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【書籍化&コミカライズ】婚約者の浮気現場を見ちゃったので始まりの鐘が鳴りました  作者: えひと
第3章:花が咲いちゃったので新しい旅の始まりの鐘が鳴りました
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36.今日に続く昨日

 轟音が響いた。


 エレノアと共にアズウェロの背に乗ったソフィが馬車を追いかければ、やっぱりと言うかなんと言うか。

 馬車が止まったのは領主の屋敷だった。

 馬車からは当然、リヴィオとエーリッヒ、そしてリヴィオの腕に抱かれた少女が姿を現す。白昼堂々、大胆なことである。けっ。

 さすがに玄関からお邪魔しまーす、とまではないけれど。裏口からこそこそすりゃあ良いってもんでもねぇわな。

 腹が立つことこの上ない。


 めら、と揺らめく苛立ちをよしよししてやりながら、木陰から屋敷を伺うソフィとエレノアの耳に、突然、轟音が響いた。次いで、叫ぶような声が聞こえてくる。

 古めかしく重々しい屋敷から奏でられるには不似合いな音に、ソフィとエレノアは顔を見合わせた。


「始まったようだな」

「リヴィオの生き生きしている顔が目に浮かぶようです!」


 どうぞ思う存分やっちゃってください! とソフィが両手を握ると、エレノアはからからと笑った。


「その様子を見られないのは、少し残念だな」

「……」


 たしかに、と思ったソフィはしかし、その言葉がうまく音にならず、無言になった。むむん。

 だって。

 戦うリヴィオは、格好良いのだ。

 本当に、もう、ちょっと、ソフィのいろんな感情と言葉が追い付かないくらい、べらぼーに格好良くて美しくて、髪の毛一本揺れるだけでも見惚れるし、目を細めるだけでぶっ倒れそうなくらい色っぽい。平然とした顔で戦うリヴィオより余程、見ているソフィの方が、体の中のいろんな細胞がどあああああっと叫んで狂って興奮して泣きそうになるし、うっかり、ね。あれ、しちまったくらい、も、ちょっと、すごいんだから。

 そういう、なんか、こう、言葉にしがたい筆舌に尽くし難いあれそれが、ぐるぐるぐるうと渦巻いて喉元せり上がって結果、ソフィは無言になった。わけである。


「さて、領主様はどちらかな、と」


 エレノアはソフィの無言を気にすることなく、視線を走らせた。

 ソフィとエレノアがいるのは、馬車が止められた裏口だ。

 リヴィオが大騒ぎをして、それに驚いた領主が逃げ出してきたところをとっちめてやろう、という作戦である。

 念のために玄関の方はレイリが見張っているが、さて正解は……


「来たな」


 裏口だ。

 憲兵団とやらだろうか。揃いの衣装を着た数人の男たちが、身なりの良い髭面の貴族を囲んでいる。あれが領主ね、とソフィが思うと同時にエレノアが走り、瞬間、大きな剣が現れた。

