18.攻守交替
無理。
無理、無理、無理!!!!
ソフィは口を押さえて、身体を折り曲げ、それでも耐えられずに、柱の陰に蹲った。
ゴン、と柱で頭を打ったが、そんなん大したことじゃない。全然、良い。なんでも良い。
この衝動を。衝撃を。逃がしてくれるならば、冷静にしてくれるならば、痛みでもなんでも良い。
たすけて!!!
ぐ、と漏れそうな叫びを飲み込むソフィに、ああ、無情かな。
その人はやってきた。
「ソフィ?!」
夕日が溶けた紫色の空をしょって、眩い瞳を見開くリヴィオの頬は赤く、汗が浮いている。
「っ」
「ソフィ!」
ソフィが胸を押さえると、リヴィオは慌てて駆け寄り、肩を抱く。その熱さに、剣を振るう硬い掌の感触に、ソフィは思った。
———死ぬ。
賢明で聡明なる第三者がソフィのその心を読み取ったならば、言っただろう。
『はーい通常運転! 散った散った色惚けの世迷い事だよ!』
うむ。
その通りであった。
ソフィの頭脳二代目、浮かれ脳みそ君は只今臨死体験中。綺麗なお空をふよふよ漂っておる。あっはっは、こーりゃもう再起動には時間がかかりますとも! ね!
「だ、大丈夫、です、ちょっと、めまいが、した、だけ」
「部屋で休みましょう」
「だいじょうぶ! だいじょうぶだから! ちょっとだけここで! 風にあたらせて!!」
今にも自分を抱きかかえそうなリヴィオを、ソフィは必死で止めた。んなことされちゃあまず間違いなく、死ぬ。ソフィちゃん、最愛の腕の中でご臨終じゃ。いやいや、駄目だって。
大好きな人がかっこよすぎて死にました、なんてエンディング、どんな三文小説? いや無料配布な小説でも許されんだろう。死因が独特すぎる。ある意味完全犯罪を綴ったミステリー小説として成立するだろうか。凶器も動機もどこを探しても見つからないんだもの。凶器は美貌。死因は恋。なんてスリルとショックとサスペンスだ。
「医師を呼びますか?」
さら、と長い髪を揺らして腰を曲げた騎士に、ソフィは大慌てで首を振った。とんでもない!
「本当に、ちょっと、あの、興奮しすぎた、じゃない、えっと、驚いただけなので!! どうかお構いなく!!!」
ソフィだって、だーいぶ変な事を言っている自覚は勿論、あるさ。
リヴィオはきょとん、としているし、騎士は、ぱち、と瞬きをしているしな!
んでも、騎士はその後、ああ、と思い至ったようにリヴィオを見て、にこ、と笑った。
きょとん顔されるんも辛いが、まるっと綺麗にお察しいただいても辛い。どっちも地獄で、ソフィは熱い顔の置き場を探して泣きそうになった。
情けないが、だって、仕方が無い。
リヴィオが、かっこよすぎた。
己の感情は「嫉妬」という名で「みんな一緒」と、お姉さま方に慰められたソフィは、リヴィオとの対話を勧められた。
もやもやとしたまま旅に出るのは本意ではないだろう? とエレノアに微笑まれては、反論なんぞできるはずもない。
そんなわけで、エレノアが手配してくれた騎士の案内で、ソフィは演習場に辿り着いたんだけども。
そこに、天使がいた。
とある騎士がソフィを「天使かと思った」などと正気を疑うような事を言っておったが、は? である。
天使は、リヴィオだった。
色を落としていく空にあっても輝きを失わない黒髪をなびかせ、空を駆ける、その背中に、ソフィは羽を見たのだ。真っ白の、大きな、翼。え? あるだろ? あるつってんだからあるんだ。あれは、天使だ。
この美しすぎる生命体の誕生に、天は手放すことを悲しみ雨を降らせ、地は喜びに震え、ご両親はさぞやご心配だったことだろう。いつ天に帰ってしまうかわかったものではない。
なるほど、だからウォーリアン家はリヴィオに剣を与えたのだろうか。なんちゃって。
ああ、けれど、剣を振るう様は、儀式のように美しく、獣のように生に満ちていた。
浮かべている表情は凛々しく、余裕に満ちた、楽しそうな笑み。その研ぎ澄まされた、生の香しさといったら!
