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【書籍化&コミカライズ】婚約者の浮気現場を見ちゃったので始まりの鐘が鳴りました  作者: えひと
第3章:花が咲いちゃったので新しい旅の始まりの鐘が鳴りました
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1.海は大きいし夜は長い

スタートです

「わああああ! うみだあああああああ!!!! すごい! おおきい! ひろい! つよい!!」


 青い空の下、青い海の上。

 若葉色の髪を風に揺らし、ソフィは木の実色の瞳を瞬いた。

 どん、と腰のあたりにぶつかった子どもが、叫んだ口を大きく開けたまま、目をぱちくりとさせソフィを見上げている。ぱっちん。バッチリ合った視線。あら大きなおめめ。


 子どもは、にか、と人懐っこい笑みを浮かべ、気づいたらソフィもつられて笑っていた。おお、子どもってすごい。


「すっすみませんっうちの子、海が好きでっ!」


 慌てた様子で駆けてきた男性が頭を下げる。子どもの、引き寄せられて、ぱ、とスカートから離れた小さな手に、ソフィは笑みを深くした。


「いいえ。わたくしもお子さんの気持ち、わかりますわ」


 て、いうか。

 わりと同じこと思ったソフィである。

 わりと、っていうか、まあ。ほぼ、全文。そのまま。船の上でソフィは叫んだ。

 あ、いやいや。叫んだつってもね。心の中だよ。家名など無い、自分はもう貴族でも淑女でも無い、と言うても羞恥心はあるので。

 初めての船。初めての海。

 海を見ただけで、こう、テンションがぐあああ、と一気に上がったソフィは、船が動き出した瞬間、歯を食いしばった。

 そうしないと、本気で叫んじまいそうだったんだな。


 自然の雄大さがー、とか、潮風の香りがー、とか、水面(みなも)の美しさがー、とか、そんな詩的な表現は一個たりとも浮かばんかった。


 わああああ海だあああああああ!!!! すごい! 大きい! 広い! 強い!!


 それにつきたね。ホント。

 だって、海だよ。海だ。海を海以外のものに例えるだなんて、馬鹿らしくなるくらい、海だった。

 青くて、大きくて、広くて、もうなんか、強い。語彙力? 馬鹿野郎そんなもんいらん。感じるだろ、この全てを圧倒する迫力。

 頭を誰かに覗かれりゃあ、その頭の具合を心配されるだろうな、ってくらい知能がベイビーまで退化したソフィは、その時ちょっと周りを見渡した。

 ──誰にもバレてないわよね?


 人の思考を読める能力がこの世にあるのか。それについてソフィは知らんが、見ろ。これだけ海は広い。大きい。どこまでも続いている。

 そしてソフィの身には、次々と信じられないことが起こった。


 婚約者が義妹と夜会で大はしゃぎする現場に遭遇するだろ?

 もんのすごい美人の騎士に一緒に逃げようって言われて恋に落ちちゃうだろ?

 逃げ出した先で魔女と王様のカップルに出会うだろ?

 真っ白の神様の主になるだろ?

 なんやかんやで他国の民になるだろ?

 で。

 只今、船の上海の上空の下。


 もう何が起きてもおかしくない。ソフィの知る「常識」なんてモン、まあ無力で無益って思い知るしかないじゃない。

 だから、他人の思考が読める人がいたっておかしくないんじゃないかなって。


 そんなしょーもないことを思うのは、疚しいことがあるからなわけだけど。

 海だあああ! とか。アホかっつう自分のテンションを人様に知られるのは恥ずかしい。んだもんで。ソフィは、きゅっと唇を噛んだわけだ。


 

 まま、それも昨日の話。

 今のソフィは、海と一夜を共にした女だ。

 甲板に出たとて興奮などするものか。


 髪をこう、風に遊ばせてだね。地平線をアンニュイな感じで眺めたりして。想い馳せるは、海の神秘。

 ほら、水はこの手に捕まらない。

 人は、桶に入れて初めて水を手にすることができる。つまりは、水を入れる器が必要なわけだね。

 素手で水を捕まえることはできない。

 目に見えるのに、ここに確かにあるのに、手のひらに留め置くはできないもの。

 けれども、こうして目の前一面に広がっていれば、絨毯、まるで個体のようにすら見える。なのに、手を伸ばしたとてソフィは海を掬うことはできない。

 ソフィの掌で零れ残ったそれは、「海水」という水に成り果てて、もう決して海ではない。

 では、海は、海水は、何に入っているものなのだろうか。

 海の端はどこだ。

 海を収める器は何だ。

 人はどこに行き、どこから生まれ、どこで生きているのだろう。

 ソフィのいた世界など、小さく見えてしまうほどに広い、この世の果てはどこにあるのだろう。このまま真っ直ぐに船が進み続けたなら、辿り着く場所はどこだろうか。


 ああ、人の身のなんと小さく愚かで間抜けな事だろう。

 ああ、自分という存在のなんとちっぽけな事だろう。世界はこんなにも不思議で満ちているのに!




