80. 海運王、膝から崩れ落ちる
「これは凄い……燃える泥を発見するとは驚きです」
「お役に立てて光栄です」
本日は、帝都へ旅立つ前の『泥炭お披露目会』。
ジャノバ領主邸の広々とした庭の一角で、赤熱した土がまるで炭のように燃えている。
そして和やかな微笑みを交わす二人を、小柄な侍女が見守っていた。
朝露に濡れた花弁のように瑞々しく艶やかな、淡紫の髪。
磨き抜かれたアメジスを思わせる瞳。
遊牧民だろうか、顔の下半分を布で隠してもなお一目で美しいと分かるその侍女は、満足気に頷いている。
隣には皇帝直属軍と見比べても遜色ないほどの体躯を持つ騎士が立っており、何故か呆れ顔をしていた。
「本当になんと礼を述べたらよいか……!!」
同条件の湿地帯にもあると仮定すると、埋蔵量は莫大。
役に立つどころか、我が国にとって石炭に匹敵する新たな資源です!
アルゼンの感謝を一身に受け、ドナテラは嬉しそうに頬を染めている。
「植物学にも詳しいと伺いました。さすが皇太子妃候補になる方は違いますね」
「いえ、そんな大層なものではございません」
「またご謙遜を……是非とも教えを乞いたいものです」
気まぐれで尊大なはずの海運王がドナテラを絶賛する姿に、領主邸の使用人達がザワリと揺れる。
そして受領品を皇帝へ報告するために控えていた書記官もまた、驚きのあまり、ポカンと口を開けて立ち尽くしていた。
「どういう状況なんだ……?」
これまで、皇太子妃候補に対するアルゼンの態度は、とても褒められたものではなかった。
通常時のアルゼンを知っている書記官にとって、にわかには信じ難く、まさに異常事態。
だがドナテラのもたらした泥炭は、ジャノバに莫大な利益をもたらす宝の山であるらしい。
『カナン王国の王女ドナテラ。ジャノバで『泥炭』と呼ばれる土を発見』
『埋蔵量は莫大と予想。石炭に匹敵する新たな燃料として今後期待される』
ハッと我に返った書記官は、サラサラと一連のやり取りを書き留める。
すると談笑するドナテラ達のもとへ、また別の侍女が歩み寄った。
「そろそろお時間です」
男性としては小柄な書記官が見上げるほどに、背が高い侍女。
護衛を兼ねているのだろうか、騎士のように逞しかった。
異様な存在感を放つ護衛騎士と侍女達……そしてそれを束ねる、やたらと腰の低い王女ドナテラ。
何だこの珍妙な組み合わせは……。
書記官の疑問など知る由もなく、それではと一礼し、ドナテラ達は馬車へと乗り込んだのである――。
***
「受領したのは、ダイヤのみですか?」
「その通りだ。国内産に比べ、稀少で高品質なものだ」
「ふむ。それでは、数量を確認させてください」
遠ざかる馬車が豆粒のように小さくなるまで見送った後、書記官はアルゼンへと歩み寄った。
贈られたダイヤを持ってくるよう、アルゼンは従者達に指示を出す。
「ドナテラ様の乗っていた馬車を修理し、それとは別に馬車を一台融通した。受領したダイヤにはその分の料金も含まれている」
「なるほど。修理に加えて馬車一台分」
「ダイヤは後ほど、皇帝陛下に献上させていただく」
ベルべッドの布地が敷かれたトレーの上に、数十個のダイヤの原石が山積みされている。
ドナテラが乗っていた馬車の修理代、さらに新しい馬車の代金を差し引けば、そこまで高価な贈り物とは言えないはずだ。
受け取ったものの、一人の皇太子妃候補に肩入れし過ぎると、後で問題が起きた際に巻き込まれてしまう。
対価としては妥当な範囲だとアルゼンが重ねて主張していると、ガラガラと音を立てながら、一台の荷馬車が乗り入れた。
「あれは……?」
