第三十六話 一之瀬陽香 対 謎の女
朝と同じように、謎の女は黙って幸太を見つめたままでいる。
流石に幸太が女に何か言うかと思ったが、先に一之瀬が話しかけた。
「……朝も来ていましたが幸君に何か用ですか?」
その言葉にはいつもの優しい雰囲気とは違い、敵意のある声色で女に伝えていた。
「……ええ、そうだけど。もしかしてあなたが赤桐君の彼女なの?」
女は視線だけを一之瀬へ向けて、品定めするように一之瀬を見てそう言った。
「そうですけど」
一之瀬はそれがどうしたのかと言いたそうな口調で、女の質問に答える。
それを聞いた女は鼻で笑い飛ばして、一之瀬を見下したような目をした。
「あなたみたいなお子様が桜花夫婦の婦人なんて。赤桐君に相応しくないわよ」
女の言葉にクラス全員が驚いていた。
桜花夫婦なんて言う名称が広まるくらい、幸太と一之瀬の仲の良さは周知の事実だった。
それなのに女は、その一之瀬が幸太に釣り合わないと言い放った。
「あの? それはどういう意味で?」
今までそんなことを言われたことがなかった一之瀬だったため、女の言葉を聞き返した。
「あら、伝わらなかったかしら。あなたみたいなガキ、赤桐君の彼女の器じゃないから別れなさいって言ってるのよ」
「は?」
うわぁ……あの女がぶちまけたのは驚くけど、それよりも今まで聞いたことのない声が一之瀬から出てきたんだが。
苛立つ一之瀬なんて気にせず、女は跪いて幸太の手を両手で握る。
「ずっと前からあなたのことが気になっていたの。そんな低身長のお子様女のことなんか、私が忘れさせてあげるわ!」
「え!? ちょっと待って! どういうことですか!?」
幸太は急に手を握られ、そんなことを言われて慌て始める。
その様子を横で見ている一之瀬から、なんか黒いオーラが出ている……。
「こっちが大人しそうにしていればいい気になって……」
……ああ、触れちゃいけないところに二つも触れてるから、一之瀬が完全にキレてる。
一之瀬に言ってはいけないことが二つある。
それは身長のことを馬鹿にされることと、幸太と付き合っていることを悪く言われることだ。
一之瀬曰く、前者はただのコンプレックス。
後者は、他の誰かにとやかく言われる筋合いはないという理由らしい。
ちなみに俺も初対面の時に一度だけ、一之瀬を身長についていじってしまって、キレられそうになったことがある。
あの時以来、一之瀬の身長について何も言わないように気を付けている。
「どこの誰とも知らない人に、とやかく言われる筋合いなんかないです! 大体ずっと前から気になっていたって、今更出てきても遅いです!」
「……うるさいわね。ここじゃまともにお話ができそうにないから、別の場所に移動しましょう?」
女が幸太の手を引いて立ち上がり、どこかに移動しようとする。
幸太は引っ張られるが、展開についていけてないのか動けず、座ったままでいる。
そこで、一之瀬が幸太を引っ張る女の手を掴んで引き止める。
「今は彼女と一緒にお手製のお弁当を食べている時間です! 邪魔しないでもらえますか!?」
「邪魔なのはどっちよ」
二人は完全にヒートアップして、周りのことなんか気にせず睨みあって火花を散らしている。
神代も一之瀬達の周りの雰囲気が燃えている状況に、慌てた様子でいる。
そんな神代は俺にメッセージを送ってきた。
『ねぇ! 天ヶ瀬君の時もこんな感じだったの!?』
そんな内容に俺はすぐさまメッセージを返す。
『いや、もっと腹黒いやり取りのようなもので、こんなバチバチに激しい感じではなかったな』
『ていうか赤桐君は何も言わないの!?』
『あいつの様子見て見ろ。状況についていけなくてテンパってる』
神代は俺のメッセージを見て、幸太の様子を確認する。
右手は女に引っ張られ、左肩は椅子に座らせたままするために一之瀬に抑えられている。
二人の間にいる幸太はオロオロし続けている。
『こういう時って、男の子がカッコよく彼女守るところじゃないの!?』
その様子を見た神代が、そんなメッセージを送ってきた。
『あいつ馬鹿のせいなのか、状況判断能力が乏しくてな。いつもワンテンポ遅くて、冷静に考えられるのは終わった後とかなんだよなぁ』
それなのにあいつ、一之瀬の時は颯爽と駆け付けられたんだけどなぁ。
『えぇ、そんなことあるの?』
『悪い奴じゃないんだが、そういう奴なんだよ』
そんなやり取りを神代としながら幸太達を見守る。
一之瀬と女が言い争っているだけで何も話が進展しない。
ただ時間だけが過ぎていき、昼休み終了のチャイムが鳴った。
チャイムが鳴ると、女は舌打ちをして幸太の手を離す。
そして朝と同じように踵を返して、教室を出て行こうとした。
最後に振り返って、幸太に向かって朝の時は違う柔らかい表情を向けた。
「また放課後に来るから待っててね。赤桐君」
女はそう言って教室を出て行く。
「二度と来るな!」
一之瀬は女が出て行った方を睨みながら叫んだ。
教室が先程の出来事で静まり返っており、一之瀬以外のクラス全員が固まっていた。
一之瀬は熱くなりすぎたのか、肩で息をして呼吸を落ちつけようとしている。
その後、次の授業の先生が教室に入ってきて、各々が慌てて席に戻って授業が始まった。
授業中、俺は教室を出て行くときに見せた女の表情を思い返していた。
どこかで同じような表情をした奴がいたような気がするんだよなぁ……。
しばらく考えていると、三日前のファミレスでの出来事を思い出した。
色々と気付いてしまった俺は、頭を抱えながら授業を受けることになった。