 リヴィオのように魔法石にしまっていたのだろう。流石は王族。貴重な魔法石を悠々と使いこなす背は頼もしい。

 エレノアは、す、と流れるように剣を振った。

 エレノアの身長とほぼ変わらないような、大きく分厚い剣は、柄も刃も真っ黒で、太陽の光を返し鈍く光る様はぞっとするほど美しい。

 黒鬼アレンと呼ばれた大陸一の戦姫は、囁いた。


「安心しろ、後悔する間もやらぬ」


 その言葉通り、あっという間だった。

 瞬きする間もなく、大剣の軌跡を追う間もなく、気付けば男たちが地に伏している。魔法だ手品だと言われても、わあすっごおい、と疑う余地なき早業であった。

 などと、呆けている場合でも見惚れている場合でもない。


「ひいいいい」


 顔を真っ青にした男が、ソフィに向かって走ってくる。

 当然だ。逃げ道はこちらにしかなく、その進路を塞ぐようにソフィは立っているのだ。


「ど、どけえええええええ」


 我を失ったように、男が叫び、剣を抜いた。

 不思議だわ。

 ソフィは右手を持ち上げ、魔力を展開する。驚くほどに冷静であった。

 ええ。まったくもって不思議なことに。


 ソフィはちっとも、怖くなかった。


 めちゃくちゃに振り回される剣は、当たれば痛いんだろうなってことくらい、ソフィにだってわかる。ちょっと前のソフィなら、腰を抜かしていたかもしれない。

 涙の一つ二つ浮かべて、それでも助けてすら言えなくて、ああこれが最期なのね、なあんてそれっぽく言ってみたりしてさ。かわいそうな自分に酔いしれて、誰も泣いてくれない代わりに、自分で自分を憐れんでやるのだ。


 それが悪いとは思わない。

 ──悪いと思わないように、なった。


 まだ、全てを受け入れられたわけじゃないけれど、でも、あの日々があったからこそ、ソフィは多分、今、ここにいる。あの日々を逃げ出したからこその、ソフィが、今、ここにいる。


「主」

「はい」


 ああ、あの忌々しき日々よ。

 打たれ、罵られ、嗤われ、歯を食いしばり血反吐を吐くような思いで己の無様に立ち向かった日々よ。どこにも行けぬと、どうしようもないと、それでもここに在るのだと、騎士が、民が、誇れる国であれと背筋を伸ばし、己で足を打ち、己で組んだ檻で微笑んだ日々よ。


「囚われるなよ」

「はい」


 けれど、ソフィーリアは逃げ出した。

 全部全部放って、放り出して、ぶん投げて、それで良いって笑ってくれた世界で一番美しいブルーベリーに恋をした。

 それがソフィ。

 それが、ただのソフィ。


「だから、貴方が大嫌いです」


 心を覆う閉塞感を、腹に渦巻く苛立ちを、練り上げ束ねけれど、決してそれに連れて行かれぬようにと背を包む誰かさんを思い出して、ソフィは微笑んだ。


「ソーンゲージ」


 言葉を紡ぐと同時に、一気に魔力が収束し、固く結ばれていく感覚に、ソフィは地面を踏みしめた。

 己の身体を引っ張られるような衝撃にソフィの薄っぺらい身体は思わずよろめきそうになるが、ここで倒れては格好がつかない。

 見た目が全てではない、が、見た目も大事であることはソフィーリアの人生がようく知っている。敵がいる場所でこそ、目を逸らしてはいけない。笑みを絶やしてはいけない。


 魔法を覚えたい、と言ったのはソフィなのだから。






 話は旅立ち前夜に戻る。

 その夜、ソフィの心は平常心を荒れ狂う川に放り投げていた。どんぶらどんぶら、波に攫われ揉まれくーるくる舞う平常心を、岸で見守る浮かれ脳みそ君が鈴をかき鳴らしシャウトしている。いや助けろ。煽るな。

 そういう精神状態であった。

 え? なぜって。

 そらあお前、空を舞う騎士に何度目かしらん惚れ直した勢いで、いらん事言っちゃうし、その、アレ、アレだ、ちゅー、しちゃうし!

 その後の気まずさったら!

 何を食べたか覚えてないくらいだ。くそう。ソフィちゃんは晩餐を楽しみにしていたのに!


