15.くらいきもち
どっかん!
ソフィは、自分の脳みそから盛大な爆発音を聞いた。
もしもーし、生きておられますか脳みそ君? 俺の墓標にはブルーベリーのジャムを添えてくれ……甘い生クリームとともにな……! がくっ。
なあんて具合にソフィの脳みそは爆破されたが、まあ大丈夫。初めてってわけでもないしね。お供え物を要求するくらいにゃ、脳みそ君も元気が残っている。
うん。まあつまり、いきなりのちゅーに、ソフィの顔はまっかっかなわけである。
ほんと。ほんっと、こーゆとこ。こーゆーとこですよ、リヴィオさん、とソフィは詰め寄りたいが、只今、脳みそ君は瀕死状態ゆえ、言葉は出てこない。ぴくぴくと身体を震わせ虫の息。さながら真夏に木から落っこちて、じじじ、って鳴く風物詩な虫の如く。
「な、あ、あ、」
ソフィはリヴィオがわからない。全然ちっともちょっともわかんない。
なんで! 今! ここで! そうなるの!
叫び出したいソフィの気持ちが、君、わかるだろうか。わかるだろ?
フライドピザなる揚げ物を食しながら、話をしていた。
いたって真面目に、至極真面目に。あ、いや、途中でうっかり、リヴィオの顔に見とれて余計なことを言っちまったことについては、ソフィも認めるし、どこが真面目だよ、とツッコまれればぐうの根も出ねぇわけだけども。でも、だからって、じゃあ、そういう空気だったかっていったら、「違いますよね?!」と世界中の皆々様に問い掛けたい気持ちでいっぱいなのです。
まーたうっかりぽろっと余計な事言っちゃったぞと焦るソフィが、すぐそばに人の気配を感じて、え、と思う間もなかった。
さっすがウォーリアン家長男機動力抜群☆ じゃ、ねーわアホたれ。「ちゅ」って。「ちゅっ」って。音を聞いちまったソフィの心境が、君、君、わかるだろう?
途端に響き渡る拍手と口笛といったら!!
周囲の人々にガッツリしっかりバッチリ目撃されたに他ならず。人類ってなんで恥ずかしさで死ねないんだろう、とソフィは心を飛ばした。どこにって、どこだろ。お空?
「ふふ」
リヴィオさん、ふふ、じゃ、ねーんだよ。ねーんだけど、その顔の、はあなんとまあ幸せそうで嬉しそうで可愛らしいこと!!
「う、ううう」
リヴィオのそのかーいらしいお顔も、リヴィオの事も大好きなソフィは、なんも言えん。
ついでに、本気で全力で嫌だったかって、言われりゃ、まあ、ねえ? 「恥ずかしい」と「嫌だ」は必ずしもイコールではないことを身をもって知ってしまったわけでして。
「っリヴィオ! 行きますよ!!」
「え? ソ、ソフィ?!」
ソフィにできたのは、食べ終えたフライドピザの包み紙をぐしゃりと握り込み、屋台にジュースのコップを無言で返却するくらい。礼儀を叩き込まれたソフィにあるまじき無礼な振る舞いであったが、屋台の店主は満面の笑みで受けるもんで。もう、いっぱいっぱいなソフィには、リヴィオの手を掴んで走り去るしかなかったのである。
こんな事をしでかすくせに、なぜ今だに敬語なのか。
なぜ、今、手を握っただけで赤面するのか。
リヴィオのことがほんと、もう、全然わかんないソフィであったが、そんなリヴィオだからこそ、「弄ばれている」と感じなくてすむのかなあ、と思えばなんとも複雑な心境であった。まる。
エレノアとエーリッヒの旅に同行したい。
ソフィの想いを、視線だけで全て理解し、提案してくれたリヴィオのおかげで、ソフィは明日、この国を出発する。
で、あれば。
旅の重要メンバー、抹茶さんを迎えに行かねばならぬ。ついでにホテルの連泊のキャンセルもしなければ。そう申し出ると、エーリッヒは街に到着したばかりの二人に、「ゆっくり戻ってくるといい」と笑顔で観光を勧めてくれた。
「ホテルへの連絡や馬はこちらでも対応できるが……まだエレノアの治療中で、昼食がてら散歩に出た事にしよう。根を詰めるのも良くないと、俺が追い出したんだ」
「それはいいな。旅に出ればしばらく街には戻って来れないし……街の賑わいをぜひ楽しんでくれ」
なあんて、お心遣いたっぷりに微笑まれて断れようか!
