35.得手不得手
リヴィオは我慢が嫌いだ。
決めた事を何があっても何がなんでも絶対にやりとげる! という根性なら自信があるが、理由なく他人に押さえつけられ何かを強いられるなんて……。想像するだけでヤダ無理! とうっかり剣を振り回しちゃいそうだし、狭い場所に閉じ込められるだなんてお前、そんなん檻にゴリラを閉じ込めるようなもんだ。ウホウホ歩き回っちゃうわよ。
ってなわけで、リヴィオはバキイイィィンと鉄格子を破壊した。ウホ。
インインと余韻を響かせる耳障りなミュージックを背景に、リヴィオはにっこり微笑む。
「これで、いつでも出られますよ!」
「良い笑顔でこちらを見るな!」
嘘だろ君! と小さな王様が腹を抱えて笑うので、リヴィオは首を傾げた。何がおもしろいんだろな。
さて、木々が茂る森から所変わって、リヴィオとエーリッヒ、そして名も知らぬ少女は立派なお屋敷にいた。
ガタゴトと馬車に揺られ、降りろとせっつかれて見上げた屋敷は、古めかしくも立派で、リヴィオは「あーはいはい」と唾を飲み込んだ。危うく高貴なお育ちのお方の前で唾を吐くところだった。やっべえ。
まだ騒ぎを起こすわけにはいかないので、リヴィオはメソメソプルプルおたすけーと善良で脆弱な小市民を演じ続ける。
善良で脆弱だなんて、自分とは大海を挟んだ向こうっかわにいるような言葉の寒々しさに風邪をひいちまいそうなリヴィオであったが、作戦を台無しにしてはならぬ。エーリッヒの魔法で眠ったままの少女を抱きかかえさせられながら、リヴィオはシクシクと牢に入った。
リヴィオたちをここまで運んだゴロツキ共は、ゲラゲラと耳が腐りそうな笑い声を上げ牢を閉めると、さっさと地下牢を出ていく。見張りもつけないところを見ると、リヴィオの演技は大成功のようだ。
どうやら母から受け継いだのは顔面のつくりだけじゃなかったらしい、とリヴィオは少女を横たえると、えいやと鉄格子を破壊した。
だって、窮屈なんだものね。
ただでさえ、薄暗くてじめっとしてやがるのに、均等に並ぶ鉄の棒のなんと邪魔なことか。
簡単に素手で折れちゃう鉄の分際で、リヴィオの前に立ちはだかろうなどと、ちゃんちゃらおかしいぜ。ガランガランと鉄を放りながら、リヴィオは振り返った。
びく、と肩を震わせる子どもたちは、窮屈そうに身を寄せ合っている。
皆一様に顔色が悪く、濡れた瞳からは今にも恐怖が零れていきそうだ。可哀想に、すっかり怯えている。
子どもたちの様子を見たエーリッヒは、躊躇わず膝をついた。
「大丈夫だよ。驚かせてごめんね」
「急にアイツらが来てびっくりしたよな」
「うーん、それだけじゃないと思うが、まあ良いよそういう事で」
「え?」
きょとんとする子どもたちと一緒にリヴィオが首を傾げると、エーリッヒは「くふふ」と身体を揺らした。笑うのを堪えているらしい。何がそんなにおもしろいのだ。鼻毛が出とんのに気づかず身だしなみについて演説するおっさんを見るが如き少年に、リヴィオは眉を上げた。
「リック様、緊張感が足りませんよ」
「ひ、やめてくれ嘘だろ君」
「リック様の笑いのツボがわかりません」
「自分だけ常識人の顔するんじゃないよ……!」
リヴィオはエーリッヒの言いたい事がちっともわからんが、人にはペンが転がってもおかしい年頃というもんがある事は知っている。
誰にでも訪れるそれは、振り返れば何がそんなにおもしろかったのか首を捻るような事すら、おかしくって仕方が無い魔法の時間だ。
リヴィオもよく、室内戦闘の訓練では父親に階段からぶん投げられるだけで笑い転げていた。文字通りゴロンゴロンと己の身体が転がるのがおもしろくて、弟とゲラゲラ笑ったものである。飽きもせず父に向かって突進する息子二人を、母はわざわざエントランスにティーセットを用意させて「家族団欒ね」と微笑んでいた。
今思えば何がおもしろかったのか、不思議だなあと首を傾げるばかりだ。少年期って不思議ね。
「リック様、今を楽しんでくださいね」
「待てなんだその生温い目は」
「あ、あの」
か細い声に揃って顔を上げると、一人の少年がおずおずと前に出た。
短い髪とそばかすの浮くまろい頬が活発そうな少年は、けれど子どもらしからぬ隈をこさえ、リヴィオとエーリッヒを見上げている。
「そこ、どいて。お、おれたち、いえに、かえりたい、んだ」
ぎゅうと握った両手の拳に、リヴィオは目を細めた。
ある日突然大人に攫われ、さぞ怖かったことだろう。温かい家は遠く、不安な夜を過ごし、薄暗い地下牢は寒かったに違いない。なのに、今、少年は他の子どもたちを後ろに庇い、リヴィオを見上げている。
「君はまるで騎士のようだね」
「え」
小さな騎士は、ぽかん、と口を開けた。
リヴィオは無性に、その小さな口にとびきり大きくてとびきり甘い飴玉を放り込んでやりたい気持ちになったが生憎、魔法がかかった高価な鞄を奪われるのは困るとソフィたちに預けてきちまった。ポケットに手を入れても何も無いし、あったところで子どもたち全員分とはいかんだろう。
視線を動かせば、ざっと十数人の子どもがこちらを見上げている。なんとも、まあ、不愉快な事である。
「小さな騎士くん、名前を聞いても良いだろうか」
エーリッヒが問いかけると、少年は突然現れた二人を信用すべきか迷うように口を震わせた後、「カイ」と小さな声で名乗った。
エーリッヒは、そう、と優しい声で頷く。
「カイ、俺はリック。あちらはリヴィオだ」
リヴィオが手を振ると、何人かが緩く手を振り返してきた。かわいいな、と思うと同時に、リヴィオの中で苛立ちが増す。
こんなに可愛い生き物によく酷いことができたな!
