表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/11

第10話 疑惑

 瑠理香が意識を取り戻したのは、尊が帰ってから二時間後のことだった。


「よかった! 倒れられたときのお嬢様の顔色を思い出したら、私も生きた心地がしませんでした」


 英恵ふさえがすぐに駆けつけて、瑠理香が倒れた後のことを説明した。


「仙堂さんに悪いことをしちゃったわね。せっかく送ってきてもらったのに」

「優しい方ですから大丈夫ですよ」


 彼にお礼のメールを送らなければと瑠理香は考えた。半分は謝罪の意味も兼ねている。


「この部屋はおじい様のお部屋なのね」

「今は伊豆の別宅にお住まいですが、それまではこのお部屋を使っていらっしゃいました」


 英恵が病室に持ってきたアルバムのなかに祖父の写真もあった。白髪まじりの髪で、顔は面長おもなが。知性を感じさせる目元。写真のほとんどで祖父は眼鏡をかけている。父親と同様に入院してから会ったことのない人物だ。

 祖母が亡くなってから、祖父は中庭に面した部屋を使用していたという。


「おじい様は、この部屋に特別な思い入れがあるの?」

「亡くなられた大奥様がお庭の手入れをなさっておいででした」


 現在は定期的に庭師に手入れをしてもらっているが、祖母アサ子が元気なころは自ら庭の手入れをして楽しんでいたようだ。


「お嬢様も日中、お庭をご覧になってみてください。薔薇ばらも見頃ですよ」


 すでに外は薄暗くなっていたため、庭園鑑賞は翌日に延期になった。

 その後、瑠理香は頭痛がなくなったと報告し、夕食もきちんと摂ったので由紀と英恵は安堵したようだ。瑠理香も二人が自分のことを気にかけてくれているとわかる。


(でも、なんだかおかしい。母はやっぱり私を避けてる……?)


 無言で視線を送ると、母は明らかに動揺する。偶然目が合っても、目を逸らされてしまう。もとからコミュニケーションが希薄な家庭だったのだろうか。


「英恵さん。やっぱり私と母は、うまくいっていなかったのかしら?」


 入浴後、瑠理香は思い切って英恵に母親の話題を切り出してみた。英恵は溜息を一つ漏らし、観念したように話しはじめた。


「お嬢様と奥様は、ある日を境に会話がほとんどなくなってしまっったんです。特にお嬢様は心を閉ざしてしまわれました」


「ある日を境にって、ある日っていつのことなの? ケンカでもしたの?」

「お嬢様が中学生になられてからのことです。奥様と口論されていたように思われますが……」


 奥歯に物がはさまったような物言いだ。記憶をなくして二ヶ月ほど経つが、英恵には珍しいことだ。


(英恵さんにも言いにくいことがあるのね)


 使用人が雇い主側のプライバシーに口を挟むことは許されない。暗黙のルールだ。


「英恵さんの立場では言いにくいことがあるのね……母に直接聞いてしまったほうがいいのかしら」

「それは……っ」


 英恵は最後まで言わなかったが、やめたほうがいいというニュアンスであることは理解できた。


(中学生のころから会話がなくなってしまうなんて……何があったの?)


 アルバムのなかの家族写真を思い出した。中学校の入学式。あの写真を撮影した後、三石の家族に何かが起きたことになる。


「英恵さん。昔は……会話があったころの私は、母のことをなんて呼んでいたの?」

「『お母さん』です。ごく普通の親子となんら変わりありませんでした」


 英恵は「ごく普通の親子」という部分を強調した。裏を返せば今は普通の親子関係にないということだ。

 ゆっくり休みたいからと理由をつけて、英恵に自室に戻ってもらった。実際、体が怠くてもっと眠りたかった。


 ヴヴヴ……


 書斎机に置かれた鞄が小刻みに振動しはじめた。マナーモードにしてあったスマホにメールの着信があったようだ。すぐに鞄からスマホを取り出し着信内容を確認する。


「退院おめでとう。両親の様子を注意深く観察するように。相澤の関係者によけいなことを漏らすな。 X」


 メールの文面に思わず眉を顰めた。


(両親を観察するって見張るってこと? それに相澤の関係者って……)


 おそらく仙堂を指しているのだろう。今のところ瑠理香の知る相澤姓に繋がる人物は彼だけだ。


「これがXからの指示?」


 瑠理香はますますわけがわからなくなった。


「あなたが小笠原さんを殺したの? いったい私に何をさせるつもり?」


 Xへ返信するとシンプルな言葉が返ってきた。


「黙って言うとおりにしろ」


 一分、三分と経ったが、Xからのメッセージは届かなかった。質問は打ち切られてしまったらしい。

 Xからの脅迫のようなメールに瑠理香は絶句した。次いで怒りが込み上げてくる。


「言うとおりにしろって……これって脅しじゃない?」


 いっそ警察に相談してしまえば……しかし、次の瞬間には瑠理香は断念した。不審な文面のメールだが、損害は何一つ被っていないのだ。危害を加えられたわけではないし、金銭を脅し取られたわけでもない。唯一自分を見張っているという点でつきまとい行為の可能性があるだけだった。それも実際は確証もなかった。

 Xが小笠原殺害に関わっていたとしたら、やはり指示に背いて相手を刺激するのは賢明な判断とは言えない。


(どうして両親を観察する必要があるんだろう?)


