10.ファナティックガール
「あ…」
それは誰の声だったか。
零れ落ちた声と共に、そ、と開かれる瞳の色は、不思議な色合いだった。
金色、と言うに相応しいカナリートルマリンはけれど、カーテンで光が揺れるのに合わせてキラキラと色が移ろい、それはまるで至高の宝石スフェーンのようで。
不思議な輝きを放つ瞳は、目尻がきりっと吊り上がって涼しくも凛々しい。
宝石のような瞳は、全てを焼き尽くす太陽のように瞬きし、ふとこちらを見た。
そして、優しく囁く星のように、ゆっくりと細められる。
「エー、リッヒ」
「っエラ……!」
掠れた声に、エーリッヒが弾かれるように声を上げた。エーリッヒはすぐさまベッドに駆け寄り、その場に膝をつく。
ぎゅうと眉を寄せ、エレノアの手を取り、エーリッヒは唇を開いた。
「っ」
その小さく可憐な唇が、
「──馬鹿だ君は!!!!」
「!」
盛大に怒鳴るので、ソフィは目をぱちくりと瞬いた。
聞き間違いかしら?
「馬鹿だ!! 大馬鹿だ!!!」
聞き間違いじゃなかった。てか一、二、わあ。三回も言っとるぞ。
まさかの罵声に己の耳を疑ったソフィであるが、杞憂だったらしい。ソフィのお耳は現役バリバリ。今日も熱心にお仕事中である。良かったね。
エーリッヒは、妖精みたいに可憐なお顔を盛大にしかめて、エレノアの手をぎゅうと握った。
「考えて動けよ! 俺の代わりになるなんて馬鹿じゃないのか!」
「うーん、耳が痛い」
耳元であれだけ怒鳴られりゃあ、そら痛かろな。なんて。
冗談でも言えないエーリッヒのキレっぷりに、エレノアはけれども、にっこりと笑った。
「でも、君は無事だったんだろう?」
「ああ勿論! 誰かさんのおかげでね!」
「良かった」
「っ」
ほ、と目を細めて、心底安心したとばかりに、エレノアは笑う。そうして笑うと、鋭利な刃物のような相貌は柔らかくなり、あどけなさすら感じるのだけれど。
こーれが、小さな王の逆鱗に触れなすった。
「良いわけないだろう! 何を考えているんだ! 君は、自分がどういう状態だったかわかっているのか!」
ビリビリと空気が震えるような怒号だった。
透けるような金糸の、現実味の無い容姿。ソフィよりも小さな身長。
だけども彼は王だ。
心臓をぎしりと握り締めるような、恐れを抱くほどの怒号は、まさしく王の声だった。
ソフィが知るどの王にも劣らないその気迫に、ソフィは思わずびくりと肩を揺らす。
すると、気付いたリヴィオが、ぐ、とソフィの肩を支える手に力を入れるので。ちらりと顔を上げた、にこりと笑うそのお顔ったら! 現実味の無い容姿にかけちゃあ、ソフィの最愛も負けていない。ちっとも見慣れない美貌に、ソフィはにへらと笑いかけた。はー、生き返る。
そんな、ソフィが狼狽えたり復活したり忙しくさせられる声に、エレノアは「そうだなあ」と、唇の端を上げた。
涼やかな目にぎらりと、なんでも切り捨てる名刀のような光を乗せて。
「死ななかっただろう」
「っ」
「私は、死なない」
に、とエレノアは笑った。
喉元に剣を突き付けるような、得物を食い殺すような、そんな笑みだ。
その笑みを正面から受けたエーリッヒは、目を細め、何かを言わんと口を開き、結局諦めたのか。ぼすりと頭をベッドに埋めた。
握った手は、決して離さずに。
「……心配したんだ」
「うん。……ずっと、声を掛けてくれただろう? 有難う、エーリッヒ」
うん、と小さな声は柔らかく言った。
「守ってくれて有難う、エラ」
どういたしまして、と笑う声は子守歌のように優しい。
うん、これぞ大団円。と、いうにはまあ全部片付いたってえわけじゃないが、ひとまずはソフィの見たかったハッピーエンドだ。
満足したソフィは、再度顔を上げる。視線が合ったリヴィオは、仕方がないように笑った。
「お疲れ様です」
「有難うございます」
「なんだ! 痴話喧嘩は終わったのか!」
「!」
と、ここで。
ほこほこと心があったかくなる素敵な空気をぶち壊してくれやがったのは、元気な美声である。
しかも、バン! と扉が開く派手な音とセットだ。ソフィが驚いて振り返ると、エーリッヒとそっくりの美貌と長い髪をキラキラと輝かせたヴィクトールがいた。うっすら上気した頬が、まあなんとも悩ましい。らんらんと輝く瞳がどこかアンバランスな美丈夫の手には丸い大きな水晶、ではなく。
