第五十六話 お隣さんのわがまま
風邪を悪化させないために、最後に乾いたタオルで背中を拭いて役目を終える。
あとは和奏に任せ、寝室を出て着替え終わるのを待っていた。
寝室を出てから恥ずかしさや緊張なのか、色々な気持ちが込み上がってきて鼓動が早くなっていく。
俺は鼓動を落ち着かせるために、しばらく深呼吸を繰り返していた。
「着替えたんだけど……」
「っ!?」
ようやく落ち着いてきた鼓動は、和奏の声を聞いてまた早くなった。
しかし、いつまでも和奏を待たせるわけにもいかないので、平静を装いながら寝室に入っていく。
中に入ると、和奏は黒のスウェットの上にオレンジの色の半纏を羽織っていた。
その見慣れた和奏の姿を見ると、なんだか安心してきて鼓動は落ち着いていた。
「……何?」
和奏は安心したような顏をしている俺を見て、不思議そうな顔をしていた。
俺は首を振ってなんでもないことを伝えると、和奏からタオルを受け取り、ビニール袋に包んで持ってきた袋にしまった。
「寒くないか?」
俺がそう聞くと、和奏は布団の中から少しだけ顔を出してこくりと頷いた。
他に何かするべきことがないか考えているが、特にするべきことが思いつかない。
そんな俺の様子を和奏がじっと見つめていることに気付いた。
「どうした?」
「……眠くない」
「そりゃさっきまで寝てたからな。というか、まだ熱あるんだから頑張って寝ろよ」
「む~」
和奏を眠るよう諭すが、どうやらご不満の様子でほっぺたを膨らませていた。
すると、和奏が急に何かを閃いたようで、楽しそうな表情になる。
「ねぇ! 何か面白い話してよ!」
「……何かって、何だよ」
「う~ん、修司の恥ずかしかった話とか?」
「おい」
それから俺達は適当に色々と話し始めた。
神代の好きなぬいぐるみの話や俺が面白かった本の話、休みの日はどんな風に過ごしているのか、最近困っていることや楽しかったこと、本当にくだらないようなことまで話した。
そんな風に話していると話題は今日の話になった。
「そういえばさっき言ってたけど、お祖母ちゃんと話したんだっけ?」
「っ……ああ」
「そっか。修司がそんな気まずそうな顏するってことは、お父さんとお母さんのことも聞いたんだ」
「……すまん。話の流れとは言え、和奏にとって知られたくない話だったよな」
「ちょっと待ってよ。知られるのは別にいいけど……同情されるのは嫌かも」
「うっ……そういうわけじゃ……」
「確かにお父さんとお母さんがいなくて、寂しいって思うときはいっぱいあるけど……。でも、私にはお祖母ちゃんとお祖父ちゃんがいて、二人に大事にしてもらえたから。料理も全部お婆ちゃんが教えてくれたの……教えてくれたのは全部和食だったけど」
和奏は最初に少しだけ寂しそうなるが、祖父母こと話すときは本当に幸せそうな笑顔だった。
「それにお婆ちゃんに育ててもらわなかったら、こんないいもの知らなかったもの!」
和奏は布団から腕を出して、半纏の袖を持って腕を振って、自慢するように見せつけてくる。
そんな和奏の様子が幼い子供のように見えて、俺は少し笑ってしまった。
「あっ、今バカにしたでしょ! 結構暖かくて良いんだからこれ!」
「っぷ……はいはい、良いのはわかったから病人は早く寝ような」
「言い方が絶対わかってない!」
これ以上は話していては治るものも治らないと思い、和奏を宥めてから立ち上がる。
俺がそのまま寝室を出て行こうすると、和奏が小さく寂しそうな声を出した気がした。
俺は念のため振り返って和奏に確認をとる。
「言いたいことあるなら言った方がいいぞ。今ならわがままでもなんでも聞いてやる。病人の特権だからな」
「えっ……その別に……」
和奏は口元を布団で隠して、何かもごもごと呟いているみたいだ。
そんな和奏の目を見ると、何処となく寂しそうに見えた。
その時、俺は和奏の寝言を思い出した。
そういうことか……確かに風邪を引いてるときに一人だと不安だもんな。
自分の考えがあっているのどうかわからないが、何か言われたら大人しく帰ればいいと思いながら、俺はもう一度ベッドの横に座った。
「もう話したりはしないが……側には居てやる」
俺は和奏と目を合わせずにそう言った。
その時に和奏がどんな表情をしていたのかわからないが、しばらくすると和奏が聞いてきた。
「……一個だけわがまま言ってもいい?」
「……なんだよ」
「……えっと……その……私が起きた時みたいにしてほしい」
「ん? それって手を握っててほしいって意味か?」
「……うん……」
「……寝るまでな」
先程と違って和奏は起きているため、流石に恥ずかしさがあった。
そのため和奏のほうは向かずに、片手で優しく手を握ってやった。
すると和奏は、すぐに俺の手を握り返してきた。
「うん……おやすみ」
「……おやすみ」
それから和奏の眠りが深くなるまで、俺は手を握り続けた。




