11.無自覚の爆弾
約束だよ、とこれまた優しくエレノアに微笑まれたソフィがこくこくと頷くと、エレノアは身体を起こした。
ソフィはつられるように視線を上げる。
たっっかい。
リヴィオと同じくらいの背丈だろうか。
ソフィがぐいと首を上げにゃお顔が見れないくらい、背が高い。
剣先みたいな瞳と相まって、男性と見違えるほどスマートだ。
にこりと、もひとつソフィに微笑みかけたエレノアは再びソファに腰を下ろす。
ソフィも慌ててソファに戻ろうと振り返ると、リヴィオがつん、と唇を尖らせていた。は? なんだそのかわいいかおは??
「り、リヴィオ?」
わけがわからんソフィが名を呼ぶと、リヴィオは「なんでしょう?」とむすりと返した。
怒らせてしまったのだろうか、と深刻になるには少々、いやかなり子ども染みた仕草が、「可愛い」としか言えないのだが。一体何が起きているんだろう。
ソフィがもう一度声を掛けようとすると、背後から落ち着いた声が言う。
「ところでエーリッヒ、犯人はどうなったんだ?」
リヴィオのかんわいいお顔も気になるが、これ以上言葉を重ねる空気ではない。ソフィは大人しくソファに座った。が。
「あの、それは僕たちが聞いても良い話なのでしょうか? 退室いたしましょうか?」
そうそう。
隣で気遣うリヴィオにソフィが頷くと、エーリッヒはにこりと微笑んだ。麗らかな妖精の笑みである。
「かまわないよ。間抜けな話だから」
辛辣ぅ。
間抜けが誰かは知らぬが、ならば猶の事聞いて良い話ではないような。と、思ったり思わなかったりするわけなんだけども。
エーリッヒは、音も立てずにティーカップを傾けると、だって、と笑んだ。
「巻き込んでおいて、耳を塞げと言うのも失礼な話でしょう。なに、我が国では王が殺されかけるなんて珍しい話でもない。聞いて笑ってくれ」
ふふ、と微笑みながらソーサーにカップを戻すエーリッヒの姿は、気品に溢れ、大層お美しいのだが、非常に刺々しい。あー、綺麗な薔薇には棘があるっていうもんね。うんうん。
「笑った瞬間、斬首刑とかなりません?」
「安心しなさい。我が弟はドSの腹黒だが、恩人を手にかける愚か者ではない」
「誰がなんですって? 部下を丸裸で山に放り出す兄上に言われたくないんですが」
「あれは我が軍伝統の訓練だぞ」
「わー、どっかのクソ親父みたい」
凄い空間だわ。
ソフィはちょっと感心した。どいつもこいつも、浮世離れっつーか人間離れした外見なのに、出てくる言葉がアレなんだもの。人は見かけによらないって、こういうことかあって。思わず唸っちゃいたくなるよね。
ご本人たちは気づいていないらしいので、「ごほん」と咳払いをしたアドルファスが、「犯人は死にました」と端的に言った。いや、端的すぎる。オブラートも衣もないどストレートなお知らせだった。
「死刑か?」
これまたストレートにエレノアが問うと、アドルファスは「いいえ」と眼鏡のブリッジを上げた。
「自殺です。エレノア様、きっかけは覚えておいでですか」
「ああ。エーリッヒが執務室の机にあった封書を開けた瞬間、魔法陣が展開された」
「はい。通常、陛下の元へお持ちする手紙は全て、私が安全を確認しています。陛下が手紙を媒体に魔法や呪いを受けるなど、ありえない」
「すごい自信だな」
くわ、と欠伸をするアズウェロに、アドルファスは、ふふん、と笑った。窓からの光を眼鏡がきらーんと反射する。
「私、有能ですから」
言い切りおったアドルファスを、ヴィクトールはひょいと指さした。
「これ、腹が立つが本当なんだ。そうじゃなきゃこんな奴エーリッヒの傍に置かないよ」
「どういう意味だ」
「まあ、アドルファスの性格の悪さはさておいて」
「なんだとこのクソ兄弟」
さておかれたアドルファスは、さらっと暴言を口になさる国王をぎろりと睨んだ。国王って睨んでいい人だっけ、っていいわきゃないので、まあ仲良しなんだろな。