「あ? 魔法石?」
ドアの近くに立っていたアドルファスが、嫌そうに眉を跳ね上げた。
ヴィクトールは、夏の日差しに輝く青葉のような瞳を輝かせる。わお。眩しい。
「最愛の弟と最愛の友の初の痴話喧嘩だぞ! 記録しようと思ったんだ!」
「おい! ふざけんなそれ裁判用の記録魔法石じゃねぇか! どっから持ってきやがった!」
「法務大臣!」
「はっあ……?!静かに部屋出てったと思ったら……ふっざけんなこのクソ王兄殿下様がよぉ!」
「今日はこれがいるような裁判は無いんだから良いじゃないか。そもそもこれは私のだぞ。それよりエーリッヒ! エラ! もう一度やりなさい! お兄ちゃんに見せなさい!」
愛が、熱い。否、暑苦しい。
さあ! さあ! と魔法石を片手に、拳を握り詰め寄る様は、まあなんつーか控えめに言っても鬱陶しい。さすがのソフィちゃんもドン引きである。元気いっぱいな浮かれ脳みそ君も正座しちまうわな。うわあ……って。うわあ……ってなる。
傍から見ている他人ですら、「空気読めないの……?」ってな気持ちになるのに、その愛を受けるご家族の思いは、はていかに。
まあ、家族の愛ってやつを知らずに育ったソフィは、そういうものに憧れる気持ちが無いわけじゃないんだけど。これは、ねえ。うん。さすがに羨ましくない。全然羨ましくないぞ☆
ソフィは、そっとエーリッヒに視線を戻す。
静かに身体を起こした小さな王は、にこりと微笑んだ。
「兄上、ハウス」
それは穏やかな風が、温かな日差しが、輝く花々が、一瞬で凍てつき砕けて消えていくような、氷の微笑であった。
〜 fin 〜
んなわけない。
王兄殿下殿はちっともへこたれず爆笑しておられたし、アドルファスは「ちったあ堪えろよ」とその殿下を後ろから張り倒したし、エーリッヒは笑みを冷え冷えさせたが。
クスクス笑うエレノアの身体にはまだ呪いがあるし、まだソフィはエレノアとお茶をしていない。
ここ、重要であるからして、リトリニア国の旅は、まだ終われんのである。
そんなわけで、in応接室。
「まずは礼を言わせてくれ。見ず知らずの私のために、なんと礼を言えば良いのか……本当に有難う」
そう言って頭を下げたエレノアは、まるで騎士のようだった。
一纏めにした波打つブルネットが、肩からふわりと落ちる。
身支度を整えたエレノアが着ているのは、グレーのロングジャケット。白い開襟シャツに、細いストライプが入った濃いグレーのベスト。
そして、黒い、スラックスだ。
一見すると女性には見えない装いのエレノアは、頭を下げる姿すら凛々しい。
などと、見とれている場合では無いのである。
ソフィは、慌ててソファから立ち上がった。
「おやめください! わたくしの力というより、アズウェロの力ですもの。それに、あの杖はルナティエッタ様にいただいた物なのです。わたくし一人では何もできませんでした! どうか頭をお上げください!」
ソフィが必死に言い募ると、エレノアはゆっくりを顔を上げた。
「けれど、そんな貴重な力を使い、私を助けてくれたのは貴女だ。アズウェロ様も、そんな貴女だからお力添えしてくださったのでしょう?」
問われたアズウェロは、「ほう」と顔を上げた。ソフィの隣で丸くなっていたアズウェロは、いつものサイズでいつものように尊大に言う。
「ぬし、よく視ておるな」
エレノアはそれに、にこ、と笑うと再びソフィに視線を合わせた。
「ならば、私が貴女に礼を尽くすのは至極当然のことだ」
「で、ですが、貴女のようなお方に頭を下げていただくほど、わたくしは大層な人間ではございません」
ソフィがふるふると首を振ると、エレノアは、こてんと首を傾げる。う、とソフィは声を噛み殺した。
不思議そうな眼は、猛禽類のように鋭いのに、仕草が、幼くて可愛らしいのだ。
その通り名からは想像できない姿に、ソフィの胸がきゅんと鳴く。
ああ、まったく。
最近のソフィの脳みそ君と心は、ちっともソフィの言う事を聞かなくって、それこそ空気を読まずに、すーぐ鳴いちゃうんだから、困ったものである!
