58.いまもなお、お待ちしているのです
襲撃犯に囲まれ、シェリルの乗った馬車が動きを止める。
馬車の中にまで響き渡る怒声と金属音。
「直に助けも来る。中で待っていろ」
クラウスの兄、王太子リヒトは覗き窓から外を確認し、隣に座るシェリルを振り返った。
「すぐ戻る」
心配そうに見つめるシェリルの背に腕を回し、ギュッと抱き締めると、脇に立てかけた剣を握り馬車の外へと飛び出した。
古びた鉄を打ち鳴らすような鈍い音が聞こえ、馬車の外から鍵を掛けられたのだと分かる。
「殿下!?」
そこで初めていつもと様子が違う事に気付いたシェリルは、ぞわりと走る悪寒を否定するように頭を振り、両手をついて窓から外を見遣った。
身も凍るような咆哮を上げ、凶刃に倒れる護衛騎士。
ただの物取りではない、熟練した傭兵のような動きで連携を取りながら、差し違えるようにして騎士達を沈めていく。
次々と倒れていく騎士達に舌打ちをしながら、リヒトは馬車を守るように剣を振り続ける。
倒れざまに貫こうとする襲撃犯の剣を素早く躱し、右横から突っ込んで来た別の剣を叩きつけるように弾いたその時、シェリルの耳が小さな呻き声を拾った。
襲撃犯の手から伸びた一筋の光。
わき腹を刺し貫いた剣から、赤黒い血が噴き出すのが見える。
続けて肩に……そして、太腿に。
ドスンと音がし、リヒトの身体が凭れるように馬車へとぶつかった。
「……キャァァァアアアアッツ!?」
全ての神経が逆立つように張り詰め、時間が止まる。
叫ぶ声は外からの怒声に掻き消え、大切な人へは届かず、ノイズがかったように内から鼓膜を麻痺させた。
「……殿下ッ!!」
扉へと、叩きつけた拳の皮が裂け、白い手袋が朱に染まる。
最早生きているのかも分からない、それでもなお馬車を後ろ背に守るように立つ彼に、心臓をえぐり取られるような悲痛な叫び声をあげ、呼び掛けることしかシェリルには出来なかった。
何度も何度も、叫び、拳を叩きつけ、それでも諦めず身体ごと扉に体当たりするが、重厚な馬車はビクともしない。
頑丈な錠前が掛かり、中からも外からも開かない馬車内で、ひとり守られるように……たったひとり、安全な場所に取り残される。
「殿下! ……殿下ッ!!」
全てが終わったのだろうか、シェリルの叫び声以外何も聞こえなくなり、馬車を牽引するためのハーネスが切られ馬が逃げていく。
ガタンと揺れた馬車の反動で、リヒトの身体がずるずると力無く、座り込むように……馬車の窓からその姿を消した。
「ああッ……!!」
襲撃犯が馬車に駆け寄り、乱暴に扉を引く音が、鉄の板越しに聞こえる。
扉が開かない事に苛立ったように、ガンと車体を蹴り飛ばし、黒ずくめの男が何かを指示する姿が見えた。
予め用意していたのだろうか、孤立した馬車の周りに藁が積まれ、襲撃犯達によって油が放たれる。
強さを増して揺れ動く炎の中、ぼやける馬車の窓越しに、黒ずくめの男と視線が交差した。
「我が身を焼かれる恐怖に怯えながら死ね」
深い怨恨を思わせる、憎しみに満ちた眼差し。
生き残った襲撃犯が去った後、乾いた空気に馬車は瞬く間に燃え上がる。
「ああああ……!!」
扉を守るように座するリヒトの足元には、山積みになった十数人の死体――それは、彼が命を懸けてシェリルを守った証。
流れ出た大量の血を吸いきれず、地面には浅く血溜りができた。
熱風が馬車を襲い、リヒトの身体がぐらりと傾く。
「あああああああああッツ!!」
せめて……せめて、最期は貴方の傍に。
鉄の扉は赤々と熱を放ち、高温の煙で肺が焼け、息を吸う事も儘ならない。
叩きつける拳は裂けたところから焼け爛れ、肉の焦げた臭いとともに、次第に黒みを帯びていく。
それでもシェリルは燃え盛る炎の中、拳を打ち付け、叫び続けたのだ。
「…………お前を殺す為だけに、生きてきたの」
ヴァレンス公爵家の騎士に捕縛され、後ろ手に縛られ身動きが取れない黒幕……ヘイリー侯爵の胸にズブズブと短剣が沈み込んでいく。
件の襲撃は、第二王子の母……ヘイリー侯爵の姉が、王の渡りが絶え打ち捨てられた事に絶望し、自ら部屋に火を放ち、壮絶な最後を遂げた事に端を発する。
だがそれを逆恨みし、王太子を弑するなどとあまりに愚かで短絡的ではないのか。
「あ……があっ」
布を噛ませた口から獣のような声が漏れる。
肉を絶つ不快な感触に、ごっそりと表情を削ぎ落したシェリルの顔が歪んだ。
「隠れ忍んだこの粗末な小屋で、今日、お前は死ぬのよ」
剣を握る手に力を籠め、斜めに捻ると、ヘイリー侯爵の充血した目がこれ以上ない程大きく見開く。
あの時の黒ずくめの男と同じ、濁った瞳。
怨恨により自ら手を下した事により、ついにシェリルは黒幕へと行き着いた。
剣を通して、ヘイリー侯爵の身体がぶるりと大きく震えたのが分かる。
ふらりと一歩後退り、ずるりと剣を引き抜いた。
ヴァレンス公爵家の騎士が手を離すと、その身体はゆっくりと前のめりに折れ曲がり、まるで赦しを請うように地へと額を付ける。
血塗れの剣がシェリルの手を滑り、足元で軽やかな金属音を立てた。
はっはっと荒い息を吐きながら膝をつき、血溜りの中に倒れ込むようにして、その場に崩れ落ちる。
何故あの時、行かないでと引き止める事が出来なかったのか。
何故あの時、示されるがまま、一人馬車に残ってしまったのか。
後悔は波のように押し寄せて、夜が更けるごと、彼女を責め立てた。
「…………ッ」
後ろ指を差され、嘲笑られ続けても、それでもこの瞬間のために……この為だけに恥を晒しながら、四年もの歳月を耐え忍び、生き永らえてきたのだ。
誰もが離れ、父すらも腫れ物に触るように接する中、なんのてらいもなく陽のように微笑んだ貴女に、どれ程救われたかご存知ですか。
彼女の様な強さが自分にあったなら。
彼女ほど聡明で、誰をも惹きつけるような輝きが、もしも自分にあったなら。
もっと違う結末を、迎えていただろうか。
今にも地に蹲りそうになる自身の身体を支えるように、血溜りへと手を突く。
「……ッ、 リヒト様……」
聞き取れない程の小さな嗚咽が漏れる。
止めどなく溢れる涙が頬を伝い、ぽたりぽたりと落ちていく。
「会いたい……」
――すぐ戻るはずでは、なかったのですか?
ひとしずく、またひとしずく、床を濡らす血溜りに、透明の雫が滴り落ちる。
いまもなお、お帰りをお待ちしているのです――。
気の利いた事ひとつ言えない朴念仁だけど、我儘を言って甘えると困ったように微笑む――、私の、愛した人。
「ッ、……会いたいッ……」
あなたに、会いたいです――――。
咽び泣く声は、吹き込む風音に掻き消され、慟哭を呑み込むように夜の帳が下りていく。
血溜りの中、冷たい床に覆い被さるようにして、いつまでもいつまでも、シェリルは肩を震わせ泣き続けた。