 一人になった途端、ぐぬぬぬと顔を真っ赤にしてベッドにダイブしちゃうソフィといったら、アズウェロ様が「散歩に行ってくる」と耐え兼ねちゃうくらいの酷さだった。

 感情が心臓から脳からどぱっと出てきちゃいそうな混乱の中、ソフィはのそりと身を起こした。


「……そうだ、手紙を書こう」


 何と言っても、色々あった。ありすぎた。

 ほのかな憧れを抱く異国のお姫様に会って、恐ろしい呪いと出会って、リヴィオとデートして、嫉妬する自分を知って、リヴィオが可愛くて格好良くてやらかしちまって、素敵な魔女と出会って新しい魔法を使って、リヴィオの嫉妬に直撃した。


 いや、濃いわ。

 濃すぎる。ステーキのソースなら、メインの肉を押しのけて何を食べとんのかわからん味になって破綻するレベルで、濃いわ。こんなもん、処理できるはずもない。浮かれ脳みそ君もそりゃあ、無責任に鈴をかきならすってもんだよね。


 こんな日は、全てを書き留めて整理するか、全てを忘れ去るに限る。


 後者を選んだソフィは、鞄を開けて手を突っ込んだ。

 目を閉じて頭に描くのは、ルネッタの国で買った便箋と封筒だ。青やピンクに黄色、鮮やかな花に一目ぼれして買った、可愛らしいお手紙セットは、人生で初めてした買い物の一つである。

 だって、義務や仕事で書く手紙は全て、家令が用意したものを使っていた。

 可愛いな、なんて理由で便箋を買うなんて経験はこれまでなかったのだ。


 ソフィは指先から駆け抜ける「楽しい」に頬を緩めた。

 広げた便箋も封筒も、何度見ても可愛い。

 机に置かれたインク壺のふたを開け、羽ペンを手に取る。慣れ親しんだ香りに目を細め、ソフィは初めての友人の名を綴った。


 無事にエーリッヒとエレノアに会えたこと。

 ルネッタの杖に助けられたこと。

 二人の事をソフィは勝手に話せないけれど、何かあれば必ず連絡すること。

 それから、できればこの先、リヴィオの足を引っ張らないような、魔法を覚えたいこと。

 最後に、ルネッタの幸福をいつだって願っていることを、別れの挨拶にして。


 鞄に手を入れ、手紙を入れるケースを呼び出した。

 赤い魔石が部屋の淡い灯りを映し、キラキラと輝く。いつまでも見ていたくなる美しい魔法石を撫で、手紙を銀色のケースにしまった。

 そして、目を閉じて赤い魔法石の向こうにいる愛らしい友人を、その手にある揃いのケースを描き、魔力を込める。

 練り上げた魔力でケースを覆い、手紙が消えるところをイメージすれば、赤い魔石が輝いた。


「っ」


 練習通りの反応に嬉しくなったソフィは、ケースをぱかりと開ける。

 そこにあったはずの手紙は、綺麗さっぱり消えていて、ソフィは思わずその場でぴょんと跳ねた。


「やった! 一人でもちゃんとできたわ!!」


 手紙が果たして本当にルネッタの元に届いたのか? そんな不安がないでもないが、練習では何度もうまくいっていた。

 きっと大丈夫。そう信じよう。

 頷いたソフィは、ペンや封筒を片づけ、ベッドにもぐりこんだ。

 身体がほかほかとしている。

 魔法を使った事による疲労に身を委ねれば、次第にソフィの意識は温かな寝具に溶けていった。



 そうして翌朝、キラキラと光る魔法石に高鳴る鼓動を押さえケースを開ければ、ソフィが敬愛する魔女は、防御壁の魔法を応用できると、相手の動きを奪う魔法をソフィに授けてくれたのだ。



 コツは二つ。

 一つ、強固な檻をイメージすべし。

 一つ、相手への怒りを添えるべし。


 つまりは目の前にある、ふてぶてしい顔をしたおっさんが「か、身体が動かんぞ!! おい! お前ら! 俺を助けろ!!!」と怒鳴りながらすっ転ぶ絵面は、ソフィーリアとソフィの苦しみと苛立ちの産物であった。まー禍々しかろ。


「簡単に逃げられませんよ」



 拘束を解ける者がいるとしたら、それは美しい夜空の騎士だけさ、なあんてね。

 




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― 新着の感想 ―
[一言] ソフィちゃん偉い!ヨシヨシしたい(´▽`)
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