12.秘密はいずれ、あばかれる
ん?
ん?????
今。
今、神様は何を言っただろう。
神が最初につくった生き物だから、神の魔力が濃い。誰が。誰って。え、あっと。
──ドラゴンだ。
伝説の生き物。架空の生物。御伽噺の存在。遠い遠いいつか、居たとか居なかったとか、信じるか信じないかはあなた次第。みたいな。そんな生き物。
歴史家だって生物学者だって冒険者だって、今時だーれも口にしない。
そんな、ドラゴンが?
なんだって???
「ぬしの判断は正しい。ドラゴンの魔導力を持つぬしでなければ、とっくに死んでいただろうよ」
がた、とエレノアは立ち上がった。
その顔は凍り付いたように、真っ白だ。
「なぜ」と小さな声に問われたアズウェロは、不思議そうに首を傾げる。
猫の姿でありながら、ちっとも猫らしくない動作は、いかにも神らしい。
「ドラゴンの魔導力は人のそれとまるで違う。言っただろう。神の魔導力をもっとも強く受け継いだ種族であると。ぬし、一目で我を神だと見抜いただろう。同じだ。ドラゴンの魔導力も魔力も間違いようがない」
こともなげに言うアズウェロの声に、エレノアは口元を押さえた。
その様子を見たソフィもまた、思わず手で口を覆う。
ぞ、と足元から血が引くようだった。
どえらい事態に巻き込まれているから、ではない。これは、エレノアにとって、知られたくない事だったのではないかと、思い至ったからだ。
だって、エレノアは、人の子だ。
ルディア国の、国王陛下夫妻の子供だ。
なのに、ドラゴンの魔道力を持っている?
なぜ?
もしや、それは、エレノアの出生に関わる話なのではないか?
今、アズウェロは、エレノアの秘密を暴いてしまったのではないか?
「え、エレノア様……」
地位など、脆いものだ。
ごてごてと飾って磨いて必死で固める、煌びやかで重たいそれは、ひどく、脆いものだ。
ほんの少し傷が付けば、欠ければ、あっという間に腐り落ちる。
だから、ソフィーリアは一度のミスも許されなかった。一度も己にミスを許さなかった。
生きるために、死なないために、その脆さを誤魔化して立っていたのだ。
だから、エレノアが眩しかった。
嗤われようが恐れられようが、己の力で存在を示すエレノアの強さは、紙の上の文字なのに、ソフィーリアには眩く見えた。それこそ、お伽噺の勇者様みたいだった。
なのに、そんなエレノアの、エーリッヒの婚約者としての立場を傷つけたとしたら、
「大丈夫」
ふわ、とやわらかい声に、はっとしたソフィは顔を上げた。
光を浴びた水面のように、透明なアクアマリンが穏やかにソフィを見ている。
「大丈夫。俺も兄上も、アドルファスも知っているんだ」
「え」
ふわ、と浮かべる微笑みは、まさしく春の日差しように、穏やかで温かだ。
「エラとの婚約を打診した際に、国王の命を助けた縁で王族になったのだと、国王が手紙をくださってね」
エーリッヒは、エレノアを見上げた。
そうだ、とソフィはその優しい眼差しを受けるエレノアを見詰めた。
エレノアの戦場での活躍を調べるのは、難しい事ではなかった。何せ彼女は大陸に名を馳せる「黒鬼」と恐れられた武人だ。
ところが、ルディア国の情報は意外と少ない。
ルディア国は、ごくごく小さな国なのだ。世界最小の国といわれるほど小さく、自然に溢れた、ほとんど自給自足で成り立っている国。それがルディア国だ。
閉鎖的、とは言わないが、外に情報が流れるほど積極的に他国と関わらない。シャイなお国なのである。
んで、シャイな子ほど、すっごい才能を持っているように、ルディア国は大国に囲まれ、資源が豊かであったから、モンスターや侵略による戦の経験が豊富な国という一面もあった。
シャイっていうか、寡黙で強い武闘家、みたいな国なんだね。
だからエレノアの武功は多いわりに、エレノア自身の話が少なくてもそういうもんだろう、とソフィは気にしなかったのだ。
例えば、王家の歴史に、突然エレノアが現れたように感じても。
「……私が、父と母の血を継いでいないと、知っていたわけではないんだな」
「我がなぜそんなことを」
「そうか……」
エレノアは小さく呟き、前髪をくしゃりと掴む。
その様子を静かに見ていたエーリッヒは、エレノアの名前を呼んだ。
「大丈夫だよ、エレノア。いつかは知られる事だろう」
「っだが、君の弱点になったら」
「エレノア」
唇を噛むエレノアに、エーリッヒは目を細めた。きらきらと、窓から差し込む光を睫毛が弾く。
「君が誰の血を引いていてもいなくても、どうでもいいんだ。黒鬼と呼ばれ、誰かのために身を投げ出すような君だから、俺の奥さんにしたいと思ったんだよ」
「っ」
「君が誰に何を言われても剣を振るうように、俺だって、誰に何を知られても言われても構わないと、君を選んだんだ」
だから大丈夫、とエーリッヒは天使のように笑った。
それから、すい、とエレノアの手を取る。
エーリッヒよりも大きく、しっかりしたその手を、細い指で持ち上げると、眉を下げて笑った。
