第五十四話 お隣さんの家庭事情
「和奏に友達とはねえ……」
奏子さんは驚きながら、お茶を飲んでいた。
「今日は和奏さんの様子を見に?」
「そうさね。昨日久しぶりに電話したら、風邪ひいたかもなんて言うから様子を見に来たんだよ。そしたらこのありさまだ。あれほど体調には気を付けなと言っておいたんだけどねえ」
奏子さんは呆れた様子で寝室の方を眺めた後、俺のほうを向き直って聞いてきた。
「あの子と友達やってて面倒くさくないかね?」
「えっ……」
急にそんなことを聞かれ、俺は戸惑って何も言えなかった。
面倒くさいと言えばそうなんだが、別にあいつのせいでというわけではないから……。
「あはは! 何も言わなくていいよ。その表情から面倒くさそうなのがわかったからねぇ」
「……すみません」
なんか申し訳なくなって謝ってしまった。
「謝るんじゃないよ」
奏子さんは笑いながら注意した後、そのまま一口お茶を飲む。
「あの子は両親がいなくなってから、自分の殻に籠るようになっちまってねぇ」
「……え? いないって……」
「あの子が小学校二年生くらいかね。あの子の両親は交通事故で亡くなったんだよ」
俺は奏子さんの話を聞いて言葉が出なくなる。
あの写真に写っていた男の人と女の人はもういないのか……。
奏子さんは静かにお茶を飲んでから話を続けた。
「それから、その日あった出来事や友達の話をしなくなっちまってね。話す事なんかあたし達の心配だけだね」
そう言った奏子さんは寂しそうに笑っていた。
だからあんなに勉強を頑張っているのか……。
俺は神代の言っていた家族に迷惑をかけたくないという言葉を思い出して納得した。
「昔のことについて、俺にはわからないですけど。今は……俺以外に少なくとも二人、和奏さんに友達がいます」
俺は奏子さんに安心してもらいたかったので、今の和奏の交友関係について話した。
「ぷっ……あはは!」
奏子さんは俺の話を聞いて、急に笑い始めた。
「え、どうしたんですか?」
「なーに、大したことじゃないんだよ。なんとなくだけどね? あんたの目が、昔のバカ息子にそっくりで懐かしくなっちまってね」
バカ息子ってことは、和奏のお父さんのことか?
俺が不思議に思っていると、奏子さんはそのまま話してくれる。
「うちの息子もそうだったけどね。自分のことなんかお構いなしに、他人のことしか見ていない目をしているよ」
「それは違います。買い被りすぎです」
奏子さんの言葉に苦笑いをしながら、俺はキッパリと否定した。
「あんたも何かありそうな感じだねえ。まぁ部外者が深く聞くのも失礼って話だね」
奏子さんはため息をついて呆れた顏していた。
「これはバカ息子にも言ったことなるけどね。あんたが自分を卑下するのは構わないけど、あんたに助けられた人は感謝してるんだ。それを忘れちゃいけないよ、わかったかい?」
真剣な表情で神代と同じようなことを言われて、俺は驚きながらも頷いた。
奏子さんは俺が言葉を受け入れたことを確認すると、帰る準備をし始めた。
「もう行くんですか?」
「あたしがこのままいてもしょうがないし、それに旦那が家で待っているからねえ」
俺は奏子さんを見送るために玄関まで着いて行く。
「ほんとはお願いするべきじゃないんだろうけどね。和奏のことを頼んだよ」
「はい」
俺が返事をすると、笑いながら奏子さんは帰って行った。
奏子さんが帰った後、コップを片付けてから和奏の様子を見に行く。
和奏は寝返りをしたせいなのか、頭に貼ってあった冷却シートが剥がれていた。
俺はタオルで汗を拭いてやってから、新しいシートに貼り替えてやった。
それから、ゴミを捨てに行こうと立ち上がろうとすると、服の裾に何かが引っかかっているような感じがして立ち上がれなかった。
引っかかっていると思われるところを見ると、和奏が俺の服を掴んでいた。
「……パパ……ママ……行かないで」
和奏は勘違いしているのか、薄目で俺を見ながら小さく呟いていた。
今まで祖父母がいただろうけど、寂しいのは変わらないもんな……。
俺は掴んでいた和奏の手を握ってやり、ベッドの横に寄り添う形でその場に座り直した。
「……大丈夫。ここにいるから」
俺がそう言うと、和奏の顔色が不安そうなものから少し穏やかなものになった。
それからしばらく和奏の様子を見ていたが、いつの間にか手を握ったまま寝てしまっていたみたいだ。
体を起こすと、和奏が俺をじっと見ていた。
「……やっと起きた」
「……おはようございます」
俺は気まずくて敬語で話してしまう。
和奏は今度は俺のほうではなく、手を見ていた。
「手……離してほしいんだけど……」
「すまん!」
和奏にそう言われて、手を握っていたことを思い出して焦った。
「私が寝てる間に、変なこととかしなかったでしょうね?」
「ああ! 誓って何もしてない!」
「……ふーん」
俺は慌てながら聞かれたことに答えるが、和奏は訝しそうに俺を見てくる。
俺はなんとか誤解を解く方法を考えていた。
「ねぇ……ずっと看病してくれていたの?」
俺が悩んでいると、和奏がそう聞いてきた。
「今さっきまで寝てたけど……そうだぞ」
俺がそう言うと、和奏はそっぽを向いてしまった。
「……ありがとう」
微かに聞こえるくらいの声量でそう言ってきた。
和奏の耳は熱のせいなのか、赤く染まっていたような気がした。




