47.歯車が回る音
爆弾が落っことされたみたいだった。
どかーんって。いや、違うな。音を感じる間もなく、閃光と衝撃が身体を襲って、息がうまく吐けない。そういうやつ。ふっとんで宙を舞う薄っぺらな身体は、着地を失敗すればひしゃげてゲームオーバー。頑丈さにはびっくりするくらい自信がないソフィはだけど、着地だけは上手いから、だいじょうぶ。だから、
「ソフィ」
そ、と頬を撫でられた。
硬い革のグローブ。その下からじわりと広がる体温。ああ、とソフィは息を吐いた。静かに、そっと、子兎が周囲を疑うみたいに。
「ごめんなさい」
囁くような声が、ソフィの耳から入って、心臓を包んだ。
目の前には、ぎゅ、と眉を寄せて、鼻の上にも、皺がある、綺麗な顔。ぐしゃって音が鳴ったのは、ソフィの身体じゃあなくて、目の前の、綺麗な顔だった。
だって、ソフィの身体はちゃんと此処にあって、此処に息をしているんだものな。
「……どうして、謝るの?」
ふふ、とソフィは笑った。心底おかしかった。
「泣きそうな顔をするから」
朝のような声だった。
朝露に濡れ、光を放ち、きらきらと優しく広がっていく、闇をゆっくりと寝かしつける、穏やかで鮮烈なまでの、優しい声。
「嬉しいのよ」
「嬉しい?」
そう、とソフィはリヴィオの手に自分の手を重ねた。使い込まれたグローブは、独特の柔らかさがある。強くて丈夫で、まるで貴方みたいね。なんて。ソフィは微笑んだ。
「貴方は何度でも、わたくしをあそこから連れ出してくれるんだもの」
やらなければならない、と強迫観念に囚われていた。とまでは言いやしないけどね。ソフィは多分、薄暗い汚泥に足を取られていた。自分でも気づかない間に。自分でも気づかないくらいに、自然に。
「自分を変えるって、難しいのね」
────リオネイル・フォンス・アルベイユ・ロゼイスト。
それはソフィーリアにとって、偉大な王の名だ。
いつも冷静で、楽しそうな笑みを浮かべて、優しい声音で容赦なく判断を下す偉大な王。
王は、怠け者が大嫌いだった。
言葉にされたことはない。リオネイルは自分の心のうちを家臣に晒すような王ではなかったから。
「全ての王族と貴族は、国を動かす歯車なんだよ」
ただ、その言葉はソフィーリアの深いところに、やけにしっくりと馴染んだのだ。
あれは、ソフィーリアがまだずっとずっと幼い頃。
父に連れられ登城して、そう、父親は急用だとかで呼ばれて謁見室を出ていった。父は振り返りもしない。いつものことだけれど。
後を追わなくてはと。ソフィーリアは頭を下げようとして、それで、名前を呼ばれた。
「ここで待つといい」
「え」
「使いを出そう。用が終われば迎えに来るように言っておくよ」
ね、と王は微笑んだ。優しく朗らかな笑みで手を振ると、侍従が頭を下げて出ていった。
どうしよう、とソフィーリアは小さな頭で考える。
父の命令にない勝手な振る舞いは叱られてしまう。けれど、王の命令に逆らえるはずがない。だがしかし、王と二人で話すなどと、うまくやれる自信もない。
どうしよう。
ソフィーリアは、そわりと王を伺った。
狼狽えるソフィーリアを見て、王は静かに微笑んだままだ。
豪奢な椅子にゆったりと背を預け、頬杖をつく右手の人差し指で、とん、とこめかみを叩いた。さら、と金色の髪が揺れる。
美しかった。
大きな窓から入る光は、美しい王を殊更に美しく見せた。
ほう、とソフィーリアが見惚れると、王は「首がもげそう」と笑った。
「おいで」
──かみさまみたい。
ソフィーリアの身体は、不思議なことに勝手に動いていた。王の前だというに、礼も忘れ、馬鹿みたいに視線を逸らせない無礼な振る舞いを、どうにもできない。
どきどきと、心臓がうるさかった。
ちっさなソフィーリアにはわかりゃしないが、それは未知のものに触れる好奇心と恐怖心だった。触れたいとあまりに純真な幼い好奇心と、触れてはならんと早熟な理性が告げる本能的な恐怖だった。
