38.塗りつぶされた誇り
本日2回目の投稿です。
読み飛ばしにご注意ください。
暴力だった。
それはもう、あまりに圧倒的であまりに一方的な、純然たる暴力だった。
ワイズの目の前で部下が、投げ飛ばされ打ち飛ばされ蹴り飛ばされ叩き落され放り投げられ、次々と物言わぬ姿になる。と思いきや、確認すれば息はしているので、ほっとするやら腹が立つやら。絶妙に調整された仕上がりは職人技だ。くそったれ。
ワイズはその攻撃をなんとか躱せている、のではなく向こうにその気が無いのだと、宗教画から抜け出してきたような綺麗な顔が、悪夢から抜け出したかのように冷静に剣を振り回す姿を見て悟るも、ワイズの剣は悪魔に掠りもしない。空を切る己の剣の、ああなんと虚しい事か。
「遅ぇんだよ、木偶が」
悪魔は無表情に言った。
だが吐き出された言葉には隠されていない苛立ちが滲み、そのくせ細められた紫の瞳は透けるように美しかった。
気が付くと部下が倒れる地獄の中で、肩で息をするワイズと美しすぎる悪魔は二人っきりだった。
悪魔は息を乱すどころか、汗一つかいていない。さらりと揺れる黒髪は少女のように軽やかだ。
悪魔は自分とさほど長さの変わらんだろう大剣をぶんとふり、こちらを見ている。
ワイズは引きつるように、声を絞り出した。
「……なんで、俺を残した」
「あ、それくらいはわかる頭があるんだ?」
はは、と悪魔はゆるりと首を傾げ、皮肉気に口の端を上げた。
恐ろしく、忌々しく、けれど抗えない色香を放つ悪魔は、すいと伏した部下を指した。
「そいつ、お前の事を団長って呼んでたからさ。喋れた方が良いのかなって」
「……どういう意味だ?」
「こっちの台詞だよ」
とん、と悪魔は剣を肩乗せた。
巨大な刃の隣に並ぶに違和感しかない顔は、不愉快気に眉を寄せ、「お前ら、どういうつもりなわけ」と吐き捨てた。
怒り、或いは嫌悪だろうか。なんとも言えぬ黒い感情に浸された声に、ワイズは眉を寄せた。
「質問の意図がわからん」
「はあ?」
悪魔は、大仰に声を上げた。ドスの聞いたひっくい声は顔に似合わぬのに、似合っている。地の底から響いて腹の中を割くような声に、思わずワイズは足を引いてしまい、そんな己を恥じた。
敵前逃亡などしてたまるか、と剣を握る手に力を入れる。
すると、悪魔はぶんと剣を振り下ろした。
「子どもの誘拐を指示するような奴に、なんで手を貸してんだって聞いてんだよ」
「………は?」
ガン、と派手な音がワイズの耳を貫いた。
うわお。大理石の床に、大剣が派手に突き刺さっている。どんな威力。どんな剛腕。
ではなくて!
「ま、待て、今なんて言った」
子ども?
何を、と笑い飛ばせないこれは、悪魔の、何か良からぬ魔法だろうか。
耳鳴りが酷くて、頭が痛くて、眩暈がする。
静かな悪魔の声がうるさくて、黙れとその綺麗な顔を切り裂いてやりたい衝動に駆られるが、ワイズの手は、足は、ぴくりとも動かない。
悪魔は、口を閉ざさない。
「お前はなんのために憲兵団とやらにいるんだ。子どもを攫って何がしたい」
「こ、こどもは、もりで、」
「そうだよ。森で行方不明になってた。ご立派な領主さまが雇ったゴロツキ共のせいでな。なんの手がかりもない? ふざけんなよ。最初から探してないだけだろ。だって子どもたちは、ここにいた」
「なんの、なんの、話だ」
「知らなかった? それこそ知らねぇよ。なあお前は、」
ガラン、とワイズは剣を落とした。
「お前は、なんのために此処にいるんだ」
──憧れだった。
ワイズは王都の端っこの端っこ、ギリギリなんとかうーん多分、王都かな、って場所に生まれた。当然のように貧乏だった。大人と一緒になって子どもが働くのは当たり前で、それでもちっとも生活は楽にならず、いつも薄汚れた服を着ていた。
