第11話 事情聴取
瑠理香の退院から三日後、尊に彼女からのメールが届いた。
職場には正午までに出勤する予定だったので、少しばかり早起きしていた。余裕があるときにメールがチェックできて幸いだ。
気を失った彼女を残して帰宅するのは、後ろ髪を引かれる思いだった。
「ご迷惑をおかけしてすみませんでした。今は気分もよく自宅で過ごしています」
相変わらず律儀な文面に尊の頬が緩む。しかし、次の文章に警鐘が鳴りはじめた。
「退院した翌日に小笠原さんの事件のことで警察の人がきました。形式的な質問といって十三日の夜に何をしていたのか聞かれました」
俗に言うアリバイ確認だ。
「警察の人から仙堂さんの写真を見せられて、知り合いか聞かれました。正直に仙堂さんのことをお話したのですが、仙堂さんにまた迷惑をかけてしまうのではないか心配です」
「俺の写真?」
いったいどんな写真なのだろう。ここ最近写真を撮った覚えはない。
メールの文面に眉を顰めていると、祖母の里美がインターフォンの対応に出た。インターフォンといってもドアの向こうに訪問者がいるわけではない。客がエントランスホールで部屋番号のボタンを押して住人を呼び出す。住人は自室で電話を受けるのと大差変わりはない。訪問内容と映像で相手の確認をとってから入室を許可することになっている。エレベーターを使って訪問先の部屋に辿り着けるのだ。
「広尾署の根岸と郡と申します。こちらは仙堂尊さんのお宅でよろしいんでしょうか? 小笠原貴弘さんについて二、三お聞きしたいことがありまして」
インターフォンの音声をスピーカーにしておいたので、刑事の声はそのまま尊にも聞こえた。
「どうする?」
祖母の問いに尊は苦笑した。
「入ってもらおう。話せることは限られているし、協力しないとかえって怪しまれるだろう」
エントランスのドアを開けると、五分も経たずに二人の刑事がやってきた。
刑事二人から事務的に名刺を渡された。
「根岸さんと、郡さん?」
根岸は五十代ぐらいでがっちりした体格の男だった。額の髪が薄いため、無理に髪の分け方を駆使してバーコードを作っている。郡は三十代半ばの男で、吊り目できつい印象が強く警察関係者よりも犯人とまちがえられそうな雰囲気だった。
「どうぞお構いなく」
リビングに通された刑事二人は、里美が運んできたお茶を啜りながら警察手帳を開いた。
「仙堂さんにお尋ねしたいのは、病院で小笠原さんにお会いしたときのことなんですがね」
「ああ、やっぱりそのことですか」
里美の言うとおり、警察は自分が小笠原にとって都合の悪い人物だと思っている。その逆もあり得ると。
「アポなしで瑠理香くんの病室に押しかけたと聞いてます。彼女も英恵さんも困っていたので、彼の一方的な都合で彼女を利用しないように言いました」
「ほぅ……それでは、小笠原さんと口論されたことは認めるんですな?」
「意見が合いませんでしたから、口論ととられても仕方がありません」
知らぬ存ぜぬと否定するのは印象が悪い。必要のない情報まで掘じくり返されるのも面倒なので、認めるべき点は正直に話すことにした。
「小笠原さんと会ったのは鴻上総合病院が初めてだったんですね?」
「はい。彼が小笠原重工の社長の息子だと聞いたのも病室に入ってからのことです」
ふむ、と両刑事は顔を見合わせる。互いに何かを探り合っているようだ。
「この写真に見覚えは?」
根岸刑事が背広の胸ポケットから写真を取り出した。尊が写っている。
「撮った覚えはありませんが……背景はどこかで見たような気がします」
「鴻上総合病院の駐車場ですよ」
言われてみると、服が二度目に瑠理香を見舞った日に着ていたものと同じであることに気づく。
「それじゃ、この写真はあの日に……」
「小笠原さんのスマホのなかにあった画像データです。あなたに気づかれないように隠し撮りしたんでしょうな」
