16.ひとはそれを「 」と呼ぶんだぜ!
エレノアの治療のため、ソフィとリヴィオは城に泊まる。ので、休憩がてらホテルをキャンセルし、馬を迎えに行く。
そんなストーリーだったので、城の厩舎で抹茶とお別れした後、二人はエレノアの部屋に戻った。
嘘がバレやしないかと、ソフィなんかはドキドキしちまうんだが、隣でリヴィオは堂々と城を歩く。街の銅像よろしく、待ち合わせの目印になってもおかしかないくらい目立つくせに、周囲の視線をものともしないのはさすがである。目立ちすぎる人生で慣れとるんだろな。麻痺している、とも言いそうだけど。
「おかえり。どうだった?」
にこ、と笑顔で出迎えてくれたエレノアは、「楽しかったです」とソフィが笑うと、良かった、と笑みを深めた。慈愛に満ちた、大人のスマイルにソフィの心がほっこりする。
「さて、夕食まで時間があるし、お茶でもどうだろう。ソフィは私の治療中という体だしね」
エレノアが掛けてくれ、とソファを指すので、ソフィとリヴィオは大人しく座る。
と、ノックの音が響いた。
音につられて振り返ると、メイドがドアの向こうに消える。なんとなくそのメイドの後姿を眺めていると、メイドはすぐに戻ってきた。
緑がかった、くるん、と内側に巻かれた黒髪を両耳の下で結ぶ可愛らしい髪型に、口元の黒子と伏せた瞳が、どこかアンバランスで美しいメイドは、「失礼いたします」と頭を下げた。
「エレノア様」
エレノアは、耳元でメイドが囁くと、眉を下げた。
「……リヴィオ殿」
「どうぞ、リヴィオとお呼びください」
そうか、と頭を掻いたエレノアは、「言いづらいんだが」と顔を上げた。
「近衛部隊の隊長が、リヴィオと手合わせをしたいと言っているらしい」
「なるほど。お忍びの旅に同行できない身としては、俺の力量が気になって当然ですよね。受けましょう」
「いいのか」
二つ返事で引き受けるリヴィオに、エレノアが目を見開く。
すると、リヴィオは眩しいほどの笑顔を浮かべた。ぺっかぺかの笑顔は夜道を照らすんじゃねぇかなってくらい、輝いている。
「一国の王の安全ですから、当然ですよ。それに、僕も最近、本格的な戦闘をしていないので身体が鈍っていない事を確認したいですし。願ってもないお申し出です」
今度はソフィが目を見開いた。なんて?
つい最近まで、とあるお城の兵士の訓練に混ざっていた気がするし、その前にはとある国で王様ともめたばかりなんだが。あれは、「本格的な戦闘」に入らんのか。え、一対大勢の訓練とかしてなかったっけ?
恐るべし。ウォーリアン家。
「近衛部隊の隊長、ということはお強いんですよね」
「ああ。剣筋が読みづらくて、おもしろい立ち回りをする御仁だ」
「それは楽しみです!」
「君もなかなか好戦的だな」
「も、ということはエレノア様もでしょうか」
「さてな。……ちなみに、リヴィオの得物は何か聞いても構わないだろうか」
「実は、僕も大剣を使っているんです」
「それは珍しいな! どんな物なんだ?」
「素材は……」
気付けば、リヴィオとエレノアの話は何やらマニアックな方へ転んでいた。楽しそうに盛り上がっている。ソフィには、何の話だかさっぱりだが、きゃっきゃと子供のように話すリヴィオは可愛い。とっても、とっても可愛い。ソフィには、ちっとも話がわからんけども。
───あれ?