そんなわけで、ソフィとリヴィオは、後回しにしていた観光を楽しみつつ、ホテルまでの道を歩いていたわけである。
見た事がない街並み、料理にわくわくして、隣にはにっこにこのリヴィオがいて、ソフィは幸せ絶頂期だったのだけれど、気付いたらマラソンをしていた不思議。
息を乱すどころか、にこにこ可愛い笑顔のリヴィオの手を引き、ぜえぜえと息を切らせてホテルにたどり着くころには、ソフィは色々どうでもよくなっていた。浮かれ脳みそ君も満身創痍。ええい、もう好きにしてくれやあ。燃え尽きたぜ、真っ白にな。
ホテルのロビーのソファでぐったりするソフィを気遣いつつ、キャンセルの手続きをしたリヴィオが、ソフィの足元に座った。膝の上に両手を乗せて、その上に乗っかる、小さくて綺麗なお顔。ふわ、と見上げてくるその小動物感。ぐう、可愛い。
「ついでに、抹茶にもちょっと話してきますね」
口からまろび出そうな可愛いを飲み込んで、ソフィはリヴィオを見下ろした。
「私も一緒に行ってもいいですか?」
「大丈夫ですか?」
え、動けるの? とばかりに心配した眼差しを投げてくるリヴィオに、ソフィは「もちろんです」と頷いた。くすくす笑うお膝ちゃんの声は黙殺である。
「そんなわけで、今日は城に泊まることになった」
「ぶひん」
「朝のうちに出発することになるかな。そんなに遅くならないと思う」
「ぶっひん」
「え?」
「ぶひひん」
「……別に、何もないけど」
「ひひん」
「……悪いか」
「ひひーん」
「うるさいな! ほっとけ!」
抹茶と再会したリヴィオ、厩舎のスタッフに聞こえないように小声で状況説明をすると、ふいに顔を赤くして声を上げた。
内緒話は終わったらしい。何やら楽しそうなリヴィオと抹茶の様子に、いや馬と人が会話っておかしいだろ、という世間一般のツッコミをソフィが思い出したのは、隣で厩舎のスタッフが目を見開き、お口をあんぐりと開けているからだ。
コミュニケーションができている、なんとなくわかる、という範疇を、ひょいと飛び越して宙返り決めちゃうリヴィオと抹茶のやり取りは、彼女にとって衝撃だったのだろう。そらそうだ。だって、ソフィだって最初はそうだった。
「あ、あの……!」
震える声で呼ばれたリヴィオは、きょとん、と首を傾げた。
「弟子にしてください!!」
「え?」
呑気に見ていたソフィは、出てきた予想外の言葉に目をぱちくりさせ、スタッフは、らんらんと光る眼でリヴィオに詰め寄る。
後ろで一つに結んだ、まさにお馬さんの尻尾のようなつやつやの茶色い髪が、くるん、と宙を舞って、それから、がっとリヴィオの両手を握り、頬を上気させた。
近い。
二人の距離がとっても近い。
途端、ソフィの心がむむむむ、とざわつく。なんだこれ、気持ち悪い。
顔には出さんように、ソフィはぐっと腹に力をいれた。
ポニーテールが可愛いスタッフは、リヴィオの手を握ったまま叫ぶ。
「あたしも馬と話したいんです! 馬を愛しているんです!」
「い、いや僕がわかるの抹茶だけなんで……」
「なぜ限界を決めるのですか! 貴方ならきっとできるはずです! さあ! あたしにその愛を教えてください!!」
「いやいや僕ら初対面ですよね僕の何がわかるんですか」
後ずさるリヴィオと一緒に、抹茶も後ずさりをする。抹茶の言葉がわからないソフィでさえ、抹茶の心がさささーっと離れていくのがわかるのだが、スタッフの熱い魂の叫びは止まらない。
「貴方の馬への愛をあたし以上にわかる人がいましょうか! ええ! いませんとも!! あたし以上の理解者など!!!」
「気色が悪い!」
壁際まで追い詰められたリヴィオは、すぱん! とその両手を振りほどくと、びゅん! とスタッフをすり抜け、ソフィの隣にぴたりと並んだ。
それから、ギロリとスタッフを見下ろす。
「僕の理解者は僕の彼女だけで結構! 自分の馬への愛は自分で伝えなさい!」
「ひいっ」
スタッフと、今度はリヴィオから右手を握られたソフィの悲鳴が重なった。
スタッフは、泣く泣くリヴィオと抹茶を見送り、二人と一頭で再び街を歩く。
リヴィオの左手が、ソフィの右手を握っている状態で。
抹茶さんは賢い馬であるからして、手綱を握らなくても、リヴィオの隣をとっとこ良いテンポで歩く。ので。片手が塞がっていても問題がない、ということだね。あははは。
ソフィはリヴィオの手の中にある自分の手を、もぞ、と動かした。
手汗がすごいのだけれど……!
