48.泥を払う
なあんて事があった。
なんだかよくわからない、自分がなんのために息をしてんのか、なんだかよくわからないソフィーリアに、国の歯車という存在意義を与えたのは、リオネイルという王だったって、おはなし。
ソフィーリアは多分、リオネイルが好きだった。うん、多分。尊敬していた。
リオネイルはきっと誰も好きじゃないし、ソフィーリアの事も「良い歯車」としか見ちゃおらんかっただろうから、結局ソフィーリアをソフィーリアという「人」として見てくれていた人はあの国にいなかったんだけど。あ、リヴィオニスと騎士団の皆さん以外ね。へへ。
ま。でも、「良い歯車」ってのは、リオネイルにしてみりゃ褒め言葉だ。彼の中で他者をカテゴライズするための箱はそう多くはないだろうから。
特別なのは恐らく、妻であるヴィヴィアナだけ。
互いを見る視線に情熱的な色はなかったけれど、二人の間には誰も入り込めない空気があった。
ソフィーリアは、そんな二人が並ぶ姿が好きだった。最高のパートナー。一生を歩む相棒。まさに国を支える父と母。そういう、美しさがあった。あれを信頼と呼ばずになんと呼ぼう。
いつかわたくしも殿下とそんなふうになれたら良いな、なんてね。
馬っ鹿じゃないのか、とちっさなソフィーリアを蹴飛ばして抱きしめてちゅーしてやりたい気分で、ソフィは儚い眼差しで自分を見つめる、世にも美しい愛しい人の頬を撫でた。
元婚約者。元、をおっきな字ではっきりくっきり書きたい元、婚約者レアオフェルは、自分を歯車だとは思わない、思えない人間だった。
だって彼はずっと、自分は特別だと思っていたので。
まあそりゃあ、王太子だものな。特別よな。そりゃそう。だけども、国のてっぺんにおわすリオネイルは、自分を特別などと思いもしない。だからたった六歳の子どもに、政治を問うのだ。
王は恐ろしいくらいに、平等だった。
だからヴィヴィアナは隣に立っていた。だからソフィーリアは王に声をかける事を許された。
そしてレアオフェルはリオネイルの息子だったが、リオネイルではなかった。
ソフィーリアは、そんな簡単な事もわからなかった。
だけど。ねえ。
「あの日々もたしかに、わたくしをつくる一片だわ」
馬鹿だ阿呆だと、蹴飛ばしはすれど切り捨てるのは、あんまりじゃないか。小さなソフィーリアを抱きしめてやれるのは、ソフィーリアだけなのに。なのに、
「そんなことは当たり前です」
「!」
ぐらりと身体が跳ねるような浮遊感にソフィが目を見開くと、次の瞬間には、見上げていたリヴィオの顔が目の前だった。
まあ不思議。急に背が伸びたのねって、いやいやいやいや。どんな急成長。雑草もびっくり。荒れた土地に行ってぜひ撒いてやりたい促進剤。ってんなわきゃねーーんですわ。ね。
「りりりりりゔぃおっ?!」
りりりりんって可愛い鈴の音どころか、きったない悲鳴を上げるソフィを、リヴィオは世界中の憂いをかき集めてぶち込んだみたいな、切実な瞳でソフィを見上げた。
「何度でも言いましょう。僕が恋をしたのは、あの日々の中で笑った貴女です。あの日々を、背筋を伸ばして歩いた貴女です」
すごいことを言われている。
けど、ソフィの身体もすごいことになっていた。
だって、リヴィオのお膝に乗ってるんだもの。
思ったより柔らかい太ももに、鍛えられた筋肉が柔らかいってこういうことかあ、とか思ったらもう、ソフィの全身が一気に体温を上げた。
あつい。
ソフィの顔はこれ以上ないほどに真っ赤に違いないのに、こういう時に限って、平然としているリヴィオがソフィはいっそ憎らしい。いや、わかってる。わかってるさ、ソフィだって。
今リヴィオは、ソフィを傷つけたかもしれないとそういう心配でいっぱいで、自分が大胆なことをしてるって気づいていない。そういうとこあるよねリヴィオくん。ソフィもだんだん、わかってきた。うん。
でもさ、こんな体勢で、そんな、感情ぶつけられてさ。
まるで、幼いソフィーリアすら抱きしめるようなリヴィオを前に、平然としていられるスキルはソフィはもっていないわけでして。ソフィはうまく言葉が出てこない。
そんなソフィを抱く腕に、ぎゅうと、リヴィオは力を入れた。
「貴女の中に、僕じゃない誰かがいることを妬む僕を、どうか許して」
!!!!!!!!!!