「贈答品を積んでいたドナテラ様の荷馬車だ。悪路に耐えられない可能性があったため、お渡しした馬車に積み替えてもらった」
これまで誰も支持しなかったはずの領主アルゼンが、細やかな配慮をする王女ドナテラ。
公然と支持表明をして欲しいとミランダは言っていたが、アルゼンとしては、それくらいの位置付けがありがたい。
「外部との関わりを断つことで情報統制するのは良いのですが、新しい知識や技術の流入がなくなるのは危険です」
昨日散策から戻り、改めて話をした時のこと。
閉鎖的な経済体制についてミランダに言及され、アルゼンは言葉に詰まってしまった。
それは他国との交易を担っていたアルゼンが、最も懸念していたことでもある。
今回の泥炭が良い例だろう。
他国から情報が入っていれば、誰しも容易に気付くことが出来たはずなのに。
「それはアルゼン様の望むところではないでしょう?」
「仰るとおりです」
「今回の主目的は別なのですが、願わくばこの機会に、貴国と信頼関係を築きたいと考えています」
停戦という一時的な形ではなく、信頼に基づいた友好関係を。
正規のルートでは難しく、飛び込むしかなかったのだろう。
やり方は褒められたものではないが、ファゴル大公がそれを許したというのだから、驚きである。
なおグランガルドではドナテラとともに、側妃達が集う水晶宮にいたそうだ。
だが実際は側妃としてではなく、内乱の兆候を察知したクラウスが、安全のため水晶宮に人質を移しただけ……と聞いている。
『気に入らなけらば捨て置いてかまわん』
『だが油断すると、骨の髄まで取り込まれるぞ』
なるほど今なら、セノルヴォが言っていた意味がよく分かる。
認めざるを得ないが、俺の手には余るな……そんなことを考えていると、荷馬車を覗きこんだ書記官が「あッ!」と小さく声を上げた。
「荷馬車の中にも贈り物がございます!」
「……何の話だ?」
「ワイン樽ですね。おや? 蓋に取っ手が……」
書記官の腰に届きそうな高さの、中サイズのワイン樽。
アルゼンの目がわずかに細められ、怪しい『取っ手』に警戒心を露わにする。
書記官が手を掛け、引っ張ると、パコンと音を立てて蓋が取れた。
中に入っていたのは、――樽いっぱい、零れんばかりの稀少なダイヤ。
「――ッ!?」
「いやはや、大量に……アルゼン様の本気が窺えますね」
「いや待て、誤解だ」
「ワインに偽装するなんて、よくないですよ? まったく……」
長い付き合いですから、隠そうとしたことは内緒にしてさしあげます。
書記官の手元を覗くと、『中ワイン樽、山盛りのダイヤ受領により、支持表明』と書き添えられている。
「ち、違……」
その時、ふらりと後退ったアルゼンの脳裏に、笑顔のミランダが蘇った。
『稀少なアルディリア産ダイヤもお付けして、今なら軽く支持表明をしていただくだけで結構です!』
承知しましたと、言ったけれども!
何ということだ。
どうせこの場にいないのだからと前面には押し出さず、ふんわりとした感じに留めたにも拘わらず、大惨事に……。
ワイン樽山盛りのダイヤをお付けいただいた結果、ミランダの思惑通りになってしまったアルゼン。
『油断すると骨の髄まで取り込まれるぞ』
セノルヴォの忠告が、骨身に染みる。
油断はしませんでした。
ですが対外的な評価は、『骨の髄まで取り込まれた感』満載です……。
ぐしゃあっと膝から崩れ落ちるアルゼン。
本日を以てドナテラは、ジャノバ領主アルゼン本気の『推し王女』。
かの海運王を数日で陥落させたドナテラ。
無名だったカナン王国、ドナテラ王女の名はこれにより、帝国中に轟いたのである――。







