21 王女
「改めて、わたくしはセルレアン王国第一王女、ハリエットですわ。アルバートお兄さまの婚約者として顔を合わせたことはあったけれどこうして話をするのは初めてね、ウィルトン伯爵」
「はい。一介の貴族である私のために、こういった場を設けていただけて光栄に思います」
「いえ。それにあまりかしこまらなくて結構ですわ。公式な仕事というわけでもないし、わたくしの相談内容も突飛なものだから。……先ほどは見苦しいところを見せてしまったわね」
苦々しい表情で言う彼女にシェリルはどう返したらいいのかわからなかった。
なにが真実かわからない上に、彼女とケアリーの間には膨大な時間とお互いに対する複雑すぎる様な思いがあるだろう。
それをハリエットがどう思っているのかもわからないし、シェリルが口を出すことではない。
ただ、どうであれ妹が困っているという事実はあって、彼女が困っているこの状況を打開する手伝いをするだけだ。
「いえ、少し驚きましたが、気にしません」
少し迷ってから適当な言葉を言って本来の目的に話をうつす。
「それよりも、ぜひハリエット王女殿下の言葉でお話を聞かせていただきたいです。セラフィーナが想定している形でかどうかは断言できませんがお役には立てると思います」
「本当? 考えがあるのね、本当によかったあなたに声をかけてもらって……」
シェリルが促すと、彼女は少し表情を明るくした。それから、片手に耳を持っていって、シェリルではなくその周りを不自然に見た。
それから少し安心したように笑みを浮かべて、語り始めた。
「わたくしが覚えている限りそれが始まったのは、初めて王国の中央教会に赴いた時だったわ。知っての通り我が国の教会は女神さまではなく、その女神さまの生みだした人間に恩恵を与える存在、精霊を祀る教会が主流ですわ」
「ええ、この国は古くから精霊の守護像によって魔獣の被害が抑えられていますから精霊信仰が厚いのですよね」
「その通り。そのときから、妙な音が聞こえ始めて、それは次第に誰かの声のような音になり、悪化していって言葉としてわたくしの耳に届くようになりましたの」
彼女の顔つきは真剣でとても嘘を言っているような雰囲気ではない。
「歴史の中で精霊の声を聖職者が聞き届けるという伝説があるのは知っているわよね。けれどそれだってはるか昔のことで、それは素晴らしいお告げを天啓のようにささやくという神秘的なものだった。でもわたくしの場合は違う」
「……違うと言いますと?」
「その声は酷く煩雑で、一つ一つを拾うことはできるけれどとても崇高なお告げではない、それに聞きすぎると酷く頭が痛くなってわたくしの体を蝕んでいる」
その苦痛を思いだしたかのように彼女は顔をゆがめて、苦しそうな表情をした。
彼女の指摘は正しく、精霊の声がそのような悪い影響を与えるということはとてもじゃないが信じられる話ではなく、それを主張することは神への冒涜とも言えることだろう。
だからこそケアリーはあんな言い方をしたのかもしれない。
それが悪魔のささやきではないかと。
「この妙な体質のせいで、公務のための領地への視察や、外交のすべを知るために両親に同行することもできず。王都内で済ませられて難しくもない週に一度の中央教会への訪問も……頭に響く声が多くなってきちんと終える前に体調を崩してしまう」
「……」
「教会との連携は大切なことだだけれど、たいしたことのない仕事で……退屈だからと、体調不良を主張して切り上げるように見えてしまってその姿は貴族たちからも反感を買っているわ」
「おつらいはずですのに、そんなふうに思われてしまうのですね」
「この国の王族なのだもの仕方がないわ。それに、幼いころに貴族たちの前で変な声が聞こえることを口走って以来、不思議王女なんて不名誉な通り名がついてしまって変わり者扱い」
自嘲するように彼女は笑って、気にしている部分を今でもそうして言われ続けることはつらいだろうと思う。
けれども貴族たちや周りの人間からすれば、こらえ性がなくて虚言癖がある変わり者の王女として映ってしまう。
それを打開するためには理由が必要だけれど、まさか精霊の声に苦しんでいるだなんて言えるわけもない。