「隠し撮り?」
会話の断片しか聞こえていないはずだが、キッチンに下がっていた里美が声を上げた。
「それでは五月十三日の夜、九時から翌朝にかけてどこで何をされていたのかお話しください」
「病院を出てから予備校の授業に出てましたよ。夕方からの講義が多い日だったので。その日仕事を終えて職場を出たのは夜の十時過ぎです」
帰りがけに近くのコンビニでコーヒーを購入したこともつけ加えた。
「最後の質問です。病院で一悶着があった後に、小笠原貴弘さんは直接あなたに連絡をしてきませんでしたか?」
「いいえ。彼からの連絡なんて考えもしませんでした。病院を出た後ですか?」
小笠原から自分に接触しようという発想は意外だった。
「なぜ、彼が私に連絡をとろうとしたんでしょうか?」
「あくまで可能性の問題でして。私どもはあらゆる可能性を考え、捜査することが仕事なんです」
尊はなるほどと納得した。
早くアリバイの裏をとりたいのか、刑事は速やかに尊たちの部屋を後にした。
「殺された人間があなたのことを盗撮していたなんて、気味が悪いわね。狙いは何かしら?」
一般人の、しかも同性の写真が必要なことといえば、何かを調べるためと相場が決まっている。
「小笠原ってやつは、俺のことを調べようとしていたんだろうな」
調べるという言葉に、瑠理香が興信所に小笠原について調査を依頼した話を思い出した。その報告書には犯人への手がかりがあるかもしれない。尊は刑事たちがやってきたことと、瑠理香の報告書に関して確認したいことがあるとメールを送った。
直後、電話がかかってきた。
「仙堂さん、瑠理香です! 本当に刑事さんがきたんですか?」
彼女から直接電話がかかってきたのは初めてだった。英恵のメルアドから別のものに変わっていたが、電話番号も初めて見る番号だった。
「本当に形式的な質問ばかりだったよ。小笠原が俺の写真を盗み撮りしていた以外はね」
「盗み撮り? 小笠原さんが?」
盗撮に関することは尊も詳細はわからない。相手が自分に関心があったのだろうか。
「ごめんなさい。私のせいで……」
「瑠理香くんのせいじゃない。君にはなんの責任もないんだ。それで、メールで言った小笠原に関する調査報告書はまだ手元にあるかな?」
ふっと時間が止まったように音声が止んだ。
「瑠理香くん?」
「ごめんなさい。できるだけ早くお見せしたほうがいいですよね」
結果、瑠理香とは翌日会うことに決まった。 尊は内心安堵した。出勤前に厄介事が片付いたし、瑠理香も健康上の問題はないとわかった。
「今の電話、瑠理香さんだったの? いつか遊びにきてもらいたいわ」
「そうか。ばあちゃんはまだ会えてないもんな」
祖母の代わりに瑠理香を見舞ったのだから、瑠理香も里美とはまだ再会できていないのだ。
「瑠理香くんにも今度聞いてみよう。予定がつけば近いうちに会えるんじゃないかな」
「楽しみにしてるわよ」
笑顔で祖母に送り出されて、尊はマンションを出た。今日は車を使う用事もないので徒歩と電車でこと足りる。
マンションを出た直後、妙な感覚にとらわれた。
「?」
駅まで歩くなか、路上駐車のサイドミラーに自分の後をつけてくるスーツ姿の男二人が見えた。おそらく警察の手の者だろう。
尊は自分の嫌疑が晴れていないことを悟った。やはり小笠原貴弘殺害の容疑者として自分は疑われているのだ。
「早いうちに手を打ったほうがいいかもな」
鞄からスマホを取り出した尊は、駅に向かいながらある番号に電話をかけた。
* * * * *
「仙堂先生、ちょっといいですか?」