小さな、しかしとてつもなく大きな階段を、登る。
正面に立ったソフィーリアを、王は愉快そうに見下ろした。
「小さいなあ。小さいよ君。いくつになったんだっけ?」
「六歳に、なりました」
「そう。ちゃんと食べてる?」
こくん、とソフィーリアが頷くと王は再び「そう」と笑った。聞いたのは自分なのに、全然興味がなさそうな声。なのに、とても楽しそうだ。
「さっきの話、君はどう思う?」
ソフィーリアは瞬いた。
父と王が話していた、ある領で災害が起きた話のことだろうか。なぜ自分に聞くのだろう、とソフィーリアは首を傾げた。
「いけんならば、父が、もおしあげました」
そうだね、と王は笑う。
「彼らしい、実に合理的で冷淡で、面白みのない意見だった。誰に聞いても同じ事ばっかり言うんだよねえ」
うふふ、と美しい顔で王は笑う。
うふふ、と楽しそうに楽しそうに笑う、その声がなぜかしら。ソフィはぞくりと背筋が冷えるのに。
「だから、子どもの声も聞いてみようかなって」
子どもだから、と言う王の言葉にソフィーリアは高揚する。ソフィーリアの知る大人たちは、「子どものくせに」と眉を寄せるのが常だ。
子どもだから、と言う王の言葉は不思議な響きで、それはソフィーリアの心臓をどんどんと叩いた。
「わ、わたくしが、もおしあげて、よろしいのですか」
ソフィーリアがなんだかよくわからん力に押されるように口を開くと、王は「許す」と笑った。
「!」
「お前の意見を聞かせておくれ」
神々しい王の声に、ソフィーリアはドレスを握りしめ、大人のような滑らかさのない己の口を悔しく思いながらも、必死で動かした。
「エルアりょうは、へいかが大きなかいどうを、せいびしてから、人や物のいききがさかんだと、きいております。……合っておりますか?」
「うん。誰から聞いたんだい?」
「おちゃ会で、ごふじんがたが、おっしゃっておりました。おいしいお茶が、てにはいりやすくなった、と」
「そう」
王はまた頬杖をついた。さらりと、金糸が落ちていくのをソフィーリアはじっと見つめる。髪の毛一本の動きすら、王から眼が離せなかった。
王は何を思っているだろう。自分は何を求められているんだろう。わからん。んなこた、ソフィーリアにはわからん。
ただ、ソフィーリアの話をこうして聞いてくれる大人は、────初めてだったのだ。
そう、初めて。
初めて、ソフィーリアは、人の子として、自分の言葉で、人に言葉を伝えている。
「それで?」
王はやわらかい声で続きを促した。
「りょうないでは、やまいも、はやっているのですね?」
「そのように報告を受けているね」
「であれば、りょうは、ふっこおするどころか、ほろぶきけん、すら、あります。そうなれば、そんがいは、大きなものとなりましょう」
「そんなに酷いことになるかなあ。証拠は?」
「そうならないという、しょうこも、ありません」
とん、と王はこめかみを人差し指で叩いた。
「つまり君は、エルア領からの、川の氾濫に対する金銭と食料、それから医師や魔道士の応援を要請する声に応えるべきだと言うんだね? 氾濫の備えをしなかった愚かな領主を救うべきだと」
溶けるように優しい声が放つ、ぐ、と頭を鷲掴みされるような威圧感に、ソフィーリアはそれでも頷いた。
「はい」
王は、笑う。
「だけど、それには金がかかる。予算を組み直さないといけなくなるね。善行はタダじゃないよ」
「せっかくつくった、かいどうが、だめになったときのそんがいと、どちらが大きいですか?」
「駄目になるとは限らない。自分たちで復興できるかもしれないよ?」
「はい。でも、手をかせば、ふっこうは早くなり、そんがいも少なくなります。だいいち、すでに、えいきょうが出始めているから、へいかのところまで、声がとどいたのでは、ありませんか?」
本当は陛下も、わたくしと同じ意見なのではありませんか?
