49 到着
シェリルは子犬のような生き物を抱えていた。
首輪をつけてその先のリードはクライドがしっかりと握っていて、捕らえるために協力をしたトバイアスは不可解そうにシェリルの腕の中を見つめている。
そんな状態で騎士団の本部の廊下をずかずかと歩いているのだから、そこにいた騎士団員もどういうことかと首をひねりつつ、そそくさと避けていく。
小柄な貴族女性が、犬のようなものを抱えているとなればそれはただの嗜好品の抱き犬であるだろうし、実際にとても大人しく腕の中に納まって尻尾を振ってべろんべろんとシェリルの腕を舐めまわしている。
ただ、なぜそんな無害そうな生き物の首輪をクライドが握っていて、犬らしきものに軽蔑的な視線を送っているのかという疑問もあるし、その犬らしきものの目はザクロの果実のように真っ赤だ。
その瞳はもはや騎士団員全員のトラウマと言っても過言ではない、あの魔獣の瞳に見える。
しかし、魔獣はそれほどまでに大人しく人に懐くような生き物でなんかではない。
もっと凶暴で、もっと狡猾で、人間を喰らうことだけを考えて牙や爪や魔法で襲いかかってくる恐ろしい化け物だ。
こんな生き物であるはずがない。そう考えるとシェリルが抱いている生き物はやっぱり抱き犬であり、一番気にすべき点は騎士団本部に部外者がいることだろう、と多くの人が結論づけた。
シェリルはそんな彼らの混乱など露知らず、魔力を込めてその生物の頭を撫でていた。
吟味してやっと捕まえたのだ。この生き物にはなんとしても役に立ってもらわなければ困る。
少しばかりやりすぎるぐらいでいいから、存分にその力を発揮してほしいと願いながら魔力を込めた。
幸い野生の生き物であるけれど、その毛皮は魔力を帯びてつややかで、少し獣っぽい匂いがするだけでさして不潔でもない。それはとても幸運なことだろう。
上階に上がるための階段の前には、とても腕の立ちそうな騎士が二人、門番のように立っていて、二人ともシェリルの腕の中に視線を集める。
「父に呼ばれている、通ってもかまわないな」
強そうな彼らもクライドには強く出ることができない様子で、片方の騎士は、歯切れが悪いながらも道を開ける。
しかしもう片方の騎士は強張った表情で問いかけた。
「いや、危険物の持ち込みは禁止されている。それに……その瞳は……」
「これは父にとって必要なものだ。わかってくれるだろう?」
クライドはまっすぐに騎士を見ながらそう返す。その言葉の意味を察しろと命令するかのように眼光は鋭く、騎士は少しの逡巡ののち「見なかったことにしよう」と視線を逸らして言う。
その言葉が面倒事に巻き込まれたくないが故の見て見ぬふりだったのか、それとも、クライドと同じように騎士団長にはそれが必要だと判断したからかはわからない。
「じゃあ、俺はここでね。後は頑張って、クライド、シェリルさん」
階段を登ろうとするとトバイアスがそう言って、シェリルは最後まで同行するものだと思い込んでいたので驚いて振り返る。
「ああ、行ってくる。君もあまり無茶をしないでくれ」
「無茶なんか、したことないよ。クライド」
「どうだか」
「じゃあね」
手を振る彼に、同じく手を振って返し、それから足を進める。
トバイアスは無茶はしないと言っていたけれど、彼の顔や手についていたいくつかの傷跡はここ二、三日のうちにできたもので、乱暴に水の魔法で癒したせいで後になってしまったと言っていた。
そんな彼の言葉が信用ならないクライドの気持ちには納得がいく。
そしてそれに比べてクライドは、傷の一つも見当たらないかすり傷だってないような状態だ。
そんなふうにまったく傷がない人間というのは今の騎士団では珍しく、魔獣との戦闘をしていない人間か、クライドぐらいなものだ。
シェリル自身、クライドに対してはなんだか立派で、毎日訓練していて体も大きく魔法も炎の属性を持っていてとても強い人だと思っていたが、まさかそれほどまでの力を持っているとは思いもよらなかった。
……でも強いからこそ周りが弱く見えて、簡単に傷つくから心配性になったのかしら。
だとしたらクライドが少しかわいそうで、シェリルもこれが終わったら体を鍛えるのもいいかもしれないと思う。
この生き物を捕まえるために森に入った時、足元がおぼつかづに何度か転びそうになったのだ。そのたびにクライドに心配されて大変だった。彼を安心させるためにも肉体的に強くなるのはいい案だろう。
そんなことを考えていると、あっという間に、騎士団長室らしき少し豪華な扉のついた部屋へと到着する。
そしてクライドは扉を押し開いた。




