第九十七話 世話焼きさんとお誘い
「ねぇ……て……」
朝なのか誰かが呼んでいる気がする。
それはよく聞き覚えがある声。
俺は眠気で重い目蓋を少しずつ開けると、そこには綺麗な金髪の女が俺を見ていた。
「あ、起きた?」
「っ!?」
俺は驚きすぎて声すら出ずに飛び起きようとする。
だが、まだ痛み止めを飲んでいない状態なので、腹部が少し痛んだ。
「っ~」
「何やってるの!?」
「いや、その言葉そのまま返す……」
あの出来事から約三週間。
二週間半の間、入院していたといっても、基本的な生活習慣は変わらない。
医者にも言われた通り、体を動かすことを控えて勉強したり本を読んだりする日々。
まぁ元々体を動かすようなことはしていなかったが。
ただ、今までと大きく変わった点が一点だけあった。
それは、今まさに俺の部屋のキッチンで朝食の準備をしている世話焼きさん、もといお隣さんの神代和奏だ。
和奏は俺が退院した日を含めてこの四日間、毎日俺の部屋に来ている。
おそらく心配して様子を見に来てくれているようで、一度普段通り生活できるから気にしなくていいということを伝えたのだが、
「そう言ってまた無茶するよね?」
と、初めて出会った時のような般若が見える笑顔で言われてしまい、俺は何も言い返せなくなった。
その結果、和奏に四六時中世話を焼いてもらっているという、なんとも言えない生活が始まった。
今の状況からすれば、自分の想い人が家に来ることを喜ぶのが普通だ。
しかし、ただでさえここ最近怖い思いをしたこともあって、男という生き物に対して、恐怖心があるのではないかと思っていた。
もしそんな心境だった場合、多少なりとも信頼しているであろう男から想いを伝えられたらと考えると、今の和奏の親切に対する裏切りのように感じた。
そのため、自分の想いを伝えたい気持ちと和奏を思う気持ちの板挟み状態が続いてしまっていて、複雑な思いだった。
そんな悩みを抱えながら、キッチンに立つ和奏の背中を眺めていると、今朝の出来事を思い出す。
そういえば……誰かに起こされるなんていつ以来だったか。
俺は少し記憶を探ると、中学の時に夜更かしをして起きれなかった時は沙希が起こしに来ていたことを思い出す。
小学校の頃は母親に起こしてもらっていたが、中学になってからは目覚まし時計をかけて自分で起きるように言われた。
それ以降、時々起きれないときは仕方なく沙希が起こしに来てくれていた。
まぁそれも中二の時までの話か。
そんなことを思い出していれば朝食が完成したようで、和奏が料理をお盆に乗せてテーブルに運んできた。
並べられた料理は、小松菜のおひたし、卵焼き、納豆、里芋と大根の味噌汁、そして白米。
全ての料理を並べた和奏が向かいに座って、俺達は手を合わせた。
「いただきます」
「……いただきます」
もうこの状況に慣れていることもあるのか、俺達はほぼ同時に挨拶するようになっていた。
そのまま朝食を食べ始めると、和奏が話しかけてきた。
「そういえば、もうすぐお盆だけど修司は帰るの?」
「どこかの日に顔は出すつもりではいるけど、たぶん日帰りになると思う」
心配かけたこともあるし色々と迷惑もかけたから、お礼として何か渡そうは思っていた。
ただ日帰りにするのは沙希のことがあるためだ。
俺が目を覚まさなかった時、見舞いに来てくれていたところを考えれば、沙希も色々と考えているんだと思う。
そんな時にまた関係を悪化させる可能性は減らしておくべきだと思っていた。
「それじゃあ、夏休み中はずっとこっちにいるってこと?」
「あーそうなるな」
「う~ん、そっかぁ」
和奏は何やら少し唸りながら、朝食を食べ続ける。
その和奏を不思議に思いながら見ていると、和奏のほうから着信音が鳴った。
和奏は箸を置き、ポケットから携帯を取り出して画面を確認する。
「お祖母ちゃんからだ」
「出ないのか?」
「ううん、出るよ。食事中にごめんね」
「気にしなくていいから、早く出てやれよ」
「うん。もしもし?」
和奏は不思議そうに電話に出て、そのまま少し楽しそうに近況報告などをしている。
だが、しばらくすると和奏の表情が驚いたものに変わり、困った様子になりながら俺のほうをチラチラ見ていた。
何の話をしているのか気になるが、俺は疑問に思うだけで言葉には出さずにいた。
すると、和奏は困った様子のまま俺の方に携帯を差し出してきた。
「ご、ごめんね。修司に替わってくれって」
「俺に?」
「う、うん」
俺は戸惑いながら、和奏の携帯を恐る恐る受け取った。
「か、替わりました。天ヶ瀬です」
「久しぶりだねぇ。元気にしてるかい?」
「まぁ、そうですね。元気にしてます」
「そうかいそうかい。そりゃ何よりだよ」
電話越しに奏子さんは嬉しそうに笑っている。
そんな奏子さんとは対照的に、俺は何の話をされるのか気になっていた。
「えっと……俺に何か?」
奏子さんは本来の要件を思い出したように話し始めた。
「そうそう! あんた、あの子を守ってくれたらしいじゃないかい!」
「え、いや、あれは俺だけじゃないって言うか……」
「あーそんなことはどうでもいいんだよ。守ってくれたことには変わりないんだろう?」
「え……ええ。まぁ」
「だったらお礼をしたいから、和奏と一緒に家に来な! 聞けば実家には帰らないらしいじゃないかい、構わないだろう?」
「え!?」
ちょっと待って! 和奏が事件のことを伝えていたのはわかったが、これはどういう状況だ!?
戸惑う俺など気にせず、奏子さんは話を続ける。
「それに祖父さんもあんたと話したがってるからねぇ」
「あの、俺!」
「それじゃ、待ってるからね」
俺が話そうとする前に、奏子さんは電話を切ってしまった。
俺は手に持った携帯を和奏に返すと、和奏は携帯を受け取りながら苦笑いをしている。
「えっと……どうする?」
「どうするって……」
俺達はお互いに苦笑いを浮かべながら、どうしようという困った空気に包まれた。




