第128話 初恋
その日は、穏やかな日常、ずっと続くと思われた変凡な日常が続くと思っていた私たちの暮らしに突然、予兆も心の準備もなく訪れた。
私の住んでいる集落は、父が永代騎士を与えられ、賜暇された小さな牧草地であった。父が言うには、一応の警護区域という事で、先々代から土地と地位を与えられたのだと言う。
確かに私が産まれてからこの方、敵軍というものを見たことがない。現れてもせいぜい、家畜である羊や牛を狙う、どこからか紛れ込んで来たはぐれ狼ぐらいだ。
それでも父は、普段は家畜の世話を手伝いながら、母が亡くなったあの日さえ、鍛錬を欠かすことなく、騎士としての生き方を続けて来た。そんな生き方を続ける父の生き方を集落の数少ない人々も認めて誇りに思っていてくれた。
そんな私たちの集落に、その日、黒い塊のような虫の群れが襲い掛かった。最初はただの巨大化した昆虫であると誰しもが思っていた。しかし、虫たちはまず初めに家畜の子羊や子牛を襲い始めた。
最初は集落の皆で虫を追い払おうとしたが、虫たちの群れは、次に親羊、親牛、そして、人間まで襲い始めたのだ。
「フィッツ! ここはもうだめだ! 逃げろ! この者たちを連れて逃げろ!!」
父がなんとか救い出す事が出来た老女と子供を産んだばかりの母子、そして、二頭の馬を連れて来た。
「お父さん! お父さんはどうするの!?」
「私はこの集落の主だ! 残っている者を救い出さねばならん! 大丈夫だ! 私も後で、皆を救い出して追いつく!」
私は父に追い立てられるように馬に乗せられる。私も分別が出来る年齢であるし、事態はひっ迫している。父を残して逃げ出すのは心苦しいが、私には父から任された、老女と母子を守る使命がある。
「お父さん… 先に行ってきます…」
「あぁ、三人を頼んだぞ…」
私と老女を乗せた馬、母子を乗せた馬は、それぞれ駆け出していく。私は後ろ振り返ると、父は私たちを見送った後、すぐに虫たちの群れを蹴散らしに回っており、住み慣れた集落の景色がどんどんと小さくなっていった。
それから、私たちはどれぐらい逃げ回っていたのであろう。およそ三日ほどの時間だと思われるが、虫の群れらしきものが見えれば、回避し、何も持たずに逃げて来たので、水と食料を求めてあちこち当てもなく逃げ回っていた。
しかし、そんな都合よく、水と食料が手に入る訳でもなく、私たちは飢えと渇きに苦しんだ。分別のある大人ならまだ我慢も出来るが、赤ん坊はそうともいかない、飢えと渇きで母乳が出なくなった母子は悲壮な顔をしていた。
そして、三日後の夜、とうとう赤ん坊が亡くなってしまった。そこの母は一晩中、亡くなった赤ん坊を抱きしめすすり泣いていた。私はその母親に対して何もすることが出来なかった。ただ、泣きたいだけ泣かせるしかなかった。
次の日の朝、母親の姿が赤ん坊の亡骸と共に消えていた。私はあたりを探し回った。そして、近くの崖に身投げした母子の姿を見つけた。
私は、野営場所に戻り、その事を老女に告げた。すると老女は集落に帰りたいと何度も何度も呟いた。こんな逃走を続けていても、飢えと渇きで野垂れ死ぬのが関の山だ。だから、虫の群れが過ぎ去っているかも知れない集落に戻ろうと、老女は何度も呟いた。
私は老女の言葉に根負けして、集落に戻ることにした。虫の群れが過ぎ去り、集落の皆が生き残っているかもという期待の嬉しさの半面、母子が死んでしまった事を告げなければならいと言う気の重さがあった。
こうして、私と老女は、あっさりと集落に帰り着いた。しかし、集落には私たちの帰りを待つ皆の元気な姿は無く、閑散としており全く人気が無かった。
私は馬を降りて、集落の中を人を探して歩き回ったが、皆、骨だけの姿になっていた。そして、集落の真ん中にバラバラになった人の骨を見つけた。あたりに散らばる物からして、それは父の遺骨であった。
私はその遺骨を抱きしめ、声をあげて泣いた。泣き続けた。一晩中泣き続けた。そして、いつの間にか私は泣き疲れて眠っていた。朝になっていた。
私は思う存分泣き続けていたので、少しだけ理性を取り戻していた。そして、一緒に戻って来た老女が心配になり、老女の姿を探した。
だが、老女の姿は遺体となって見つかった。自分の息子夫婦の遺骨に囲まれ、自分の家で首を括っていたのだ。私は父の死で泣き続けて、涙が枯れ果てていたので、その老女の死に涙も流すことが出来なかった。
私は、父の最後の願いである、老女と母子の命を守る事すら、何一つ出来なかったのである。
私は悔しくて情けなくてしょうがなかった。弱い自分、何もできない自分、そして約束を守れなかった自分が悔しくて、情けなくて、どうしようもなくて悲しかった…
私は強くなりたい、父の様に誇りを持てる人になりたい。
私は、父や集落の人々を埋葬した後、出立の為に、集落から、水や食料を集める。そして、父の唯一の遺品から永代騎士の証だけを手に取り、首からかける。
そうして、私は生まれ育った集落を後にした。再び戻れるかどうか分からない集落を振り返ることは無かった。そして、長い一人旅の末、城塞都市であるハニバルに辿り着いた。
私はそこで強くなるために兵として志願した。しかし、そこでは男性のみの受け入れで、女性の受け入れは断っていた。なので、もともと髪が短めだった私は男と偽ってなんとか入隊を許された。