講義が終わった直後、尊はある女子生徒に呼び止められた。名前は加賀美ゆかりといって、現役の高校三年生。某大学付属のお嬢様学校に通っている彼女は本来、エスカレーター式で大学に進学できるはずだが、外部の大学を受験するらしい。二月から尊の勤める予備校に入って意欲的に講義を受けている。女子校生徒にしては化粧っ気のない生徒だが、そのぶん健康的な若さが漲っていた。
「このテストの質問が……」
「長文の読み込みが足りないな。目のつけどころはいいんだから、もっと本を読みなさい」
ゆかりが質問をはじめると、他の女子生徒も集まってきた。現代文は難しい教科ではないと尊は考えている。漢字や慣用句、ことわざ、四字熟語……基本を押さえていれば自ずと文章を読み解く能力はつくはずだ。
それにも関わらず「成り立ちや由来まで覚えていたらキリがない」と匙を投げるようでは教え甲斐がない。すぐに正解と理由を知りたがる生徒が多すぎる。
「他の質問は?」
三つ、四つと問題を解説して尊は瞼の上から目を押さえ込んだ。眼精疲労もばかにできない。
「他の先生から聞いたんですけど、仙堂先生に彼女ができたって本当ですか?」
閉じていた瞼をぱちりと開けば、自分を取り囲んでいる女子生徒たちの目が野生動物のように光って見えた。
「それは勉強と関係ないだろ」
「勉強以外の質問はダメって言われてませんよね~」
外野の女子が初耳だと言わんばかりに茶々を入れた。同調する生徒も数名。
「……彼女はいない」
「異性の友達もいないんですか?」
答えに迷った。瑠理香は友達ではなく話し相手であり自分は相談役に過ぎない。だが二人の関係を堅苦しい枠に嵌め込む必要があるのだろうか。
「むしろこっちから聞きたい。君たちのような女のコが相談相手として男に求めるものはなんだ?」
途端に女子たちが互いに答えを探り合う。
「やっぱ包容力じゃない?」「自分の価値観を押しつけてきたらドン引きだよねぇ」「え~っ、話を聞いてくれるだけでいいし。アドバイスは求めないよね」
(それじゃ相談する意味がないだろうが)
聞いた自分が馬鹿だったと尊は女子の包囲網を突破した。
「先生、質問の答えは? まだフリーなんですか?」
「ノーコメント!」
背後で顰蹙を買っていることを感じながら、尊はスタッフルームへと避難した。
「ったく、最近の女子高生は……!」
「仙堂さん、戻ってくるなりどうしたんですか?」
目を丸くした他の講師たちに理由を話せば、なぜか笑う者までいた。
「それは仕方ないでしょう。仙堂さんは女子生徒に人気ですからね。正直僕なんか羨ましいくらいですよ」
「生徒の評価と査定は関係ないでしょう」
生徒からの人気で乗り切れるほど予備校業界は甘くない。教師は、生徒や保護者が希望する進学先に合格させてこそ評価されるのだ。
「私も興味あるなぁ。こないだ高平さんがうまくいったら彼女を紹介してくれって言ってたでしょ?」
英語担当の伊東真紀に言われて、彼女こそが生徒たちのニュースソースであることに気づいた。
「それは……誤解というか、友人としてコネクションを広げるための話なんで」
「えっ、そうなんですか? 私はてっきり仙堂さんに彼女ができたんだと思ってました」
尊は頭を抱えた。どうして女性はこういった話題が好きなのか。他人事なのだから放っておいてほしいものだ。
「仙堂、こっちに来い。森川さんって人からご指名の電話だ」
電話応対していた高平が、仙堂を手招きした。
「森川……」
最初森川と言われてもピンと来なかったが、英恵のことだと気づいて慌てて受話器を受け取った。
「ああ、仙堂さん! 携帯に電話しても繋がらなかったので、お仕事先に電話をかけさせていただきました」
英恵の声のトーンがいつもより高い。電話の声だからというわけではなさそうだ。
「お嬢様がいなくなってしまわれたんです!」
「瑠理香くんが?」
青天の霹靂だ。瑠理香に何が起きたというのだろう。尊の発した声が、周囲のスタッフの注目を集めたのは言うまでもない。