なあんて話をすれば、お育ちの良い方は「かわいそうに」なんて言いやがるが、んなこたあない。
両親は明るく元気で、妹は可愛くて、だからワイズは決して不幸ではなかった。
働いても働いても終わりが見えず、いつも腹は空いていたが、家族が好きで、毎日それなりに楽しくて、それなりに幸せだった。
可愛すぎる妹を泣かす近所のクソガキ共を軒並みぶん殴るワイズは有名な悪ガキだったが、騎士に憧れる程度には純朴だったのだ。
そう、ワイズは騎士に憧れた。
生まれた国が、貴族が、王が、まあ良くはねーんだなってこた、貧乏で学のないワイズだって知っていたけれど、騎士は格好良かった。
ずべーんと道のど真ん中ですっ転んだ自分に、汚れるのを厭わず手を差し出してくれた騎士に出会った瞬間から、ずっとワイズは騎士に憧れていた。
「あんなふうに、なりたい、と」
頭が、割れそうなくらいに、痛い。
ワイズは思わず、その場に膝をついた。
「あんな?」
悪魔は静かに問う。
「誰かに、手を差し出せる、騎士に、」
国が変わったのは、ほんの最近の話だ。
ついに王が変わったのだ。
王には誰もが諦めていた。内乱を起こしていた二人の王子にすら、諦めていた。
だって、内乱だぞ。戦だぞ。あっちこっちでドンパチやりやがって、兵は駆り出され田畑は荒れ、経済は止まり、国は死へ一直線。
おかげさまで、ワイズはもう何年も妹に会えていなかった。
兵に志願なんかするんじゃなかった、と後悔したって遅い。戦場で功績を上げたって、あいっかわらず終わりは見えないし、妹の顔はもっと見えない。
自分の知らん間に彼氏でもできていたらどうしよう? 相手を殴らずにおれるかしら。なんて考えながら、敵をぶん殴って切り伏せる。
そういう日々が、ついに終わったのだから、そりゃあもう、言葉にできぬほど、ワイズは嬉しかった。
新しい王様が決まったとの発表に「マジで?」と三回くらい聞きなおして同僚にうるせえと殴られたが、それでも嬉しかった。
新しい王様は三番目の王子様で、子どもだったけれど、何でも良かった。
「妹に、会えたんだ」
重たい鎧を脱ぎ捨てて、抱きしめた妹は暖かくて可愛くて、ワイズは顔を隠すのに必死だった。だって、泣いているところなんて見られちゃあ、兄の威厳がなくならあ。
お兄ちゃんは許さないぞって妹の彼氏を殴れなくなっちまうだろ?
なのに、妹は「ばかね」と、ワイズの顔を上げさせて、ぐしゃぐしゃの顔で笑ったんだ。「彼氏なんて、いないわ。お兄ちゃんよりカッコいい人なんて、いないもの」なんてさ。ワイズは、おんおん泣いた。
それで、
「それで?」
つよいこえ。
するりと耳に入って、心臓に刺さって、頭ン中開けるみたいな。
すぱーんと突然光が差すみたいな、そういう、強い声。がして。
ワイズは顔を上げた。
「それで、貴方はどうされたんですか?」
悪魔の、一度目にすれば忘れられないような美貌と対照的な少女だった。
年は十五、十六歳頃だろうか。
決して華やかな顔ではないが、夏の日差しを浴びる若葉のような髪が印象的な少女だ。少し日に焼けた肌と、凛とした飴色の瞳が健康的だが、佇まいは高貴なる方々のようで、不思議な存在感がある。
「戦に疲れ、妹さんと再会できて、それで、騎士になることは諦めたのですか?」
重ねて問う不思議な少女の声に、ワイズは頷いた。
確かに頷いたはずだった。
「違うんですね」
「え」
少女の声に、悪魔がフンと鼻を鳴らした。
「首振ってんじゃねぇよ」
不機嫌そうな悪夢の声に、ワイズは目を見張る。
首を? 振った? 俺が??
それはおかしな話だ。
だってワイズは、憲兵団としてこの街で生きている。
街の人を、領主を守るために、この街に来て、それで、
「あれ?」
──どうやって、いつ、なんで、街に来たんだっけ?
