4.若気の至り
一緒じゃない。
そのことにほっとするような、残念なような、それはもう複雑な気持ちになるのは、どうなのか。
手際よく、躊躇いなく、二部屋で、と告げるリヴィオに、ちょっとばかし残念な気持ちになっちまうのは、はしたないかしらん。なんてね。
いつぞやは「一緒で良い」なんて簡単に口にできたのに、今は考えるだけでソフィの心臓がどんどこ飛び跳ねるのは、先日人生の先輩方と恋のお話をして、ソフィがちょっと大人になったからだ。
曰く。
恋人と二人っきりで同じ部屋を使うのは、そういうことだ、と。
どういうことだ、ってつっこんだのは全身真っ黒だけども心はピュアホワイツな魔女の友人で、両手で真っ赤な顔を覆ったのはソフィだ。
──わたくし、なんてことを!!
この時になってようやく、ソフィは己の発言の迂闊さに気付いたのである。
真っ赤になるリヴィオが可愛い、じゃねぇわな。世間知らずにもほどがあるってもんだろう。
いや、いやな。
ソフィちゃんはこう見えて、王太子殿下の婚約者だった女だ。大人のあれそれも、うんざりするほど教育係に言われてきたので、決して無知ではない。まあ平たく言やあ耳年増ってやつね。
でもそれとこれとは別だった。
いや、全然別じゃあ無いんだけども、別だったのだ。
あの時のソフィは、リヴィオと恋人、という意識が、いまいち、欠けていたので。
部屋が空いていない? じゃあしょうがないよね。くらいのかっるい。それはもう吹けばふわふわと飛んじゃう羽のように、かっるい気持ちだったのだ。
いやはや、なんたる暴挙。なんたる間抜け。無自覚って恐ろしい。
ちら、とソフィは隣のリヴィオを見上げた。
「部屋が空いていて良かったですね」
下心なんてチョコレートひとかけらほども見当たらない、キラキラと爽やかな美しい笑みに、ソフィは頷いた。
なんかすみません。って気分。
優雅な船旅を楽しんだ二人は、同じく船に揺られていた抹茶と再会し、街に繰り出した。
港のすぐ側では、活気ある市場がソフィを出迎えた。
「新鮮な野菜だよ!」「今獲れたばっかりの魚はどうだい!」「さる国の失われた秘宝はいかが!」なんて、賑やかな声がひっきりなしに飛び交っている。
いや野菜と魚はともかく秘宝ってなんだ。
ソフィが声に振り返ると、リヴィオは「気になりますか?」と笑った。太陽の光が透ける、楽しそうなブルーベリー色の瞳が美しく、すさまじく可愛かった。え? ほんと可愛い。毎秒びっくりする可愛さ。叫びたくなる衝動を、ソフィはふんぬと堪えた。
「秘宝って言いました? 今」
どこの店だろう、とソフィがきょろきょろとすると、「あれかな」とリヴィオが視線を動かした。
つられて見ると、広げた絨毯の上に、壺や置物、ネックレスに短刀、ときらきらしい物が並んでいる。
「あれも一種のジョークグッズですよ」
「あ、なるほど」
そりゃあそうだ。秘宝、なんてものがその辺に簡単に並ぶわけ無いわな。
本物なわけがない。でも本物だったら嬉しいな。なんて気持ちで買う物なんだろうとソフィが頷くと、抹茶がぶひん、と鳴いた。
そうそう、と言わんばかりの抹茶の声に、腕の中のアズウェロが「主は一人で買い物をするなよ」と釘を刺してくる。
失礼な、と思ったソフィであるが、一人だったらフラフラと足を向けていたかもしれないので、否定できないのが悔しい。
むう、とソフィが眉を寄せると、くすくすと優しい笑い声が降ってくる。
見上げると、溶けるような瞳でリヴィオが笑った。
「そんな可愛らしいお顔をなさらないでください」
どんな顔だ! もう! 可愛い顔はどっちだ!! なんだその可愛い顔は!!! ムキーと地団駄踏みそうになって、ソフィは足を踏ん張った。
毎度のことながら、甘い言葉を言われる度にソフィの浮かれ脳みそ君が「異議有り!!」と叫ぶわけだが、ソフィは顔を真っ赤にして口をパクパクさせるしかない。そういえば、東にはそういう魚がいるらしい。そこのお客さん! 獲れたて新鮮だよ! ってあほか。
ソフィはじろりとリヴィオを睨んだ。
「笑わないでください」
「かっ……!」
正当な抗議だと言うのに、リヴィオは顔を覆ってそっぽを向いて震えている。黒い石と黄色い石のピアスが光るお耳が赤いので、ソフィは思わず下を向いた。
また言った。すぐ可愛いって言うんだこの人。言われる方はたまったもんじゃない。
ソフィなんかより、よーっぽど綺麗で可愛いくせにさ!
「リヴィオの方が可愛いです」
「!」
味わえこの羞恥心!
