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第7話 宅配便

 仙堂せんどうたけるが二度目の見舞いにやってきた二日後、病院から瑠理香の退院許可が下りた。

 院長が直々に病室を訪れて、定期的に通院すれば自宅での静養で十分であると説明を受けたのだ。

 鴻上こうがみ親子は一目ひとめで親子とわかる顔立ちだった。担当医である鴻上医師の顔にしわや皮膚のたるみをつけたら、そのまま父親の顔になるだろうと瑠理香が感心してしまうほどだ。


(近いうちに退院と言われてたけど、いざ許可が下りると変なカンジがするわ)


 通常入院患者の見舞いは午後からになっているが、VIPである三石家の特権がフル活用されているらしい。

 三石邸に住み込みで働く英恵は、朝の仕事を終えて昼前には病室に顔を出すのが習慣になっていた。この日も英恵は十一時過ぎに姿を現した。


「お嬢様宛に宅配便が届いてましたよ」


 英恵は到着早々ティッシュ箱ほどの小包を瑠理香に手渡す。


「私宛に届いたの?」


 送り状の差出人の名前を確かめるとそこには「佐竹さたけ一哉かずや」とある。住所も電話番号も漏れなく記載されていた。記憶のない瑠理香には当然覚えのない名前である。


「佐竹様は、お嬢様のお友達です」

「私の友達? 友達がいたの?」


 病院内の看護師たちの会話から、友人がいないものと思い込んでいた。


「お、男の人よね……私はその人とどういう関係なの?」


 恋人ではないか疑ったが、英恵はすぐに否定した。


「佐竹様は、お嬢様の幼馴染みですよ」


 佐竹一哉は、幼稚園から瑠理香と同じ学校に通っていたという。


「別々の大学に進んでからは、お名前もあまり聞かなくなったんです。もっとも、お嬢様にはボーイフレンドはたくさんいましたけど。お嬢様が入院していると聞いてお見舞いの品を届けて下さったんですよ」


 瑠理香は送り状を見ながらハッとした。病室内にあったボールペンを手に宅配便の段ボール箱に「佐竹一哉」と走り書きする。


「なんで?」


 瑠理香は愕然がくぜんとした。送り状に書かれた字と段ボール箱への走り書きが同じ筆跡なのだ。


(同じ字だわ……私が書いたってこと?)


 送り状を再度確かめる。品名には「精密機械せいみつきかい」としか書かれていない。

 英恵は持参した瑠理香の着替えを整理して、宅配便の内容は気にしていない様子だ。


「何かしら、精密機械って……」


 瑠理香は段ボールに耳を寄せてみた。特に音はしない。慎重に箱を開けてみると一台のスマートフォンが緩衝材かんしょうざいに埋もれていた。傷一つない画面に瑠理香の顔が映り込む。


「新品みたい」


 しかし、付属の取扱説明書は開いた形跡があった。誰かが説明書を読みながらスマホを操作したということだ。開いてさらに確認しようとしたところ、別のメモ用紙が一枚挟み込まれていた。


『このスマホについては他言無用。まずはエックスへ連絡を』


 プリンターを使って印刷された文字だった。


(エックスに連絡? 他言無用たごんむようって――)


 まるで極秘命令ごくひめいれいだ。


「あら、スマホが入ってたんですか?」

「え、ええ……記憶にないんだけど、私がまえに頼んでおいたみたいなの。きっと新しい機種を手配してくれたんじゃないかしら」


 メモに書かれた「他言無用たごんむよう」を意識してしまい瑠理香は妙な言い訳をしてしまった。


「そうでしたか。佐竹様は機械に詳しかったですものね」


 出まかせのつもりだったが、英恵が納得する判断材料になったらしい。

 しばらく説明書とにらめっこした瑠理香は、連絡先に登録されたアドレスのなかにX――エックスを見つける。

 当然、瑠理香にはその電話番号もアドレスもまったく覚えのないものだった。



 夕方に英恵が帰ってから瑠理香はXと登録されているアドレスにメールを送った。


「スマホを受け取りました。あなたはいったい誰ですか?」


 十分も経たずに返信があった。


「本当にわからない? 記憶がないなんて悪い冗談でしょう?」


 瑠理香はビクリと肩を揺らした。相手は瑠理香が記憶喪失であることを知っているようだ。反射的に窓に忍び寄り、ブラインドの隙間すきまから外の様子を窺う。五階からは夜景しか見えない。