「エレノア様、リヴィオ様。お話し中、申し訳ありません」
メイドの声に、ソフィははっとして顔を上げた。見上げたメイドは、ペリドットのような鮮やかな緑色の静かな瞳で続ける。
「ご夕食の前の方が良いだろうと、今からお時間をいただけないか、とのことなのですが如何なさいますか?」
「ではすぐに」
頷いたリヴィオは、ソフィの方を向くと、にっこりと笑った。きらきら眩しい笑顔である。
「行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい」
同じように、は、どうか知らんが。ソフィもにこりと笑い返すと、リヴィオは何やら難しい顔で首を傾げた。怪訝そうな瞳に、ソフィも首を傾げる。
「リヴィオ?」
「……僕、行ってきて大丈夫ですか?」
「え? はい。陛下もご存知なんですよね」
ソフィが再びメイドを見上げると、メイドはこくりと頷いた。
「リヴィオ様が受けてくださるなら、と前置きをされておいででしたが。ソフィ様がエレノア様の治療にあたっている間、手持ち無沙汰になってしまうリヴィオ様に城内を案内され、そこから話が盛り上がった、ということにするようにと仰っておいででした」
なるほど、とソフィが頷くと、リヴィオは「そういうことじゃないんだけどなあ」と小さく呟き、眉を下げて笑った。
んじゃ、どういうことだろう。
「リヴィオ?」
ソフィが名を呼ぶと、リヴィオは、じ、とソフィの顔を見下ろした。
観察するように、ソフィの顔を見ている。
そんなに見詰められちゃあ、居心地が悪いし照れてきちゃうんだけども。
困ったソフィが眉を下げると、リヴィオは、また眉を下げて、小さく笑った。
なんだろう、と思う間もなく。
リヴィオは、ぽん、とソフィの頭に手を置いた。
「!」
ソフィが思わず硬直すると、「ではまた後で」とリヴィオは立ち上がった。なに、それ。今の。
呆気に取られて見上げるソフィに、にこりと微笑んだリヴィオは、動揺に揺れるソフィの心を置き去りにして、綺麗に礼をする。
「では、失礼いたします」
「見に行けず残念だ」
「次の機会があればぜひ」
楽しみだ、とエレノアが笑うと、リヴィオも微笑み返した。その笑顔の美しさったら、いっそ憎らしいくらいである。
「それでは演習場へご案内いたします」
「頼んだよマリー」
頭を下げたメイドとともに、リヴィオは颯爽と退室する。
ぱたん、とドアが閉まる静かな音とともに、ソフィはそっと息を吐き、エレノアはしゅん、と眉を下げた。
「こちらの事情に付き合わせているのに、無礼ですまない」
突然の謝罪に、ソフィは大慌てだ。そんな申し訳なさそうな顔をされると、こちらの方が申し訳なくなってしまう。濡れたわんちゃんみたいな顔に、ソフィは全力で首を振った。
「とんでもないです! リヴィオの言う通りですし……彼、楽しそうでしたから」
「まあ、楽しくなる気持ちはわかるな」
ふふ、と笑うエレノアに、ふいに。ざわり、と心が撫でられるようで。
ソフィはそっと胸を押さえた。
エレノアとリヴィオが話している様子を、ただ眺めているだけだった時も、そうだった。
こんなふうに、ざわり、と。こう、ざらついた、やすりのようなもので、心が撫でられるような。もやっと、する、いやあな、気持ち。
そう、嫌だ。本当に嫌だ。
得体が知れなくて、気分が悪い。
「どこか具合でも?」
「え」
「胸を押さえているから」
心配そうに目を細めて窺うエレノアに、ソフィは再び首を振った。一人で勝手にぐるぐるしているだけなのに、エレノアに心配をかけるだなんて!
ソフィは拳を握って、元気よくお返事した。
「いいえ! 元気です!」
「ふむ」
だが、エレノアは誤魔化されてくれない。
どうしよう、と己の失態に狼狽えるソフィを助けるように、ノックの音が響いた。
控えていたメイドがすぐに扉を開け、ティーセットが運ばれてくる。侍女が並べていく茶器はどれも美しい。
が。
「あの、エレノア様はまだ起きておられない、という設定なのに良いのでしょうか」
めっちゃ元気じゃん、って誰かつっこまないのだろうか。
「君が私の治療の為に部屋にいる設定だし、エーリッヒやヴィクトールがそれを持てなすのも不思議じゃないし、大丈夫だろう」
「陛下もヴィクトール様も、おられませんよ……?」
「エーリッヒは忙しいし、ヴィクトールは気分屋だからなあ。ここに来ると言って茶器を運ばせておいて、来るのを止めたんじゃないか?」
にこ、と笑うがまさかそんな言い分が通るだろうか。
ちらりと、侍女を見ると、美しい微笑みを返される。
あ、大丈夫なんだ。
「この部屋で私の世話をしてくれている者は、信用してくれて構わない。安心して寛いでくれ」
そうは言われても、憧れの女性が目の前にいて、しかもその女性は一国の王の婚約者である。
あ、じゃあ、と背もたれにでろーんと伸びるほど、ソフィの神経は太くない。
自然と、鍛え抜いた淑女の面が顔に乗っかってくるのだけれど、
「とはいえ、私みたいに男のような者には相談しにくい事もあるか」