部下の睨みなんぞどこ吹く風。エーリッヒは涼しい顔で言葉を続けた。
「手紙は、無人の間に机に置かれたものだった。アドルファスが選別した手紙と一緒にね。置いたのはメイドだ。掃除の時間を利用したらしい」
一介のメイドが国王の暗殺を企てる、わきゃない。国王を暗殺したメイドが手にできる利益って何よ。ハイリスクノーリターンなチャレンジかます無鉄砲メイドなんて、恐ろしくて誰が王城で雇えようか。城のメイドは出自の確かさと教養が大事なのだから。
つまり、メイドは利用されてしまったのだろう。
無人とはいえ、王の執務室だ。当然、見張りがいるはずだ。
だがなるほど。メイドを利用すれば、侵入はできずとも呪いの媒体を持ち込ませることはできような。
ソフィが視線を落とすと、「嫌な話だ」とエーリッヒがため息をついた。
「メイドは魔法で操られていた。自分が何をしたかも覚えていない様子で、そのまま自分で胸を刺したんだ」
「騎士の剣を奪う動きはなかなかだった。あそこまで人を操れる魔導士など、限られるな」
フン、と鼻を鳴らす声はヴィクトールのものだ。
ソフィが顔を上げた先の、その美しい顔は、ぞっとするほど無表情で、冷たい。
まるで、全てを見下ろし、ただ眺める、それは、
「アレは、いつになれば、身の程を弁えるのやら」
──王のようだ。
冠を持たないはずの男の声は、けれど思わず膝をついて許しを乞いたくなるほどに、威圧感に満ちている。
「ヴィクトール」
王ではない。だが王の血を確かに引いている男の名を呼んだのは、エレノアだった。
「落ち着け。いつでも陽気で鬱陶しいのが君の良いところだろう」
全然褒めてない台詞をにこりと言われたヴィクトールは、綺麗な緑の瞳でパチパチ瞬きをすると、わはは、とソファにふんぞり返った。
「そうかそうか、エラは私の太陽のように明るく美しいところを愛していると! さすがはわが友である!」
「うーん、そうは言ってないなあ」
「奥ゆかしいのが君の良いところだ!」
とんでもないポジティブだった。
どうしよう。ソフィはこんなどポジティブで絶妙に人の話を聞いていない人と接したことが無い。どんな顔をしていればいいんだろうか。内心戸惑うソフィに、待て待てと脳みそ君がソフィーリアの心のダイアリーを掲げた。
変な方にポジティブで人の話を聞かない人間?
あ、うん。いたな。そういえば。いた。すぐそばに長い事、おったな。
二人ほど心当たりがあることに気がついたソフィは平静を取り戻した。
あれと比べるだけで馬糞を投げつけるほど失礼な存在をソフィは知っているので、これっくらいで取り乱すことはないのだ。どんな経験も必ず役に立つってことを身をもって体験するソフィである。
「つまり、皆さま方は真犯人に心当たりがあるわけですね?」
そんでもって、ソフィの隣のリヴィオはずっと平静である。王族を前にこのふてぶてしさはなんなんだろうなあ。好き。格好良い。ソフィの胸がとぅんくと高鳴る。落ち着き給え浮かれ脳みそ君め。
「君は誰だと思う?」
優雅に問うは、エーリッヒ国王陛下である。
楽しそうな美しい笑みに、なんとなくソフィはヴィクトールとの血の繋がりを感じてしまった。
「えーっと、陛下の即位前にヴィクトール殿下はご兄弟と王位を争っておいでだったのですよね」
リヴィオは、合ってる? とばかりに、ソフィに視線を向けるものだから、ソフィは思わず口元、っていうか鼻を覆った。大丈夫。鼻血は出てない。
くるん、と上目遣いで、若干の不安を滲ませるそのお顔! かわいすぎでは??? と浮かれ脳みそ君は混乱している。
ソフィが頷くと、リヴィオは、ふ、と安心したように目元をやわらげ、エーリッヒに視線を戻した。
だーから、かわいすぎなんだってばソフィの粘膜はもう限界よ!