「兄に殺されかける不甲斐ない王だけど、信じてくれる?」
あ。
ああ、それは、ずるいやつ。
エーリッヒ本人に自覚は無いんだろうけど、そんな顔でそんな風に言われて、だーれが否と言えようか。不安なんか投げ捨てて、一生かけてお支えしようって思うわな。
「もちろんだ!」
「良かった」
「っ」
ほら見たことか! 戦場で恐れられたエレノア様もイチコロ! ほとんど勢いじゃねそれってスピードでエーリッヒの手を両手で握り、ふわ、と広がるエーリッヒの愛らしい笑みにお顔が真っ赤。
ええ。
紙の上に走るかたっくるしい文字なんかじゃわからない、そんな女の子なお顔にソフィは好感もりもりだけども。
なんていうか…こう………そうそう。
「同病相憐れむ……」
「え?」
ソフィにお笑いの素養があれば、「え?」じゃねーわと、おめめをパチクリするかわゆいお顔にすぐさまツッコミをいれただろうが、そこは一度でも王太子の婚約者であった女である。
「いえ、なにも」
にっこりと微笑むにとどめておいた。
と、いきたいところだが、かわゆいお顔がかわゆすぎたので、「かわいすぎるわ……!」と叫びたいのを堪えてソフィもにへらと笑うしかなかったのである。
「で、そろそろ話を戻していいですかね? さもなくば帰っていいです? 妻と子供に会いたすぎてブチギレそうになってきたんですけど」
氷をぶん投げるようなアドルファスの声に、春うーららな淑女二名ははっと我に返った。
「アドルファス、邪魔せずにその記録用の魔法石を寄越しなさい」
「王命なんで」
愛する弟と婚約者の姿を記録しようとする暑っ苦しい愛の防波堤であるアドルファスは、不機嫌そうな顔を隠しもせず、眉を寄せた怖い顔で吐き捨て、それで、とアズウェロに視線を移した。
「なぜソフィ嬢には、エレノア様を助けられたのでしょうか」
泣く子も黙るどころかもっと泣き喚きそうな凶悪な顔で続きを促すアドルファスに、アズウェロはふむ、と尻尾を揺らした。
「そうだな……。人間、ドラゴンと何があった」
疲れたようにソファに腰を下ろしたエレノアは、すいとアズウェロに見上げられ、ふうと息を吐いた。
「……昔、赤ん坊の頃、私は捨てられ、死にかけていたそうです。ほとんど息をしていなかったらしい。それをお師匠さまに……ドラゴンに、救われ、育てられました」
「ドラゴンが?」
ほう、とアズウェロは意外そうな声を上げた。
「それは、珍しい」
「そうなんですか?」
そもそもドラゴンを見たことがないソフィからすれば、ドラゴンの普通がわからない。ドラゴンドラゴンと、その名が出ているだけで異常なのだ。
「アレは、身内への執着が強く、外敵を許さない。人間なんぞ、もってのほかよ」
おもしろい、と目を細めたアズウェロに、エレノアはこくりと頷いた。
「異例の事だったそうです。ただ人間を受け入れただけではなく、自分の魔力を与えて生き永らえさせたわけですから」
「そのドラゴンは、なぜエレノア様を?」
アドルファスが首を傾げると、エレノアは目を細めた。
「さあ、お師匠さまは最後まで教えてくれなかった。気まぐれだ、とだけ。とても寡黙なひとだったから」
だった。
ぱちん、と瞬きするソフィの前で、アズウェロは尻尾を揺らす。
「まあ、長く存在していれば、そのような気まぐれもあろうな。我にも覚えがある。……だが、なるほど。だから、そうなったわけだな」
ゆらん、と尻尾を揺らすアズウェロに、エレノアはこてりと首を傾げた。
「ぬし自身の魔導力と、身内への執着が強く外敵を許さない種族の魔導力が混ざり合い、ぬしはできてる」
つまり、と真っ白い神様は、愛らしい外見に似合わない低い声で続けた。
「ぬしを、守っている。呪いから、魔法から、絶えず」
「、」
エレノアは、ぎゅ、と唇を噛んだ。
それが何を意味しているのか、紙の上のエレノアしか知らんソフィにはわからない。でも、なんでだか胸がぎゅうと痛む気がした。
「だから、呪いが広がらぬよう留め、抑えることができ、同時に、身体に触れようとするもの全てを跳ねのけておったのだ。──さながら、手負いの子を守る獣のように」
膝の上で拳を握るエレノアをちらりと見て、エーリッヒは、では、と口を開いた。
「だから、うちの魔導士が魔力を練るだけで跳ねのけられたわけですね?」
「ああ。魔力が向けられている、外敵だ、と判断したんだろう」
なるほど、と呟くアドルファスの言葉に、ソフィも頷いた。
眠るエレノアを前にした時、魔力を広げた瞬間、ソフィの身体にはびりびりと差すような痛みが走った。あれが、エレノアを守るドラゴンの魔導力に「外敵だ」と判断された瞬間なのだろう。
アズウェロの言葉は、その「子を守る獣」を安心させるための誘導だったのだ。
「言っただろう、手負いの子を守る獣のようだ、と。親に味方だと認めさせねば近寄る事すらできんよ」
「つまりソフィは、姫の育ての親公認のお友達になったってことですか?」
「え」
そっれは恐れ多いですリヴィオさん!
