第八十六話 流れる紅色と祈り
和奏は俺が駆け寄った途端いきなり大声を出した。
「修司! 血!」
「え?」
どうやら殴られた時に口の中を切っただけかと思っていたが、唇の方も切れていて血が垂れ流しになっていたみたいだ。
「あー掠り傷みたいなもんだ」
「そう……なの?」
「ああ。だから問題ない」
「そっか。よかったぁ」
「おい!?」
和奏はほっと安心して、俺に寄りかかってくる。
そもそも和奏が一番怖い思いをしたのに、それでも先に俺の心配をしてくるなんて、どこまでお人好しなんだろうと心配になった。
そんなことを思っていると、今度は急に頭を上げて俺を睨んできた。
「なんでこんな無茶したの! 私……私のせいで修司がひどい目に合うんじゃないかって……うっ……」
おいおい……いきなり怒ったと思えば、今度は泣きそうになってるんだが。
俺は和奏ができるだけ安心できるように笑いながら言う。
「約束したからな」
「えぇっ……?」
「何かあったら俺が助けるって約束したろ?」
「……ひっぐ……うっ……」
和奏は俺の言葉に頷くと、そのまま涙が溢れて出していく。
俺は和奏が落ち着くように優しく抱きしめながら頭を撫でた。
これで和奏は過去から解放されて、これからもっと自由に生きていくことができるだろう。
俺はそんなハッピーエンドで終わると思っていた。
「天ヶ瀬君!」
「……あんた達が……いければぁ!」
東堂さんの声に俺が振り向くと、倉澄が両手でナイフを持って、こちらに向かって走ってきた。
どうやら東堂さんが蹴り倒した男が落としたナイフを拾ったようだった。
西上さんは倉庫にいた奴らを拘束しているため離れているし、東堂さんも油断していたのか、反応が少し遅れてしまって間に合わない。
ナイフを突き刺そうとしている倉澄が来るまでもう数メートル。
今から態勢を立て直したところで遅かった。
俺は咄嗟に和奏を突き飛ばす。
「修司!?」
「あまがせぇ!」
俺はすぐに立ち上がり、倉澄のほうを向く。
そして、倉澄のナイフは俺の腹部に突き刺さった。
倉澄は俺からナイフを引き抜くと、ゆっくり後ろに下がって笑っている。
「あはははは!」
不思議と痛みはなかったが力が入らないため、俺はそのまま倒れてしまう。
倒れると、段々腹の奥から燃やされているような酷く熱い痛みが押し寄せてきた。
そして刺されたところからは生暖かい血が流れ、地面に広がっていく。
「ははは! っうぐぅ!?」
「くっそ! 油断した!」
俺が倒れた直後、どうやら東堂さんが倉澄のことを取り押さえたようだ。
あぁ……これで和奏もう大丈夫か……。
「トラ! 救急車!」
「もう呼んでるぜ!」
体のほうも限界だったためか、俺は徐々に意識が遠ざかる感覚が始まる。
その時、俺の頭に影が重なった。
「……しゅう……じ?」
視線だけを上げると、青ざめた顔色の和奏がそこにいた。
俺はなんとか声を出そうとするが、力が入らない上に痛みで全く声が出せない。
倒れている俺の横に、和奏はストンと力が抜けたように座った。
「え……うそ……こんなのって……」
ああ……俺が……俺のせいで、和奏をそんな顔にさせてるのか……。
俺は何とか手だけ動かして、横にいる和奏の手へ添える。
すると、和奏の顔が俺の顔を見て目が合った。
「……修司?」
今の俺にできることなんて、これくらいしかないからな……。
俺はさっき和奏を慰めていた時と同じように笑う。
不安にさせないため、和奏を安心させるため。
「っ……どこまでも人のことしか……」
和奏はそう言いながらも、涙がこぼしながら呆れたように笑い返してくれた。
そしてすぐに涙を拭いて頭を上げる。
「西上さん! ビニール袋か、あとタオルか何か綺麗な布を探してください!」
「急になんだ!?」
「止血するんです! 急いで!」
意識の遠くで和奏が指示を出している声が聞こえる。
一回意識をなくしているため、もう少しで完全に意識がなくなるということがわかった。
よく死ぬ間際に自分が生きてきた記憶が走馬燈になって振り返るなんて言うが、あながち間違っていないかもしれない。
現に今まで歩んできた記憶を振り返っている。
思い返してみると、自分の体質のことや行動で後悔してることばかりで、今回のことだって東堂さんと西上さんなら俺がいなくても上手くやったんじゃないかと思う。
そんな空回りな人生だったけど、今一番大切な人を守ることができて本当によかった。
楽しい時や嬉しい時、喜んでる時に見せる表情。
怒ってる時や恥ずかしがってる時、悲しい時に見せる表情。
最後に考えているのは、どれもこれも和奏のことばかり。
そして俺の過去の話を聞いた後に見せた優しい笑顔。
あぁ……これが恋ってやつか。
和奏と一緒にいる時に感じる不思議な気持ちを言葉にするなら、パズルの最後のピースが埋まるくらいしっくりくる。
しかし、こんな生きていられるかどうかもわからない状態の時に、そんなことを思ったところでもう遅い。
ならせめて一つだけ祈った。
――どうかこの先、和奏が幸せでありますように。
そう祈りながら俺の意識は深い闇の中へ落ちていった。




