33 役割
女性と男性にはそれぞれ役割があり、二人が生まれたままの姿で抱き合って愛を伝え合うそれが、夫婦にとって最終的な終着点なのだそうだ。
だから抱擁をするだけ、キスをするだけで夫婦関係というものは成立するわけではなく、それ以上の行為を持ってして夫婦の営みとする。
そしてそれほど、深くシェリルのことを知って、もしくは暴き立ててその終着点に至りたいという欲望はクライドの中にあるらしい。
キスや抱擁はそれを連想させる行為であるため純粋な好意からくる行動だと受け止めるのが難しく、彼はああしてまごまごとしていた……ということをこの間心底丁寧にクライドから説明を受けた。
説明を受けた直後にはそんなまさかと思ったが彼は真剣らしく、よくよく考えるとキスをしただけで子供を授かって、二人ではぐくんでいくというのは違和感があるし、真実なのだろう最終的に判断した。
けれどもそうなると、いつかは彼とそんなことをする未来が来るというわけで、そう思うとクライドを見るとどうしたらいいのか少し戸惑うような気持ちが生まれて、気軽に抱き着くこともはばかられた。
それが最大の親愛を示す行為だと思っていたからこそ、そうしていたけれどそれ以上先があって、彼もその先を望んでいると思うと自分の中でも意味が違ってきた。
そうして実感してしまって彼のその衣類の中には、シェリル自身と同じように血の通った肉体があって、普段人が触れることがないような場所を……例えばお腹とかを触るような関係性であると思えば妙に心拍数が早くなって緊張してしまう。
「……」
それでもこうして二人で過ごして、そばにいると隣にいる彼が気になって、シェリルは本から少し顔をあげて、ちらりとクライドを見た。
すると声をかける前に彼はシェリルの視線に気がついて首をかしげて、こちらを見る。
ふとした瞬間だったので、いつもの不機嫌な表情は浮かんでおらず、少し微笑んでいるように見えるのも、嬉しくてそっと手を伸ばす。
指先が触れ合って、もっとたくさんいろいろな場所に、望めば触れることができると思うと、その手の感触すらいつもとは違う。
しっとりしていて柔らかくて彼のほうがシェリルよりも体温が高い。
シェリルと違って目立つ指の節に、固い掌の皮膚。ほかにはどんな違いがあるのだろう。
「……シェリル」
小さく名前を呼ばれて彼はなにかシェリルに指摘しようとしている様子だったが、少し考えてそれから、なにもいわずに少し照れているように頬を染めて、ぎゅっと手を握ったり少し離したりした。
その二人の間にある空気ややり取りが妙に甘酸っぱくて、そわそわしてそのうち慣れるだろうかと疑問に思いながら、つないだ手の指先でクライドの手の甲を撫でた。
それからなにか、彼と会話がしたくて口を開く。
しかし普段からこうしてともにいて、先ほどたくさん会話をした後だったので、話すことは思い浮かばず「クライド」と彼を呼んだだけで、その言葉に彼が反応するそぶりだけで満足してしまった。
……でも呼んだだけだなんて言えないもの。
なにか話題を探して、惰性で続ける言葉を吐こうとしたその時。
カラーン、カラーンと時間でもないのに鐘の音が大きく長く響く。
二人きりだった部屋にアシュリーが入ってきて、クライドも途端に鋭い目つきになり、立ち上がった。
「緊急事態の合図だな、それにしても悪天候というわけでも、関係が悪化している国があるとも聞いていないが……シェリル」
「ええ」
「不安だと思うが、君はできるだけ屋敷から出ずに安全な場所にいてくれ……本当なら、事態の全容がわかるまで君のそばを離れたくはないが」
そう言いつつ、クライドは再度座り直してシェリルの手を握り直し、不安げな表情をした。
その表情はこれから立ち向かうであろう緊急事態に対するものではなく、シェリルと離れることに対する気持ちから生まれているように見える。
シェリルは頭を切り替えて先ほどのドギマギしたような気持ちを忘れて、存在を主張するように彼の手を引いて体を寄せる。
「でもこういうときに動くために、あなたは日々努力しているのよね。早くいくべきだわ。私なら大丈夫。皆もいるもの」
「ああ、行ってくる」
「気をつけて」
「君もな」
シェリルが促すと彼は、深く頷いて頬にキスをして、それから名残惜しそうに抱きしめた。
それほどにシェリルのことを心配している様子はやっぱりなんだか過保護な気がして、そうはいっても大丈夫だろうと考える。
……だって一般の貴族が危険な目に遇わないように、あなた達のような人が守ってくれるのだから。私があなたよりも危険な目に合うことなどないし、きっと私は関わることすらないと思うもの。
なにかしらの災害や襲撃だったとしてもシェリルはその当事者になることはない。
だから、ここにいれば安心だ。
彼もそれをわかっているはずである。準備のために部屋から出ていくクライドに「行ってらっしゃい」と丁寧に言って、別れたのだった。