まあ司令塔である脳みそが狂っとんだから仕方が無いのかもしれん。恋に世界の広さに浮かれる脳みそ君に、きっと自制の文字は無いのだ。なんて阿呆な脳みそだろうか。
さっさと辞書に書き足してもらおうと、ソフィはかつての自分を思い出し、ぐっと腹に力を入れて、頭を下げた。
「エレノア・ディブレ様、ルディア国の姫であり戦士でもある貴女様のお話は、わたくしも存じ上げております。こうして言葉を交わせるだけで、わたくしは光栄でございます」
すっと腰を落とした本気のカーテシーに、告げた言葉。ソフィの外交力発揮だぜ! ってわけじゃあなくて。そうじゃなくって。それは紛れもなく、ソフィの本心であった。
脳みそ君が浮かれちゃうくらい、それはソフィの偽りなき本心であった。
エレノア・ディブレ。
またの名を、黒鬼アレン。
黒い甲冑に黒い馬、砂埃に舞う黒いマントと黒い髪。男の名を異名に持つエレノアは、女の身で戦場を駆ける。
人々はそれを嗤い、恐れ、敬い、彼女を「黒鬼」と。「アレン」と呼んだ。
そんなエレノアを、ソフィは、
「あれ? もしかしてソフィ、姫のファンでした?」
「!」
ソフィは、身体に染みついた気品だ礼儀だをすっぽーんと忘れて、勢いよくリヴィオを振り返った。
ぱちん、と瞬きし、こてんと倒す綺麗でちっさなお顔。やっだかわいらしいわあ、って。
「あ、え、っと」
まあ。
まあ、ね。
エレノアの祖国ルディア国は、ソフィが生まれ育った彼の国からは、海を隔てた遠い場所にある、小さな国である。
他国の情勢や文化を学ばにゃならん人生であったソフィーリアであるけれど。ルディア国と外交があったわけではないし、また注視せねばならん事情があったわけでもない。
ただ、リトリニア国の幼き王の婚約者として、エレノアの名を聞いただけ。
女の身でありながら大陸中に名を馳せる武人だというから、ちょーっと。ちょーっと、気になって。調べてみただけ。
ほら、だって、ソフィーリアだって女の子だし。おんなじ女の子で、全く違う人生を歩んでいるだなんて、気になるだろ?
しかも、でっかい剣持って、モンスターも侵略者も薙ぎ払うらしい。千の軍勢をたった一人で退けた、なんて逸話もあるんだぜ?
「その」
そんで、背が高くて、いつも男性のような恰好をしていて、公の場では騎士服を好んで着ていて、ダンスはあんまりお好きじゃないらしい。のに、女性パートも男性パートも踊れちゃうんだって。ルディア国王や王妃と楽しそうに踊るお姿は貴重だっていうから、見てみたいな、とか。思うじゃないのよ。ねえ?
だから、まあ。
「ああ、だからその人間と話してみたかったのか、主」
「う」
エレノア・ディブレという一人の女性に対し、ソフィーリアが抱いた興味や憧憬や、今胸が高鳴るこれが「ファン」だから、っていうなら。
アズウェロの欠伸交じりの声を、ソフィは認めるしかないんだが。
素直に「はい」と言うのが恥ずかしいのは、なぜなんだろう。
「あう……」
ソフィがぽっぽと熱い頬を押さえると、エレノアはくすりと笑い、立ち上がった。
毛足の長い絨毯で光る、ピカピカの黒い革靴から顔があげられないソフィの耳に、エレノアのやわらかな声が滑り込んだ。
「ソフィ嬢、とお呼びしても良いだろうか」
「そ、ソフィと、どうぞ、気軽にお呼びください」
そうか、と頷く声が、やたら近い。
ソフィは、そろそろと顔を上げて、ぎしりと硬直した。
ソフィと目線を合わせるように腰を折ったエレノアが、目を細める。
エレノアが持つ魔導力そのもののような煌めく瞳が、優し気にソフィを見ているのだ。
「ソフィ、有難う。私は貴女こそ、素晴らしい女性だと思う。ソフィがよければ、私こそ、貴女といろいろ話してみたいな」
私は女性の友人がとても少ないんだ、と笑うエレノアに、ソフィはお首がもげちゃうんじゃないかしらってくらい頷くしかできなかった。
「アドルファス、兄上から録画用の魔法石を取り上げろ」
「なぜだエーリッヒ! 尊いって言葉を知らないのか!」
「あ、胸がもやっとする」
「悋気は良くないぞ紫の」
ぶんぶん高速で振る頭蓋の中で、浮かれ脳みそ君は花束担いでおったので。
背後で交わされる賑やかな会話など、ソフィの耳には入らなかった。
頑張る詐欺で申し訳ないです。
いつも更新を待ってくださる皆さま、温かいコメントをくださる皆さま、本当に有難うございます。
今度こそ仕事が一区切りつきましたので、次の繁忙期まで書けるだけ書きたい所存であります…!





