れ! 私を守れこのぉ!!」
魔獣が大きく吠えると、騎士たちは途端に飛び上がらんばかりに驚いて、みんなそれぞれの方向へとバタバタと逃げていく。
そして一番、緊急時における俊敏さを欠いていたのはエルウッド公爵だった。彼はソファーの上から転がり落ちたものの、迫りくる脅威に耐えられなく背を向け、赤子のように四つん這いで逃げ出そうと試みる。
「おおお、おい、おまえら! 私をまもれっ!! この、私を!!っおい!ひ、くるな、くるなぁ!!」
「ひいぃ、お助け下さい!」
「申し訳ございません!」
クライドのことを共に笑っていた彼らは、誰一人としてエルウッド公爵に手を貸さない。
そして状況の把握もできていない様子だった。まぁ、それも仕方がないことだろう。
彼らからすれば突然、犬らしきものを連れた身内がやってきて、文句を言っている合間に魔獣が襲ってきたのだから。
それにシェリルから見ても、先程まで腕の中にいた獣とはまったく別ものに見えるほど凶暴化していて、口からはだらだらと唾液が滴り、目の前の潤沢な魔力を持って肥え太った素晴らしい餌に魅力を感じてべろりと舌なめずりをしている。
……やっぱりああなると可愛げはないわね。捕まえると少しは愛らしいのに。
その獣に対してシェリルはなんだか惜しいような気持ちになったが、仕方がない。このために捕まえてきたのだから恐ろしげであればあるほどいいのだから。
魔獣はのっしのっしと腰が抜けて立てないエルウッド公爵の元へと向かっていく。
「ほ、ほあっ! あ、あ! た、たずげてくれ、ひ、ひぃいい!!」
うごめきながら前に進む彼に簡単に距離を詰める。そしてその鼻先をやっとエルウッド公爵に到達させてひくりと動かし、大きく前足を振り上げた。
「ぎゃぁああ!!」
「ち、父上っ」
振り返り、眼前に迫ったそれを見て、最後の悲鳴を上げるエルウッド公爵にヴィクターは咄嗟に手を伸ばしていた。
そしてクライドは、リードを強く引いた。
「きゃうんっ」
獣は突然のことに転倒して、それからシェリルは獣の元へと駆け寄って腕を通して腹を抱えて抱き上げた。
するとまた、獣は無害そうで純粋な瞳をシェリルに向けて、はっはっはっと短く息をして尻尾を振る。
……こうなると可愛いのだけれどね。
そう思ってゆっくりと頭を撫でてシェリルはクライドと入れ替わって扉の方へと向かった。
ヴィクターはそばに戻ってきたシェリルと魔獣を目を丸くして凝視していたので、シェリルは触ってみるかと少し差し出した。
しかし彼は驚いて飛び上がってからぶんぶんと首を振った。
……私のそばにいれば問題がないのだけれどね。
そう思いながらも、クライドに視線を戻す。
「はぁ、はっ、はっ、ああ、なぜ、なぜ私がこんな、めにぃ」
尋常ではないほど汗を垂らしながらエルウッド公爵は頭を抱えて、そうつぶやく。
そしてクライドは剣を抜いて、彼につきつけた。
「……エルウッド公爵」
荒い呼吸のまま彼はゆっくりとクライドを見上げる。それから剣を突きつけられていることに気がつき、小さな悲鳴を上げてクライドを見つめた。
しかしその動揺をすぐに隠して、彼は煽るように笑った。
「っ、ハハッ、なんだ私を殺す気か! そんなことをしてみろ、ヴィクターが黙っていない!」
「違うが、場合によってはそうすることも辞さない覚悟だというだけだ。……エルウッド公爵、お前はどう考えても魔獣に対して、まったく対抗できていなかった」
「だ、だからなんだ!」
「畜生ごときに負けるはずがないんだろう? たいしたことのない仕事のはずなんだろう? そのくせ君は今も無様にそこに転がっている」
「ふ、不意打ちで、こんなことをして、勝ったつもりか! 舐めおって!」
クライドの言葉にはまったくひるまずに、エルウッド公爵は、震える手をソファーにかけてやっとの思いで立ち上がる。そしてまたクライドに噛みつくように怒鳴った。
「そもそもお前が魔獣を引き込んだのだな! こんなことをしてただで済むと思うなよ! 必ずそれ相応の、いや地獄のような処罰を喰らわせてやる!!」
彼は汗みどろのまますっかり立ち直ってそうして、シェリルにも鋭い視線を向けた。
その様子に、シェリルはクライドを見た。すると彼は小さく頷いて、シェリルはまた獣から手を離した。
そして今度は食べ損ねた獲物に一直線に魔獣は向かっていく。
魔獣というものは、この国のどこにでもいることにはいる。けれど精霊の守護像によってその凶暴性を奪われて人々を今まで襲わなかった。
そして精霊の加護があるシェリルのことももちろん襲わない。
しかしその効果はその空間自体に発現するものらしく、輸入されてきた魔獣がどれもこれも怯えて、碌に攻撃もできずに殺されていたように、シェリルの周りでは魔獣は大人しくなる。
けれども離れるごとに凶暴になっていき、その本性を取り戻し、本来の姿になって人間を喰らおうと牙をむく。
「ぎゃぁああ!! 来るな!!」
そうしてまたエルウッド公爵は少々いたぶられて、悲鳴を上げた。
そんな時間が、割と長く続いて、それからやっと話し合いの場を設けることができたのだった。




