7.似た者同士
ほんと不公平よな。人生って。
使い古された文句であるが、それすなわち多くの人類が辿り着きし真理では、などとソフィが思っちまうのは、目の前を歩く二人があまりに神々しいからである。目が、焼ける。
ヴィクトールは、腰まで伸ばした金色の髪を惜しげもなく光りに晒し、まるで自身が太陽のように輝く。白磁の肌に乗っかる力強い美貌は、さながら宗教画。
リヴィオの、日の光で薄く紫色に透ける黒髪と、黒いコートが良く映える白い肌は、人類に愚かさを突きつける天使かのような美貌でありながら、弾けるような紫の瞳の光は、神の希望の色。
つまりは、ヴィクトールとリヴィオのツーショットは、えっぐいほど美しかった。目が、潰れる。
コツコツと廊下を歩く二人とすれ違う、役人が、使用人が、二度見三度見した後に、目やら胸やらを押さえて蹲ったり天を仰いだり壁に寄りかかる様は、まさに屍累々。俺の屍を越えていけ、そんな声が背中に聞こえる気がした。
「あの、本当に僕たちを信用して良いんですか」
ソフィとリヴィオをあっさり城内に招き入れたヴィクトールに、リヴィオは不思議そうに問うた。
どう考えても、ソフィとリヴィオを疑いに疑っていた門番の方が正しいので、いっそ騙されているのではと、こちらの方が疑いたくなってしまうわけだが、ヴィクトールは「わはは」と笑った。
「見ただけでわかる君の強さと、礼儀が染みついた仕草。そちらのお嬢さんの、貴族然とした立ち居振る舞いと話し方! 騎士とお姫様のような二人が、供もつけず徒歩で、オブドラエルの官僚クラスの身分証を掲げるなんて、嘘みたいで信じるしかないだろう。私なら、もっとうまく人を騙すね。それこそが作戦だというならとんだ策士だと賛辞を贈るしかないさ!」
「なるほど」
怪しすぎて逆に真実味がある、ということらしい。
これまた言われてみれば、である。
「たしかに、身分を偽って城に侵入したいなら、人を雇ってそれらしい団体をつくって要人を装うかしら。もしくは、商人とか、二人だけでも疑われないような身分にするとか……城のメイドに成りすますのもいい手ですね」
「そうですねぇ。僕だったら、警備が手薄そうなところから侵入して、騎士の身ぐるみ剥いで紛れ込むかな。やるなら夜、できれば嵐の夜とかがいいなあ」
「人の城に侵入する方法を、私を前に堂々と口にするとは君たちなかなかイイ性格をしているよ。おもしろそうだから一度やってみなさい」
わはは、と笑うヴィクトールに、ソフィははっとして頭を下げた。
「とんだご無礼を失礼いたしました!」
ソフィーリアというお行儀の良いお人形ちゃんの着ぐるみを脱いでからというものの、ついうっかりぺろっと零れて出ていく言葉が後を絶たず、ソフィは己を恥じた。
なんでも思ったまんま口に出しゃあ良いってモンじゃあない。んなこた知っているつもりなのに、リヴィオの隣にいると、つい気が緩んでしまう。
「何を謝るんだい君。おもしろいから良いじゃないか。もっとやりたまえ」
ついでに、わはは、と笑うこの美人の空気がいけない。
尊大な態度とそれに釣り合う美貌のくせに、無邪気な子供のような無法者感が、警戒心をほどくのだ。
だからって王族に対する振る舞いではないとソフィは恐縮してしまうのに、ソフィの愛する騎士様は、相手が王族だろうと神の珠玉の作品であろうと関係が無い。
「それはつまり、ヴィクトール殿下は、侵入者などありえないと自信がおありなのでしょうか」
挑発するように、好戦的な輝きを称える紫の瞳はキラキラと美しく、ピンと伸びた背筋からはリヴィオの築いた輝かしい戦歴が窺える。
見惚れるほどに、格好良い。