だって相手は一国の王女であり、目の前におわす国王陛下のご婚約者様である。今やなんの身分も持たない、門番に追い払われていた怪しさ満点のソフィが友人などと!
ソフィは慌てて首を振った。
「リヴィオ! 失礼ですわ!」
「え、なぜ」
ぱちん、と瞬きをしたのは、エレノアだった。
「私はもうてっきり友人だと思っていたのだが……違ったのだろうか」
「ぐ」
しゅん、と眉を、下げないで、いただきたい。
きりっと走る格好良い面差しが一転。そんな寂しそうな悲しそうな顔をして、誰が否と言えようか。なんて似た者同士のカップル! お似合いだよ!
ソフィはがっくりと頭を下げた。
「光栄です、エレノア様」
「ソフィ、どうか気軽にエレノアと呼んでくれないか?」
「え、」
「エレノア、だ」
「え、れのあ」
「うん」
うん、って。うん、って。
そんな満足げに微笑まれても。嬉しいだけである。
なんでだか口説かれている気分になるが、それは多分じゃなくて絶対勘違いだ。だからなんかこう、顔が熱いのはなんか誤作動。
「…………」
隣からなんか妬まし気な視線が向けられている気がするのも、気のせいだろうか。
というかリヴィオは何を怒っている、というか拗ねている? のか。ソフィはとんと見当がつかないので、謎の居心地の悪さを感じてしまう。
聞いてもリヴィオはきっと嫌な顔をしない。
ソフィを疎んだりしない。
そう思うのに、ちょっとだけ心が竦むのは、ソフィが弱いからだ。
やだな、とソフィはへらりと笑った。
「聞きたいんだが」
不思議そうな、静かな声はヴィクトールだ。
長い髪をさらりと揺らし、アズウェロを見下ろす。そうしていると、本当に絵のように美しい。
「なぜ弟では駄目だったんだ? あの時、神だという君がいても、弟やアドルファスでは警戒させるだろうと言った」
「すでに失敗していたんだろう。何度も同じ魔力が近づけば、防衛本能が働くだろう。我がいようといまいと変わらぬ」
そもそも、とアズウェロはソフィを振り返った。
「主が適任だと思った。主の魔力は不思議でな。……なんと言えばいいか。あたたかい、というか生温いというか、かゆくて、据わりが悪いのに、悪いものではないとわかる。これは、自分を傷つけるものでは無かろう、と」
「…………」
ソフィは、なんとなく。なんとなく、目を逸らした。
それはたぶん、あれだから。あれ。うん。
ソフィが、誰かを助けたい、と思った時。その心に広がるのが、あれがあれな気持ちだからだろうな。誰かの力になりたい、力が欲しい、そんな時に決まって背中を押してくれるのは、大好きな色。だから。
まあ、その。なんだ。つまりは、リヴィオが大好きです! と今回も声に出さずに叫んでいたってわけでして。
なーるほど☆
たしかにたしかに。
恋に浮かれて馬鹿になった小娘なんて、なんの脅威でもなかろう。さしものドラゴン様も、「あ、これは(どうでも)いいわ」って思われるってわけですな。
「っ」
恥ずかしくって思わず両手で顔を覆うと、ソフィ? と心配そうに隣から声がかかるが、その声すら今は恥ずかしいソフィは、「だ、だいじょうぶです」と蚊の鳴くような声で返すしかできない。
せめてもの救いは、神様もお気づきになっていないことだ。
誰かに知られようもんなら、おまえ、
「ソフィの魔力……」
ぽそ、と呟かれた声に、ソフィはばっと顔を上げた。
ぷるんとセクシーな唇で「あ」と呟いたエレノア様の視線を追いかければ、超絶美形の騎士様がソフィを見ている。
青みがかった紫の、ソフィーの恋の色。ソフィーが誰かの事を想う時、必ず胸に広がる、救いの色を、見ている。
それから、ソフィの顔を、見た。
きゅっと吊り上がった眦で瞬き、きらきらと輝く、その色の、ああ、なんて楽しそうなこと!
「たしかに、ソフィにしかできなそうだな」
「…………ッ!!!!!!!!」
「ソフィっ?!」
ぼ、と燃えるように熱くなった顔に、リヴィオが声を上げるので、ソフィは思わず叫びそうになった。
そっとしておいてください!!!!!!





