94. もう一つの出口
「しっかりしなさい!」
迷っている暇はなく、ミランダはさらに声を張り上げる。
立ち尽くすセトの手を強引に引くが、まだ頭が追い付かないのか反応が悪く、だがその間も衛兵達が迫ってくる。
少しでも時間を稼げればと、寝台横にあった香炉を手に取り、躊躇いもなく床に向かって投げつけた。
巻き上がる灰が煙のように宙を舞い、衛兵達の足が一瞬止まる。
「この状況で捕まったら、言い逃れはできません!」
さらに語気を強めると、ハッと我に返ったようにセトがミランダを見遣った。
先程とは一転、別人のように俊敏な動きで、ミランダの力では開き切らなかった壁を一気に押し込んでいく。
ギィ……と音を立てて寝台の死角にあった壁が動き、人がひとり通れるくらいの隙間ができた。
衛兵達の怒号が背後から迫り、今にも掴まれそうになった瞬間、セトがミランダの身体を抱き込むようにして引き寄せる。
そのまま抱え上げるなり隠し扉に飛び込み、素早く扉を内側から閉じた。
「……ッ!?」
「すべて施錠しろ!」
先ほどまで呆然と立ち尽くしていたとは思えない手際の良さで、セトは次々に施錠していく。
その場にドサリと投げ捨てられたミランダは、慌てて体勢を立て直した。
何しろ灯り一つない暗闘の中。
必死に扉へと指先を這わせ、感覚だけを頼りに残った錠をかける。
分厚い扉にあった錠はすべて掛かり、外部の音を完全に遮断した。
「堅牢な造りになっているから、一度閉めれば、外から開けることはできない」
「脱出口はどこに繋がっているのですか?」
「地下に続く水路があり、小舟が一艘、係留されている。その先は堀だから、抜ければニルス大河川に出られる」
ひとまず時間は稼げそうだが、ニルス大河川など下ったら外から丸見えではないか。
どうしたものかと思い悩むが、如何せん、水路の造りが分からない。
「他の経路はないのですか? この状況で悠長に川下りなどしていたら、どうぞ捕まえてくださいと言ってるようなものです」
「誰も川下りをするとは言ってない。泳げるか?」
「……人並みです」
「だろうな、あまり得意ではなさそうだ」
だが付き合ってもらうぞと呟き、セトは手探りで壁を押す。
鈍い音とともに隠し階段が現れるが、何しろ暗闇なので、まったくと言っていいほど足場が見えないのだ。
真っ暗な階段を下り、どこまで続いているのかも分からない通路を手探りで、息を潜めながら進んでいく。
グランガルドの地下通路は、分かりやすく道が分岐していた。
だが帝国の場合は通路自体がギミックになっており、知らなければ目を留めることなく通り過ぎてしまう。
「建国当初は強権を発動するあまり、内乱が起きることもしばしばだった」
今もたまに起きているがと前置きし、声をひそめながら話を続ける。
「もとは城門の他に、出撃口として複数の水門を備えていた。だが有事の際は敵の侵入口になる可能性もあり、有用性を鑑みた結果、堀を作ったタイミングですべて水中に沈めたのだ」
大きくなる水音とともに、足場がぬかるむ。
冷たさもあいまって、より一層体力を奪われそうだ。
「きつくても足を止めるな。一度立ち止まると、動けなくなるぞ」
慣れない悪路に苦戦するミランダを案じてか、たまにセトが振り返り、声をかけてくれる。
行き止まりだろうか、暗闇に慣れてきた目に、鉄の格子が映り込んだ。
といっても人が通れるようなものではなく、上側がわずかに水面から顔を出しているだけで、他はすべて水中に沈んでいる。
苔に覆われ、長く使われていないことが一目で分かる状態だった。
「格子に沿って潜ると、水底付近に、人ひとり通れるくらいの隙間がある。どうだ、いけそうか?」
是、以外の選択肢がない状況下、セトはふんわりとしたミランダのドレスに目を留めた。
「水を吸えば重くなり、浮かび上がれなくなる。命が惜しいなら、ドレスは捨てていけ」
そうだろうとは思っていたが、やはり潜るのかとミランダは嘆息する。
脱ぐのは構わないが、数人がかりで着せるドレス。
相応の時間がかかるのではと思った直後、セトはドレスの縫い目に短剣を添わせ、コルセットの紐と、重ね布を引き裂いた。
「――息を吸え」
薄い下着だけになり、軽くなったミランダの身体を、セトが引き寄せる。
ミランダが肺いっぱいに息を吸い込んだのを確認するなり、滑り込むように水中へと沈んだ。
冷たい水が一気に全身を包み、突き刺すような寒さに身体が震える。
張り付いた薄布が浮力を奪い、感覚を失った身体がどんどん沈んでいく。
「……ッ」
必死に手足を動かして水をかくが、もともと運動は得意ではない。
……身体が、鉛のように重い。
暗い暗い水底へと引きずられていくような錯覚の中、がぼっ、と口から飛び出た大きな泡が、水面に向かって浮いていく。
沈むのはいいけど、浮かぶのは難しそうね。
そんなことを思った瞬間、ぐん、と身体が浮き上がる。
深く沈んだ暗闇の中、ゆっくりと水中を進む感覚に、ミランダは静かに目を閉じた。