 と。まあ、このような事を思案しながら、ソフィは憂い帯びた瞳で海を眺めていたのである。

 海を前にしたロマンチストが陥りがちな疑似ノスタルジィ。ソフィは知らぬが、数年後振り返って顔を覆いたくなるそれを人は黒歴史と言うし、世界と時代が違えば中二病とか呼んだりする。

 とどのつまり、依然としてソフィは海に興奮しっぱなしだったわけだな。

 

「すみません、昨日も散々はしゃいでたのに、起きて外に出たらまたこうで……」

「まあ」


 何が「まあ」じゃい、ってソフィの頭を覗ける誰かさんが居ればツッコミを入れただろうね。

 ソフィも幼子と全く同じであったが、ソフィにその自覚は無かった。

 酔ってる人に「お前飲みすぎだよ」って言っても「酔ってない」っていうアレ。中二病患者に中二病の自覚無し。


 海を前にはしゃぎ倒す自覚無きソフィは、子どもを見下ろした。

 くるん、と榛色の大きな瞳がソフィを見上げる。

 じっと見つめ合う両者。

 目を逸らしたら負け。そんな風に思っている、わけでは勿論無い。


 屋敷と王城が主な生活圏だったソフィの世界に、小さな子どもはいなかった。

 ぱちんぱちんと、大きな目に長い睫毛で、ソフィを見上げる瞳は、ソフィにとってハッキリ言やあ得体が知れない。

 とっても可愛らしいが、どう扱えば良いのかさっぱりとわからんのだ。

 下手すれば傷つけてしまいそうな恐怖すら覚え、ソフィはそっと一歩引いた。


「ソフィ」


 声を掛けられたソフィは、はっとして振り返った。

 風に揺れる、夜のように美しい黒髪に、ブルーベリーのようにキラキラした紫の瞳、太陽の下がひどく不似合いな陶器のような白い肌。


「リヴィオ」

 

 ソフィに手を差し出した唯一の騎士であるソフィの初恋の君は、眼を細めて笑った。

 絶え間なく吹く海風に前髪が揺れ、その綺麗な顔が惜しげもなく日に晒される。ソフィの心臓がぎゅううん、と泣いた。かっわいいいよう。


「ゲームはどうでした?」

「勝ちましたよ! でも次も勝てる自信は無かったので逃げてきました!」


 あはは、と笑う顔の可愛さったら!