すり、とソフィの肩に、柔らかい髪が、揺れ、背中を、大きな手が、すべって、もう片方の手が、腰を抱く。
どっかーん。
今度こそ、そういう音で、ソフィの頭ン中に爆弾が落ちた。どかん、どかん、振動が心臓を揺らし心は木っ端微塵。生きてますか脳みそくん。返事はない。
「ソフィ」
「ひっ」
首筋を、吐息が撫でた。なにこれ拷問? なんて拷問? ぼぼぼぼ、とソフィの身体が燃えんばかりに熱を上げる。こらあれだね。爆弾の着地による火災だわ。誰か水をー水をーーー!
「ごめんなさい」
「っっっ」
仮に。仮にだよ。
リヴィオがソフィを傷つけたとして、だ。いやソフィは傷ついちゃおらんし、リヴィオがソフィを傷つけるなんてそんな、冗談にもならないお話だけども、だとして、だ。
こんな謝り方は、ずるいんじゃないかしら……!
無自覚? 無自覚なのか? ソフィがちらりと見下ろせば、ぺったりと頬をソフィにくっつけて、くうん、と鳴き声さえ聞こえそうな、うるうるのブルーベリーにはたっぷりと悲哀が乗っている。うわあお、無自覚。嘘だろ。この男、本気でソフィに許しを請うているのだ。色仕掛けで有耶無耶にしたろってわけじゃないらしい。嘘だろ。
この先どんな言い合いをしたって、こんなことされたら、ソフィは絶対にリヴィオを怒れないだろう。
もうこういうやりとり何度目ですかね!と思って、ソフィはぎりいと血を吐きそう。
「……ずるいわ、リヴィオ」
ソフィの心なんてちっとも知らぬリヴィオは瞬きした。
「わたくしが、貴方を大好きだってわかってて、そういうこと、するのね」
え? とぱちぱちと揺れる、長い睫毛。
悔しくて、嬉しくて、ソフィは瞼に唇を落とした。
「そ、」
身体を起こして距離を取ろうとするリヴィオの顔を、ソフィは両手で捕まえる。
きゅる、と揺れる瞳に、真っ赤に染まる白い肌。大きな剣が世界一似合う美丈夫のくせに、世界で一番可憐な乙女のような唇に、ソフィは自分の唇を重ねた。
「わたくし、ちょっと冷静じゃなかったみたい」
はふ、と小さく息を吐けば、リヴィオは泣く寸前みたいな顔で言った。
「その、ようです、ね」
ぎしりと呻きながら、そのくせソフィの唇を追いかけてくるんだから、笑っちまう。自分の声がずいぶんと甘ったるいので、ソフィは馬鹿らしいなあと思った。
ここはソフィがいた国でも城でもなけりゃあ、王の腕の中でもない。
ソフィはもう、誰かの歯車でもないし、誰かを歯車と呼ぶ立場にもない。
怒りで我を失うな。
けれど義務感を装い己を過去に沈めるな。
怒りを乗りこなすのって、難しい。感情って、こんなに律するのが難しいものだったのねえ、ってそりゃあ、そうでなきゃソフィはここにはいない。爆発する感情に脳みそを焦がして走って笑って辿り着いたは美貌の騎士のお膝なんだから。
でもシリアスな空気だけには、自分を見失うことがないようにしよう。そのためには、しっかり食べて寝てなけりゃいかん。
起き上がった浮かれ脳みそくんが、うんうんと頷いた。
色仕掛けに振り回されるのは懲り懲りだ。
さしあたっては、この温もりから抜け出し朝食をとらねばならんわけだが、それはひどく難しいことであった。
シリアスな空気じゃないし流されてもいっか。いいか?
コミカライズ2話はご覧いただけましたか?!
2話もリヴィオニスとソフィーリアが可愛くてにへにへしちゃいます。
ところで私はマッテオくんがとても好きです。驚いている顔がまた可愛いですね…!あの方もちょっとしかでていないのにセクシーで最高です。
未読の方はぜひ!ぜひ…!