 母親とのぎこちないやりとりを思い出すと気が重くなる。父親には対面さえしていないのだ。どう様子を窺えばいいのだろうと、眉間の皺が深くなる。


「おかしいのよね、私たちって……」


 親子なのに、家族なのに間に見えない壁が存在しているような気がした。理由を尋ねてもおそらくはぐらかされてしまうだろう。


(中学時代に、何があったのかしら?)


 瑠理香が中学時代に親子の間で何かが起きた。それゆえに瑠理香は親に心を閉ざしてしまったと考えられる。


「こういうことを調べるには、どうすれば……あ!」


 小笠原との縁談が持ち上がった際、瑠理香自身が興信所に調査を依頼したと英恵が言っていた。


(その会社に調査を頼むのはどうかしら……)


 しかし、肝心な興信所の名前を瑠理香は知らない。


「私が直接依頼したのなら……」


 瑠理香の頭にある可能性が思い浮かんだ。その結果、本人にとって気の進まない行動を選択することになった。

 自分の部屋で手がかりを探すことだ。報告書等の興信所からの関連書類が残っているかもしれない。

 しかし、二階にある瑠理香の部屋へ行くには階段を上がらなくてはならない。

 一度は転がり落ちた階段を。

 部屋を抜け出すと、周囲に人の気配はなかった。英恵も夕飯の片付けをしているのかもしれない。

 迷うだけ迷って、瑠理香は階段の前に立ってみた。床は階段まで大理石でできている。ひんやりした硬質感。


「この上から落ちたのね」


 打ち所が悪かったら死んでいたかもしれない。瑠理香の背筋が凍る。しかし、最大の試練はこれからだった。階段を上りきって自分の部屋へ行かなくてはならない。


(この上に……)


 階段を上がると意識しただけで目眩めまいを覚えた。階段の下にいるのに、踊り場まで上りつめた感覚が蘇ってきた。


「大丈夫。毎日上り下りしていた階段だもの」


 瑠理香は大きく息を吸い込むと、一気に階段を駆け上った。その間、わずか二~三秒。

 振り返ったときには、階段は瑠理香の足下にあった。

 はあっと息を吐いた。階段を上る間、息を止めてしまっていたらしい。

 階下を見下ろしたままだと、また気分が悪くなるような気がした。瑠理香は慌てて二階の通路を進む。

 新たな問題が持ち上がった。二階には瑠理香と両親の部屋があり、今の瑠理香にはどこが自分の部屋なのかもかわからない。瑠理香は覚悟を決めて順番にドアノブを回していった。最初の扉は施錠されていて開けることもできなかった。通路を挟んだ反対側の扉は簡単に開いた。音が鳴らないように細心の注意を払い、部屋のなかに入る。手探りで壁際のスイッチをつけると照明が点灯した。

 部屋の壁紙はリビングと同じ白だったが、うっすら花模様が描かれている。いかにも女性向けなクロスだ。ベッドには一階の祖父の部屋とはちがい濃いピンクのカバーがかけられている。


(ここが私の部屋なんだわ)


 机も本棚もあるが、瑠理香にはまったく見覚えがない。自分の部屋という確証が欲しくて瑠理香はしばらく部屋のなかを歩き回った。ウォークインクローゼットのなかを覗いて瑠理香は驚いた。服が多過ぎる。


「一体何着あるの?」


 適当な数え方だが端から端まで確認してしまう。服を季節ごとに分けてあるとしても七、八十着はあった。

 体はひとつしかないのに、どうして服がこれほどあるのか理解に苦しむ。

 ふと本来の目的を思い出して、瑠理香は目当ての書類や資料がありそうな机や本棚に戻った。

 机の上に白い鞄がひとつ置いてある。ブランド品らしく、手触りのいい皮革ひかく素材。小さくて見た目は可愛いが、収納の役目は果たされてない。


(これってまさか……)


 自分が階段から落ちたときに持っていたものではないか。そう思ったとたん、瑠理香は鞄のなかを確かめずにはいられなかった。鞄の中身を机の上にぶちまける。

 メイク用のポーチ、ハンカチ、財布の三つしか入っていなかった。


(スマホが入ってない?)


 英恵は、荷物のなかにあるだろうと言っていたが鞄にはスマホがなかった。それにこの小さな鞄にはスマホを入れる余地がない。

 宅配便で送られてきたスマホはほとんど新品だった。それまで使用していたスマホを処分してしまったのだろうか。以前使っていたスマホがあれば手がかりも見つかると楽観視していた。期待が大きかったぶん瑠理香は落胆した。


「こうなったら紙の証拠を探すしかないわ」


 紙の証拠。目的は瑠理香が以前興信所に依頼した仕事に対する報告書等だ。中身を鞄のなかに戻すと、瑠理香は机の抽斗ひきだしを手当たりしだい開けてみる。


 一番下の抽斗の底には若い女性向けのファッション誌が平らに置かれていた。表紙には秋冬ファッション特集とあり、半年以上前の雑誌だった。A4サイズのファッション誌を持ち上げるとその下から安っぽい茶色の封筒が出てきた。

 封筒の下には「川嶋興信所」とあり、連絡先も印刷されていた。

 ようやく目当てのものを発見して喜んだのも束の間、瑠理香は自分の軽率けいそつさに溜息をついた。こんなところに隠していては、第三者にも見つかってしまう恐れがある。もっと自分にしかわからないような場所に隠すべきだ。

 瑠理香は慎重に封筒から中身を取り出した。 A4サイズの一枚目には『小笠原貴弘に関する報告書』とあった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