本来であれば、一般兵として扱われるところ、父が永代騎士だったお陰で従卒見習いから始める事が出来た。最初の内には志願兵向けの訓練などもあったが、私は己のひ弱な身体を呪った。まだ成熟もしていない女の身体では、まともに剣を振るう事も、皆とともに城壁内を走って基礎体力を付ける事も儘ならなかった。
なので、私はいつしか、兵としての扱いより、雑用の小間使いに回されることになった。悔しかった、惨めだった。私は強くなる、誇れる人間になりたいと思っていたが、その希望からはどんどんと離れた状況になっていく。
そんなある日、勇者様がこの街に現れた。その勇者様は壮年の方でも、筋骨隆々の大男でもなく、気さくな、私より、五つほど年上の青年であった。
最初こそ、こんな人が本当に勇者なのかと疑いもしたが、私をやすやすと馬車の上に引き上げたり、屈強なオークや凶暴な狼を犬の様に従えていたり、はたまた、ヴァンパイアやドラゴンまで配下にしているような、とても凄い御方であった。
そして、私はそんな凄い方のお付になれた事が嬉しかった。私もすぐそばで、勇者様を見ていれば、強くなれるかも知れない、誇りを持てる人になれるかもしれない。そう考えた。
実際に仕えてみると、勇者様はとても気さくで、私の掃除を手伝ったり、また、配下の者たちにも優しく、まるで子供をあやす様であった。そして、皆が恐れ慄いていた敵の将軍までもいとも容易く屈服させてメイドの様に扱い始めた。
そんな様子を見ていると、私の勇者様を見る目は、手本となる人物から、尊敬、そして憧れへと変わっていった。最後には、私も勇者様の仲間たちの輪に入りたい… いや、私は、私は、勇者様に恋を… 人生初めての恋、初恋をしてしまったのかも知れない…
そして、ある日、私たち軍属は、食料確保の為に、北方に向かう事になった。そこで、勇者様は一人、敵の先行偵察と囮になることになった。
例え勇者様がお強いと言っても、たった一人であの虫の軍勢の中に飛び込むなんて、そんなの自殺行為としか思えない。勇者様も、大好きだった父と同じように死んでしまうかもしれない… もう、私は好きな人に死んでもらいたくない! でも、作戦は変える事が出来ない… それならば、私も一緒に行きたい! 私は副団長のサイリス様にそう願い出た。
私の申し出はあっさりと受け入れられ、私は作戦に使う馬を準備する。この馬は私とともに、集落から逃げ出した馬だ。そこで私は、物の弾みであんな事を言ってしまったが、私なんかが、勇者様についていって足手まといにならないだろうか…
そんな不安を抱えている私に、勇者様は私の頭を撫でてくれて、励ましてくれた。嬉しかった。そして、もっと勇者様が好きになった。
しかし、実際の作戦では、私はヘマをして、穴に落ちてしまった。今まで一緒に生き抜いた馬も亡くしてしまった… 私は暗い闇の中でまた一人ぼっちになった。
でも、勇者様は私を見捨てなかった。暗闇の中へ飛び込んできて、私の手を取ってくれた。その時、結局、勇者様の足を引っ張った自分を恥ずかしく、情けなくも思ったが、それ以上に、まるで、物語の囚われの姫が王子様に救われるような状況に私の胸は弾けそうなぐらいに高鳴った。
その後、勇者様は歩けない私を、その逞しい男性の背中に負ぶって下さった。私は、自分の胸の高鳴りが、勇者様にバレてしまうのではないかと戸惑ったが、もう高鳴る思いは止められないと思い、自分の高鳴る胸の鼓動を伝えようと、私は勇者様に胸を押し当てた。
でも、私の思いは伝わらなかったのか、それとも私の様な小娘には興味がないのか、勇者様は反応して下さらなかった。私は、助けられながら、少し残念に思った。
しかし、勇者様は私を守るために、ずっと、ずぅぅっと、敵と戦い続け、最後には死闘の末、敵の将軍までも倒された。私はその背中で、ずっと見守っていたが、男性の背中がこれほど頼もしいものかと感心していた。
そして、私たちはハニバルに凱旋する為、空を飛び続けた。私はこんなすごい勇者様の背中を独り占め出来る事が嬉しかった。そして、私は勇者様の背中と言う頼もしい場所で安心しきって、夢の世界に迷い込んでしまったのだ…
「あれ…?」
私は、身体の前の頼もしさが失われている事で、目を覚ます。
「あっ 起きた? えっとフィッツだっけ? 身体は大丈夫?」
声が聞こえるので、そちらに視線を移すと、勇者様の仲間の幼女がいる。確か、カローラちゃんといったはずだ。
「えぇ、まぁ…」
実は落下した時の痛みが残っているが、そんな事より、すぐに知りたい事がある。
「イ、イチロー様は? イチロー様はどうされたのですか!?」
「あぁ、イチロー様なら、そこで眠ってますよ」
そう言って、カローラちゃんは反対側のベッドを指さす。そちらに視線を移すと勇者様がベッドの上にピクリとも動かない状態でおられた。
私は、あまりにも動かれないので、もしかして、死んでいるのではないかと心配になった。
「イチロー様! イチロー様!! ご無事ですか!!」
私はベッドから飛び起き、眠っている勇者様にしがみ付き、その口元に顔を寄せる。
大丈夫、息をしている。
そして、その胸元に抱きつき、心臓の鼓動も確かめる。
大丈夫!、ちゃんと鼓動している。
良かった… 勇者様はちゃんと生きておられる…
私は一気に力が抜けて、勇者様の胸にへたり込む。密着した肌から、ちゃんと勇者様の体温も感じる事が出来る。
私は勇者様の生存を確認すると安心した為か、また再び瞼が重くなってきたのであった。