世界で一番格好良い。人生が不公平で不平等であることなど当然だ。だってリヴィオはこんなにも格好良い。神様に愛されまくっとる。ソフィなんか、片手間でつくられたか、型に材料流し込んでぺいっと出された量産品だろう。が、不満は無い。何が悪い。むしろ歓迎だ。それで神様が愛情と時間をつぎ込んで、手間暇かけた結果がこの美であるというなら、むしろ誉れである。
「主、口」
「はっ」
アズウェロの声に、ソフィは慌てて口を閉じた。ぽっかり口を開けていたらしい。うっかりうっかり。てへ。
「さあて? どうだろうね? 気になるならやってみるといい。命の保証はしないけどね」
「ご冗談を」
うふふ、あはは、なんて麗しくお笑いになる麗しいお二人からは、ほのかに火花が散っている。
鮮烈な閃光のようでいて、淡い灯火のようなそれは、互いの互いへの興味と好奇心、わずかな闘争心に彩られ、ほうとため息が漏れそうなほどに美しい。
特等席でその輝きを拝めることに、ソフィがそっと手を合わせるとアズウェロがため息をついた。
「殿下?」
ぱちん、と火花が消えたのは、訝しむような声が聞こえたからだ。
黒い髪を後ろに撫でつけた、眼鏡をかけた釣り目の男が、眉を寄せている。一言で言うと人相が悪い。が、二言目を許されるのであれば、顔が良い。
いかにも賢そうな美丈夫は、「そちらは」とソフィとリヴィオに視線をやった。
「さすがは我が愛しの弟の忠実な下僕たる陰険なアドルファスだなあ」
「あ? 喧嘩売ってます?」
「どこがだい。褒めているじゃないか」
「あんたが殺されたら俺が真っ先に疑われそうなんで、口閉じてもらえますか」
「お前に会いにいくところだったんだよ」
「聞けよ」
口調がどんどん崩れていくにつれ、アドルファス、と呼ばれた男の眉間の皺が深くなる。
いっそ可哀そうになるほどであるが、男は慣れているらしい。はあ、と溜息をつくと、ソフィとリヴィオの前に真っ直ぐ立った。
「国王の補佐をしております、アドルファス・ユヴェルティーニです。それで殿下、こちらは」
「誰だっけ」
「あ?」
地の底から響き渡るような声だった。
眉間の皺、っていうかアドルファスの血管がプッツン切れっちまうんじゃないかって声に、ソフィは慌てて口を開いた。
「お初にお目にかかります。わたくし、リトリニア国王に、ヴァロイス陛下より手紙を預かってまいりました、ソフィと申します」
「同じく、リヴィオと申します」
ソフィとリヴィオが二人でそれぞれ、体に染みついた淑女と騎士の作法で頭を下げると、アドルファスは「オブドラエルの王が?」と考えるように言った。
「顔を上げてください」
じ、と二人を検分するように眺めたアドルファスは、ふむとキリリとした眉の片方を上げた。
「失礼ですが、身分証を拝見しても?」
「勿論です」
リヴィオがにこりと頷いたので、ソフィも鞄から身分証を取り出す。
金縁が美しい立派なそれに、「へえ」とアドルファスは笑った。
「本当にファミリーネームが無いんですね。どうにも嘘くさいが……」
へら、と思わずソフィが笑うと、アドルファスは楽しそうに目を細めた。
「複製を禁じる魔法がかかっていますね。酷い代償が伴う、複雑で美しい術式は、魔女らしい仕事だ。確かに、本物でしょう」
「そんな魔法がかかっているの、それ」
「ああ、殿下は魔法がからっきしですからね。ザマァ」
へ、と意地悪く笑うアドルファスに、ヴィクトールは不機嫌そうに眉を寄せた。
「お前はどうしてそう、性格が悪いんだ。私を見習いなさい」
「テメェと育った結果だろうがよいっそ生まれなおせクソが」
なんか凄い台詞出てきたな。