なんて、とんでも発言をされるので、淑女の面とかいう役に立たないもんを、ソフィは速攻で放り捨てた。がっしゃん、と遠くで多分割れたが気にしない。
ソフィは思わず立ち上がって声を上げた。
「滅相もありません!」
「アンジュ、少し座ってくれるか?」
「え、はい」
だがエレノア様。聞いちゃいない。
もしかすると、この手の問答を何度も繰り返してきたんだろうか。
貴族のおべっかと心無い言葉をよーく知っているソフィが眉を下げると、エレノアは気にした様子もなくにこりと笑った。
「アンジュは、私がこの城に来てからずっと世話になっている侍女なんだ。私より、頼りになるぞ。悩みがあるなら、言ってみないか?」
「そんな……」
「アンジュ、こういうのを女子会って言うんだろう?」
「ええ、そうですわね」
ふふ、と甘く微笑んだ侍女は、メイドに目配せをした。
心得たとばかりにメイドが頭を下げると、他のメイドたちも退室する。着々と整えられていく取り調べ室を、ソフィはあわあわと眺めるしかなく。
さあ、とばかりにお姉さま二人に微笑まれ、ソフィはついに、しおしおとソファに戻った。
「ソフィは女子会をやったことはある?」
「え? えっと、はい、多分」
魔術の事しか話していないあれをカウントして良いならば、だが。
だがまあ女の子同士で楽しくトークを繰り広げたわけだから、あれは女子トークで女子会で間違いないのだ。多分。自信満々だったはずが、こうも綺麗なお姉さまに微笑まれると、思い切り頷けないソフィちゃんであった。
「良いなあ。……私と女子会、駄目だろうか……?」
「と、とんでもないです!」
「そうか、じゃあ手始めに私の名前を呼んでくれ」
「え、えれの、あ」
「うん」
これは一種の誘導尋問では。
鍛え抜いたソフィの舌弁なんて、なんの役にも立ちゃしない。
まんまとエレノアの望み通りに答えるソフィに、侍女がふわりと笑った。
「自己紹介がまだでございましたね。アンジュ・フロドワールと申します。年は18、もうじき結婚の予定なのですが…そんな婚約者の愚痴に事欠かない、女子会のベテランでございます」
女子会のベテラン。なんか頼もしいキーワードが飛び出した。ならば自分は女子会初心者だなと、ソフィが妙に納得していると、エレノアが「おや」と眉を上げた。
「女子会とは婚約者の愚痴を言う場なのか?」
「まあ、エレノア様! 女子会の話題と言えば、流行り物に噂話に恋バナですよ。恋バナがお砂糖をまぶした可愛いものだけだとお思いですか?」
「……違うんですか?」
ソフィが問うと、アンジュは「もちろん!」と両手を握った。可愛らしいファイティングポーズ。その拳は何を殴るのだろう。
「あの人ったら、口だけはうまいから昨日も女の子からプレゼントをもらってきてたんです! どうして断らなかったのって言ったら、せっかく作ってくれたのに悪いからって、もらったのは手作りのクッキーなんですよ?! 百歩譲ってお店の商品ならともかく、手作りって! どう思われます?! ……って」
殴る、っていうか何かをねじ切りそうな勢いで語ったアンジュは、はたと瞬きした。
「わ、わたくしったら、つい……!申し訳ありませんっ」
「なるほどこれが女子会。新鮮なアンジュを見れて嬉しいよ」
「お恥ずかしいです……」
「いやいや、なるほどなあ……うん、それは、嫌だなあ」
頬を染めたアンジュは、けれどもエレノアの言葉に「でしょう?!」と、再び勢いを取り戻した。
「あの人にその気が無い事はわかってますし、相手の方も本当にそういうつもりじゃないのかもしれません。でも! そういう理屈で嫉妬が抑えられるなら! この世に痴情のもつれ、なんて言葉は存在しないんですよ!!」
「たしかに」
「あの人、知り合いも多いから、デートしてもすぐに声を掛けられて……! 知らない女の子と、わたくしにはわからない話を楽しそうにするんです! わたくしが焼きもちを焼いているのも気づかずに! どーせ、わたくしはあの人の趣味の話わかんないし、共感もできませんよ! 悪いっ?! 婚約者が無駄にモテるなんて悲劇ですわっ!」
わーん! とテーブルにつっぷしたアンジュの頭を撫でてやりながら、エレノアはソフィを見た。
「これ、酒が入っていないよな?」
「え…………と……………………」
酒。
酒って、なんだっけ。
あ、はいはい。ワインとか、シャンパンとか、エールとか。飲んだら陽気になったり泣いたり怒ったりすると噂の、あれ。
パーティーや食事会で口にすることはあるけれど、今のところソフィは好きとも嫌いとも思わない。嗜む程度にしか口を付けたことのないあれ。
多分、エレノアが指す紅茶には入っていないと思う。
ソフィがはっきりと答えられないのは、まだカップに口を付けていないからで、
何も言えないくらい、顔が熱いからだ。
「ソフィ?」
「あ、わ、わ、わた、くし、え、っと」
いやはや。
いやはや、女子会ってすごいね。こんなあけすけに、こんな自分の感情を語る場だなんて、ソフィは初めてである。
感情なんて隠して隠して微笑んで生きてきた。
嫉妬? 焼きもち?