ソフィーリアはその言葉を飲み込んだ。
六歳の子どもが王に意見するだけでもとんでもないのに、六歳の子どもと同じ考えってのはさすがに無礼極まりない。んなこと口にしたら首がお空に飛んだっておかしくないもんな。
ソフィーリアが見詰める先で、王の指先が、とん、と揺れた。
長い髪がさらりと落ちると、「そう」と王は笑った。
「街道が一つ使えなくなったくらいで、国は揺らがない、と言ったら?」
「じんしんが、はなれます。はんたいに手をかせば、エルアに大きな貸しをつくれましょう」
「人心。おやまあ」
難しい言葉を知っているね、と王は笑い、身体を起こした。
びくりと肩を跳ねさせるソフィーリアを王は笑い、ソフィーリアは己を恥じた。
そして次の瞬間。
「!」
ぐお、と身体が持ち上げられ、ソフィーリアは目を見開く。高くなった視点。触れる体温。近くなる、王の顔。まばゆい金色にソフィーリアが目を白黒させると、王は声を上げて笑った。
「子どもって本当に軽いなあ。これが人から出てきて、大きくなって、私みたいに大人になって、また次が生まれてくるんでしょう? おもしろいよねえ。ねえ、子どもの抱き方あってる?」
「は、はい、大丈夫、かと、はい」
控えている騎士に王が首を反らして尋ねると、さっきまで黙っていた騎士も目を白黒させて答えた。ソフィーリアを伺う視線には驚きでいっぱいだし、両手をわたわたと揺らしている。
実際のとこ、ソフィーリアはなんかちょっと脇の下あたりが痛かったし、足は片方ぷらんって揺れてるし、安定感より恐怖感が凄かったので、彼は「落とすんじゃなかろうか」という心配でいっぱいに違いないが、言えるわきゃない。
「うーん、でも、こんなんじゃなかったような……。あ、こうか。こう? どうだい?」
「は、はい! よろしいかと!」
ほ、と騎士が息を吐けば、ソフィーリアも痛みがなくなって、こっそり息を吐いた。が、今度は王に抱き上げられているという衝撃で身体が固まる。
「なんか固くない? レアオフェル君はもっとこう、楽しそうだったような」
「王の腕に抱かれるなど恐れ多いことにございますれば、慣れぬのも致し方がないかと」
ソフィーリアは、こくんと頷いた。
こちとら、親にも抱かれたことがない。乳母も早々にソフィーリアから距離を取った。慣れないどころの騒ぎじゃないのに、それが王だなんて! かちんこちんになったって、そりゃあしょうがないでしょうよ。
ソフィーリアはもうなんだかよくわからなくなって、両手をぎゅうと胸の前で握った。
「まあいいや。賢いおじょうさん、よくお聞き」
ソフィーリアは、王の静かな瞳を見返した。
雨上がりの水溜りみたいに静かで、ただソフィーリアの眼を反射する透き通るような瞳は、じくりと、よくわからない恐怖でソフィの背中を撫でた。
眼が反らせない、圧倒的な、力。
「全ての王族と貴族は、国を動かす歯車なんだよ」
その声は、すとん、とソフィーリアの心に真っ直ぐに落ちた。
「君も」
「わたくしも」
陛下も?
不敬だ、と飲み込んだソフィーリアの声に気づいたように、王はにこりと微笑んだ。
「そう、王もだ」
例外はない、と王は愉快そうに笑う。
「王が着る高価な衣は、他の歯車を回すための序列で、ラベルにすぎない。この私も、民が安寧の上に笑って死ぬための歯車さ。だから、古くなれば交換しなくちゃいけない。君たちは、その次の歯車なのさ」
ソフィーリア、と王は歌うように名を呼んで、ソフィーリアを降ろした。
王は、この国で一番高価な椅子から、ソフィーリアを見下ろしている。
「良き歯車であっておくれ」
それはソフィーリアの心の深いところに、やけにしっくりときたのだ。
ああ、と幼いソフィーリアはその言葉に、安堵すら覚え、後ろ足でゆっくりと、静かに、階段を降りた。
そして膝をつき、深く、深く頭を垂れ、家臣の礼をとる。
行く宛てのなかったソフィーリアの言葉はその瞬間、国の歯車としての意味を持った。
お久しぶりです…!更新が遅れ申し訳ありません。
土日になると体調をくずす魔のサイクルに落ち、まとまった時間をとれずにおりました…。危うく闇落ちするところだった。
私の虚弱エピソードはさておき、今週15日はコミカライズ第2話の無料公開日です!楽しみだー!
よろしくお願いします!!





