44.水たまりにもなりゃしない
ワイズは、はっとした顔で手紙に視線を下ろした。そして、リヴィオの手元を見る。
二枚の便箋を持ったリヴィオは、「同じ手触りですねえ」と小さく笑い、便箋をひらりと揺らした。
「こちらはピューリッツ殿下からの夜会の招待状で、こちらはレジェールメって奴の胸糞悪い文書ですね。よくもまあこれだけ、エーリッヒ様への悪口が書けるもんだ。頭に何詰めてんのかな。ヘドロ? 生ゴミ?」
ふふふ、と美しい顔と声が奏でる不協和音にソフィも、ふふふ、と微笑み返した。ソフィちゃんもまったくの同意。思わず破り捨てそうになったくらい、あの便箋には偏った視点からの罵詈雑言が書かれているのだ。「だから自分たちは正しいのだ」と結ばれた文章の、なんて不愉快なこと!
己の罪を自覚しているくせに覚悟のない輩にかぎって己が正しいと叫ぶのだから、五月蝿いことこのうえない。あれだ。弱い犬ほどよく吠えるってやつ。きゃいんきゃいん。
思わずソフィが眉間に皺を入れると、「なるほど」とエレノアが他の便箋を持ち上げた。
「こちらも少し光沢があるな。内容は……レジェールメとやらの手紙、いや指示書だな」
「これも、レジェールメとかいう奴が子どもを集めろと書いていますね……」
ぎしり、とワイズの拳から聞こえた音には気づかないふりをし、ソフィはワイズに頷いた。
そしてエーリッヒを見やると、春の妖精王は肘掛けに頬杖をついたまま、穏やかに笑う。
「レジェールメ……魔導士の古い言葉で『正当なる者』という意味だね」
その瞬間、ピン、と空気が張り詰めた。
だって、ねえ? これってつまり、『自分は正当なる王だ』と世迷言叫んで笑っていらっしゃるってことでしょう? はあ? まったく、やれやれ。どっからくんだろねその自信。くっだらない。民を踏みにじり、何が王か。
おぞましいほどの不遜な自己主張を、エーリッヒはただ笑う。
完成された一枚の絵のような微笑みと温度のない静かな瞳は、ソフィが知る「王」そのものであった。
「意味深な名前の悪巧みの手紙と、事件の関与が疑われる兄上の手紙の手触りが同じというのは、不思議だね」
すこっしも不思議そうじゃないエーリッヒに、ソフィは「はい」と肩をすくめた。
「一般的に出回っているものならば、こじつけと言われるかもしれませんが……先程もお話ししたように、この紙は特別な薬剤と技術が必要で、つくられている場所がとても限られています。誰でも簡単に手に入るものではありません」
え? なんでそんなことを知っているのかって?
そら勿論、件の紙の生産に力を入れたのがソフィがいた国の王様、リオネイルだったからだ。
何をどうしてそうなったのかソフィは知らんが、ある日「この紙をつくる職人に出資するから」と国がバックアップする事業の一つとして取り上げた。え? と誰もが頭の上に特大のクエスチョンマークを浮かべた。浮かんだマークを合体させて捏ねたら多分国を覆う大きさだった。
だが、ソフィーリアもあまりの使いやすさに震えたほどの紙である。異論を唱える者はいなかった。リオネイルがどこからか突然仕事を持ってくるのはいつものことだったしね。
しかしその工程の複雑さから、量産への道は思うように進まなかった。一定の品質、安定した供給、そして価格という、いがみ合いしがちな三つのキーワードの円は案の定破綻した。あっち立てればこっち立たず。品質と量産を目指せばコストが上がるし、コストを抑えれば品質は下がったし、コストを抑えて品質を確保しようと思ったらほとんど生産できない。どん詰まりだった。
いずれは、と技術者たちは長期戦を覚悟したらしいが……リオネイルはそこで立ち止まる王ではない。
「待ってたら誰かに先を越されるでしょ」と、その少数生産のデメリットを逆手に取り高級感を演出した。コストさえかければ、品質を確保したうえで、ある程度の生産ができるようになったのだ。
これがまあ、大ヒットも大ヒット。貴族が貴族を撃ち落とす勢いで売れに売れまくり、闇オークションにまで出店され、輸出に至るまであっという間だった。
「たんなる偶然、と見過ごすには少し気になったので、文字を見比べてみたんです」
三人は、再び手紙に視線を落とす。テーブルにある他の手紙を手に取り、自分が持っている手紙と見比べている様子を見ながら、ソフィは続けた。
「ハネや丸みの癖だけではなくて、文章構成や語句の選択の仕方まで、とても似ていませんか?」
とあるやんごとなきお方の文筆を真似ていた、おいそれと人に言えない過去をもっているソフィちゃんにゃお見通しよ。おやや? と、紙に引っかかる羽ペンよろしく、見過ごせない違和感を伝えたソフィに、エーリッヒは「すばらしい」と、可愛らしく微笑んだ。
そうして、手触りをヒントに二人で家探ししてみれば、まあ出るわ出るわ。高級な紙に書かれた、捻りもクソもない「レジェールメ」なる人物から伯爵に宛てた、とっても愉快なお手紙たち。
発掘した手紙はいずれにも、「くれぐれもこの手紙は燃やすように」なんて書いていたんだけど、なーんで伯爵が大人しく自分の言う事を聞くと思ったのかしら。
「筆跡を鑑定すれば、十分な証拠になるはずです」
言い逃れはさせない。
こんなひどい事を企む奴が王位を望むなど、冗談じゃない。
「民のためにならない歯車は、取り換えるべきです」
国を動かしていくには、大きな力がいる。大きな力を生むのは、歯車一つ一つの精巧さだ。大きけりゃいいってもんじゃあないし、小さければいいってわけでもない。
どこかたった一つに不具合が出るだけで、全体が止まっちまう。
そんなこともわからない奴に、王を名乗る資格があるわきゃない。
錆びて軋んで回らないガラクタは、捨てっちまおう。
全てが止まってしまう、その前に。





