106. 押してダメなら、引けばいい
訪れたのは、ティール南区にある倉庫街。
諦めかけていたセトが無事に戻り、領主館が一時の安堵に包まれてから、半日後のことだった。
「ご覧のとおり、主食の穀物類が不足しています」
物品管理を担う帳合責任者はそう言うと、倉庫の奥へと案内してくれる。
ティールの備蓄庫ということもあり、見渡す限りの物品が積み上げられているのかと思いきや……。
袋の山は目減りし、床が見えている場所すらあった。
「仕入れの見込みも立たず、在庫は減る一方です」
ティール領主は申し訳なさそうにそう告げて、深々と頭を下げる。
その様子を見る限り、どうやら想定していた以上に状況はよくないらしい。
「疫病の報せを受け、ラゴン周辺から多くの避難民が流れ込みました。このため食料需要が予想を大きく上回り、今冬分を賄うのがやっとの状態です」
帳簿をめくるセトの手が止まったのを確認し、ミランダも横から覗き込む。
ティールの位置する帝国北部は、海に近い。
冬になれば吹雪や凍結に見舞われ、厳しい寒さに覆われる。
豊かな穀倉地帯はおおよそ南部に集中しており、農産物のほとんどは、ジャノバを経て各地へと行き渡るのだ。
商業ルートを封鎖した結果、入手できなくなるのは当然だった。
「食料だけではありません。ラゴンが封鎖中のため燃料も不足し、都市機能が麻痺しつつあります」
兵士も最低限しかおらず、食料も今冬ギリギリ。
何らかの対策を講じなければ、様々な備蓄があっという間に底をついてしまう。
予想外に膨れ上がった避難民のせいで予定を狂わされ、領主はほとほと困り果てていた。
「封鎖したまま、一時的にジャノバへ支援を頼もうにも、アルゼン様が帝都にいるため交渉もできません。……有効な施策もなく、行き詰まっているのです」
ラゴンは封鎖中のため、食料支援は頼めない。
それどころか帝国兵が常駐しているせいで、食料はティール以上に逼迫しているのだ。
しばらく帳簿を眺めていたミランダは、ふと顔を上げた。
「セト様。『封鎖解除』を拒否し続ければ、いずれ兵を差し向けてきます。……引き延ばすにも限界が近いのでは?」
「だろうな。力尽くで奪うのが一番手っ取り早い」
状況確認をしたミランダを見下ろしながら、気欝なことだとセトが小さく息を吐く。
そうなれば、駐留兵がほとんどいないティールは絶望的。
略奪だけで済めばいいが、死傷者の数が膨れ上がるかもしれない。
「帝国軍が来ると分かっているなら、戦えない者達は早々に避難させるべきです」
我慢しきれなくなり口を挟むが、女性の地位が驚くほど低いインヴェルノ帝国。
女性が政治に関わることなど、許されていない。
まして今のミランダは、身元も定かでない新参者。
幼い頃から男として育てられたセトはともかく、……ぽっと出の女に何が分かると言わんばかりに、領主から鋭い視線が向けられる。
だがミランダは、構わず続けた。
「このままでは、ジャノバの一人勝ちです。せっかくなら許可証を書き、ジャノバで受け入れてもらうのはどうでしょう」
たくさん食料が余っているのだ。
避難先を探し困っている人々を、まとめてジャノバに引き取ってもらえばいい。
突然何を言い出すのかと、領主の顔がより一層険しくなる。
だがセトは止める素振りすらなく、興味深げに成り行きを見守っていた。
「アルゼン様は不在ですし、手続き上は受け入れざるを得ませんよね?」
「そう単純な話ではないのですよ」
領主は苛立ちを隠そうともせず、ミランダの提案を一蹴する。
いかに合理的な案であっても、女性というだけで聞く耳すら持ってもらえない。
ハナから駄目だと決めつけて、検討すらしてもらえない。
ファゴル大公国では考えられないことだった。
「領民は減るし、避難民も来なくなる。食料も余るから、いいこと尽くめだと思ったのですが……」
「食料が浮いたところで、もって半年。結局のところ、付け焼刃的な処置にしかなりません」
——であれば、こちらにも考えがある。
押して駄目なら、引けばいい。
身分の差こそあれ、幸い、この場には多くの男性がいる。
「ではいったい、どうすれば……」
領主に否定され、ミランダは肩を落とした。
先ほどまでの遠慮のない物言いが嘘のように、しゅんと気落ちしている。
まだ十代の少女が、こんなにも懸命に案を出してくれたのに。
ちょっと大人げなかったのではなかろうかと、男達は気まずそうに目配せを始めた。
なお、小声で交わされる男達の会話は、ミランダだけでなく、もちろんセトにもばっちり聞こえている。
ミランダが言う通り、アルゼンが治めるジャノバは潤沢な食料と兵力を有している。
今や帝都の食料供給を一手に担い、新皇帝の支持を表明したことで、その発言権は日に日に強さを増しているのだ。
「なら浮いた食料は、あの、ラゴンに……」
様子を窺っていた男達から、不意にぽつりと声が上がった。