「陛下がヴィクトール殿下と手を取り合い、玉座にお座りになった。ヴィクトール殿下は、陛下を最愛と仰る。……素人考えで申し上げれば、ここにいないもう一人の殿下は、さぞ腸が煮えくり返っておられるのだろうなあ、という感想になりますが」
合ってますか? とリヴィオは今度は口に出し、こてんと首を傾げた。ブラボー! 満点の可愛さ!! とは言えないので、ソフィは思わず顔を覆った。
「ああ、すまない。レディに聞かせる話ではなかったね」
「……いえ、すみません、少し、取り乱しました」
かまわないよ、といたわし気なエーリッヒと眉を下げるエレノアの視線に耐え兼ね、ソフィは目を伏せた。
あ、なーるほど穴があったら入りたいなけりゃ掘ってでも入りたいってこういう気持ちねハイハイ。ってな気持ちでソフィは顔が上げられんかった。
だってこんな話、ソフィはなんっともないからこそ、浮かれ脳みそ君がはしゃいでいるわけで。居たたまれないことこの上ない。頭がめり込むくらい謝罪をしたい気分である。
「ソフィ?」
あ、やめてやめてリヴィオさんそんな不思議そうな視線を向けないでくださいソフィさんの心臓に100のダメージ。ぐえ。それにしてもそんな顔もかわいいいいので追加で100のダメージ。ぼえっ。
ふざけとる場合かっつー話であるが、ソフィはいたって真面目に真剣に恋に狂っているのである。救えない。
「まあ、つまり黒幕はピューリッツ兄上で、犯人は兄上お抱えの魔導士だろうと思うんだけど、兄上は証拠を残さないやり方がうまくてね。今回も案の定、その尻尾を掴めなかったんだ。情けなくて笑えるだろ?」
ふふ、と首を傾げて笑うお可愛らしい方は国王陛下であるからして、つられて「ですねぇ」とか言えない。ついでに笑顔から漂う冷気がおっそろしい。
びゅおおっと吹き荒れるブリザードに我に返ったソフィはとりあえず眉を下げ、リヴィオは「クソ野郎はどこにでもいるんですねぇ」とティーカップを持ち上げた。
相変わらずお美しい顔と所作に、その言葉が合っていないので、心臓がぶげっと転がりかけて、ソフィは胸を押さえた。
「さて、ソフィ嬢」
「は、はいっ」
冷気を収めたエーリッヒに声を掛けられ、ソフィはぴんと背筋を伸ばした。
「失礼でなければ、エレノアに何が起きていたのか聞いても良いだろうか」
「あ、はい」
王様のご命令である。
すん、と大人しくなった心臓によしと頷いて、ソフィは口を開いた。
「まず伺いたいのですが、エレノア様は呪いについてどこまで把握しておられたのでしょうか?」
ソフィの質問に、エレノアは「うん」と腕を組む。
「私は呪いや魔法の類には耐性があってね。呪いだと認識した時、弾くよりも自分で受けた方がエーリッヒに被害がないと思った。私なら死には至らない呪いだとわかったし、いずれは身体の内から消えるだろうと思った。失敗したのは、それを伝え損ねたことだな。エーリッヒにいらぬ心配をかけてしまった」
「……続けて」
ぴく、と眉を寄せたエーリッヒは足を組んだ。ゆっくりとした動作には気品と威厳があり、同時に。うん。あの、怒りが。見えるので。
ソフィはそっと見ないことにした。
気付いているのかいないのか。エレノアは、うーん、と記憶を振り返るように視線を左上に動かした。
「私の魔力は、呪いを上回っていた。これは確かだろう。だが、手を抜ける代物では無かった。だから、生命維持以外の全ての魔力を解呪に使う判断をした。無意識だったが、まあそういうことだな」
「……エラが魔法の扱いにも長けていることは知っているけど……解呪の経験まであったの?」
「ん?」
エーリッヒの問いに、エレノアは首を傾げた。
「いや?」
「…………」
多分、室内温度が下がった。体感だけど。実際の気温なんざソフィは知らぬし計る気もないけど。多分、二、三度下がった。
「どれくらい時間がかかるかは、わからなかったが……勝てる勝負だとは思ったな」
負ける戦はしないさ、と言うがその根拠はどこにあるんだろうか。
たとえ負けそうであっても逃げないんだろうなあ、力づくで勝利をもぎ取っちゃうんだろうなあ、っていうかそうしてきたからこその自信なんだろうなあ、とか。思っちゃうのはなぜかしらん。
なーんとなく、同じようなことを言いそうな人がいるなあと、ソフィは、ちらりと隣を見やった。
ブルーベリー色の澄んだ瞳で、リヴィオは「うんうん」と頷きながらエレノアを見ている。
見なかった事にした。
「小さき王よ、案ずるな。その人間の言っていることは、まあ、あながち間違いでない。その人間を呪い殺せるほどの力は、人の身には余るだろう。……ぬしを呪い殺すのは、我でもちと骨が折れような」
ふ、と笑ったアズウェロは、ぽん、と猫の姿に身体を変えると、ひょいとローテーブルに乗り上げた。
と、と、と紅茶の入ったカップを避け、エレノアの前に移動すると、腰を下ろす。
すいと静かな動作でエレノアを見上げると、ゆらりと尻尾を揺らした。
「懐かしき色よなあ」
楽しそうな、慈しむような声は、次いで、なんでもないように言った。
「ドラゴンは、神が最初につくった生き物だ。もっとも始まりの神の魔力が濃いからな。ぬしの魔道力を呪える者はおらんだろう」
ん?