この場を離れたい、と無我夢中で街を疾走した時とはわけが違う。
なるほどこれは照れる、と真っ赤になっていたリヴィオの心情を痛いほどに理解したソフィであるが、だが今リヴィオは平然とした顔をしているので、やっぱりリヴィオのことがよくわからんソフィであった。
どうなっとんだこの美青年の頭ン中。あれかな。顔が良すぎて強すぎる天上人は、地面を這いつくばうソフィとは頭のつくりも違うんかな。
じ、と睫毛の長い横顔を見上げると、リヴィオはふう、とため息をついた。
「抹茶と話していて、ああいうリアクションをされたのは初めてでした。世の中、本当にいろんな人がいますね……」
「そ、そうですね」
リヴィオは、にしても、とくすりと笑った。
「自分以上の理解者はいない、ですって。すごいセリフだな」
自分も結構すごい台詞を返していたわけだが、この騎士さん自覚がないんだろうか。
ないんだろうなあ。
リヴィオってそういうところあるわよね、とソフィは唇を引き結んだ。
「ソフィ?」
「え?」
くん、と手を引っ張られ、ソフィは顔を上げる。
そこには、形が良くって綺麗な目がふたっつ。不思議そうにソフィを見ていた。
「どうしました?」
「え?」
どう、って。何が?
ソフィが首を傾げると、あれ? とリヴィオも首を傾げた。
「なんだろう、なんか、今、違和感が……。うーん?」
何か不快にさせただろうか、とソフィは眉を寄せる。すぐに心臓を叩く不安って文字が嫌で、けれど振り払えず、ただリヴィオを見上げると、リヴィオは「ああ」と眉を下げた。
「そんな顔しないでください、変な意味じゃなくって……あ、」
すい、とリヴィオは腰を折り、ソフィの顔を覗き込む。
急に近付いた距離にぎょっとするソフィを、透き通った、夜空のようなブルーベリーが、あどけない色でソフィを見た。
「何か、怒ってます?」
「……………え?」
怒る。
怒る? 怒る、とな???
首を傾げるソフィに、リヴィオは、うーん、とソフィの前髪を払った。
硬い指先が額を撫でる感触に、どきりと心臓が跳ねる。
「いや、怒ってる、ともちょっと違うのかなあ。なんだろう、なんかもやっとしてます?」
「もやっと」
「もやっと」
もやっと……。
してる。ソフィちゃん、ちょう、もやっとしている。
頭から離れないのは、スタッフの女性が口にした言葉、それから、リヴィオの手を握っていた絵だ。あんなに近づいていた。
リヴィオの長い睫毛も、嘘みたいに綺麗な瞳も、こんな風に近くで、見ていた。
けど。
それが、なんだっていうんだ。
「……してないです」
リヴィオが綺麗で、抹茶を大切にしているのなんて当たり前の話で、厩舎で働く人が馬と話せることを羨ましく思うのだって当たり前だ。ソフィだって、抹茶と話せるリヴィオが羨ましい。
ソフィなんて、抹茶の背に乗る事すらできないのに。
なのに、きっと、あの女性は抹茶に乗ることも、自分の馬に乗ってリヴィオと駆けることだってできるんだろう。
って。
だから。
だから、それがなんだ。
べつに、別に、いつまでもあのスタッフの事を考えなくてもいいんじゃないかしら、とか。思ったりしていない。してないったらしてない。
リヴィオが何を考えてもそれはリヴィオの自由だし、スタッフの女性に、ソフィがなんぞ悪意を持っているような。そんな、酷い事をなんで考えなくっちゃならんのだ。
大体、リヴィオと距離が近かったから、なんだ。
リヴィオはこんなに綺麗で優しくて格好良くて、城でもみんなの憧れだった。街に出かければみんなに囲まれるのだという美貌の騎士は、貴族令嬢たちの注目の的で、いつも誰かが話題にしていた。
ソフィと出会う前に彼女の一人や二人いたっておかしくないわけ、で、
「なんでも、ないです」
眉を下げるリヴィオの顔を、なんとなく、これ以上見ていられなくて。ソフィは笑顔をつくって、すいと視線を外した。
「……本当に?」
「ええ、本当に」
ソフィがそう返すと、「そうかなあ」とリヴィオは全然納得いっていなそうな声を上げた。
そんな声を出されたって、ソフィだって、自分の心がよくわからない。
怒っているわけじゃない、けど、なんだか消化不良を起こしているような、もやもやと嫌なものが心にある。
だけども、これを口に出すと、ソフィはまた自分が嫌いになってしまいそうだった。
自分を否定するのはやめようと思ったのに。
リヴィオの隣で背筋を伸ばそうって、思うのに。
口を開けば、これまでソフィを支えていたちっぽけな自信が全部どっかへ行っちゃいそうで、ソフィは少し悲しくなった。
できればこれ以上、この話をしたくない。
「ひっひん」
「え? だって」
「ひひん」
「ええー」
そんな思いに気づいてくれたのか、リヴィオを小突く抹茶に、ソフィは心の中でお礼を言った。
城に着くころには、空は青とオレンジの見事なグラデーションを描いていたが、少しも綺麗だと思えなかったことが、またソフィの心を悲しくさせた。