 ソフィは今すぐに海に飛び込んじまいそうな浮かれ脳みそ君を押さえこんで微笑んだ。


「やっぱりテーブルにじっと座ってるのは性に合いませんね。外にいるソフィが恋しかったです」

「っ」


 にこ、じゃないんだよなああ。

 重たいボディーブローを食らった気分で、ソフィは心臓を押さえた。や、ボディーブローとか食らったこた無いんだけれども。


「ゲーム、というと船内で流行っているカードゲームですか?」


 子どもと揃いの榛色で瞬きし、男性がリヴィオに問いかけた。リヴィオは笑顔で頷く。


「ええ。船長にこてんぱんにされたのが悔しくて再戦を申し込み、ようやく勝ったところです」


 ソフィとリヴィオが乗る大きな商船は、とても美しく立派な船だった。

 世界を股にかけて商売をする船は、商品だけではなく人も運ぶのだという。

 積み荷優先であるから客室は少ないが、とても立派な部屋で、王城の客室もかくやという豪華さだった。

 さらにコックの腕も超一流と、客船も真っ青の至れり尽くせりっぷりは、この商団の力そのものだろう。


「俺が手に入れられないのは人の心だけさ」


 と笑った船長殿は、大層頭が切れ、腕っぷしが強く、魔法も自在に使いこなし、船員にも慕われている、少年の姿をした男だ。


「呪いを解く方法を探して旅してたんだ。旅にゃ金が要るだろ? で、商売を始めた。んで、気づいたら商売が楽しくて、呪いはどうでも良くなっちまって今に至る」


 こくん、と喉へ流すのは葡萄ジュースではなく、薫り高いフルボディのワイン。ぺろりと唇を舐め、小さな船長はニヤリと笑った。


「呪われたのがいつだったか覚えちゃいねェが、今となりゃ老いを知らねぇこの身体も悪くは無ェさ」

「すぐ酔いが回るから、ラエルせんちょーの酒代浮きますもんね」

「そうそう」


 ケラケラと笑う彼は、呪いを受けた時は40代だったのだという。

 今の彼はといえば、褐色の肌に白銀の髪をした美少年だ。12,3歳くらいにしか見えない頼りない身体で、肘を突いてキラキラと指輪を光らせながらグラスのふちを持って揺らす姿は、違和感しか無い。

 ラエルは、ところで、と目を細めた。


「お前ら、言っておくが俺の船でエロい事したら海に捨てっからな」

「「しません!!」」


 船内に響き渡る二人分の叫び声に、ラエルは、はあん? と眉を寄せた。


「みんなそう言うんだよ。口だけなんだよ。10代なんて猿みてェなもんだろ正直に言えよコラ。あ?」

「せんちょー、それせんちょーだけッスよ」

「んだと」

「そんなだから呪われるんスよ。そのうち不老の呪いじゃなくて浮浪の呪いかけられますよ」

「もうちょっとツッコミやすいボケにしろい」

「ソフィさんリヴィオさん、すみませんね。うちの船長有害指定物なんで気を付けてくださいね」

「なるほどテメェよっぽど殴られてぇらしいな」


 海の神様に喧嘩を売ったのだという無茶苦茶な男は、少年の身体で大人のようにして笑った。ま、大人なんだけど。


 神に喧嘩を売って呪われた船長。

 信じられないが、ソフィはちょっとした事情により、この世にはいろんな神様がいることを知っちまった。

 だからってわけじゃないが、世界ってのは疑ってかかるよりも真っ直ぐ受け入れた方が存外おもしろいんじゃなかろうかと思う今日このごろ。

 ソフィは己の勘に従い、信じたいものを信じるように心掛けているところなので、それを疑うつもりはない。


 まあ、あれだ。ラエルが嘘つきでも、本当におっさんだかジジィだかだったとしても、ソフィとしてはどっちでもいいわけだから、疑ってかかるよりも、信じたほうがおもしろいよな、って話だ。

 世界にはきっと、呪われて子供の姿になった男もいるし、呪われずとも賢い子供はいるだろう。ソフィの知らない話は、そこら中に転がっているに決まっているのだから。


 そんなわけで、ソフィはこの少年を年上と見ることにした。

 そうでなくても、ラエルがソフィとリヴィオが乗る船の船長であることは変わりないのだから、敬ってしかるべきだしな。


「ラエル船長、あの、わたくしもリヴィオも、船の規律を乱すような事はいたしませんから安心してください」

「こんな立派な船に乗せていただけるだけで有難いです」


 ね、と頷くリヴィオにソフィが頷き返すと、ラエルは「ああん?」と片方の眉をひょいと上げた。

 

「ったりめェだわ。(ぼん)の頼みじゃなきゃ、俺は予定外の客なんか乗せねェんだからな」


 ぼん。坊や。

 ソフィの胸のあたりまでしか背丈が無い少年がそう言うのは違和感しか無いが、この愛らしさすらある外見の中身は、ソフィとリヴィオの乗船を手続きしてくれた、彼の国王を見下ろせる年齢、ということらしいので。ソフィは、いつも不機嫌そうに眉を寄せるがその実、世話焼きな国王を思い浮かべてみた。