流した黒髪も眼鏡も理知的で、きりっと走る意志の強そうな眉と瞳が理性的な印象を与える男は、ただし口が大層お悪いらしい。最近、言葉が少々乱暴な男性との縁に恵まれているソフィは小さく笑ってしまった。
窮屈なお城で過ごしていた日々には無かった、男たちの気安い空気は、外にいる気分に浸れるので好きかもしれない、と気付いたソフィである。
「おっと、失礼」
笑うソフィに気づいたように、アドルファスはにこりと笑った。
こちらは、ソフィの慣れ親しんだ嘘くさい笑みである。いわゆる、営業スマイル。しかし嫌な感じはしない。ソフィもにこりと笑った。
「どうぞ、わたくしたちの事はお気になさらずお話しください」
「滅相も無い。王の使者を前にそのような真似は出来かねます」
「我が王はとても大らかな方ですから」
「ええ、どのような人材でも側に置くという懐の深さに、私のような狭量な人間は恐れ入るばかりですよ」
「まあ、狭量、などと。わたくしたちがリトリニア国王にお会いすることをお許しくださるヴィクトール殿下と、お親しいご様子ですもの。きっと、ユヴェルティーニ様も海のように広いお心をお持ちなのでしょう。この手紙を陛下にお渡しできたなら、我が王もそのように称えるに違いありませんわ」
ソフィは、にこりと笑った。
アドルファスの営業スマイルは、嫌な感じの笑顔ではない。
けれど、言葉に隠れた「ファミリーネームも無い奴に手紙を預けるなんておたくの王何考えてんの?」という嫌味をしっかりキャッチしたソフィは、ねっちょりと嫌味をお返しした。
「おたくの王兄殿下は良いっていいましたけど。ていうか他国に喧嘩売ってます?」てな感じに。
ふっふん。長いこと王子の婚約者として舌が麻痺するほど辛酸舐めまくってきたソフィは、このくらいわけない。
むしろ、悪意も嘲笑も無い、清々しいほどにストレートな嫌味は気持ち良さすら感じる。
そこにあるのは、得体が知れない、という至極当然の警戒心なのだから。まーソフィはヴァイスに「我が王!」てな感じに忠誠を誓ったわけではないんだが、売られた喧嘩は買っておこうかな、と思ったのである。
「わはは! アドルファスに言い返すお嬢さんは珍しいなあ。いいぞ君、もっとおやりなさい」
「……黙っとけよ顔だけ野郎が」
はあ、と疲れたようにため息をついたアドルファスは、「まあ良い」と眼鏡のブリッジを押さえた。
「あなた方を信用したわけではありませんが、その身分証に偽りが無い事は事実ですし、あの王が変わり者なのは存じ上げています」
ヴァイスが変わり者であることは、残念ながら事実であるので、ソフィは素直に頷いた。
アドルファスはそれに、小さく笑う。意外と可愛い笑顔だった。
「最近はバタバタしていましたからね。陛下を心配してくださったのでしょう。……本来はあまり、人に会わせたくはありませんが……彼の王、いや、あの魔女ならば……」
ぼそ、と呟いたアドルファスは「こちらへ」とくるりと背を向けた。
「よし、行こう行こう」
長い金髪をさらりと揺らし、ヴィクトールも背を向けるので、ソフィはそれを追いかけようとして、くん、と手を引かれた。
なんだろう、と思って、大きなリヴィオの手にくるまれている自分の手を見てぱしりと瞬きし、ソフィはリヴィオを見上げた。
「!」
その可愛らしい顔に、ソフィの表情がぎしりと固まる。
頬を桃色に染め、うっとりとブルーベリーを甘くしたリヴィオは、ふわりと微笑んだ。
「ソフィ、カッコ良かったです」
「え、すき……」
ぽぽぽーん、と花が咲き誇るような空気に、アズウェロが「どぅえっくしょおん」とくしゃみをした。
豪快なくしゃみであった。