天はリヴィオを手放したことを悔やみ、リヴィオはその悔恨を両断してみせるだろう。
「むり………」
それでも、ソフィはなんとかそこに立っていたのだ。
それでは私はこれで、と案内をしてくれた騎士が頭を下げるのに、なんとか頭下げて返す余裕も、わずかに、ギリギリ、なんとか、かろうじて、残っていたのだ。
バサリと丈の長いジャケットをさばく仕草に一々心臓が止まりかけても、でっかいリヴィオが、なんか可愛い仕草で自分より背の低い騎士を上目線で覗っていても、頭を撫でられた不服そうな顔がべらぼうに可愛くても、柱にすがって、どうにかこうにか立っていられたのだ。
あんなに格好良いのに、あんな可愛いなんて反則ではないの?! ウォーリアン卿もアデアライド様も一体どういう教育をなさったの?!
とか、なんか明後日の方向に怒りを抱いていても、誰にもつっこまれないのを良い事に、ソフィは一人、心の中で叫んでいられたのだ。
ところが。
とーころがだよ。
こんな戦闘を繰り広げているのは。
この格好良い姿は。
『ソフィが行きたそうだったから』と。
ソフィの、ためだって、言うのだから。そんなの、もう、
「たえられない…………」
「ソフィ?」
どうやって言葉にすれば良いんだろう。
どうすれば、伝えられるだろう。どうやって、報いれば良いのだろう。
どうにかなってしまいそうなくらい、嬉しくて、嬉しくて、胸がいっぱいで、なんかもう息苦しかった。
「リヴィオ」
「え、はい」
柔らかい声を掛けたのは、青い髪の騎士だ。
「エレノア様のお部屋までの道は覚えていますね?」
「はい」
「よろしい。では、私は仕事に戻ります。君は少しゆっくりしてから部屋に戻りなさい」
居たたまれないソフィが頭を下げると、目が合った騎士はにこりと微笑んだ。
「君たちの旅路に、幸多からんことを。どうか、くれぐれも怪我をしないように、無事に戻って来てくださいね」
「はい。あのお方の事はお任せください」
「そうじゃありませんよ」
「え」
ふふ、と騎士はリヴィオの頭を撫で、立ち上がった。
「君たちも、怪我なんてしたら怒りますからね」
そう言って背を向ける姿は、小説に登場する騎士のようで、ソフィはぽかん、と見送ってしまった。
生まれ育った国を飛び出してからというもの、「あれ? おとぎ話じゃないんだ?」っていう事が多すぎる。
「くそ……かっこいいなあの人……」
ぼそ、と隣で小さな声が言うので、ソフィはその顔を見上げた。
眉寄せて、嫌そうに撫でられた頭を押さえて、だけどちょっとだけ頬染めて……だから、可愛い顔をするんじゃないよ。
もうなんか腹が立ったソフィは、くん、とリヴィオのジャケットを引いた。
「……リヴィオの方が、かっこいいです」
「ぐっ」
リヴィオが胸を押さえて蹲ったので、ソフィはちょっと驚いた。
「ふ、不意打ちは止めてください……!」
魔法石のピアスがキラキラと輝くリヴィオの耳は、真っ赤だ。
それがあまりに、可愛くて、なんか、こう、美味しそうで。
ソフィは、その耳に、触れてみた。
「!」
唇が触れた、その瞬間、リヴィオがすごい勢いで身体を起こす。
「な、な、なに、」
顔はもう赤っていうか赤。赤を通り越した赤。いっそ体調が心配になるほど、真っ赤で、涙まで浮いている。じわじわ揺らめく、星空を閉じ込めたような、この世で最も甘いブルーベリージャムに、ソフィは思わず笑った。
「ねえどうしましょう、リヴィオ。わたくし、貴方が愛おしすぎて、泣きそうだわ」
「は、あ、な、ちょ、え、え、」
言葉を失うリヴィオは、いつもそのリヴィオに翻弄される自分を見ているようで、ソフィの胸にすう、と熱い風が吹くようだった。
「ねえ、リヴィオ、わたくし、今日初めて、嫉妬を体験したの」
「へっ? え?」
リヴィオは、真っ赤な顔のまま、涙が浮かぶ目を見開いた。
「今までは、誰かを羨んだりなんてしたことがなかったのよ。だって、そんなの無駄でしょう。わたくしは、所詮、わたくしでしかない。自分の目の前にあるものだけを、見ていなくちゃいけなかった。なのに、」