 二人並ぶと親子にしか見えんところが、妙におもしろい。

 ラエルは、いーか、と顎を上げた。


「次、(ぼん)に会う事があったら、俺のことめっちゃ褒めとけよ。愛人にするならラエルだって言っとけよ」

「え」

「すいませんねぇ、うちのせんちょー頭と顔は良いんスけど、アタマ悪いんスよ」


 ば、とラエルの口を塞いだ糸目の青年は、あはは、と笑い、ソフィはパチパチと瞬きした。

 ラエルは、べしい! と腕を叩き落とし、あまつ青年の胸倉を掴んだ。


「誰の頭が悪ィだへし折んぞザッツ!」

「マジで青少年の育成に悪影響なんで口閉じてくださいよぉ」

「ガキを甘やかして良いことねェんだよ綺麗なモンだけ見せる方が教育上良くねェだろーよ」

「汚物しか見せてねぇーから問題なんだわセクハラ駄目絶対」

「誰が汚物だオムツも取れてねぇガキがいっちょまえ抜かすんじゃねぇよヒィヒィ鳴かすぞゴラ」

「ぎゃー! もうほんっと止めてピュアな若者が汚されるー!」


 後半、もみくちゃになる船長とその部下の会話はソフィにはよく聞き取れなかった。リヴィオが両耳を塞いでいたので。

 尚、ソフィが見上げたリヴィオの目は死んでいる。深くは追及しないことにしようとソフィは決めた。

 リヴィオが聞かせたくない、と思ったのなら聞かぬ方が良いのだろうなあ、と思うがしかし、これでは食事がし辛いし、リヴィオも食事ができない。どうしたものか、とソフィが思ったところで、ソフィの膝に乗って食事をしていた白いもこもこした熊さんが、わう! と吠えた。

 ビリビリ、と食器が響き小さな音を立てる。

 驚いたリヴィオはソフィの耳から手を離し、言い争いをしていた二人は、ぎょっとした顔でこちらを見ている。

 小さな熊さんは、ふんと鼻を鳴らした。


「あ、アズウェロ?」

「男の下賤な話は主にはまだ早い。続けるようなら退室させてもらいたい」

「はあ?」


 ラエルはがたりと立ち上がった。大きなピアスが音を立てる。


「魔法士がよく連れてる幻獣かと思ってたら……それ、神じゃねェか!」

「ほう、勘は悪くないようだな。神の怒りを買うだけのことはある」

「冗談じゃねェぞ。(ぼん)の友人を許しても神の乗船を許した覚えはねェ!」

「我も黒いのの友であるぞ。黒いのは主の友であり、クッキーとやらを馳走になったからな。あれは良い物だ。美味い」


 義理堅い神様である。

 ラエルは「食い意地が張ってるだけじゃねェか」と顔をひきつらせた。ま、そうとも言うな。

 すわ一触即発か! という空気は、間の抜けた神様の発言で飛散し、リヴィオの「まあまあ。ヴァイスには、ラエル船長は神の乗船も許してくださった心の広いナイスガイだったとお伝えしておきますので」という言葉で消滅した。

 ソフィは思った。

 さすがリヴィオ。好き。



 その後、ワインと紅茶とクッキーをお供にカードゲーム大会が開催されたわけだが、お遊びムードで始まったゲームが一転。


「おおっとお子様には早かったかな?」

「見た目は僕より随分とお子様の様ですが」

「あ? 上等だ叩きのめしてやるよ」

「待て紫の。次は我もやるぞ」

「えー、また明日にしましょうようー」


 と、戦いは白熱し、不穏な空気を漂わせ始めた。

 男の戦いを眺めていたソフィは、こっそり欠伸をする。

 

 世界は広く、いろんな人がいる。

 種族、文化、言葉、趣向、人の数だけ違うそれは無数の星のよう。

 瞬き燃えて輝く光は、得難く美しい。


 つまり、仲が良いのは良い事だよね。

 平和な戦いに、ソフィはもひとつ、両手の下で欠伸をした。

 駄目だ寝よう。続きはまた明日ね。

 おやすみなさい。ぐう。

 







海の上から新しい旅がスタートです!

待っていてくださった皆様有り難うございました。

そして、またよろしくお願いします。

新年度に入って仕事が忙しくなることと、他にも書きたいものがあるため週1更新を予定しています。

のんびり見守っていただけましたら幸いです。

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たくさんの応援有難うございます!

巻末と電子限定の書きおろしは、
両方を読んでいただくとより楽しめる仕様にしてみました。
ぜひお手に取っていただけましたら嬉しいです。
よろしくお願い致します!

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― 新着の感想 ―
[一言] 3章ありがとうございます!待ってました!!嬉しいです~!! しょっぱなからソフィが可愛いー!!好き! 3章どんなお話になるのか楽しみです! 更新無理なさらずです!のんびりお待ちしてます…
[良い点] 更新ありがとうございます!楽しみにしておりました。 海にはしゃぐソフィちゃん可愛い♪浮かれ脳みそ君も新章でも元気そうで嬉しいです。 下ネタから守ってくれるアズウェロさんもステキ!紳士! …
[一言] GWあけぐらいかな?と思ってたら始まってびっくり カードゲーム、アズウェロも参戦って、魔法の力でカードを保持して 取る時は口で、出す時は鼻先で押して?とか想像してふふっ、っとなったりしまし…
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