第百十六話 混沌とした道場
「で、お前。久しぶりに顔見せたと思ったら、後ろに女なんか連れてなんだ? 彼女できたって自慢でもしに来たのか?」
「へっ!?」
「なっ!」
俺と和奏が琴吹先生がいたことに驚いてたところに、爺さんから予想外の質問が飛んできた。
俺も和奏も思わぬことに動揺し、顔が真っ赤になりながら変な声が出てしまう。
「ちちちち、違います! わ、私はそういうのじゃなくて! えっ、えっーと、そう! 監視役です!」
「和奏さん!?」
今度は和奏が動揺したあまりにテンパって、おかしなことを言い始めた。
「ほぅ~……修司、お前なんか監視されるようなことしたのか?」
「いっ、いや俺は」
「はい! しました!」
おいおいおい! 完全に和奏が暴走し始めたんだが!? ちょっ、誰か何とかしてれないと……そうだ!
この状況何とかしようと周りを見渡していたら、何とかしてくれそうな人が目に入った。
「あー! 琴吹先生も来てたんですねえ!」
俺は棒読みで、今先生の存在に気付きましたと言わんばかりに声をかける。
あまりのショックに和奏の声にも反応しなかった先生が、ようやく俺達のほうを見てくれた。
よし! これで状況が変われば!
しかし、そんな俺の思いとは裏腹なことになった。
先生は俺達を見た瞬間、尻餅をついて後ろに後ずさる。
「なななな、なんで天ヶ瀬達がここにいるんだ! いつからそこにっ! 待て……さっきのやり取りを見られたということは……はっ!? あぁ……今までの私のイメージが……」
「先生!?」
まるで何かが崩れ落ちたかのように、先生はそのまま体育座りをして縮こまってしまった。
あ……どうすんだこれ。
テンパって訳の分からない説明している和奏に、それを座りながら面白そうに聞いている爺さん。
爺さんの後ろでは、道場の真ん中で体育座りをしながら落ち込む琴吹先生。
この状況をどうすることもできないと諦めた俺は、全員が落ち着くまで考えることを放棄した。
「取り乱してすみません!」
それからしばらくして落ち着いたところで、和奏が頭を下げて謝罪した。
「大丈夫大丈夫。嬢ちゃんの説明で、なんでここに来たのか大体わかったから」
「……わかったのかよ」
「おう。トラに顔出せって言われたから来たんだろ? ここで話すのもあれだし、涼しいところに移動するか」
そう言いながら爺さんは移動しようとする。
道場を出て行く前に、爺さんは琴吹先生に声をかける。
「朱美は汗流したかったら勝手にシャワー使え」
「……そうさせてもらう」
琴吹先生がそう答えると、爺さんは笑いを堪えながら道場を出て行くので、俺達は爺さんの後について居間の方に移動した。
居間に入ると、クーラーがついていたのか涼しい空気に包まれていて生き返るようだった。
「いやー朱美のあの話し方面白れぇな」
爺さんはそう呟きながら、いつもの定位置である上座に座る。
そのまま適当なところに座ってくれと言われたので、俺と和奏は近くのところに並んで座った。
「琴吹先生の話し方って普段と違うんですか?」
「違うなー。嬢ちゃんの敬語じゃないしゃべり方って言えば想像つくか?」
学校での凛々しい話し方しか知らない俺達からすると、余りのギャップに二人して驚く。
そんな俺達の反応を見て、爺さんはまたケラケラと笑い始めた。
「ひぃ~これは傑作だな。後でこれネタにして、あいつのこと弄ってやろ」
かわいそうだからやめてやればいいのに……。
どうせ言っても聞かないのはわかっているから、俺は心の中でそう思った。
「で、朱美の話はいいや。ここに来たのはトラに顔出せって言われたからってことと、嬢ちゃんがいるのはこいつの怪我が心配だからついて来たってことであってるか?」
「えっと……」
和奏は困った様子で、確認を求めるように俺のほうを見た。
「あ、ああ。それであってるよ」
「そうかそうか……じゃあ修司、俺に何か渡すもんがあるんじゃねぇか? まさか手ぶらでここまで来たわけじゃねぇよな?」
爺さんの声が低くなり、空気が少し重くなる。
和奏もそれを感じ取ったのか、緊張した面持ちで不安そうに俺のほうを見ている。
「わかってる」
そう言いながら、ここまで二つ持っていた紙袋の一つを爺さんに渡した。
「中身は?」
「今俺の住んでるところにある美味しい洋菓子店のバームクーヘン」
「えっ」
「ひゃっほい!」
重くなった空気から一瞬にして先程までの明るいものに戻ったことに、和奏が戸惑った声を出した。
しかし、それも爺さんの喜びの声で掻き消された。
「え、修司これって」
「こういう人なんだよ……この爺さん」
俺と和奏の目の前にある光景は、白髪で皺の多いこの爺さんが、まるで子供のように受け取った紙袋を持って、喜びを露わにしている姿だった。




