42 獣
交代の騎士たちに現場を任せて、クライドたちは騎士団の本部に戻ることができた。
負傷した騎士は診療所へと送られ、情報共有をしている団員であわただしい光景だった。
その中を、クライドはずんずんと進んでいき、上階へと上がる階段の前に来る。
そこには多少なりとも訓練をしていたまともな人材が使われていて、上階へと至る階段を封鎖している。
「父に呼ばれている、通って構わないな」
クライドがそういうだけで彼らは歯切れのよい返事をし「問題ありません」と続ける。
クライドのその言葉は、まったくのデタラメだったが、彼らはそれを証明する手立てを持っていない。
そのうえ血のつながりがあるクライドがそう言ったという事実だけで騎士団長の元へと向かうことを許すのに十分な材料だったのだと思う。
階段を上って、廊下を進む。そこは静かでまるで魔獣の襲撃など起っていないかのようにいつもと変わらない。
突き当り奥の騎士団長の部屋につくと、ノックもせずにクライドは扉を開いて勝手に入った。
「! ……なんだ、ノックもせずに無礼な。それにしても久しぶりに顔を見せたと思ったらなんと汚らしい」
「……本当だ、いくら身内と言えど最低限の礼儀は必要じゃないか、クライド」
クライドの行動に父であるエルウッド公爵は目くじらを立てて怒り、兄のヴィクターは怪訝な顔つきで苦言を呈する。
彼らはなにやら仕事の最中であるらしく、机の上には書類があり珍しいこともあるものだとクライドは考えた。
エルウッド公爵の普段といえば、その巨大な腹の肉を蓄えるために日がなアルコールと食事に手をつけて、騎士団のお気に入り連中を誘ってボードゲームに興じているのが通常である。
しかし今日ばかりは酔っぱらうこともなくまともに机に座ってヴィクターと仕事をしているのだから、少しはこの状況に彼自身も危機感を覚えて変化を望んでいるのかとクライドはポジティブに捉えた。
「そんなことはわかっているが、今はそんなことを気にしている暇はない、現に下の連中は皆こんな調子だし」
「……」
血まみれなんて仕方がないことで、傷を負っていないだけクライドはましである。
分かるだろうと訴えかけるように言ったが、ヴィクターはなんの反応も示さずに、エルウッド公爵はそんな言葉を鼻で笑った。
「ハッ、そんなことなど知ったことか! 汚らしい格好でいる方が悪いだろう。それで、お前がここに来た理由はなんだ? 手短にしてくれ私は忙しいんだ」
そしてせかすようにクライドがここに来た理由を聞いた。言い方も態度もまったくもって現場で血を流している人間に対する敬意は感じない。
それでも彼がまともに仕事をしていて、忙しく思っているのは、対処するべき事態があるということで、少しでもそのことを考えてくれているのならば現場に出てきたクライドの情報も役立つ可能性がある。
なにより、今の騎士団の対応では多くの人員を消耗していくだけだ。
ただ戦力が劣っている人間を無駄に配備して時間を稼いで消費していくだけの状態になっている。
それを少しでも変えるために、作戦を立てて組織的に動く必要がある。それを訴えるためにここに来たのだ。
エルウッド公爵とは昔からそりが合わずに、幼いころから積年の恨みがあるが、それでも傷を負ったトバイアスのことを思うとその恨みも堪えることができる。
「俺がここに来たのは、魔獣の動きに合わせた戦術の提案をするためだ。今のままでは相手に翻弄され、ただただ戦力を消費するしかない状況にある、だからこそ━━━━」
「なんだと? ハハハッ! 聞いたかヴィクター、お前もそんなことを言うのか! まったくあんなに当てつけのように鍛えていたのに、まるで意味もなかったのだな」
「ええ、父上」
クライドは、言葉に気をつけてできる限り穏便になるように、提案をしようとした。
しかしエルウッド公爵は軽快に笑いだし、ヴィクターはその従者のように深く頷いて返す。
そして彼は勝ち誇ったような顔をして机をバンバンと叩いて笑う。
「ハハハッ、いくらなんでも家畜小屋にいる畜生に手間取って、傷を負うわけがなかろう? それともお前らはなんだ、家畜の屠殺人よりも弱いということか? え?」
煽るように言われ、クライドは青筋を立てて、剣に手を伸ばしそうになった。
「そんな理由で私の財産を使おうなどとは、まったく間抜けたことを言いおる。武器や装備の追加? これ以上の増員? 一体誰の金だと思っているんだ! 図々しい! 畜生ぐらいなまくら一本で十分だろう!」
「……」
「魔獣だなんだと言ったってたいしたものじゃない、私はこの目で、魔獣を見たことがあるんだぞ! お前も知っているだろう、あの馬上槍試合を行っていた貴族はたしかに魔獣を輸入していた!」
彼は当たり前のことを教えてやるかのように、クライドに話しかける。
「あんなものは畜生と同じだ、我々が手間取るようなたいした生き物じゃあない。そんなことに私の財産を使わせようだなんて、言語道断だ、私は騙されないぞ!」
「ならなぜ、この部屋につながる道を守るように騎士を配置した」
エルウッド公爵の言葉に、クライドは頭に血が上りながらも指摘をした。
その言葉に彼は表情を険しくして、クライドを睨む。
「外を見てみろ、負傷している者ばかりだ。彼らの声を聴いてみろ、ひとくくりに魔獣と言っても程度が違うだろう、なぜ、そんなこともわからない」
「それが、上司に物を言う態度か! まったくけしからん、どうしてこうお前とヴィクターは違うんだ。お前が何か私に恩を返したことがあったか? そうしてたてつくばかりで、いい加減にしてくれ」
エルウッド公爵の言葉は簡単に論破することができる、しかし彼にはそもそも話が通じない。
騎士団の予算を私物化し、それを使うことを拒絶して、自分に都合のいい人間だけをそばに置いて、彼の間違いを指摘する人間にたいしては話のできない獣に成り下がる。
彼のこういう部分をどうしても許すことができずに、今までもこうして話し合いは破綻してきた。
だからこそ騎士団という団体に所属していながら勝手な行動をとり、一人でもやってきた。
しかしここにきてそれでは対応ができない事態に陥り、さらには彼はまったく変わる気がない。
そんな様子に、その首を落としてのに捨て置こうかと考え、いよいよ剣に手を伸ばす。
「まぁ、そのあたりで。実際に被害は出ているのだから、ここは父上の寛大さを示すところでは? それに害獣駆除に対する必要経費を払う程度の体裁は整えた方がいいかと」
「む、なんだ、ヴィクターよ。お前までそんなことを……まぁ、たしかに体裁は整えるべきではあるがな。はぁ、それにしてもこいつのように思いあがった言動をする人間が出ないように引き締めておかなければ」
「そうですね。父上、君も、早く帰って身なりを整えた方がいい、今のままではまるで蛮族か野党のようだ」
ヴィクターは見計らったかのように、エルウッド公爵に提案し、その提案もすんなりとはいかなくとも通る。
しかしそんな程度の譲歩では、まるで意味はない。
この国は大きく変わった。それなのにこのままでいられるわけがない。
しかし今のクライドがこのままそれを主張したところで、せっかく決まった譲歩案も台無しになってしまう可能性がある。
そしてヴィクターもクライドがそれ以上何かをいうことを望んでいない。
彼の言葉のとおりにこのまま去るのは、納得がいかない気持ちもあった。しかし、一刻も早くシェリルの元に向かいたい気持ちは事実だった。
拳を握り口を閉ざし、クライドはそのまま騎士団室を後にしたのだった。