「なぜ記憶喪失のことを知っているの? 私のことを見張っているの?」

「アンタのことは監視している。見舞いにきた男にもよけいなことを言わないように。でないとアンタも男もただじゃすまない」


 やはり自分はどこかで監視されている……瑠理香は背筋が凍った。返信先のXなる人物は、瑠理香の記憶のこと、見舞いに来た男――仙堂のことも知っている。


「これから追って指示を出す。黙って従えば誰も傷つくことはない」


 その夜、再びXからのメールを受信することはなかったが、瑠理香が不安に駆られたのは言うまでもない。衝動しょうどう的に仙堂へ電話をかけたくなった。三石家の人間を頼れない状況では、彼が頼みの綱だ。

 手にしたスマホを凝視する。瑠理香は電話をかけるのを断念した。この時間ではおそらく予備校の授業に出ているはずだ。Xからのメールの内容が脳裏を過る。


「男もただじゃすまない」


 彼に悪いことが起きるかもしれないと思うと、瑠理香は宅配便のことを報告する気にはなれなかった。結局、スマホには仙堂の電話番号とメールアドレスを登録するにとどまった。

 ところが翌日、自分を見舞いにきた男が殺害されたニュースを瑠理香はテレビの報道で知ることになる。悪い冗談ではないかとわが耳を疑った。


「どうして、あの人が……?」


 病室のテレビのまえで瑠理香は凍りついた。


 「見舞いにきた男」という表現に誤りはない。問題は、瑠理香の想像を上回る結果だ。

 殺されたのは仙堂尊ではなく、小笠原貴弘だった。

 小笠原貴弘の遺体が発見されたのは、彼の住むマンションの地下駐車場だった。愛車である赤のポルシェのそばで倒れていたのを同じマンションの住人が発見、警察に通報したという。死因は刃物で刺されたことによる失血死。殺人事件として捜査中とのことだった。


「悪い噂がついてまわる方でも……殺されたとなると気持ちのいいものじゃありませんね」


 一緒にニュースを見ていた英恵が神妙な顔でつぶやいた。


「小笠原さん、殺されるほど恨みを買うような人だったのかしら?」


 瑠理香は夕べXから受け取ったメールの内容が気になった。「見舞いにきた男」とは、仙堂ではなく小笠原のことだったのだろうか。


(まさか犯人が殺す相手をまちがえたなんてこと、ないわよね……)


 本来、殺されていたのは仙堂だとしたら――嫌な動悸どうきがしてきた。


「お嬢様、顔色が悪いですよ!」


 異変に気づいた英恵が看護師を呼びに行こうと立ち上がる。


「必要ないわ。ちょっとニュースに驚いただけだから。一度でも面識のある人が殺されるなんて……」


 英恵を引きとめて弁解した。


「それより、退院の準備をはじめないと。英恵さん、大変でしょうけどヨロシクね」


 病室に持ち込んだ荷物を今度は運び出すのだから、英恵には手数だろう。

 英恵は呆然と瑠理香の顔を凝視した。


「私、何か変なことを言ったかしら?」

「あの、いえね、記憶がないお嬢様にこんなことを言っていいのか……」


 仕事着のつもりで身につけているエプロンのすそを両手につままみながら英恵はもじもじした。


「お嬢様が昔から優しいお方なのはわかっておりましたけど、今のほうがとても素直に自分のお気持ちを表現されていると思います」


 記憶を失うまえよりも優しいということだろうか。瑠理香は困惑した。


「私……おかしいかしら?」

「とんでもない! すばらしいことだと思います。これならお屋敷に戻られても奥様とも……」


 言いかけて英恵は慌てて口をつぐんだ。その様子に、やはり自分と母親の間にはなんらかの問題があると瑠理香は確信した。


(母と私……これまでに何があったんだろう?)


 小笠原貴弘の事件ニュースを知った後、瑠理香は散々迷った挙げ句、新しいスマホからメールで仙堂に退院することを知らせた。

 すぐに仙堂から返信があった。正午まえにメールを送信したので、昼休みに目に留まったのだろう。

 冒頭は瑠理香の退院を祝う言葉からはじまっていた。


「当日の迎えは大丈夫? 英恵さんも一緒だろう? 荷物を運び出すなら車を出そうか?」


 疑問符ぎもんふばかりの文面に笑みがこぼれた。

 英恵は、瑠理香の父親が利用している運転手つきの車で送迎してもらっていると聞いていた。車の都合がつかないときは、公共の交通機関を利用しているという。

 英恵に仙堂の話をすると「私も乗せてもらっていいんですか?」と恐縮がっていたが、雇い主の高級車で送迎されるのは居心地が悪かったと見える。最終的には仙堂の申し出に喜んでいた。

 送迎を頼む旨彼にメールを送ると、面会時間が終了してから返信があった。


「退院日時が決まったら連絡をよろしく」


 自分の声が届いているような気がして、瑠理香は安堵しすぐにメールを返した。


「予定が決まりしだいお知らせします。おやすみなさい」


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