16 唯一
「ねえ、クライド。それでも私、お姉さまのことはまったくもって無駄なことばかり考えていて、私たちが釣り合わないなんてそんな言葉は戯言だとは思えないのよ」
彼の方を見ずに静かに語りだしたシェリルの言葉に、クライドはぱっとこちらを向いて、どういう意図かまったく理解できないという顔をしていた。
声に出さなくても彼が思っている心の声が理解できそうなその顔に、シェリルは少し笑って暗くなりすぎないように配慮しつつも続ける。
「あなたは女性にとって理想的な男性で、私は誰から見てもあなたにふさわしい女性じゃないもの」
「どうしてそう決めつける、俺はそんなふうに思っていないし、俺は君が……」
「ええ、その言葉をあの時聞いて……だから不思議に思ったから今こうして聞こうと思ったのよ。クライド」
シェリルは座ったまま彼を見上げる。
やっぱりどこからどう見ても顔が整っていて、誰もが魅力的に映るだろう。
「それに、クライドも私の体は無駄が足りないと言っていたし、今だって…………こうだし」
そう言って自分の胸から腹にかけて両手で触れて、すとんと手を移動させてアピールする。そのことを言っていた時があっただろう。彼だってそのことを気にしているだろうと思っていた。
追加で立ち上がって、お腹から下もストンとなっているのだとジェスチャーで表す。
「アデレイドお姉さまはそれに比べてとても魅力的で、美しくて、私たちは結婚をしているけれど男女の愛や恋やまた別ものなのだと……そう思っていた、あなたのあの言葉を聞くまで」
「っ、それは……」
「でも違うのよね。違ってでもやっぱり、この体は釣り合わないと思う気持ちもあって、だからどうしたらいいのかよくわからなくなっている自分自身もいて」
それに、親愛だろうと判断していたのは、シェリルがそれ以外など知らないからだ。
今まで男性に恋慕を抱いたことなどない、そんな暇はなかったし、クライドに対する気持ちがそれだと断言することなどできない。
だからともかく困っている。
どうしたらいいのかわからない。
「……難しいわ」
それ以上言葉が出てこなくなってシェリルは立ったままクライドに視線を向けた。
彼もまた困り果てている様子で、眉間にしわを寄せて難しい顔をして目が合うことはない。
しかし長考してやっと彼はシェリルの方を向いて、おもむろにその手を引いた。
「っ」
引かれてそのまま膝の上に乗り上げるような形で彼の上に座ってしまい、腕を取られたまま間近で彼は言った。
「ただ俺は、言葉を選ばずにいうと、君の体が心配でそう言っただけに過ぎない。足りないのは君の体力で、贅肉というのはクッションにもなるしなにかあった時にエネルギーとして使われるものだしっ」
「……」
「だからそれがない状態で、もし酷い風邪でも引いて栄養を取れなくなったら、なにか怪我をするような事故にあったら、シェリルがいなくなってしまうんじゃないかって心配だったからそう言っただけに過ぎない!」
早口でまくし立てるように言う彼の言葉は必死で、彼が言っていた足りないものの意味がやっと分かった。
……健康面での心配……だったのね。体が貧相だとかそういうことではなく。
「それに、この際だから言うが、君はまったくもって健康じゃない。普通の女性はこんなに軽くない。もっと食べて療養して運動して期間を置いてやっと君はその時に健康になる。今からだってある程度肉付きが良くなるはずだ。俺はその時が待ち遠しくて仕方ない」
「……でも育ち盛りではないもの、大人になるといくら食べても太らないと先代の手記にも書いてあったのよ」
「それは常に魔力を奉納しているからであって、そういう体質ではないんだ」
「じゃあ、これ以上健康になることは私にもあり得るということ? もう成人しているのに?」
「そうだそうでなければ困る、俺が困る。君は……どこか他人に対しても自分に対しても鈍い、そのせいか変な魔法を使っても平然としていて、ざっくりとした説明しかせずに王子をはめたりする!」
彼の言葉にシェリルはそうだったかと疑問に思うが、彼が言うのならばそうなのかもしれないと思う。
なんというかああして、ずっとウォルフォード伯爵邸に居たので普通の人となにかがずれているということは大いにあり得るだろう。
「ごめんなさい、クライド、世間知らずで」
「謝罪をしてほしいんじゃない、それにそれは君の個性でいいじゃないか、世間なんて知ったっていいことがあるわけじゃない。俺はそう思う」
「そうかしら」
「ああ、でもだからこそ俺は、君がそのままその危険な状態のままどこかに行くのが不安で仕方がない」
クライドはシェリルの頬に手を添えて、鋭い視線がまっすぐに射貫いてくる。
「できることならずっと屋敷にいて、俺以外がいない場所でずっと君を守れたらと思ってしまう、んだ……そのぐらい君が好きだ。君に惹かれて、君の苦悩を取り払いたいと思った。けれど、どこへでも自由に行って幸福になってほしいとかそんな気持ちじゃない」
その吐き出される気持ちに、クライドの方こそ山ほどの感情を抱えていたのだなと思う。
彼は苦しそうで、シェリルが抱え得ていた葛藤以上のものを持っていてその瞳は独占欲に揺れていた。
「俺のものであってほしい、俺のそばで幸せになってほしいし誰にも傷つけられたくない、そういうつもりだった今までずっと。重いか? でも大切なんだ」
絞り出すような声で言われて、たしかにそれはエゴイスティックな感情だと思う。けれどシェリルは不思議と嫌ではなくて、聞いてみた。
「そういう感情が、やっぱり恋愛的なものなのかしら」
「そんなものはわからない。俺はそういう意味で君を愛しているだけだ。だから君もそういうつもりで愛されていてほしいというか……」
「ふふっ、そこは私もそういうつもりで愛するべきだと言われる所だと思ったのだけれど」
「それは、わからないだろ。人それぞれで、でもお互いに唯一ではあるべきだと思う。俺は君しか見ない」
「……私もと言いたいわ」
彼の真剣な言葉にシェリルは、まっすぐに返せなかった。
なぜなら他に見るべきと思う人がいないだけで、多くを知らないだけで、それでは彼を唯一だなんて簡単には言えなくて、今は嘘を言いたくなくてそう言った。
しかしすると彼は、目を見開いて「誰か大切に想う人がほかにも?」ととても人相の悪い顔で言った。
その顔にシェリルは少し笑って、違うのだと示す。
「違うわ。私はあなただけだと断言できるような経験も、あなたにもそう思って欲しいと思えるような強い感情は持っていなくて、嘘は言いたくなかったから……。でもそう当たり前に言うような……関係になりたい、クライドと同じになりたい」
「……そうか、じゃあ俺も惚れられるように、いいところを見せないと」
「普段からもかっこいいとは思っているわよ」
ぎこちないながらも笑みを浮かべて見せる彼に、シェリルは思っていることを素直に言った。
すると、意外に思ったのか目を見開いて「そ、そうか」と少し照れて頬を染める。その反応はあまりにも嬉しそうで、言ったシェリルも少し照れてしまったのだった。




