91. それなら、話は早いのだけれど
加護の力を使うのは、グランガルドで倒れたシェリルを救って以来である。
あの時のシェリルもまた全身に猛毒が回り、危険な状況だった。
「外傷はないようですね……」
服を脱がせている余裕がないため、コニーが手際よく衣服を裂いて確認する。
目立った外傷はないが、服の下から現れたのは、意外にも引き締まった身体だった。
どう見ても貴族令嬢のそれではなく、だからこそここまで自力で辿りつけたのだと分かる。
「この状態で、ここまで来たのね……」
ミランダがぽつりと独り言ちた。
セトに与えられた屋敷にいてもなお、こうして命の危険に晒される。
強国ファゴル大公国の『ミランダ』は、第三皇子エリアスの立場をひっくり返しかねない。
帝国の現状で、皇太子妃候補としてミランダを名乗ることは、それほどまでに危険が伴うことなのだ。
「……ッ!?」
ミランダがふと視線を落とし、――襟元をくつろげていたコニーもまた、手を止めた。
ひゅ、とドナテラが息を止め、皆がくつろげた胸元を凝視する。
隠れていた胸元には、皮膚が焼けただれたように歪んだ焼き印の痕。
それはインヴェルノ帝国において、犯した罪を忘れぬよう、そして生涯償うよう刻まれる重罪人の証――。
ミランダは偽物の首筋へそっと手を添え、瞼を閉じる。
薄っすらと透き通るように美しい『薄紅の加護印』が、ミランダのうなじに浮かびあがる。
幻想のような光がふわりと浮かび上がった。
きらめく光の粒は淡雪のように宙を漂い、静かに、偽物の身体へと降り積もっていく。
ああ、――この感覚だ。
奥底から引き上げるような……あの時と同じ感覚。
色を失っていた偽物の頬が、徐々に血色を取り戻していく。
それに呼応するように、ミランダの血液が沸騰するように熱くなる。
地の底へと引きずり込まれそうな没入感を以て、籠もるように身体が熱を帯びていく。
――シェリルの時もそうだった。
前回はクラウスがいたが、今この場にミランダの手を引き戻してくれる人は、誰もいない。
意識が霞みかけたその刹那、ミランダは全身の力を込めて跳ねるように手を離し、……そのまま、傍らのソファへと身を預けたのである。
***
――『ミランダ様を、一晩お預かりしております』。
届けられた手紙を一読するなり、セトはまだ日も昇りきらぬうちからドナテラの屋敷へと乗り込んだ。
「……どういうつもりだ?」
偽物が、ドナテラの屋敷に単身泊まりに行くなど有り得ない。
セトが怒り露わにする中、ミランダはゆったりとした仕草で出迎えた。
「どういうつもりか伺いたいのは、こちらのほうです」
「なんだと!?」
夜更けに足音がしたかと思ったら、突然屋敷の前で倒れるだなんて。
大変迷惑をしているのですよ?
訳も聞かずに開口一番、責めるセトをそのままに、ミランダは続ける。
「屋敷の前に、倒れていただと?」
「こちらで応急処置を施しましたが、依然として予断を許さない状態です。外傷はなく、毒によるものでしょう」
薬草に精通した、ドナテラ様の献身的な看病によるものです、と補足する。
「支援が必要な場合はお声がけを――と確かに申し上げましたが、住まう宮の近くにわざわざ屋敷を与えたにも拘わらず、守れないとは」
事を荒立てる気はないが、立場の弱さをもってしても身分は皇太子。
使える手駒はあるはずなのに、庇護下にある候補者一人すら守れていない。
「ご存知の通り、我がファゴル大公国はアルディリアとグランガルド、四大国のうち二つと同盟を結んだばかりです。叶うなら貴国とも、協力関係を望んでいます」
それも、恒久的な友好関係だ。
国交だけじゃない、互いに利がある開かれた貿易も。
「腕のいい職人の当てがありますので、造船技術などの技術交換もしたいです」
ジャノバの海運王が持つ技術があれば、外洋航路が開ける。
大陸の外へ、行き来できるようになるのだ。
「他国など、中に入らなければ分からないことばかり。だからこそ自分の目で、貴国が信頼に足る相手かどうかを見極めるつもりでした」
今すぐでなくてもいい。
五年後、十年後……自分がいなくなった後までも、先を見据えて。
「もとより争うつもりはありません。次代の国を担う者同士。直接お会いしたかったのです」
誰もが安心して暮らせる豊かな国を目指したい――そう、思いませんか?
「その『次代皇帝』は、――皇太子殿下、貴方かしら?」
「……ッ」
「それなら、話は早いのだけれど」
後継者争いが激しさを増し、第三皇子エリアスに手をこまねく中でのイレギュラー。
望むのは恒久的な友好関係と、それに付随する交易や技術支援である。
一時的だとしても、ファゴル大公国の後ろ盾を得られるのだ。
対価としては悪い話ではない。
「……ミランダが必要だ。嫁ぐ気がないのなら、皇太子妃選定式の間だけでもいい」
「偽物はどうされるおつもりですか?」
「外傷の確認をしたなら、罪人の証を見ただろう。お前に似た特徴の者を探し出し、釈放を条件に協力させた死刑囚だ。不都合なら処分しても構わん」
皇族への不敬罪。
約束を守る気など毛頭無く、コトが終わったら殺すつもりだったという。
「妃は皇帝になってから、見合う娘を娶ればいい」
「であれば偽物は、ドナテラ様の侍女としてこのままお預かりします。現在偽物が住んでいる屋敷は引き払い、必要な物があればこちらに移動させてください」
「……処遇は任せる」
――皇帝の謁見は数時間後。
唇の端をわずかに引き結び、セトはゆっくりと頷いた。