真っ赤な顔で目を見開くリヴィオに、ソフィはしてやったりとばかりに笑うが。
「知っているぞ。こういうのを馬鹿ップルって言うだろう」
「ぶひん」
冷静な神と馬のツッコミに我に返ったソフィである。
そんな呑気で平和なやり取りを経て、気を取り直したソフィはショッピングを楽しんだ。
一行は新しい街に着いたばかりで、しかも王へ手紙を届けるという任務がある。今後の予定はまだ立っていないし、腹も減っていない。
んなわけで、実際に購入した物は無いが、見た事が無い野菜や魚、大きな肉の塊に、じゅうじゅうと目の前で調理される料理、綺麗なアクセサリーや絵画、不思議な鳴き声の鳥に、いろんな国の言葉の本。
異国情緒たっぷりの市場は、見ているだけでソフィを楽しませた。
「あれは何でしょう」
「ああ、魔よけのお守りですね。ハルーカという国の伝統工芸です」
「まあ、ハルーカの! 本で読んだことはありますが、お守りの話は初めて聞くわ」
「輪っかになっているところに、小さなトゲがあるでしょう? これは口を模していて、悪い夢を食べてくれるお守りなんですよ」
「綺麗な兄ちゃん、よく知ってんな! どうだい、彼女に一つ!」
「おや、自分ではなくお守りに護ってもらえ、って意味になっちゃうので、異性に贈るのはタブーだったはずでは?」
「う、ほんとに物知りだな兄ちゃん……!」
なんて。
リヴィオは博識で、にこりと笑顔一つで相手を圧倒してしまうので、悪戯な店主に捕まる事も無い。
ソフィがそのやり取りに笑う度に、リヴィオは頬を染めて目尻を下げるので、ソフィは可愛いなあと、いっそのことリヴィオに抱き着いちまいたい気持ちで、市場を歩いた。
「まずは宿を見つけましょうか」
市場を抜けたところでリヴィオが言うと、アズウェロがもこもこと自身を抱えるソフィの腕を叩いた。
「手紙を届けなくて良いのか?」
ソフィとリヴィオを送り出した彼の国の王、ヴァイスは、手紙の返事がない少年王の様子を見て来てほしい、と一通の手紙を二人に預けた。
ラフな服装に、肩まで伸ばした髪に眉間の皺、ついでに無精髭と、おおよそ王らしからぬ風貌の男であるが、そこに並んだ力強い字は、思いのほか綺麗だ。
そんなヴァイスは、手紙を届けるのを遅いだとか文句を言う人では無いが、そりゃまあ早い方が良いだろな。
アズウェロのもっともな指摘に、リヴィオは笑った。
「そうしたいところですが、今の僕たちは大した身分もありませんし、そう簡単にはいかないでしょうから、宿を確保してのんびり観光しつつ、長期戦といきましょう」
「事前にヴァイスが手紙を出してくれるっていう案もあったんですけど、手紙が到着するまでに二週間くらいかかるんですって」
「なるほど、我らが到着する方が早いわけか」
そういうこと、とリヴィオは笑った。
もともと、目的も当てもない旅だ。この国の王都である大きな港町をゆっくり見るには丁度いいだろう、というのがソフィとリヴィオの共通認識であった。
そんなわけで、抹茶もゆっくり休める厩のある宿を探して辿り着いたのが、このホテルだ。
探して辿り着いた、といっても正確には「ラエルのお勧めホテル」を探して辿り着いただけだけど。
そう、宿じゃない。ホテルだ。
7階建てくらいだろうか。背が高く、豪奢なデザイン。ソフィが生まれ育った国とは違う様式のホテルは、ラエルのお勧めとあって、貴族御用達と言わんばかりのご立派さである。
リヴィオとソフィは顔を見合わせた。
門前払いされるんじゃないか、と思ったが目が合った従業員は、流れるように抹茶の手綱を引き、現れた別の従業員が、これまた流れるように宿泊の手続きを始めた。
さぞお高いんでしょう? と思えば、なんと、小さな街の小さな宿くらい。え、お安すぎ!
「あの、本当にこの値段で良いんですか」
思わず問うたのはリヴィオだ。従業員は、にこりと品の良い笑みを浮かべた。
「お客様は、『銀の雫』をお持ちですから」
ソフィは、思わずラエルに半ば押し付けられた腕輪を見下ろした。キラーン、と美しい細工の腕輪がソフィを見上げる。
「この港が栄えているのは、『銀色の海』の皆様のおかげでもあるのです。彼らは強く、世界中のあらゆる場所から人や物を届けてくださいますから、港で商いをする者は皆、彼らに感謝しております」
ラエルはどうやら、ソフィが思った以上に凄い人だったらしい。驚いたソフィは、ぱちぱちと瞬きをした。
「とりわけ、オーナーはラエル船長に大変お世話になっておりますので、『銀の雫』をお持ちになったお方には、格別の計らいをするよう申し付けられております。どうぞ、ゆっくりと旅の疲れを癒してください」
と言われても、ソフィはなんにもしちゃいないし、到着したばっかりで別に疲れてもいない。
なんだか気まずい気持ちであったが、「ではお言葉に甘えさせていただきましょう」とリヴィオはさっさと二部屋確保しちまったのだ。
そんなわけで、ソフィは方々に心の中で謝罪をしたわけである。
なんか、すみません。