「俺たちはね、君たちを助けに来たんだ」
「え?」
エーリッヒの言葉に大きく目を見開いたカイは、自分の後ろにいる子どもたちと顔を見合わせる。そして、もう一度エーリッヒを見て、それからリヴィオを見た。
まるい、零れ落ちそうな瞳の艶やかさに、リヴィオは一つ頷き、「本当だよ」の代わりに、べきょんと今度は鉄格子を折り曲げた。子ども二人は通れるだろうってぽっかり空いた空間を、ぱちぱちと瞬きしながら見詰めたカイは、ぎゅううう、と両手を握る。
「いえに、かえれるの……?」
拙い音だ。
たいらで、少し不明瞭で、大人には出せない、無条件で庇護欲が湧く、そういう声だ。
大人が護るべきで、太陽の下にあるべきで、間違っても「家に帰れるのか」なんて当たり前の事を言わせてはならん声だ。
はは、とリヴィオは乾いた笑いを浮かべる。
「リック様、僕って我慢嫌いなんですよねぇ」
「俺だって、大嫌いだよ」
それでも彼は子供らしくある事を捨て、あらゆる感情を宥めすかして我慢の上に座り、優雅な笑みを纏う。
エーリッヒは、庇護されるべき子供ではなく国を預かる王だからだ。
「一緒に暴れちゃいます?」
まあだけど、たまにはハメ外してみても良いんじゃないかと。リヴィオなんかは思うわけだ。
だって、リヴィオはエーリッヒの家臣でなけりゃ騎士でもない。たまたま居合わせた、ちょっとだけエーリッヒより長生きしているだけの通りすがりなんだから、自分の前で格好つけなくたって良いじゃないかと。
不埒なお誘いをしてみるけれど、エーリッヒは楽しそうに首を振った。
「任せるよ。俺はここで子どもたちといる」
この地下室に敵を一歩たりと近づける気はない。んなこた、エーリッヒだってわかってるくせに。「子どもたちを守る」と、子どもの笑顔で言うので、なるほどなあ、とリヴィオは笑った。
「貴方に仕える人たちの気持ちが、少しわかる気がします」
「え?」
自分を投げ出して誰かのために戦う人に弱いんだ。騎士ってやつぁさ。
「カイ、その人はこの国にとって、とっても大切な人なんだ。他の子たちと同じように、守ってあげてね」「は?」
ぱちん、とリヴィオがウィンクをすれば、子どもたちと揃ってエーリッヒが瞬きする。おんなじ顔で見上げてくる様子にリヴィオが笑うと、カイはぎゅうと胸元を握った。
「わかった!」
「おれたちも、まもる、できるよ!」
「わたしだって!」
ちっさな拳を握り、或いは両手を上げ、わあと声を上げる子どもたちに、リヴィオはニッと口の端を上げて笑った。
「なんて立派な騎士団なんだ!」
それにまた、子どもたちがふんすと頬を染めて興奮するので、うーんかわいいな? とリヴィオは呑気に思うわけだが、真面目な王様は「リヴィオ」と眉を寄せる。
立ち上がろうとする肩に手を置き、リヴィオは腰を折った。
「これで子どもたちは、貴方から離れない。任せましたよ?」
耳元で囁いたリヴィオが身体を起こすと、エーリッヒがやれやれと首を振る。
「君は詐欺師みたいだな」
「初めて言われました!」
「褒めてないので嬉しそうにしないでほしい」
そうは言われても、リヴィオが勢いと根性で駆け抜ける野蛮人であることは、騎士団では有名な話であったので。綺麗な猛獣、天使の顔したゴリラ、文明放棄の石膏、などと褒められているような貶されているような、よーわからん呼ばれた方をされた事はあれど、「詐欺師」なんてちょっと賢そうな表現はリヴィオ君、生まれて初めてなのだ。
実家のお父さんお母さんにご報告したくなっちゃうよね。嘘だけど。
「では、後ほど」
「気を付けて」
「はは」
だってまあ、結局はリヴィオは檻が嫌いな野蛮人だもの。お便り出すにゃ、ちと知能が足らぬ。
ばっきょん、と鍵を壊して扉を開けたリヴィオは、石造りの階段を駆け上がる。響く自分の足音を聞きながら、ピアスに意識を集中させ、剣を頭に描いた。
生まれた瞬間から握っていたんじゃないかってくらい、手に馴染む剣の感触を確かめて、立ちふさがる扉に向かって振り下ろした。
大きな音と共に飛び散る木片の向こう、見知った顔を見つけてリヴィオは唇の端を上げた。
ああ良かった、追いついたらしい。
「やあ、お頭」
我慢が嫌いで苦手なリヴィオの一等得意な事は、大暴れ。
ご存分に、と愛らしい声が笑った気がして、リヴィオは微笑んだ。
お久しぶりです……
季節の変わり目に弱いのですが、今年は特にひどくて難儀しておりました…。
皆様も心身共に、健康にお気をつけください…!





