85. 砂入り紅茶は通常仕様です
皇太子妃候補達に与えられた中でも、一際豪華な屋敷の門をくぐる。
『妃候補の親睦を深める』ために準備された円卓には、もう一人の候補者と偽物が腰掛けており、その隣には見慣れぬ男が座っていた。
「お前がドナテラか」
礼をしたドナテラを一瞥し、大仰に溜息をつく男。
深い海底のような、黒にも見えるほど濃い藍色の髪先は、柔らかな陽の光を浴びて淡く透ける。
「帝国の太陽にご挨拶申し上げます」
帝国では、皇族が目下の者を呼ぶとき、敬称をつけない。
そのことを知っていたドナテラは、帝国のマナーに則り優雅に一礼すると、目を伏せながら次の言葉を待った。
「……こんなのが王女か? 思っていた以上に地味だな」
高くもなく、かといって低いわけでもない。
形の良い唇から発せられたのは、どこか中性的な響きを帯びた声。
肘掛けにだらしなく寄りかかり、顔を合わせるなり侮蔑を含んだ微笑を浮かべる見目麗しい皇太子セト。
その顔立ちは驚くほど整っており、無造作に髪をかき上げる仕草すら、絵画のように美しかった。
「まぁ皇太子殿下ったら。あんまりですわ」
「だがお前もそう思うだろう?」
クスクスと楽しげに唇の端を持ち上げながら、偽物はまるで一夜を共にしたかのような親密さで、セトの肩へとしなだれかかる。
「……仲が宜しいのですね」
「そうかしら?」
「はい、羨ましい限りです」
毒気を抜かれそうなほど柔らかな微笑みを浮かべ、ドナテラは偽物に持参した贈り物について説明する。
「カナン王国特産の『白檀』という、国外にはあまり出回らない珍しい香木です。香炉もお付けしておりますので、焚いてご利用ください」
このまま順当に皇太子妃が決まれば、ドナテラは早々に帰国となる。
偽物であるという問題はあるものの、皇帝陛下が絶対ならば後から何とでもなるだろう。
もはや皇太子妃が決まったと言わんばかりの状況に、思わず笑みを零したドナテラを、ミランダがじっと見つめている。
ところが突如、紅茶に口を付けたもう一人の候補者が咳き込み、青ざめた顔でガシャンと乱暴にティーカップを置いた。
「こ、こんな嫌がらせを……!?」
毒かと思ったがそうではなく、見れば手元にあるティーカップに細かな砂粒が沈んでいる。
「ドナテラ様の紅茶には、砂が入っていないのですか!?」
「?」
一方、向かいに座るドナテラは、何の疑問もなく紅茶を飲み続けていた。
訝しげに尋ねられ、微笑みながら置いたドナテラのティーカップの底には、――しっかりと砂が沈んでいる。
ドナテラは一切気にする様子もなく、不思議そうに首を傾げた。
「風で砂が入ったのかな、と思いましたが……あ、あら? もしかして違いましたか?」
かつてグランガルドにいた頃、「これは食べられるかしら?」と、泥のついた雑草を生のまま齧っていた。
紅茶に砂が混ざる程度、取るに足らない些細なことである。
すっかりミランダに毒され、ちょっぴり感覚がズレつつある、のんびり王女ドナテラ。
皆に凝視され、まずいことを言ってしまったと顔色を失くしていく。
「ご気分が優れないなら、お帰りいただいても結構ですよ?」
さぁっと血の気が引いた様子を見て取り、この場からドナテラを排除……もとい助け舟を出してくれたのは、まさかの偽物だった。
これに乗らない手はないと、ドナテラは謹んで受け入れる方向へと舵を切る。
だが喜色を露わにしたのが伝わってしまったのか、セトから「駄目だ」と不機嫌な顔で即断されてしまった。
「……座れ」
剣尖を喉元に突き付けられるような、鋭い視線を向けられる。
怒っているのだろうか、その場にいた者達が一斉に息を呑む。
「お前はミランダと面識があると聞いているが、間違いないか?」
「はい、ミランダ様とは面識があります」
ですがその方ではなく本物のほうです。
喉元まで出かけた言葉を、ドナテラは飲み込んだ。
「詳しくは知らないが、その悪評は帝国内にまで届いている。グランガルドとガルージャが交戦した際は、他の側妃を置いて一人逃げ出したのだろう?」
何と答えるのが正解か、真実を述べて良いのか分からず、ドナテラは助けを求めるようにミランダへ視線を送った。
「殿下、そのようなこと、どうでも良いではないですか」
またしても助け舟となったのは、偽物の軽やかな声だった。
自分にとって都合の悪い話を避けるための利己的な発言ではあるが、正直とても助かっている。
そんなドナテラの想いなど露知らず、偽物は唇を尖らせ、甘えるような仕草でセトを見上げた。
「……まぁいい。だがこれだけは覚えておけ。我が国は四大国の中で最も女性の地位が低い。また皇帝陛下の命令にはいかなる理由があっても逆らうことは出来ない」
そういう国であることは、知っていた。
だが、ここまであからさまに釘を刺してくるとは。
「家臣の妻を無理矢理召し上げたこともある。皇太子妃選定式に参加するなら、お前達も覚悟をしておくことだな」
嫌なら今すぐ辞退しろ、ということのようだ。
セトも住まう宮殿の敷地内。
目が行き届く敷地内にある、側仕えの貴族用邸宅を各々与えたのは、それが理由だったらしい。
それだけ告げると、セトは偽物の腰をグッと引き寄せた。
「!」
偽物はわずかに驚いたように目を見開くが、それまでの不遜な態度は一変し、恥じらうような笑みを浮かべる。
成人前からアルディリア国境に赴き、セノルヴォとも剣を交えたことのある皇太子セト。
筋骨隆々のクラウスとはまた異なり、まるで野生の獣のようにしなやかな体躯にもたれ、偽物は頬を紅潮させる。
セトはふと視線を巡らせ、ミランダに目を留めた。
侍女として密やかにドナテラの後ろで控え、成り行きを見守っていたミランダをしばらく眺めた後、何かを思いついたかのように、トン、と指先で円卓を一つ叩いた。
何気ない仕草に空気が張り詰め、皇太子妃候補達が身を強張らせた。