なのに、羨むなんて、可愛いものじゃない。
「いや、だったのよ」
「な、なに、が、でしょう?」
顔を真っ赤にして、耳を押さえて、それでもソフィの話を聞いてくれるリヴィオに、ソフィは目を細めた。
「わたくし以外の女の子に、触れさせないで」
「!」
「わたくし以外の女の子と、わたくしの知らない話をしないで」
「!!!!!」
リヴィオの好意を疑ったことなど、本当に、一度たりとも無いのだ。
そんなもん、大きな赤い林檎に向かって、「さてはお前…豆だな!」とか言うもんじゃん。見当違いも甚だしく、失礼極まりない、阿呆な糾弾だ。「林檎ですが?」と林檎にブチ切れられること請け合い。
いつだって甘くて大きな優しさと、時折胸がつんとするような、そんな想いを向けられて、疑えるわけが無い。
わかってる。
んなこた、わかってるんだ。
「……うそよ」
「!!!!!!」
リヴィオにも、あの厩舎のスタッフにもエレノアにも、他意は無い。
仮に。もしも仮に、他意があったとしても、それはソフィがとやかく言えることでは無い。
リヴィオはこんなにも魅力的で、誰かがその隣を欲しても、なんらおかしな話ではないのだから。
「……そんなこと、言えるわけないわ」
「ま、まってください、ほんと、おねがい、ねえ、ちょっとまってくださいソフィ!!!!!!!」
びゃん! とほとんど泣きそうな声で言われて、ソフィは瞬いた。
「ぼ、ぼくの心は今、空に投げられたり地面に叩きつけられたり大忙しなんですが……つ、つまりは、その、ソフィは、ぼ、ぼくが、話した女性に、嫉妬をしたん、ですか?」
そう、面と向かって言われると、ねえ。
申し訳ないやら恥ずかしいやらで、頷くのはなかなか勇気がいるんだが、なんかプルプルしながらなんかよくわかんない事を言うリヴィオの圧に巻けて、ソフィはそろりと頷いた。
「!!!!!!!!!!!!!!!」
「……嫌な態度をとって、ごめんなさい、リヴィオ」
面倒だと思われただろうか、とその恐れを握り締めて、ソフィは頭を下げた。
ぐ、と唇を噛みしめ、目を閉じ、リヴィオの返事を待つ。
けれども、ちっとも、リヴィオは声を出さない。
返事をしたくないくらい、愛想を尽かされてしまったのだろうか?
恐ろしい想像に足がすくみ、だけど、ソフィはそれでもリヴィオを諦めたくない。
まだ間に合うなら、どうか、と顔をあげて、そんで、ソフィは、首を傾げた。
リヴィオがなんか、丸くなっていた。
すごい、丸だ。すごい、丸。
丸、と表現するしかないくらいに、丸だ。
あの、ほら、たまにいるじゃん。猫が日向で、すっごい丸くなってるやつ。あれ。あれだった。
ソフィよりずっと大きくてがっしりした身体を、とんでもなくコンパクトに丸めている。そういうびっくり芸かなってくらい、丸い。小さい。
ほんで、なんか、震えている。ぶるぶるぶるぶる、って振動しているんだ。
「……リヴィオ?」
リヴィオが格好良い可愛い、という打ち上げられたテンションも、嫉妬で態度がおかしくなるなど申し訳ない、見放されたらどうしようなんて不安も、すこん、と転げ落ちていくくらい、丸くなって震えるリヴィオがよくわかんなくて、ソフィは首を傾げた。
「えっと、リヴィオ?」
もう一度呼びかけてみる。
返事はない。ただの丸のようだ。なんだ、ただの丸って。
にじりよったソフィは、丸いリヴィオを眺めてみる。ぐるっと覆った手に耳どころかお顔も勿論見えない。器用ね、と妙に感心したソフィは、服の隙間から見える項が赤い事に気が付いた。ははあ、色っぽい。
賢いソフィちゃんは、ぴーんと来たね。
丸の中の美人、もとい、リヴィオをその殻から引っ張り出すには、これしかない!
ちゅ。
「み゛ゃ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
光の速さで飛び起きて、っていうか飛び跳ねて、項を押さえる真っ赤な顔で涙ぐむリヴィオに、ソフィは火が出そうな顔を押さえて笑った。
「みゃって!」