「だから、藁にも縋る思いで、侍女のセラフィーナを頼ってあなたに声をかけてもらいましたの。もしかするとこれは本物の精霊様の思し召しかもしれないと思ったから」
「私の精霊の加護がついている魔法のことですね。セラフィーナから提案を受けた通り、今は多少であれば魔法を使うこともできます」
「ええ、あなたがあの役目から解放されて、そういう状態になったからこそ魔法を使える余地が生まれた。この白魔法でも治らないわたくしの精霊の声。あなたの魔法で治癒することができないかしら」
精霊の声と思われるものに苦しめられているからこそ、本物の精霊の加護を持つシェリルの魔法ならば、そう望みを見出すのは自然なことに思えた。
そしてアデレイドの件があってその日に偶然、加護のある魔法をシェリルが持っていることをセラフィーナが知ったこと。
これもなにかの導きであれば、必然であったのではないか。
そんなふうに考えたのかもしれない。
しかし、最後に彼女は付け加えるように言った。
「でも可笑しいわね。わたくしの聞こえる声もまたあなたを祝福しているような穏やかなものばかり、きっとこの声はわたくしがあなたの祝福を知っていたから作り出しているに過ぎないと思うけれど」
その言葉を聞いてシェリルは考えが確信に至った。そしてこれはどんな巡りあわせでどんな神の思し召しなのだろう。わからなかったけれどできることはやはりある。
ただそれを示すとしても彼女はどう思うのだろうか。
もしも、あの態度であっても心の底からハリエットが彼女のことを信頼し、正しいと思っていて彼女の心の安寧を望んでいるのならばシェリルはこの場でそれを伝えることにとどめるべきではないだろうか。
「そうでしょうか。……ハリエット王女殿下」
「きっとそうよ。わたくしは不出来な王女だわ。あのときに、初めて中央教会に訪れて精霊の守護像の話を聞いた時。……わたくしがたった一人でも犠牲になって訪れる平和ならば、喜びたくはないなんて罰当たりなことを思ってしまったから」
「王女殿下はお優しい方なんですね」
「でもそれで多くの民を苦しめるだけならば愚者と変わらないわ。優しさなんてとても言えない。だからケアリーの言葉も正しいんですの。あの人はわたくしの本当に昔からの従者ですのよ」
彼女の言葉に、ケアリーの主張の強い顔を思い出す。
思い出しただけで気おされるのだから、毎日あのスタンスでそばに居られれば心に相当ダメージを受けるような気がするが、ハリエットは懐かしんで優しい表情をした。
長年共にいると慣れてくるものなのだろう、シェリルにも覚えがある。
「小さなころからつらい言葉を投げかけられる時は多くあったわ。でも、その代わり忙しい母に代わってたくさんの時間を割いてくれた、愛情のある人だとわかっていますわ。今はただわたくしが、なにもできない王女だと言われてさげすまれているのが苦しいから……」
「ハリエット様……」
「でもきっと、わたくしがよくなれば彼女も昔のように穏やかになってくれる……そう信じていますわ、だからあの人は悪いわけではありませんのよ。今だってやりすぎてしまったときはきちんと謝ってわたくしのことをどう思っているのか伝えてくれるのだもの」
そう言って、彼女はまた不自然に自分の耳に手を持っていった。
その今まで腿に乗せていた手のひらが、横髪を耳にかけるときのようにシェリルの方を向いて、シェリルは驚いて体が少し揺れてしまった。
……青紫の、痣?
その言葉とケアリーが言っていた言葉がつながって、途端にうすら寒いものが背中を走り、ぞくりとした。
……信じているのね、でもきっと。
シェリルがケアリーから感じ取った本音はそんなものではない。
あれはそんな愛情の裏返しのような気持ちではなかったと思う。
しかし、それを言ったところでハリエットの方がずっと彼女との付き合いが長く、ハリエットの彼女を大切に思う気持ちは変わらないだろう。
「わかりました。できることはあると思います。けれど一度持ち帰らせてください」
「ええ、役目を終えてからそれほど立っていないし無理はしてほしくないわ。今日は来てくれてありがとうございますわ」
「もったいないお言葉です」
そうしてシェリルとハリエットの話し合いは終わり、シェリルは考え事をしながら王城を後にしたのだった。