と、ワイズが首をひねった瞬間。体中を不思議な光が包んだ。
淡くて薄い紫の光は暖かく優しいのに、「しっかりしろ!」と乱暴に背中を強く叩くように、ワイズの心を揺さぶった。
体の中を強い光が駆け巡り、心の奥のもっと奥の奥、自分でも知らぬうちに鍵をかけてしまい込んだような場所を、そう、圧倒的な暴力で破壊しつくされる。
それで、剥き出しの魂に、紫の瞳が問うのだ。
『お前は、なんのために此処にいるんだ』
「そう、そうだ」
新しい王様は、散り散りになって戦ったワイズたちを見捨てなかった。
私財を投げ売って全ての兵に報奨金を与え、止まっていた国交を再開させ、商売を回し、道を、田畑を整備し、それで、兵を集めた。
出自は問わない。貴賤はない。
二度と民が怯えぬように、街々を警備する者が欲しいのだと言った王様の声に、ぼろぼろだったはずの男たちは再び集まった。
久しぶりだな、元気だったか、隊長戻ってきちゃったんですか、お前もう懲り懲りだって言ってたくせに、なんて軽口叩きあうワイズたちの心は、期待と猜疑心に揺れていた。
わずかな波にすら転覆する、小舟のように。
新しい王様に掛けてみたい。夢を叶えたい。
でも、もう一度裏切られたら? これが罠だったら? だって、あんな子どもに何ができるっていうんだろう。
ワイズが子どもの頃なんて、食べる事と妹の事と喧嘩の事しか考えてなかった。
大きなお城でぬくぬく育てられた子供が王様だなんて、冷静になれば馬鹿馬鹿しい話だ。帰っちまおうか、なんて思った時、その王様は現れた。
空よりずっと透明な青い瞳に、気付けばワイズたちは膝をついていた。
いつでも切り落とせるくらいに、深く深く頭を垂れる自分にワイズは驚いた。だってまさか、自分の中に王族への敬意なんてモンがあるたあ思うまいよ。
なーるほど。これがオーラとかカリスマ性とかってやつか、と頭のすみっこで考えるワイズに王様は「頭を上げてくれ」と静かに言った。
少年期特有の声はだがしかし、有無を言わさぬ迫力と優しさに満ちている。
顔を上げると、王様は澄んだ瞳でワイズたちを見渡した。
「よく集まってくれた」
有難う、と微笑む王様に、男たちはざわついた。そりゃあそう。だって、王様が自分たちのような、どこの馬の骨とも知らない者に謝辞を告げるだなんて! 明日星が落っこちて来ても驚くまい。
ぎょっと目をむくワイズに、小さな王様は声を出さずに笑った。
「俺はまだ幼く、不安に思う者もいるだろう。王を信じる事に疲れた者もいるだろう」
ぐ、とワイズは唇を噛む。己の不信を言い当てられちゃバツが悪い。
思わずワイズが背を伸ばすと、王様は小さく笑った。
「責めているわけじゃないよ。当然の事だ。──だから君たちに、俺の騎士になってほしいんだ」
王様は、ワイズたち一人一人の顔を見るようにゆっくりと視線を動かした。きらきらと光が振り注ぐ様は、太陽が遣わした妖精のように力強い。
ああこの王様だからこそ、疲弊した国はこんなにも早く立ち直ったんだな。
ようやく気付いたワイズに、王様は口を開いた。
「俺の手はまだ小さい。どうか、君たちの手を貸してくれないだろうか。今度こそ、民が傷つかぬように」
その時。
ワイズは、この王様の国なら転んだ誰かに手を差し出す騎士になれるのだと、確信に震え、明確なる意志と忠義のもと、頭を垂れたのだ。
身体は小さくても、その威厳ある姿はきっと、どの国にも負けてない。
難しいこたワイズにはわからんが、政治とか外交とかだって負けるはずがない。
国を想うひたむきさなんて絶対、世界一。国中の人間を幸せにしてやろうって気概じゃなきゃ、ワイズの家族がのんびり紅茶とクッキーを口にできる日なんてこなかった。
春なんて、一生来なかった。
「あの時、君が一番に来てくれたと聞いた。良く覚えているよ。……ワイズだったね?」
その遠い大空のような瞳を称えた王様の望む国にしたいと、ワイズは騎士の制服に誓ったはずなのに。
「国王陛下……!!」
春の妖精王の手足である事が、誇りだったはずなのに。
どれだけ地面に額を擦りつけようとも、ワイズの王様は、裏切り者の騎士の首を落としてはくれなかった。
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いつも読んでくださって有難うございます!