んなもん、感じたこともない。
誰かを羨む気持ちなんて、とうに捨ててきたし、自分なんかに幸福は無くて当たり前だと思って生きてきた。
自分より妹が大切にされようとも。
自分の考えた政策が王子の名前で公布されようとも。
誰にも見向きされなくとも。
どんな言葉を投げつけられようとも。
当たり前。
そう思ってりゃ、傷つくこともないし、それが正当な評価だと思っていた。
思っていたんだ。
そうだ、過去形だ。
今のソフィは、顔から火が出そうなくらいの熱を下げる方法も、涙がじわじわ浮かんでくるのを止める方法も、何もわからない。
「わ、わたくし、ちょっとそこから飛んでまいりますわ……!」
「えっいやなんで!」
がっと立って、ばっと窓に走りよると、慌てたエレノアに後ろからひっ捕まえられる。
ソフィのうすっぺらい身体を、ぐるん、と抱き込む大きな女性の身体は、頼もしくて優しい。
うえ、とソフィの涙腺が緩んだ。
「お、落ち着けソフィ! どうした!」
「はなしてくださいっえれのあっ」
「離したら飛ぶ気だろう!」
「飛ばせてください……!」
「人は空を飛べないんだよソフィ!」
「とべるきがしますー!」
「そのガッツは素晴らしいが取っておけ! 使うところはここじゃない!!」
「っ」
ひょい、と自分の身体が持ち上げられ、ソフィは瞬いた。
すぐそばにある、エレノアのお顔と首筋。肩と足裏を支える大きな手。
わお。乙女の憧れお姫様抱っこである。
ショック療法で涙が止まったソフィの身体は、そっとソファに戻された。
エレノアは膝をつき、小さな子どもにするように、ソファに座るソフィを見上げる。
「どうしたソフィ。うん? そんなに泣いては目が溶けてしまうだろう?」
なんて! なんて格好良い人なんだろう!!
うるるる、と視界が滲む視界で、ソフィはほろりと声を零した。
「エレノア様、おとぎ話の勇者様みたいです……」
「そうか。エレノア、と呼んでくれたらもっと嬉しいな」
ふは、と笑う幼い顔に、ソフィはくたりと笑い返す。
「取り乱して、申し訳ありません」
「大丈夫ですわソフィ様。わたくしの顔もひどいことに」
ぼたぼたと涙を落としながら顔を上げたアンジュを見上げて、エレノアは笑った。
「私のハンカチは一枚しかないんだが、どちらが使う?」
「自分のハンカチもエレノア様の予備のハンカチも持っておりますわ。ソフィ様、お使いください」
「わたくしも自分のハンカチを持っております」
「さすがだねレディたち」
ずぞ、とレディらしからぬ音で、涙と涙じゃないあれを拭いたアンジュとソフィは、二人で顔を見合わせた。
「エレノア様、これが女子会ですわ」
「うーん、思ったより過激だった」
「恋とは過激なものなんです」
「まあ、たしかに」
ソフィがすん、と鼻を鳴らすと、エレノアはぽんぽん、とソフィの頭を撫で、自分の椅子に座った。端から端まで気品とオーラがある、役者のような振る舞いに、ソフィはぼけっとエレノアを見詰めた。
「エレノア、も、綺麗じゃない気持ちを、知っているんですか?」
「綺麗でいたいとは思うが、なかなかなあ」
「エレノア様も恋する乙女ですものね」
「……恥ずかしい言い方はよしてくれ」
あら、と笑うアンジュはもうケロッとしている。
よく見れば、目も鼻も赤いのに、お化粧も崩れていない。これがベテラン女子……! とソフィはちょっとしびれた。
「恋の何が恥ずかしいのですか。嫉妬も焼きもちも、可愛いわたくしも綺麗なわたくしも、ちょっと過激でやんちゃなわたくしも、受け入れられないと言うなら相手が狭量なだけですわ。そんな奴、こっちからご免です」
ふん、と背筋を伸ばして顎を上げる、その横顔がとっても綺麗なので、気づいたらソフィは思わず拍手をしていた。お姉さま!
タイトルは言わずと知れたあの曲からお借りしましたが、「」に入る言葉はお好きな言葉で!





